09.書斎の調査 その4
ものすごく重い足取りではあったが、僕らは結局、書斎に戻ってきた。
もともとこの書斎にはなぜだか嫌な感じがしていたのに、さらに長家が脅かすものだから、僕の気の重さと言ったらなかった。
一方、長家の方はというと、僕を怖がらせて愉しんでいるのかと思いきや、そうでもなかった。怖がっている風ではなかったが、妙に真剣な表情をしていた。
「さて。ともかく仕事を始めましょうか。まず、私はざっと本棚をチェックしてみる」
「わかった。じゃあ、僕は片付けからやろうか。床に散らばっているのを集めて整理しよう」
長家が本棚を探る下で、僕は床に這いつくばって、散らばっている紙切れを集めていく。
そのついでに、何か事件を臭わせるものがないかにも、一応気をつけておく。
そういうことはすでに警察がやった後だそうだから、素人が適当に探しても意味はなさそうだが、こっちも言うなれば探し物の専門家ではある。何か見つけるかもしれない。
……そう勢い込んで、名探偵よろしく這いずり回ってみたものの、やはりそう都合良く発見があるわけもなかった。
ただ、片付けは順調に進んだ。
ほどなく僕は、ひととおり床に散らばった本を机の上に積み、その傍らに集めた紙片の束を置いていた。
結局、落ちていた本は17冊あった。そのほとんどは表題の読めない本だったが、いくつか英語で書かれたものもあった。
その中で特に目を惹いたのはプラトンの『ティマイオス』だった。
この本は考古学に興味がある者なら誰でも知っているだろう。なぜなら、考古学者の憧れの的、アトランティス大陸について言及された書物だからである。
僕は子供の頃、ことあるごとにこの本を読書感想文の題材に選んでは、アトランティス大陸についての妄想を延々と書き綴ったものである。
もちろん、読んでいたのは日本語訳版であり、ここで落ちていた本のように英語では書かれていなかったが。
しかしまあ、プラトンはギリシャ人だから、『ティマイオス』の原著はギリシャ語で書かれていたはずである。だから、英語で書かれたこの本もオリジナルとは言えない。日本語訳と大差ないと言えるだろう。……そこで張り合ってもしょうがないか。
あとは、グノーシス派に影響を受けていると思しき、本格的にイッちゃってる怪しい魔術書が一冊と、さきほどちょっと話題に上っていたラヴクラフトの小説が数冊。この書斎の主はオカルト好きなのだろうか。
紙片は、大きさも紙質も状態もまちまちで、上等そうな紙をきっちり何等分かに切ったものもあれば、ノートか何かを破ったものもある。
これらに共通していた点は、ひとつは、程度の差こそあれ、そのどれもが変色していたこと。もうひとつは、おそらく全て同じ人物が書いたであろうこと。
ある紙片には、僕には読めないアルファベットと思しき羅列が雑な字で書かれており、ある紙片には偏執的に数字がびっしり書き込まれていたりしたが、そのどれもが羽ペンと思しき物を使って、青みがかったインクで書かれており、ぱっと見た感じでは、そのどれもが同じような筆跡をしていた。
「しっかし、なんか変なんだよね。この本棚のラインナップ」
スマホをいじくりながら、長家が言った。
「英語の本の多くは辞書とかの実用的なものの他にはブレイクとかワーズワースとかが主流で、これらは本の傷みが激しいんだけど、スペイン語のやつは歴史書やキリスト教の外典的なやつとか、オカルトなものが多くて、痛みも少なめなんだわ。
これってさ、どこかのタイミングでこの部屋の持ち主が変わったんじゃないの?」
そう言われて僕は、本の傷み具合については気を払っていないことに気付いた。それで、自分の近くに積んでいた本の小口をざっと見ながら、言った。
「床に落ちてるものについては、ほとんど英語じゃないものだけど、英語で書かれているものの中には魔術書とかオカルト的なのもあったよ。けど、言われてみると、オカルト本は辞書とかよりも劣化が少ないね。紙質の問題かもしれないから簡単には言い切れないけど」
そしてついでに、付け加えて言う。
「それと、紙に書かれた文字については、全部英語じゃない」
「ほう。どれどれ」
長家は手を休めて、僕が机の上に積んでおいた紙束をいくつか手に取った。
「うーん。基本、スペイン語で書かれてるみたいだけど、字が汚い上に崩されすぎていて、ほとんど読めないねえ。綴りが変な単語があるし、もしかすると暗号化されてるのかもしれない。読めるやつは『やった!』とか『これじゃない』とか、読めたところで大して役に立たない心の叫びばかりだね」
それから今度は、数字がびっしり書き込まれた紙を持ち上げる。
「うーん。私の知り合いに暗号の専門家がいるから、スマホで撮って送って意見を聞いてみたいね。梶原君に許可を取ってからの話になるけど」
「そういうことなら、梶原に連絡してみよう」
僕はそう言ってスマホを取り出し、梶原に電話をかけてみた。
一瞬、こんな山奥で通じるのかという疑問がよぎったが、あっさりと繋がった。
梶原は是非意見を聞きたいと言った。そして、これからコンビニで昼飯を買って戻ろうと思っているが、リクエストはあるかと訊いてきた。
長家はシーチキンと梅のおにぎりを所望した。僕は丼物、と言おうとしたが、ここに電子レンジがないことを思い出し、のり弁とかそんな感じのもの、と言っておいた。弁当なら温めなくてもそこそこ食えるだろう。
通話を切り、ついでに時間を見る。ちょうどお昼時の12時だったが、梶原がここに戻るには少なくとも1時間半はかかるだろうから、昼飯は少し遅めになりそうである。
長家は早速、机の上に紙片を並べて、スマホでひとつずつ撮影しては、写り具合を確認している。
そうしながら、言った。
「フロリダは深夜だから、たぶんすぐ返事が来ると思うよ」
「え、なに、その人夜行性なの?」
「それは知らないけど、いつメールしても、返信は深夜から明け方にしか来ない。日中ならツイッターの方が捕まえやすいね。なぜか知らないけど」
それも変な話である。メールの確認はしないけど、ツイッターは確認するのだろうか。まあ、長家の知り合いの生態の謎は、いま解明すべき課題ではない。
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