10.書斎の調査 その5

 メールの返事と昼飯の到着を待つ間、長家は本棚の調査を続行することにした。


 長家は一冊ずつ抜き取っては、ざっとページをめくったりしている。


 今のところ他にすることもないので、僕もそれを手伝おうと思い、僕は長家の作業している面とは反対にある本棚から取り掛かろうとした。


 だが、本棚の前に来た時、ふと、机に引き出しがあるんじゃないか、と思いついた。


 それで、机に戻って、椅子のある方に回り込んでみると、やはり、引き出しが左右2つずつあった。


 まず、左右の下の段はカギがかかっていて開けることができなかった。


 右上段の引き出しは、すっかり中のインクが乾ききって使い物にならなくなっているインクつぼがいくつかと、万年筆、文鎮、ペーパーナイフ。


 左上段の引き出しには、変色した白紙の紙束が入っていた。どうやら例のメモ片のいくらかは、この紙を使ったものらしい。


 僕は紙束を取り出すと、机の上に置き、指先でそっと表面をなでてみた。

 確かシャーロック・ホームズだったと思うが、こういうものには筆跡が凹みとして残っていたりするとか言っていたことを思い出したのである。

 だが、残念ながら、紙は真っ平らだった。


 ついでに、紙束をぜんぶ繰ってみて、何か書かれている物がないか確かめてみたが、それも空振り。引き出しに戻した。



 そのとき、長家が何やら雄叫びをあげた。


「どうかしたの?」


 僕は最初、虫かなんかがいたんじゃないかと思ったのだが、そういうわけではなさそうだった。長家は一冊の本を手に、こっちにやってくる。


「来たよ、来た来た。ようやくソレっぽい展開がやって来たわけよ」


「まあまあ。わかった、わかったから、具体的な話をしてよ」


 僕はなんとか長家をなだめようとする。そのおかげかどうかはともかく、長家は少し落ち着きを取り戻すと、自慢げにその、手に持っていた本の背表紙を見せた。


「見てよこれ。ブリタニカ百科事典、第11版の19巻目!」


「貴重な本なの?」


「知らん」


 僕は思わず、ずっこけそうになった。


 長家は僕のリアクションには構わず、話を続ける。


「問題は本のレア度じゃなくて、同じ本が2冊あるってこと。まあ、間違って2冊買っちゃったなんてことは日常茶飯事だけど、何か違和感を覚えたわけよ」


「ああ、うん、それで?」


「そうたら、どうよ、これ」


 長家は本を開いた。一瞬、長家が何を見せたかったのか理解できなかったが、よく見ると、本の一部が小さくくり抜かれているのを、見つけた。

 穴のサイズはクレジットカードの半分くらいの小さいもので、適当にページをめくっただけでは、案外見落としてしまうかもしれないサイズだった。


 その発見は大した物だが、肝心なのは、そこに何があるかである。


 僕は穴を覗き込んでみる。しかし、そこには何も無かった。


 僕はもう一度、穴の中をじっくりと眺め回し、それから、長家の方を向いた。


「……で?」


 長家は満面の笑みを浮かべ、もったいぶりながら何かを差し出した。

 受け取ってみると、それは小さなカギだった。家のカギにしては小さくて簡素すぎる。


「……机の引き出しかな?」


 僕はさきほど開けられなかった机の引き出しにあるカギ穴に、そのカギを差し込んでみた。


 ちゃんと差し込まれた。……ということは、本当にこの引き出しのカギなのだろうか。


 しかし、ひねってみると、中で引っかかってうまく回らなかった。

 変に力を入れるとカギを壊してしまうかもしれず、あまり強引にやりたくない。


 僕は言った。


「たぶんここのカギなのは間違いないけど、油か何か挿さないとダメかも」


 長家は首と手を小刻みに横に振ってみせた。


「ああ、油は止めといた方がいいよ。かえってとどめを刺すことがある」


「そうなの?」


「ちょい貸して」


 言われるまま、僕は長家にカギを渡す。

 すると、長家はカギに鉛筆を使い、芯を塗り込むようにしはじめた。


 僕は驚きの声をあげた。


「え、そんなのでうまくいくの?」


「応急処置だけどね。うまくいけばラッキー、くらいに思っといて」


 長家は、カギに鉛筆の芯を塗ってはカギ穴に挿して様子をみる、といった作業を何回か繰り返した。


 果たして、何度目かの挑戦の後、カギはきちんと回り、ロックが外れる音がした。


「おお、すごい」


「じゃ、私はもうひとつの引き出しを開けるから、そっちの中身を確認しといて」


「わかった」


 僕はそう言うと、長家と場所を入れ替わり、引き出しを開けた。


 引き出しの中には書類らしき紙束と、缶箱が入っていた。

 缶箱を開けると、何枚かの証券らしきものが入っていた。当時としては貴重品だったかもしれないが、今となっては無効だろう。


 書類の方も、当時の事務的な内容のものばかり。歴史的には興味深いかもしれないが、教授の失踪とは関係なさそうである。



 そのうち、隣の引き出しも開いたらしくて、ロックの外れる音がした。


「うわ。こっちは何も入ってないわ。超骨折り損」


 長家の声に、僕はそっちの引き出しを覗き込んでみる。本当に何も入っていなかった。


「そっちはどうだったの?」


「こっちは書類と、缶の中に証券が入ってたよ。どうかな。何か役に立つ?」


 僕は長家に場所を開けた。長家は書類を取り出して、一枚ずつ確かめる。


 全部確認し終えたところで、長家はひと息つき、それから、引き出しに書類を全て戻した。


「大した役には立たないけど、わかることもあるね」


「何?」


「ひとつは、この書類の日付が1912年から29年のものだということ。ここからこの家の持ち主が住んでいた時期がわかるんじゃないかな。

 もうひとつは署名」


 僕は、さきほど長家に書類を手渡す時、ちらりと見た名前を思い出した。


「ああ、フィル・アダムスだったっけ?」


「名前は名前で役に立つかもだけど、今は筆跡の方が重要かな。

 私は筆跡鑑定の専門家じゃないけど、部屋に散らばっていたメモ書きとは明らかに筆跡が違っていたと思うよ。

 あと、インクは明らかに色が違ったね。それは決定的なことじゃないけど。同じ人が複数のインクを使っていることはあるしね」


「ああ、なるほど」


 となると、途中で家の主人が変わったという、長家の説を支持する材料にはなりそうである。



 と、そのとき、玄関の扉が開く音がした。つづいて、階段のきしむ音。


「帰ってきたか。じゃ、ひとまず休憩するかね」


 そう言って僕は立ち上がった。

 長家も、鉛筆やメモ帳をしまい込むなどして、仕事の切り上げの準備にかかる。


 そうするうち、書斎の扉が開いた。


「いや、長いこと外して済まなかったね。とりあえず下で昼飯にしよう」


 梶原が、コンビニの袋を持ち上げて見せながら言った。

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