16.教授の手帳

 その隠し部屋は、もともとはひとつの部屋として作られたものだったようである。本棚で仕切ることで一部屋増やしたらしい。

 書斎よりは縦長で狭いものの、窓が2箇所もあって、息詰まるような書斎よりも開放的だった。隠し部屋のくせに。


 また、ふたつの窓は開け放たれていて、山の心地良い風が入ってきていた。

 ただし、その窓は長年開け放たれていたらしく、その間に風雨にさらされていたため、窓枠は腐ってカビが生え、その下の絨毯にも染みとカビが生えている。あまり近づきたくはない。


 書斎には本やメモ片が散らばっていたわけだが、こっちの隠し部屋の床にも、いくつかのメモ片が落ちていた。例の計算用紙みたいなのが見える。

 それから、鷹の羽根のようなものと、獣の毛のようなもの。あとは何かの木片も。

 とにかくいろんなものが散らばっている。家畜小屋か、猫屋敷みたいに、動物を家で放し飼いしている人の家のようである。


「あっ、これは……」


 梶原が何かに気付き、床から拾い上げた。どうやら手帳らしい。

 手帳をぱらぱらと繰って、梶原は言った。


「これはラザロ教授の手帳だ」


 それを聞いて、長家が独り言のように言った。


「つまり、教授はこの中に入ったわけか……」


 梶原が手帳を調べている間、僕は床をもう少しよく観察してみることにした。


 しかし、それにしても汚い。書斎の方は、まあ、本や紙片を拾うだけでもなんとかなったが、ここは毛やらなんやらが絨毯に絡まっていてどうにもならない。掃除機が必要なレベルである。

 長家はその獣毛を掴んで、窓からの明かりに照らしながら、言った。


「何かここで飼ってたのかね? 変な話だけど」


「これだけ広い庭があるんだから、何を飼うにせよ、屋外で飼えばいい気はするけどね」


 と、そのとき、僕は、メモ片のひとつが絨毯の端に挟まっているのに気付いた。

 メモ片そのものは珍しくない。例の計算用紙である。ただ、絨毯に挟まっているということは、この絨毯はめくれるかもしれない、ということである。

 カビカビの絨毯を触るのは気が引けたが、試してる価値はありそうである。


 僕は部屋の角に行き、絨毯に手を掛けようしとした。

 それを見て、長家は僕がやろうとしていることを察したらしい。反対側の角に行って、こちらに合わせながら一緒に絨毯をめくってくれた。

 梶原は手帳から目を離さなかったが、邪魔にならないところへと退避してはくれた。


 その結果は、なかなかに衝撃的だった。


 絨毯の下から出てきたのは、床に直接、何やら赤黒いもので描かれた魔法陣だった。単純に円を描いて星を描いているだけのものではなく、相当精緻に細かい意匠が施されている。これを描いた奴の本気度が窺える。

 それぞれの頂点には蝋の垂れた跡があり、床にはところどころ焦げた痕が見られることから、ここで実際に儀式が行われたらしい。


 僕と長家は黙りこくって、しばし魔法陣を見下ろしていた。

 その間、梶原はさすがに魔法陣をチラ見したときは驚いた様子を見せていたが、すぐに教授の手帳を調べる作業へと戻っていた。


 やがて、長家が言った。


「まあ、これで、メモ片の謎は解けたかもね」


 ずいぶん素っ気ない言い方だった。呆れているのか、圧倒されているのか、心情までは読み取れなかった。

 僕は言った。


「とはいえ、肝心なことはわかってないよな。教授はこの隠し部屋に入って、それから結局どうしたんだろう」


「その点はわからないが、ある程度、教授の行動について、わかったことがある」


 手帳に目を落としたまま、梶原が言った。僕らは梶原に注目する。


「まず、教授は、当初はこの館を、できれば保存する方向で進めたいと考えていたようだ。館までの道を整備して、記念館にするとか、旅館にするとか、そうした案についていろいろ書いている。


 その考えが変わってきたのは、例の食堂に飾ってある仮面を調べてからのようだ。 

 あれの出自についていくつかの機関に鑑定を依頼したものの、芳しい返事が返ってこなかったらしいんだが、オカルトに詳しい知人にたまたま見せたところ、それが悪魔崇拝的な代物だということを知ったらしい。

 そして書斎を調べていくうち、ある本の一冊からメモ片が出てきて、それが例の、秘数術のものだった」


「いやまて。てことは、あのメモ片はもともと書斎には散らばってなかったってことか?」


 僕は思わず口を挟んだ。


「ああ、そうらしいな。……すまんな。そんな気はしてたんだが、確証がなくて言いそびれてた」


 あれだけ部屋に散らばっていたメモ片が、以前からあったかどうかすらうろ覚えだったとは、梶原は探偵には向かないようである。

 まあ、今となってはどうでもいいことか。


 梶原は続けた。


「教授は、あの館には後ろ暗い秘密があるのかどうかを確認する必要があると考えた。

 もし、悪魔的な何かがあるなら、もちろん保存なんてもっての他だし、誰にも知られないうちに取り壊してしまおうと考えたようだ。

 で、どうやら、一人でこっそり書斎を調べる必要が出てきたわけだな」


「なるほど。それで教授の動機はわかった。ただ、結局、なぜ消えてしまったかはわからないな」


 僕は言った。それをきっかけに、三人とも黙りこくってしまった。

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