ACT.3 混迷
1 少女
三日後の、土曜日。
僕は長島工務店の資材置き場に向かって、自転車を急がせていた。
金子さんとの個人稽古で通いなれた場所ではあるが、日が高いうちからそこに向かうのは、懐かしきオーディションの最終審査以来かもしれない。
僕の家から隣り町の長島工務店まで、自転車で二十分。集合時間は午後の一時で、今は午後の十二時半。楽勝だ。
しかし、僕は約束の刻限よりも、できるだけ早く到着したかった。
理由は、言うまでもない。サクラさんだ。
この三日間は珍しくも、稽古や雑用で呼びだされることもなかった。
つまり、サクラさんと顔を合わせる機会もなかった。
もちろんサクラさんの携帯番号もアドレスも知ってはいるのだが、何か特別な用事があるわけではない。
僕は単に、サクラさんと会いたかっただけだ。
会って、話をしたかっただけであるのだ。
何せ、僕は先週の水曜日から、北中の体育館でしかサクラさんと顔を合わせておらず、この前の稽古日にはまともに話もできなかったから、都合十日間もサクラさんの声をロクに聞いていないことになる。
サクラさんは元気がない、とヤギさんは言っていた。
そして、ひさびさに顔を合わせたサクラさんは、確かに、ものすごくさびしそうな目をしていた。
その理由のすべてが自分にある、などという思い上がったことを考えているわけではなかったが。もし、僕との衝突にほんのちょっとでも原因があるのならば、何としてでも、それだけは解消してあげたかった。
どうすれば解消できるのか、そんなことはまったくわからなかったけれども。とにかく僕は、サクラさんと話がしたかったのだ。
(どうせ今日も、あのトモハルってヤツは来るんだろうしな……)
それに、黒川あやめも来る。アブラムの二人だって、来るはずだ。
不思議なことに、若者の参加率がぐっと上昇したにも関わらず、僕の居心地はかえって悪いものになってしまっていた。
今までは、サクラさんぐらいしか同年代の人がおらず、残りは親子ぐらい年齢の離れた人ばかりだったのに、その頃のほうが比べ物にならないぐらい、気楽な気持ちでいられたのは何故なのだろう。
トモハルと素直に仲良くできないのは、まあしかたない。僕の器が小さいせい、だ。
しかし、同い年である黒川あやめは、なんだか何を考えているのかさっぱりわからないし、田代と野々宮にいたっては、僕などに何の関心も持っていないように見受けられる。
それに僕は、ちょっとした不満の萌芽みたいなものを、彼らに感じてしまっていた。自分のことを棚に上げさせていただくならば、彼らの演技は実にその、お粗末きわまりないシロモノであったのだ。
ふだん、あれほど僕にダメ出しばかりをしている御三方がどうして何も言わないのか不思議になるぐらいで、逆に言えば、どうしてこれで僕ばかりが批判されなければならないのか、理不尽に感じてしまうぐらいだった。
田代と野々宮は素人同然だし、トモハルだって、それに毛が生えたていどのレベルだ。なまじ金子さんが完璧な出来栄えなものだから、その違いはあまりに歴然としてしまっている。
こんなレベルで、いいのだろうか?
いや、もともと素人の集まりなのだし、これでいいなら全然かまわない。というか、最初は僕もこれぐらいのレベルを想像していた。
だけどなんだか、納得がいかなかった。せっかくこの前の稽古で、僕なりに一皮むける手応えをつかめたばかりなのに、その直後に彼らのお粗末な演技を見せつけられて、僕は出端をくじかれたような心境に陥ってしまっていた。
そこのあたりの疑念も解消させないと、僕はなんとなく、この先やる気を維持できなくなるかもしれない。僕は、そんな恐れを抱いてしまっていたのだった。
(ん? あれは……)
そんなことを考えながらペダルをこいでいると、前方に見覚えのある後ろ姿を発見してしまった。
あまり嬉しくない発見だ。できれば、気づかないフリでもして通りすぎてしまいたい。が、そんな僕の思いもむなしく、そいつはすぐに僕の乗る自転車の接近に気づいて、ひょいっと後ろを振り返ってきてしまった。
「あ、ゼンくんじゃん! ラッキー!」
いや、僕にしてみれば、アンラッキーだ。
黒川あやめは、実に楽しそうに笑いながら、気安く手などを振りだした。
今日も小さな身体を白いダウンに包み、三日前とは柄の違うミニスカートと、カラフルなタイツをはいている。いや、昨今ではレギンスとか言うのかな? よくわからないが、とにかく小洒落た格好だ。身長など百五十センチぐらいしかなさそうなのに、何だかやたらと存在感が強い。
いっぽう僕といえば、どうせ『イツカイザー』に着替えなければいけないので、いつものジャージとベンチコートである。
「……ずいぶん早いね」
しかたなしに自転車を停めてそう呼びかけると、黒川はいっそう楽しげにネコのような目を細めた。
「そうでもないよ。歩きだったら、ちょうどいい時間でしょ。ゼンくんこそ、自転車のくせにずいぶん早いね?」
「……ちょっと早めに行きたかったんだよ」
嘘をつくのは好きじゃないし、かといって細かい事情を話す筋合いもないので、僕はそんな風に答えるしかなかった。
黒川あやめは、「ふーん?」と小首をかしげながら、じろじろと僕を見つめ返してくる。なんとも落ち着かない眼差しである。
「……じゃ、そういうことで」
「ええ? まさか、あたしを置き去りにしていく気? 目的地は一緒なのに? ひどい! ひとでなし! 人非人!」
「大きな声だすなよ。どうしろって言うんだ?」
ちらほらといる通行人の目を気にして僕が答えると、黒川あやめはにんまりと笑い、早足で僕の背後に回りこんできた。
「おい、ちょっと……」
僕のとがめる声も知らぬげに、どすんと後ろの荷台に腰を降ろし、横座りの体勢で足を浮かせる。
「オッケー! レッツゴー!」
「キミなぁ……警察に見つかったらどうするんだよ?」
「ええ? 原チャリじゃあるまいし、平気だよぉ。別にこの先、交番とかないし。……それより、キミって呼び方、いいかげんにやめない? 同い年なのに、なんか気持ち悪い!」
僕は無言のまま、ペダルをこぎだした。
落ちろ! とまでは思わなかったが、少しばかり抗議の意思が存在したことは否めない。
が、結果的には自分の首をしめる結果になってしまった。黒川は「おっとぉ」とはしゃぎながら、僕の腰に腕を巻きつけてきたのだ。
こんな姿を知人に見られたら最悪である。こんなことならどんなに不自然でも全力疾走で走りぬけてしまえば良かったと、僕は溜息をつくことになった。
「いいねぇ。二人乗りなんて、ひさしぶり! なんか、青春ぽくない?」
「……この前からずっと思ってたんだけど。キミには人見知りっていう概念はないのかい?」
「だから、キミって呼び方はやめようよ。あやめで良いってば」
「……いきなり下の名前で呼び合えるほど、フランクなキャラじゃないもんで」
「えー? だけど、サクラさんはサクラさんじゃん。ゼンくんが『イツカイザー』に決まったのって、つい最近でしょ? だったらあたしも、あやめって呼んでよ」
そう突っ込まれては、返す言葉もない。こいつは知らないだろうけど、僕は二回目の対面からすでにサクラさんを「サクラさん」と呼んでいる。
「……うちね、三年ぐらい前に、ママがいきなり再婚しちゃったの」
「な、何?」
「だから、そんときに苗字が変わっちゃったんだよぉ。ほんでもって、その再婚相手はイマイチ気に入らないし、『黒川』って苗字はもっと気に入らないから、苗字で呼ばれるの嫌いなの。そういうわけで、あやめって呼んでね」
いちいち人をびっくりさせないと気が済まないヤツだ。
いきなりそんな話をされても、僕には答えようがないではないか。
「……あれ? 気にしちゃった? そんな重たい話じゃないから、聞き流してよ。名前で呼んでくれれば、それで十分!」
僕はペダルをこぎながら、こっそり溜息をつくことになった。
やっぱりこいつとは、話のテンポやら何やらが全然かみあわない。
しかし、そんな風に思っているのは僕だけなのか。背中から聞こえてくる黒川あやめの声は屈託がなく、はしゃぎきっていた。
「ね、ビデオ撮りって、どんなことするんだろうね? あたしもちゃっかり混ぜてもらえることになったし、すっごく楽しみ! オノディさん、いくら本職だからってあそこまでデジタルに強いのってすごいよね! うちの親なんて、いまだにパソコンも使えないのに」
「……僕だって、パソコンなんて持ってないよ」
「ええ? マジ? それは現代人としてマズいよ! ……あ、でも、何でもそつなくこなせるよりは、一点集中で特技をみがいたほうがカッコイイかもね。ゼンくんは十分カッコイイから、それでいっか」
「…………」
「それにひきかえ、あのトモハルって人、口のほうは達者だけど、アクション・シーンは全然だよねー。カントクさんたちはともかくとして、あの人だけはもうちょっと何とかしたほうがいいんじゃないかなぁ?」
そんな黒川あやめの発言に、僕は何がなしドキリとする。
こんな僕以上の素人から見ても、やっぱりトモハルの演技はイマイチなのか。
しかし――田代と野々宮は、あれでいいのだろうか?
「ん? いいんじゃない? 最初は、なんじゃこりゃーとか思ったけどさ。なんか、あのドタバタっぷりがコミカルで面白いじゃん。その後、ゼンくんと金子さんのマジバトルが始まるから、そのギャップを狙ってるんじゃないかなぁ。最初から最後まで通して見たら、そんな風に感じたよ」
「ふーん……」
「ただそうなると、主人公のトモハルさんまで一緒のレベルなのが、ちょっと違和感あるなぁと思ってさ。もっと庶民的なルックスの人だったら、あ、変身前は弱っちいんだなって納得できるんだけど。あの人、ちょっとスカした感じじゃん? あれでアクションがへぼいと、滑稽に見えちゃうんだよねぇ。……へたしたら、主人公なのにゼンくんの引き立て役になっちゃうんじゃない?」
なんて大それたことを言うのだ、この娘は。
僕だってトモハルのアクション・シーンには少なからず疑問をもっているが、さすがにそこまで自惚れることはできない。
「そんなことないよ。ゼンくん、ホントにカッコイイもん! しかもまだ稽古を始めて一ヶ月ぐらいなんでしょ? これからどんどん成長していくのかと思うと、なんだかワクワクしてきちゃうなぁ」
そんなことを言いながら、僕の背中に頭をぐりぐりとおしつけてくる。
僕は、おおいに動揺した。
「キ、キミは、特撮ヒーローなんて興味ないんじゃなかったの?」
「あやめだってば。……そうだね、別に、興味はないよ? でも、やっぱり目標めざして一生懸命頑張ってる姿を見るのは、好きだなぁ。興味のないスポーツだって、生で観戦したら、きっとすごい迫力で、カッコよく見えるでしょ? なんか、そんな感じ」
「…………」
「共学だったら、運動部のマネージャーにでもなれば良かったのかもね。なんか、学校行っててもつまんなくてさ。だから、カントクさんの娘さんにこのプロジェクトの話を聞いて、混ぜてもらうことにしたの! こんなオトナゲない企画に熱中するオトナってどんな人たちだろうって興味をもってさ。……そこにサクラさんがいたのは、ビックリだったけどね」
「……そういえば、サクラさんと同じ高校なんだっけ?」
それが僕には、いっこうにピンとこない。ここまで別種の生き物に見える二人の女の子が、同じ制服を着て、同じ学校に通っている姿など、まったく想像もつかないのだ。
「そ。愛邦学園付属女子、ね。校内では一回も喋ったことないけど、サクラさんってあんな見た目だから、一部の下級生にはすっごく有名なんだよ? ……女子校のそういうノリ、あたしはあんまり好きじゃないんだけど。やっぱ、お年頃の男女を変に遠ざけるのって、あんまりよろしくないと思わない?」
「……変に近づけるよりは、よっぽどいいんじゃないかな」
「えー? そう? あたしはそうは思わないなぁ」
などと言いながら、また背中に頭をおしつけて、腰に回した腕にもぎゅっと力を入れてくる。
「やめてくれって。マジで事故るよ?」
「……えへへー」
こいつは本当に、何を考えているのだろう?
僕などにちょっかいを出して、いったい何が面白いのやら……
「だけど、学校ではお姫様キャラのサクラさんが特撮マニアだなんてみんなが知ったら、ちょっとしたパニックになるだろうなぁ。あたしだって、我が目を疑ったもん! あんなネコのぬいぐるみを肌身はなさず持ってるのもビックリだし。ちょっと想像とは違うタイプの不思議さんだったなぁ」
「おい、まさか学校でサクラさんのことを、おかしな風にウワサしてるんじゃないだろうな?」
僕があわてて牽制すると、黒川あやめは「はあ?」ときわめていぶかしそうな声をあげた。
「なーんであたしが、そんなこと言いふらさなくちゃならないの? そんなの、面白おかしくウワサされるに決まってるし、あたしには何の得もないじゃん。そういうノリも、あたしは嫌いなの」
「……ああ、そう」
「変なの。もしかして、ゼンくん、サクラさんのことが好きだったりする?」
今度こそ、僕はハンドルを切りそこねそうになった。
危険地帯じゃなくて何よりだ。今のタイミングで信号でもあったら、車にひかれていたかもしれない。
「ふーん? あのトモハルさんもサクラさんに夢中だし、不思議キャラって意外にウケるのかな? あたしも何かぬいぐるみでも買ってこようかしらん」
「お、おま、な、何言って……」
「キミの次は、おまえ? いいかげん名前で呼んでくれないと、本気ですねるよ?」
細い腕が、今度は怒気をにじませて僕の胴を圧迫してくる。
「あたしはすねると厄介だから、取り扱いには注意して! ……それに、不思議ちゃん路線なんて目指さないよ。あたしはあたしの持ち味で勝負させてもらいますからねー、だ!」
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