5 本稽古
「今日からは、音響つきで稽古したいと思います! 本来だったら、とっくにこのステップまで進んでいるはずだったんですが、みなさんもご存知の通り、『イツカイザー』のスーツアクターの前任者が不慮の事故でリタイアしてしまったため、大幅にスケジュールが遅延してしまったのです!」
着ぐるみに身を包んだ五名を前に、オノディさんが意気揚々と説明しはじめる。
『イツカイザー』と『ケムゲノム』、それに三名の『戦闘員アブラム』が加わったその絵面は、なかなかの壮観だったかもしれない。
ちなみに『戦闘員アブラム』というのは、マスクとベルトとブーツの他には装飾らしい装飾もなく、あとはただの全身黒タイツなのだが、そのマスクがまた非常にグロテスク、かつ出来がいいので、それなりの迫力と存在感をかもしだしていた。
色は薄いグリーンで、頭の横に六本の足がツノのように生えており、頭のてっぺんに青いアクリル製の目玉が光っている。要するに、虫の全身像をそのままマスクにしたてあげたデザインで、『ケムゲノム』と同様やたらとリアルに虫っぽいから、かなり気色が悪かった。
何の虫かは、お察しの通り。アブラム――シ、だ。
とりわけ、身長百七十八センチ、体重八十五キロの『キャプテン・アブラム』ことカントクの威容は、なかなかのものだった。
「……ということで、本日からは今まで以上に急ピッチの稽古となっていきますが、焦らず、楽しんでいきましょう。とりあえず、アブラムのみなさんは『五十嵐道』との冒頭のアクション・シーンをおさらいしていただき、その間に『イツカイザー』と『ケムゲノム』の対決シーンを音響つきで稽古していきたいと思います。……金子くん。改良『ケムゲノム』の調子はいかがですかな?」
「バッチリですね。これなら、いくらでも振り回せます」
愉快そうに金子さんが答えて、長さ二メートルはあろうかという肉色の触手を振り回す。
外見上はまったく変化がないが、どうやら触手の内側に把手をつけて、それを握ることによって腕と胴体との接合部への負担を軽減させたものらしい。
「では、始めましょう! トモハルくんたちは下のマットで! ゼンくんたちは壇上でお願いします! 音響の操作は、ボクが担当しますので!」
サクラさんの前で稽古をするのは、あの気まずくなってしまった先週の水曜日以来だ。
平常心。サクラさんが姿を消した後も、その後の資材置き場での稽古でも、僕は着ぐるみをかばうような真似はせず、がむしゃらに取り組んできた。
その姿をついに見てもらえるのか、という気負いはあったが。しかし、サクラさんはヤギさんとともに、トモハルVSアブラム軍団のほうに陣取ってしまい、壇上の稽古に目を向けているのは、ひとりヒマそうな黒川あやめのみだった。
だからといって、気は抜けない。というか、気を抜くどころの話ではない。音響つきの稽古というのは、これまた新たな試練だったのだ。
「台本にもひとつひとつ書いてあったと思うけど、アクションきっかけで音を出すパターンと、音きっかけでアクションを始めるパターンの二通りがあるから、混同しないように気をつけて!」
オノディさんに言われるまでもなく、今までだってそれに準じた稽古をしてきた。
しかし、今までは音響設備など持ちこんでいなかったので、オノディさんの手拍子などをきっかけに動いていたのだ。それが『カイザー・ナックル!』だの『行くぞ、ケムゲノム!』だのという勇ましい掛け声に変わるだけで、僕の集中力はおおいにかき乱されることとなった。
「あはは。面白い! ゼンくん、頑張ってー」
などと、いらぬ声援を送ってくる黒川あやめの存在も気になってしかたがない。僕はオノディさんに抗議を申し出たが、それはあっさりと却下されてしまった。
「本番の緊張感を考えたら、ギャラリーの目になれることも必要だよ! 女の子ひとりの声援や野次にめげてたら、お話にならないんだから!」
「はーい。頑張って野次りまーす」
『イツカイザー』のマスクをかぶっていなかったら、僕は頭をかきむしっていたに違いない。
そんな僕を見かねたのか、『ケムゲノム』がポンと優しく肩に触手を置いてきた。
「ゼンくん、落ち着いていこう。リズムをつかめば、何てことないよ。動作が止まってもそこで流れは殺さずに、今までよりも長いスパンでシーンを区切ったほうがいいかもしれない」
「はあ……」
「それと、オノディさん。音響きっかけでアクションするときは、そのタイミングを秒きざみで決めてもらったほうが、こっちもリズムをつかみやすいんですけど……」
「あ、ホントに? 実は、きっちり決まってるんだよ! そこまで台本に書きこんだら、逆に演者が大変かなぁって気をつかったんだけど」
「ええ。今までだったらそうでしたけど、実際に音を鳴らすんだったら、きちんと教えてもらったほうが助かります。そんな何箇所もないんですから、覚えるのも難しくはないでしょうしね」
「ふんふん。それじゃあ、教えておきましょう! えーと、まずはね……」
実際問題、金子さんの的確なフォローやアドバイスがなかったら、僕など何度めげていたかわからないだろう。
そうして汗だくになりながら、三回ばかりもぶっつづけで通してみると、ようやく僕にも金子さんの言う「リズム」というやつがつかめてきた。
「ふーん……」
にやにやと笑っている黒川あやめの存在も、もはや気にならない。
それどころか、サクラさんがこちらを見ているかどうかすら、いつしか気にはならなくなっていた。
もちろん、そんな余裕もない、というのも本当だが。それ以上に、なんだか正体の知れない感覚が僕の体内に育ちはじめていたのだ。
『イツカイザー』のマスクによる視界の悪さ、履きなれないブーツによる動きにくさに加えて、ついに金子さんも『ケムゲノム』の衣装をまとい、ぶんぶんと触手を叩きつけてくる。それだけでも十分に勝手がちがうのに、いきなり音響にあわせてアクションという試練まで課せられて、僕は相当追いつめられてしまったのかもしれない。
で、窮鼠猫を噛む、というか何というか――だんだん、ヤケクソ気味の力があふれてきたのだ。
うまく動けないのが、無茶苦茶もどかしい。九十パーセントはそんな感じなのだが、ときたま、ふっと、着ぐるみをまだ着込んでいなかったときのようにカチッとタイミングが合い、理想通りの蹴りが出せたり、金子さんの攻撃をはじいたりすることができる。その感覚に、強いデジャブーを感じた。
なんだろう。空手の道場で、格上の相手にうまく攻撃を当ててやったときのような――初めて試合で、上段蹴りをヒットできたときのような――えも言われぬ達成感とも、少し似ていた。
「うん。だいぶなれてきたみたいだね」
三回目の通しが終了すると、いつも文句ばかりのオノディさんでさえ、そう評してくれた。
「さすがにまだ動きづらそうだけど、音響のあるなしはそんなに苦になってないみたいじゃないか。ちょっとだけ安心したよ」
「……金子さんのアドバイスのおかげです」
荒い息をつきながらそう答えると、金子さんは照れくさそうに触手を振り回した。
「ゼンくんが真剣に取り組んでるからだって。一昨日の稽古より、ずっと動きも良くなってるよ。今度は俺のほうが足をひっぱっちゃいそうだなぁ」
「いやいや、金子くんこそ、さすがです。どこがどうとは言えないけど、すごく怪人の雰囲気が出てますからな! それに比べたら、ゼンくんはまだまだオーラが足りない」
けっきょく最後はダメ出しか、と苦笑しながらも、僕はいつもほど落ちこむことなく、『イツカイザー』のマスクを外すことができた。
「ちょっと休憩でいいですよね? 咽喉がカラカラです」
「ふむ。アブラム軍団とも手合わせしないといけないし、キリがいいから、いったん休憩にしようかね。むこうの調子はどうかな?」
オノディさんはノートパソコンを足もとに置いて、ちょこまかと演壇の下に駆け降りていった。
僕はマットの上にあぐらをかき、とりあえずグローブとプロテクターを外させていただく。
「わあ、すごい汗!」
と、頭上で大きな声が響きわたったかと思うと、突然頭をムチャクチャにかき回された。
「わ! な、何?」
黒川あやめだった。
黒川あやめがいきなり背後から忍びよって、僕の頭をスポーツタオルで蹂躙してきたのだ。
「はい、差し入れ。……って、クーラーボックスに入ってたのを勝手に持ってきちゃったんだけど、いいよね?」
「ああ、うん。……ありがとう」
ネコのような目を細めてにこにこと笑っている小柄な少女から、ミネラル・ウォーターのペットボトルを受け取る。
「こんな寒いのに、すごい汗だね! あ、脱ぐの? このチャック?」
僕の動きを先取りして、背中のチャックを大きく開いてくれる。そうして上半身だけでも解放すると、二月の冷気が一気におしよせてきた。
「うわー、Tシャツもぐっしょりじゃん! 着替えは? これじゃあ、風邪ひいちゃうよ?」
「ああ、着替えなら下に……」
「あ、あのスポーツバッグ? 取ってきてあげるよ!」
演壇からひらりと飛び降りて、野ウサギのように軽妙なステップで駆け出していく。
なんだか調子が狂うなぁと思いながら、それでもありがたく冷たい水で咽喉を潤していると、着ぐるみも脱がずにひとりでアクションのおさらいをしていた金子さんがぺたぺたと近づいてきた。
「なかなか元気な娘さんだね。ずっと前に会ったときは手持ちぶさたでつまらなそうにしてたけど、今日は何だか楽しそうだ」
「あ、金子さんは初対面じゃないんですね」
「もちろん。以前はしょっちゅう稽古も見学に来てたんだよ。トモハルくんより出席率はいいぐらいじゃなかったかな。……ああ見えて意外に気立てもいいし、最年少同士で仲良くなれるといいね」
うーむ。
確かに顔立ちは可愛らしいけど、あんまり元気すぎる女の子は得意じゃない。
というか、むこうのほうこそ、僕みたいに野暮ったい男には興味がないだろう。そんな風に思っていたので、あんまりあれこれ世話をやかれると、かえって落ち着かない気分になってしまう。
「はい。持ってきたよー」
そんな僕の心情も知らぬげに、黒川あやめはスポーツバッグをひっさげて元気いっぱいに舞い戻ってきた。
ちらりと見てみると、演壇の下でもカントクたちが車座になって休憩をしている。壇上にいるのは、僕と、金子さんと、このちまちまとした女の子だけだ。
まあ、いいか。
サクラさん目当てでわざわざそちらに近づいていくのも、何だか気がひける。
それに正直、トモハルとやらの登場は、僕にとってあんまり面白くなかったので……せっかく稽古がうまくいっているのに、二人が仲良く喋っている姿を見て、この気分を台なしにしてしまうのも嫌だった。
要するに、思っていたよりも、僕はそんなに心の広い人間じゃなかったということだ。
「着替えないの? 手伝ってあげよっか?」
と、今度は汗だくのTシャツを突然背中からまくりあげられて、僕はまた「うわ!」と声をあげてしまった。
「やめろよ。自分でできるって!」
「いいからいいから」
楽しそうに笑い声をあげる黒川あやめに、ついに僕はTシャツをはぎ取られてしまった。
こういう予測不能な動きをする人間は、相手にするのがとても疲れてしまう。
「ふーん。さすがに、しまったカラダしてるねー?」
「……何なんだよ、キミは?」
僕は溜め息を噛み殺しながら、さきほどのスポーツタオルで上半身の汗をふきとる。恥じらいのない女の子など、なおタイプではない。
「いや、感心してるんだぁ。特撮ヒーローとかよくわかんないけど、でも、ゼンくん、かっこいいね?」
「か、かっこいい?」
「うん。あんなビュンビュン動けるなんて、すごいなぁと思って。何か格闘技でもやってたの?」
「……スポーツ空手を、ちょっと」
「へー、空手かぁ。格闘技なんて興味なかったけど、かっこいいもんなんだねぇ?」
そんな風に言いながら、今度は小さな指先で僕の二の腕をつついてくる。僕は「やめろよ」と身を引いた。
「ああ、ごめんごめん。あたし、筋肉フェチでさぁ。細身の筋肉質って、めっちゃタイプなの」
「……言うほど筋肉質じゃないよ」
なんだか不穏な空気を感じて、僕は新しいTシャツにいそいそと腕を通す。
「いや、ゼンくんぐらいがちょうどいい! なかなか理想的な上腕二頭筋だよ? ……金子さんも素敵だけど、さすがにちょっとゴツすぎるしね」
などと、いたずらっぽい笑いを浮かべながら、耳打ちしてくる。
当の金子さんは、また無尽蔵のスタミナを発揮して、黙々とシャドー組手にはげんでいた。
「よし! 休憩終了!」
と、下からいきなりカントクの大声が響きわたってきた。
渡りに船と、僕は立ち上がる。
「次は、アブラム軍団とイツカイザーの手合わせだな! それが済んだら、いっぺん音響つきですべてのアクション・シーンを通してみよう! そこまで固まれば、ようやく来週から第二話の稽古に取りかかれる! 各自、気合いを入れてくれ!」
あまり熱血なキャラはいないので、こういうときに元気よく返事をする者はいない。ただ、金子さんが同意をしめすように触手をぶんぶん振り回した。
さっきからまったく顔が見えないが、意外に金子さんもテンションが上がっているのかもしれない。
「それじゃあ、頑張ってね」
ぽん、と軽く僕の背中を叩いてから、黒川あやめはまた軽やかに壇上から飛び降りた。
それと入れ替わりに、アブラム軍団およびオノディさんがぞろぞろと壇上に上がってくる。
「……ところで、ゼンくんに金子くん。今週の土曜日は、何か予定は入ってるかな?」
奇怪なマスクに大きな顔をおしこみながら、カントクがモゴモゴと語りかけてくる。「いえ」「特にありませんけど」と僕と金子さんがおのおの答えると、オノディさんが熱っぽくその後を引き継いだ。
「いや、実はそろそろ『イツカイザー・プロジェクト』のウェブサイトが完成するんだけどね。そこにちょっとした予告動画を載せたいと思ってるんだ! 三分ぐらいの短い動画でいいんだけど、アクション・シーンをメインで! 他のみんなは何とかスケジュールが合いそうだから、お二人が良ければ是非、手伝っていただきたい!」
「ええ、まあ……」
「かまいませんよ」
「ありがとう! それじゃあ、こまかい打ち合わせはまた稽古の後に! 場所は、いつもの資材置き場だから!」
さも嬉しげにオノディさんがそう結ぶと、黒川あやめがその足もとから「はーい」と手をあげてきた。
「それ、あたしも見学に行っていいですかぁ?」
「うん? そりゃあもちろんかまわないけど……そうだなぁ。最初に誰か怪人に襲われる役がいるといいかもしれない。どうせ本番でもあやめちゃんにはその役をやってもらうんだから、よかったら参加してみる?」
「いいんですか? やったぁ!」
黒川あやめはオノディさん以上に嬉しそうな顔で手を打ち鳴らし、それから何故か僕のほうを見上げてにっこりと笑いかけてきた。
僕は頭をかきながら、じっとりと汗ばんだタイツに腕を通す。そのとき、いつのまにか演壇の下までやってきていたサクラさんと、一瞬だけ目があった。
しかし、かたわらのトモハルがまた何やかんやと喋りかけてきて、サクラさんはすぐにそちらへ向きなおってしまう。
サクラさんは、なんだかものすごくさびしそうな目をしていた。
そして、その日はけっきょく最後まで、サクラさんと口をきくチャンスはやってこなかったのだった。
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