11.昼食

 僕らは1階に下りて応接間に行き、外がよく見える大きな窓の側にやってきた。そして、梶原から渡されたおにぎりやコンビニ弁当やペットボトルのお茶を各々広げた。    

 よく考えたら食堂を使う手もあったし、その方が自然な気もするが、誰もそうした提案をする者はなく、当然のように、みんなしてここに来て座り込んでしまった。


「まず、こっちでわかったことを報告しておくよ」


 サンドイッチを片手に、梶原が言った。


「この館は1912年に、イギリスの貿易商、フィリップ・アダムスという人の家として建てられたものらしい。

 登記上の名前はアダムス邸で、この時点では鹿翁館なんて呼び方はされていない。

 アダムス氏は1930年まで日本にいたけど、その後帰国して、ここは空き家になった」


 と、ここで梶原はサンドイッチをかじり、紙パックの牛乳に口を付ける。

 しばらくして、梶原は続けた。


「その後、この館がどうなったかという公式記録はない。どうも、戦争が始まってごたごたしている内に存在を忘れられちまったらしいな。

 ただ、ちょっと面白い記事を学生が見つけてくれたよ。1940年に発行された地元の超ローカル紙に、この山に鹿の霊が現れたという記事が載ってるんだ」


「鹿の霊?」


「ああ。山に芝刈りに来たおっさんが、森の中で自分を呼ぶような声がして、行ってみると霧が出てきて、白くてでかい雄鹿に出会ったらしい。

 おっさんは山から逃げ出して無事だったそうで、取材を受けた専門家は、それをウェンディゴだと断定したそうな」


 長家が言った。


「ウェンディゴって、カナダの精霊じゃなかった?」


 梶原は頷き、それから補足した。


「クトゥルフ神話にも出てくるよ。カナダやアメリカの先住民に伝わるウェンディゴと、クトゥルフのやつは大きく性格が異なるけどね」


 長家は渋い顔をする。


「クトゥルフというのは? どこの神話なの?」


「そうか。ラヴクラフトを読んだことがないんだっけ? 昔から伝わる神話じゃなくて、『指輪物語』みたいに近現代になって小説が基になって作られたタイプの神話だよ。ラヴクラフトという人の小説が基になって作られたんだ」


「ふーん」


「まあともかく。これが直接この館と関係あるかわからないけど、もしかするとこうした話から、この館が鹿翁館と呼ばれるようになったのかもね」


 僕はなるほどと頷いた。だが、そうしておきながら、何か引っかかるものを感じた。


「それで、そっちの方はどうだった? 書斎の床がきれいになったのはわかったけど」


 僕はのり弁を食べながら、書斎での調査結果についてざっと説明した。僕らの調査は、数時間の作業のわりには順調に進んだかもしれないが、肝心の教授の失踪の手掛かりという点では皆無だった。このアプローチで本当に何か発見できるかは怪しくなりつつある。


 しかし、僕の報告を聞いた梶原は、特に失望した様子もなく、熱心に聞いていた。梶原は言った。


「今日の午前だけでも結構な進展があったな。長家の知り合いからの返事によっては、決定的なことがわかるかもな」


 なかなかポジティブな発言である。しかし、このくらい楽観的でないと、歴史研究なんてやってられないとも言える。



 その時、食堂で物音がした。何かが床に落ちたような音。三人は、各々飯を食う手を止めて、お互いの顔を見合う。

 そして、誰ともなく立ち上がり、応接間から食堂へ通じる扉へと向かう。


 長家はおにぎりとペットボトルのお茶、梶原はサンドイッチと牛乳パックを持っていて手が塞がっていたので、自然の成り行きで、僕がドアのノブをひねって扉を開けることになった。

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