ACT.6 終わりと始まり
1 探索
金子さんと野々宮はオノディ・カーで病院に向かい、その他のメンバーは中央公園に散った。
トモハルを、探すために。
初舞台を、大失敗で終わらせないために――だ。
「たぶん、遠くには行っていないと思います。この公園のどこかか……そうじゃなかったら、自分の家か。そのどちらかだと思いますよ」
サクラさんの言葉を受け、トモハルの自宅にはカントクが向かうことになり、僕たちは手分けをして公園内を探すことになった。
「あたしはテニスコートのほうを見てきます!」
あやめが、真っ先に駆けだしていく。
「それじゃあボクは、遊歩道を」
オノディさんも、ちょこちょこと駆けていく。
「……プールの周囲を見てこよう」
走る、というスキルを持ち合わせていないらしいヤギさんが、それでも早足で去っていく。
「それじゃあ俺は、サイクリングコースでも回ってくるか。……くそ、こんなことなら、チャリで来れば良かったぜ」
「あ、田代さん……」
僕が思わず呼び止めてしまうと、田代は「ああ?」と不機嫌そうに振り返った。
「いや、あの……ありがとうございます」
「なんだそりゃ? お前さんに礼を言われる筋合いなんざねえよ。俺はただ……あの大馬鹿の尻ぬぐいを手伝ってるだけだ」
険悪な声で言い、険悪な目つきでにらみつけてくる。
「……ま、お前さんが野々宮にブチのめされちまってたら、尻ぬぐいの方法もなかったんだろうけどな」
「え?」
「何でもねえよ! 午後の公演まで、あと二時間ちょいしかねえんだぞ! とっととあのゲス野郎を見つけてきやがれ!」
そう言い捨てて、田代も走り去っていった。
小さく息をついてから、僕はかたわらのサクラさんを振り返る。
「それじゃあ僕は、まず公園の周囲をぐるっと回ってみます。いくら大きな公園って言っても、隠れる場所なんてそうそうないだろうし――」
「待って。……ゼンくんは、私と一緒に来てくれる?」
「……はい?」
僕の返事も待たずに、サクラさんは小走りで移動し始める。
僕が向かおうと思っていた、公園の出口にむかってだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。サクラさん、いったいどうしたんですか?」
「うん。……ごめんね。私、嘘をついちゃった」
「……嘘?」
「そう、嘘。トモハルくんは、もうこの公園にはいないと思う。……私には、心当たりがあるの」
「心当たりって……待ってください。どういうことなんですか?」
サクラさんと同じ速度で足を動かしながら、僕はその白い横顔をのぞきこむ。
サクラさんは、何だかとても思いつめた顔をしていた。
「……トモハルくんがすごく落ちこんだときとか、ひとりで考えこみたいときに、よく行く場所があるの。たぶんトモハルくんは、そこにいるんだと思うんだけど……でも、みんなで押しかけたらまた逃げちゃうだろうから、嘘をつくしかなかったの」
「そうなんですか。……でも、だったら、僕は一緒じゃないほうがいいんじゃないですか?」
「ううん。トモハルくんがまた逃げだしたら、私じゃ追いつけないし、それに……ゼンくんは、一緒のほうがいいと思う」
そう言ってから、サクラさんは子どものようにぷるぷると頭を振る。
「いや、違うね。たぶん、私が心細いだけなんだ。ごめんね、ゼンくんは何にも悪くないのに……」
「どうして謝るんですか?」と言いかけて、僕はやめた。
「さっきも言いましたけど、誰が悪いとかそういう話は後にしましょう。今はとにかくトモハルさんを見つけて、説得するのが先決ですよ」
言いながら、僕は遠ざかりつつある無人の舞台のほうを振り返った。
散歩か花見の途中であるらしい老人たちが、パイプ椅子に陣取って談笑をしている。
舞台の前の空いたスペースで、小さな子どもたちがヒーローごっこに興じている。
そのわきに、ちょっとした人だかりができているのは――おそらく、物販コーナーだろう。こんなアクシデントがなければ、僕やあやめも手伝う予定だったのに、今はカントクの娘さんがひとりで奮闘しているはずだ。
僕はこっそりと拳を握りしめ、芝生に散ったピンク色の花弁を踏みしめながら、サクラさんとともに中央公園を後にした。
何が正しいのかなんて、わからない。
トモハルを説得することが可能かどうかも、わからない。
だけど今は、こうするしかない。
僕たちには、あがき続けるしか道はなかttのだった。
◇
「……ここだよ」
大通りでタクシーを拾い、連れてこられたのは、中央公園とは駅をはさんで反対側にある、閑静な住宅エリアだった。
いわゆる高台で、ガレージつきの大きな邸宅が立ち並んでいる一画である。
タクシーを降りた僕とサクラさんの目の前には、七階建ての巨大なマンションが、威風堂々と立ちはだかっている。
「えーと……ここがトモハルさんの家ってわけじゃないんですよね?」
「うん。ここの屋上が、彼の秘密の隠れ家なの」
そんな秘密を、僕などに打ち明けてしまっていいのだろうか?
僕の心配も知らぬげに、サクラさんはマンションの入口へと足を踏み出す。
「このあたりでは、このマンションが一番背の高い建物なんだって。つらいとき、苦しいとき、すべてがイヤになったとき、馬鹿な連中を高みから見下ろすためにこの場所を見つけだしたんだって、トモハルくんはそんな風に言ってたよ」
「……なかなか屈折した考え方ですね」
あまり皮肉な口調にならないよう気をつけながら、僕はそう答えた。
サクラさんは、悲しそうに睫毛を伏せている。
「私も、屈折してるから……トモハルくんのそういう部分は、理解できるし、共感もできるの。だけど……同族嫌悪なのかなぁ。ときどき、ものすごく腹立たしく感じちゃうこともあるの。どうしてこの人はこんなに弱いんだろう、どうしてこの人はこんなに浅ましいんだろうって……まるで自分の醜い姿を鏡で見せつけられてるような気分になっちゃうんだ」
「そうなんですか」としか、僕には言い様もなかった。
僕には二人が似ているとはちっとも思えなかったし、かと言って、それほど二人のことを知り尽くしているわけでもないのだ。
その後は無言のままエレベーターに乗りこみ、僕たちは最上階の七階にまでたどりついた。
「こっちだよ」
なれた足取りで、サクラさんは通路を歩きだす。
通路の最果てには、階下へと通じる非常階段と、三角コーンとポールで封印された金属製の扉が待ち受けていた。
「……立入禁止って書いてありますよ?」
「うん。ここの扉はカギが壊れてて……それで、何年か前に飛び降り自殺が起きちゃったから、こんな風に立入禁止の場所にされちゃったんだって。だけどこの穴に指をひっかければ、誰でも簡単に開けられちゃうの」
サクラさんの言う「穴」とは、本来ならばドアノブがついているべき場所に穿たれた、四角く小さな穴のことであるらしい。新たな鍵をつけるのではなく、そういう形で人の出入りを拒絶していたのだろう。
「たぶんトモハルくんは、ここにいると思う」
緊張した顔で、サクラさんがその穴に手をのばそうとする。
僕は、そのほっそりとした手首を横合いから捕まえることになった。
「待ってください。サクラさんは……この場所に来たことがあるんですね?」
「え? うん、もちろん」
もちろん、か。
そんな場合ではない、と自戒しつつも、胸の痛みまでは止められない。
「ここはトモハルさんの秘密の隠れ家で、サクラさんは、それを本人から聞いて知っているってわけですよね。……だったら、やっぱり僕は一緒に行くべきではないと思います。そんなことをしたら、たぶんあの人はさっき以上に逆上しちゃいますよ。説得どころの話じゃなくなっちゃうでしょう」
「え、でも……」
「こんなの、ルール違反です。サクラさんらしくないですよ」
僕の言葉に、サクラさんは唇を噛んで押し黙った。
長い睫毛にふちどられた大きな瞳が、恨みがましく僕を見る。
「だけど……先にルール違反を犯したのはトモハルくんでしょ? 私はこれでトモハルくんに一生恨まれてもかまわないよ。それぐらいの覚悟はして、ここにゼンくんを連れてきたんだから」
「それは、そうなのかもしれませんけど……」
「私はこれでも、怒ってるんだよ。自分勝手な感情にまかせて、ゼンくんを危険な目にあわせようとするなんて……そんなの、絶対に許せない。何とか自分をセーブできてるのは、トモハルくんのそんな感情に気づけなかった自分自身にも怒ってるから。そうじゃなかったら、私こそ、トモハルくんの顔なんて二度と見たくないって思ってたと思う」
サクラさんの目が、恒星のように燃えていた。
まるで、僕と衝突したあの夜みたいに……
「……わかりました。僕もあの人に一生恨まれる覚悟を決めます」
僕はサクラさんの手首を解放し、そのまま指先を黒い穴に差しこんだ。
とたんに今度は、サクラさんが僕の腕に取りすがってくる。
「待って! ……そっか、私は全然ゼンくんの立場を考えてなかったね。こんな大事な秘密をバラされちゃったら、ゼンくんだって恨まれるに決まってるよね……」
「いいですってば。もとから僕は、ずいぶんと恨まれてるみたいだし」
「そんなの、駄目だよ! だってゼンくんは、何にも悪くないじゃん!」
そんなことはないですよ、と言いかけて――僕は少し、考えこんだ。
そういえば、僕も少なからず違和感は抱いていたのだ。
田代は――いや、田代さんは、僕があやめやサクラさんと「よろしくやってる」から、トモハルや野々宮さんの恨みを買ったのだ、とか言っていた。
野々宮さんのほうは、いたしかたがない。たとえ友人関係とはいえ、僕とあやめが仲良くしていたのは事実なのだから、彼女に恋心を抱いている人間にとっては、恨みの対象にもなりうるだろう。
しかし、サクラさんとは?
僕はこの一ヶ月、サクラさんと節度のある距離感を保ってきたつもりだ。
プロジェクトのメンバーとして、当たり障りのない会話しかしていないし、いつぞやのように二人きりで会ったこともない。僕たちの間には、少しだけ不透明な壁のようなものが厳然と立ちはだかっている。とりもなおさず、トモハルが同じ空間にいるときは、ほとんど会話らしい会話すらしていないはずだ。――何せ、トモハル自身がぴったりとサクラさんのそばに張りついてしまっていたのだから。
唯一の例外が、本日の開演前の一幕になるわけだが。まさか、あれしきのことでそれほどの恨みを買うこともないだろう。
僕はいったい、どうしてトモハルに恨まれてしまったのだろうか?
「……ゼンくん?」
不安そうに呼びかけられて、僕はあわてて我を取り戻した。
こんなところで考えこんでいたって、何も始まらない。
僕に悪いところがあったのならば謝るしかないし、そうでないのだったら――トモハルを諭し、誤解だか何だかを解いてやるしかない。金子さんのように毅然と振る舞えるかどうかは、きわめて疑問なところだけれども。
「大丈夫ですよ。行きましょう。……あの人だって、プロジェクトのメンバーなんですからね」
自分に言いきかせるように言ってから、僕は金属製の重いドアを、一息に引き開けた。
屋上には、無機的な空間が広がっている。
その最果てに、トモハルがいた。
僕たちに背を向けて、力なく肩を落とし、トモハルは底抜けに明るい青空を孤独に眺めやっていた。
人間の身長よりも高い、白いフェンスの向こう側で。
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