4 オールキャスト
翌日――
オノディさんの励ましに力を得て、いつも以上にはりきって体育館まで出向くと、すでに金子さんがウォーミング・アップを始めていた。
「あ、すみません。いつも準備をやってもらっちゃって……」
「いいよいいよ。準備って言ったって、マットを敷くだけじゃないか。ヒザの調子がイマイチで、入念にウォーミング・アップしておきたいから、早めに来てるだけなんだ」
金子さんはマットの上で股割りをしながら、いつも通りの柔和な口調でそう言ってくれた。
「特に今年は寒さが厳しいからねぇ。早く暖かくなってほしいよ。……って、季節の変わり目もしんどいんだけどね。まったく、因果なカラダになっちまったもんだ」
「右ヒザの靭帯、でしたっけ?」
「うん。ゼンくんも気をつけな? ほんの一瞬の油断で、取り返しのつかないケガをすることもあるんだ」
金子さんは、今でこそこんな場所でこんなことをしているが、右ヒザを壊すまでは未来を嘱望されたエース候補であったらしい。それも、リアルファイトを売りにしている、荒っぽい格闘系のプロレス団体においてである。
岩のような筋肉をしているが、関節などはものすごく柔軟だし、動きも素早い。キックボクシングのジムで打撃系の修練も積んでいたらしいので、ここまで大きな体さえしていなければ、きっと金子さんが『イツカイザー』に選ばれていたのだろう。
「……金子さんは、いつも楽しそうですよね」
「うん? それが何か、おかしいかな?」
「だって、僕たちが今やっているのはスポーツでも武道でも何でもなくて、どちらかといえば、お芝居や演劇の類いじゃないですか。いくら体を動かすのが好きって言っても、ずいぶん勝手が違うなぁとか思いません?」
「そりゃあ、プロレスなんかとはまったく別物だけどさ。技術を研鑽するって意味では、やりがいを感じるね。いずれお客さんの前で披露するんだって考えると、やっぱりワクワクもするしさ」
「ワクワク……ですか」
僕などは、緊張と気後れしか感じないのだが。
「ゼンくんだって、一人で黙々とトレーニングしてるよりは、試合をしてたほうが楽しいだろ? それで、どうせ試合をするなら、少人数よりも大勢の前でやったほうが楽しいとか思わないかい?」
「うーん、どうでしょう。大会の予選よりも、本選のほうが燃えるってのはありますけど」
「そうか。そこはアマチュアとプロの違いなのかな。俺たちは観られてなんぼの世界だったから、リアルファイトって言っても、やっぱりエンターテイメント性ってのと無関係ではいられないんだ。……ま、そんな難しい話じゃなく、声援や拍手を受ければ嬉しいし、ブーイングされればコン畜生って思う。ただそれだけのことなんだけどね」
そう言って、ゾウのように小さな目を細めて笑う。
やっぱり金子さんは、僕にとってのオアシスだ。
「それに、若いもんの成長を見守るのは楽しいよ。ゼンくんは真面目だし、熱心だし、どんなに文句を言われても、ふてくされたりしない。俺の後輩たちに見習わせたいぐらいさ」
「ええ? やめてくださいよ」
どうして金子さんといいオノディさんといい、こんな僕にそんな言葉をかけてくれるのだろうか。
もしも僕の表情や態度から、励ましてやりたいような負のオーラを感じ取ってしまっているのだとしたら――それはそれで、情けない限りであった。
「お、みんな到着かな?」
体育館の入口のほうから、どやどやと大勢の人々が近づいてくる気配がする。
一週間ぶりの、サクラさんとの再会だ。
僕はいくぶん緊張してそちらを振り返ったが――そこに見覚えのない顔を多数発見して、面食らうことになった。
同じようにそちらを振り返った金子さんも、何やらきょとんとしてしまっている。
「おやおや、これは珍しい。オールキャスト勢ぞろい、だな」
それではやっぱり、この人達も『イツカイザー・プロジェクト』の関係者なのか。
いつもは四人きっかりのメンバーが、ちょうど倍の八人にふくれあがっていた。
「お待ちどう! 今日からまた、ちょっと稽古の内容をステップアップさせていただくよ!」
指揮官のように先頭を歩いていたオノディさんが、細い右腕をぶんぶんと振り回していた。
その後ろでは、見知らぬ二人の若者が、カントクとともに衣装ケースやら何やらを運搬しており――見知らぬ女の子が、その後をひょいひょいとついてきており――ヤギさんは、みんなから距離を取ってひとり黙然と歩いており――
そして、これまた見知らぬ二枚目な若者が、サクラさんとともに最後尾を歩いていた。
その親しげな笑顔と態度に、僕の胸があやしくざわめく。
「はい、ご苦労さま。衣装ケースはそこでいいよ。スピーカーは壇上に上げて、そこに入ってるケーブルをつなげてくださいな。電源は、向かって右の壁にコンセントがあるからね」
「へーい」
いかにもガテン系の若者二人が、そこそこ巨大なスピーカーを言われた場所まで運んでいく。
「カントク。ボクはちょっと音響の準備があるので、後はおまかせします」
「おお、わかった。……お前ら、準備が終わったらちょっとこっちに来て、並べ!」
「へーい」
あんまりやる気のなさそうな、若者の声。
もうひとりのほうは、返事すらしない。
いや、そんなことよりも、僕はさっきからサクラさんに喋りかけてばかりいるヤツのほうが、気になってしかたがなかった。
いったいこいつは、何者なのだろう?
「……はじめまして。あなたが、新しい『イツカイザー』役の人?」
と、サクラさんたちを注視していた僕の視界に、突然見知らぬ女の子が侵入してくる。
明るい茶色に染めた髪を複雑なかたちに結いあげた、小動物のように可愛らしい女の子だ。背が低くて、ちまちまとしており、ちょっと吊りあがり気味の大きな目は、ネコっぽい。
「ふーん。なんだか文化系だね。あなたも特撮とかそういうのが好きなの?」
「だ、誰だい、キミは?」
「あたしは、黒川あやめだよ。苗字があんまり好きじゃないから、あやめって呼んでね。あなたは?」
「……楠岡禅二郎」
そう答えるなり、黒川あやめと名乗る女の子は、口もとを押さえておかしそうに笑いだした。
「くすおかぜんじろう? 似合わないね! なんか、武士みたい!」
いったい、何なんだ。
白いダウン・ジャケットに、チェックのミニスカートと、紫色のタイツ。見るからに、今時の女子高生という感じだが――僕はあんまり、こういうタイプは得意じゃなかった。
それに、こんな無礼な女の子にかまっているヒマはない。そのように考えて、僕は再びサクラさんのほうに視線を戻したのが――何がなし、ギクリとすることになった。かたわらの若者に喋りかけられながら、サクラさんが横目で静かに僕たちのほうを見つめやっていたのだ。
しかし、その目は僕の目と視線がぶつかる寸前に、すっと伏せられてしまった。
僕の心臓が、理由もわからぬままに不協和音を奏ではじめる。
「よーし、それじゃあ顔合わせを始めるぞ!」
と、カントクがいつもの大声を張り上げた。
いつのまにか、壇上で作業していた若者二人も、そのかたわらに立ち並んでいる。
「全員そろうのはひさびさだし、新メンバーもひとり増えたことだから、あらためて紹介させていただこう! これが『イツカイザー・プロジェクト』の、今のところのフルキャストだ!」
オノディさんをのぞく八名のメンバーが、おのおのさまざまな表情でカントクを取り囲み、その言葉を聞いていた。
「主要メンバーは今さら紹介の必要もないだろうが、念のためにざっと紹介しておく。俺が監督の長島で、そっちのが脚本のヤギさん。舞台の上でちょろちょろ走り回っているのが音響・技術のオノディで、そっちの娘さんが、造形・美術のサクラくんだ。いちおうこのプロジェクトの責任者はこの四名となるので、意見や疑問などあったら、何でも遠慮なくぶつけてくれ」
サクラさんは「よろしくお願いします」と丁寧におじぎをしたが、ヤギさんは黙然と立ちつくしたまま、そっぽを向いてしまっている。
こういうとき、オノディさんがいないとなかなか間がもたないものだなと思い知らされた。
「……で、こっちの若いのは田代と野々宮だ。うちの会社の従業員で、『戦闘員アブラム』のスーツアクターを担当してもらってる。田代は二十歳で、野々宮は二十一、だったかな。まあ見た目ほど不真面目な連中ではないんで、よろしくやってくれ」
「ひでえ紹介だなあ。俺たちみたいに勤勉な若者はそうそういないっすよ?」
ちょっと皮肉そうな薄笑いを浮かべているのが、田代。
むっつりと黙りこんだままなのが、野々宮であるらしかった。
田代のほうが少しだけ背が高く、野々宮のほうが少しだけ肉厚な体格をしている。が、どちらも大柄で、いかにも腕っぷしの強そうな面がまえをしており、ドカジャンの下に着込んだツナギの胸もとには、確かに「長島工務店」の名が刺繍されていた。
「そちらの見事な体格をした青年が、金子くん。彼もまたうちの従業員だが、元プロレスラーという経験を活かして、アクション・シーンの演技指導と、メイン怪人のスーツアクターを担当してもらっている。で……」
「黒川あやめ、十六歳。高校一年生で、担当は司会役です! 特撮ヒーローとかよくわからないんですけど、何か面白そうだったんで参加させてもらうことにしましたぁ」
元気いっぱいに手をあげて、さきほどの女の子が声高らかにそう宣言した。
好奇に満ちた複数の視線を受け、黒川あやめはいっそう楽しそうに笑う。
「ちなみにカントクさんの娘さんが中学時代の部活の後輩で、そっちのサクラさんは高校の先輩です。自分の苗字が嫌いなんで、あやめって呼んでください! どうせ自分が最年少だろうから、みんな呼び捨てでいいですよ!」
「……そういうことだ。つけくわえることは、特にない。で、サクラくんの隣りにいるのが、『五十嵐道』役の安倍智治。役者のタマゴで、忙しいスケジュールをぬって参加してくれることになった。あやめくんとトモハルに会うのは、俺もひさびさだな」
「すみませんね。ちょっと映画の仕事が入っちゃったもので」
安倍智治――やっぱりこいつが、主役の「トモハル」だったのか。
なかなかの二枚目だから、そうではないかと予想はしていた。しかし、ゆるいパーマをかけた髪を長めにのばし、すらりとした身体を小洒落たジャケットとダメージデニムで着飾ったその姿は、あんまり特撮ヒーローの主人公ぽくはないような気がした。
いや、今時の特撮番組はスマートな二枚目俳優をよく使っているから、そういう意味ではしっくりくるのだが。古き良き昭和のヒーローを愛するカントクたちにしては、意外な人選だなと思っただけだ。
目は切れ長の二重まぶたで、鼻が高く、どちらかというと柔弱な美青年、という感じだ。年齢は、僕やサクラさんとそんなに変わらないぐらいだろう。二枚目なのは認めるが、俳優としてのオーラなどは、べつだん感じない。
いや――これはやっぱり、彼がさっきからずっとサクラさんの側から離れようとしないことで、僕の見る目が厳しくなっているだけなのだろうか?
その口もとにはおだやかな微笑が浮かんでおり、挙動に不審なところもなく、少なくとも、本日初めて顔をあわせた四人の中では、一番好感度の高そうな人物だった。本来は。
「……そして、トモハルたちは初対面になるはずだな。彼が、『イツカイザー』のスーツアクターを新たに担当することになった、楠岡禅二郎くん、通称ゼンくんだ。あやめくんと同じ最年少の十六歳だから、可愛がってやってくれ。演技のほうはまだまだだが、まあ、気合いと根性でカバーしてもらってるので、長い目で見守ってもらえるとありがたい」
フォローしてるんだか批判してるんだかよくわからないカントクの言葉を受けて、僕はサクラさんと同じように「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「よろしく!」と返してくれたのは、黒川あやめだけだ。
「さてさて。挨拶はこんなところにしておくか。何せ貴重な稽古時間だからな! みんな、さっそく着替えてくれ!」
「へーい。いよいよ今日から、全身タイツ着用ですね? こっぱずかしいなぁ」
へらへらと笑いながら、田代がとぼけた声を返す。
着替えが必要なのは、僕と金子さんに加えて、戦闘員役の田代と野々宮――そして、本当にアクション・シーンに参加するらしいカントク自身だ。
ということは、その場に取り残されるのはヤギさんとサクラさん、それに新顔の黒川あやめとトモハルだけとなる。トモハルがまたもやサクラさんに喋りかけはじめる姿を横目に、僕は落ち着かない気分を抱えたまま、用具室へと向かうことになった。
「……あ、金子くん! 金子くんはこっちこっち!」
と、ようやく壇上から降りてきたオノディさんが、せわしなく金子さんを差しまねく。
「そうか。俺は女性の目をはばかる必要はないんだった。着ぐるみの改良はどうなりました?」
「バッチリですよ! さあさ、新生『ケムゲノム』を見てやってください……」
そんな二人のやりとりを背後に聞きながら、僕は用具室の扉を閉めた。
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