3 ミーティング

 そうして僕は、ようやく『イツカイザー・プロジェクト』の全貌を知ることができたのだった。


 町おこしのイベントであることに嘘はないが。五街道市そのものはまったく関与しておらず。それどころか、長島監督がわらべ町の町内会長をつとめているにも関わらず、それらの地方自治体もノータッチである、とのことで。


 早い話が、『イツカイザー・プロジェクト』とは、今、目の前にいるこの四人が四人だけで発足させた、なんとも小規模かつ私的なプロジェクトだった、というわけだ。


 小野寺さんが準備してくれた和菓子と日本茶で歓待されながら、僕はそれらの説明を、おもにサクラさんから聞くことができた。


「発端は、インターネットだったの」


 特撮ヒーローのファンサイトのコミュニティで、この四人は出会ってしまったのだそうだ。

 めちゃくちゃコアなコミュニティで。一見さんなどはまったく近づくスキもないようなディープな話題で、毎夜のように盛り上がっていた――らしい。


 ちなみに、そのときのハンドル・ネームが、現在の呼び名に直結している。

 すなわち、カントク、オノディさん、ヤギさん、サクラさん、だ。


「だから、禅二郎くんもそう呼んでね?」


 サクラさんは、素敵に微笑みながらそう言ってくれた。


 で、発足の経緯だが――


『そういえば、うちの近所にオノディっていう電器屋があるよ』


 チャットにて。カントクの何気ない一言が、すべての始まりとなってしまったそうな。

 つまり、カントクとオノディさんがとてつもなくご近所さんだということが判明してしまったのだ。

 同じ県の、同じ市で、しかもこの二人に限っては、町まで一緒だ。


「まさか、チャットで最強の論敵だったカントクが、自分の住んでる町の町内会長さんだなんて、夢にも思ってなかったよ」


 小野寺さん――ことオノディさんは、笑いながらそう言った。


 そんなに近所なら、オフ会でもしてみようか。そう提案したのも、カントクだという。強烈なバイタリティをもった四人の中でも、やはりこの人の行動力はズバぬけているのだろうと思う。


 そうして、判明してしまったのだ。

 わずか十人ていどしかいなかったコミュニティの常駐メンバーのうち、四人もの人間が同県同市に住まっている、ということが。


「……われわれは、集まるべくして集まったメンバーなのだ」


 八木さん――カタカナになるだけだが、ヤギさんは遠い目をしてそうつぶやいた。


 ちなみに他のメンバーは、東京、広島、北海道、とバラバラだった。

 カナダ在住のカナダ人、というツワモノもいたという。


 そうしてオフ会開催が決定されたが。参加を表明したのは、五街道市民の四名だけだった。

 当然のことながら、オフ会は千葉県五街道市にて開催されることになった。

 それが、今から半年ほど前の話であるらしい。


「いやぁ、それがもう楽しくて楽しくて。チャットも十分楽しかったけど、そこはやっぱり四十過ぎのいい大人たちだし。キーボードを叩くより生身で会話したほうが、断然しっくりくるんだよねぇ。チャットでも難敵だったカントクなんて、生身のほうが十倍は饒舌だし! おかげで、言い負かされる一方になっちゃったけどさ」


 オノディさんの言葉に、カントクはふふんと鼻を鳴らす。

 どうやら、モンシロ対ドクガの論争は尾を引かないようで、何よりだ。


「で、それから四人でちょいちょい集まったりしてたんだけど。ある日、サクラさんが爆弾発言をしてねぇ」


「オーバーです。うちに造形の道具がそろってる、って言っただけじゃないですか」


 サクラさんのお祖父さんが、造形師だったのだ、という。

 その造形師というのが僕にはよくわからなかったのだが。要するに、着ぐるみを作る職人さんだった、ということだろう。


「その影響で、子どもの頃から昭和の特撮番組ばかり観てたの」


 それで、リアルタイム世代のこの三人とも対等に論じあえる知識を得たわけか。

 このサクラさんまでもが熱心な特撮マニアだというのは意外だったのだが。話を聞いてみれば、何てことはなかった。


 ……しかし、サクラさんが高校を卒業したのちには、造形を学ぶための専門学校に通うつもりだと聞き、また僕は驚く羽目になってしまった。


「だって、面白そうじゃない?」


 気安くイエスとは答えられないが。

 しかし、サクラさんの笑顔を見ていると、ノーとも答え難かった。


「爆弾発言は、その後さ。せっかく道具がそろってるんだから、自分でオリジナルのヒーローや怪人を作ってみようと思ってる、って言いだしたんじゃないか」


 それで、カントクのスイッチが入ってしまった。


 ならばそれを、きちんとした作品にしてしまおう。

 世間では、ご当地ヒーロー、ローカルヒーローなどというムーブメントが席巻しているらしい。

 こんな四人が集ってしまったのも何かの縁。われらの力で、五街道市のご当地ヒーローを生み出そうではないか、と。


「そういうことだったんですか……」


 つまり、町おこしなどというのは、二義的なものにすぎなかったのだ。

 全身全霊をかたむけて、ヒーローごっこをやりたくなったのだな、と僕は解釈した。


「造形の心得があるサクラさんは、そのまま造形と美術担当。電器屋のボクが音響と技術。文才のあるヤギさんが脚本。……で、そんなボクらを統括するカントクが、監督」


 そこで僕は、「あれ?」と思った。


「カントクは、監督になる前からカントクっていうハンドル・ネームだったんですか?」


「ああ。カントクってのは、ガキの頃の仇名だったんだ。長島って苗字だからな」


 なるほど。


「それでみんなで原案を練りだして。五街道市の平和を守る正義の戦士、『イツカイザー』が生まれたわけよ。担当はわけたけど、基本的には共同作業ね。着ぐるみだってみんなで造ってるし。設定もストーリーもみんなで作ったし。本当に、誰が欠けてもここまでのものは作りあげられなかっただろうなぁ」


 うっとりと目を細めるオノディさんを、カントクがじろりとにらみつける。


「道はまだまだ半ばだぞ。ようやく下準備が終わりかけてるていどじゃないか。これでキャストの穴も埋まって、やっと稽古が再開できる」


「そうですね! 金子くんやトモハルくんにも、さっそく連絡をいれないと!」


 と、オノディさんが真面目くさった顔つきになって僕を見る。


「楠岡禅二郎くん、初興行は、三月の最終日曜日に決定してるから。そのつもりで、これからよろしくお願いしますね」


「はあ。三月ですか」


 今はまだ一月だ。

 しばらくはのんびりできそうだなと思ったが、それはとんでもないカンチガイだった。

 僕たちには、「たったの二ヶ月ちょい」しか残されていなかったのだ。


「ちょっと大急ぎになっちゃうけどねぇ。『イツカイザー』は桜の化身って設定だから。何としてでも、春先には間に合わせたかったんだよ。会場の手配も、とっくに済ませちゃってるわけだしさ」


「桜の化身……」


 僕は思わず、サクラさんを振り返ってしまう。

 サクラさんは、おかしそうに口もとをほころばせた。


「五街道の『市の木』は桜で、『市の花』はサクラソウなの。私の名前がさくらなのは、ただの偶然」


「へえ、そうなんですか」


 その笑顔にクラクラしそうになった僕の足もとに、バサリとぶあつい書類のたばが放り出された。

 放り出したのは、無口な脚本家だ。オノディさんが、笑顔で注釈してくれる。


「あ、それ、設定資料集と三話ぶんの台本ね。さっそく来週から稽古を始めるから、熟読しておいて」


「せ、設定資料集?」


 A四サイズのプリント用紙に、こまかい文字がびっしりと印刷されている。

 イツカイザーの由来がどうたらこうたら……必殺技の威力がどうしたこうした……悪の組織ゲノミズムがうんだらかんだら……そんな文面だけで、軽く五十ページはありそうだった。

 それプラス、三冊の台本だ。


「こ、これ全部に目を通さなきゃいけないんですか?」


「目を通すだけじゃ駄目だよ。熟読して、理解しないと。スーツアクターとはいえ、主人公の『イツカイザー』を演じるのは、キミなんだから」


 いやしかし、技の名前を覚えるのはまだしも、その設定まで覚える必要はないんじゃなかろうか。


『カイザー・ナックルの威力はおよそ五十トン。それは平均的な成人男性の約五十倍、ヘビー級ボクサーの約十一倍に相当し、岩をも砕く威力とは言い難いが、ゲノミズムの怪人たちに相応のダメージを与えることは可能であり……』などという知識はなくても、パンチを繰り出すことはできる。


 いや、そもそも、セリフは全部アテレコだという話を面接時に聞いているので、僕は技の名前を覚える必要さえないのでは……


「そんな基本的な設定も知らないまま、リアルな演技ができるわけないでしょう」


 オノディさんは、実に朗らかにそう言い切った。

 カントクは重々しくうなずいており、ヤギさんは遠い目で虚空を見つめており――そしてサクラさんは、にこにこと微笑んでいた。


「暗記しろ、とまでは言わないけれど。最低限、そこに書かれている内容ぐらいは把握して、理解してくださいな。このプロジェクトが成功するか否かは、キミの双肩に、まあ、そこそこかかっているんだから」


「……台本は、それ以上に、よく読みこんで」


 ヤギさんが、僕のほうは見ないままに、ぽつりとつぶやく。


「一話がだいたい二十分ぐらいの構成で、今のところ完成してるのはその三話。しばらくはその三話をローテで興行していくから。夏までには何とか五話か六話まで完成させたいんだけど、リハや興行が始まっちゃうと、さすがに造形のほうがねぇ……」


「しばらくは一人で頑張りますよ」


 細い腕で可愛らしくガッツポーズを作るサクラさんに、オノディさんは複雑そうな目を向ける。


「造形は楽しいから、できるだけ参加したいんだけどね。……だけどまずは稽古が最優先だよね。本番まで二ヶ月ちょい。また忙しくなるなぁ」


「ちょ、ちょっと待ってください。二ヶ月ちょいでコレを全部覚えるなんて、きつくないですか?」


 今さらながらに、僕は弱音を吐いてみせた。

 台本とやらにちょっと目を通してみたら、予想以上にこまかい動きの指定まで書きこまれていて、とても素人の演芸レベルのものではないということに気づかされてしまったのだ。


 しかも、変身前のシーンは妙におざなりで、変身後の格闘シーンにばかり、やたらめったらページが費やされている。

 その上、五十ページにもおよぶ設定資料集を熟読して理解なんて、僕には無理だ。


 時間的に無理、というのももちろんだが、それ以前に、そんな苦労を厭うな、というのが無理だった。僕にはそんなバイタリティも、そんな苦労を面白がる趣味嗜好も存在しないのである。


「し、素人の僕には、レベルが高すぎますよ」


 オノディさんは、不思議そうに首をかしげる。


「キミが素人だなんてことは、百も承知さ。だから、稽古をしようと提案してるんじゃないか。来週から、五北中の体育館に、毎週水曜日の十九時集合ね。それでも足りなきゃ、まあ、またカントクの仕事場をお借りするしかないでしょう」


「おお。夜だったら、いつでもOKだ」


 そちらはOKでも、こちらはOKじゃございません。

 そりゃあこんなバイトに手を出すぐらいだから、ふだんはヒマ人な僕だけれども。二月末には実力テストだってひかえているし。そこまで自分の時間を割くことはできない。

 というか、そこまで自分の生活を犠牲にする理由も見つからない。


「もちろん、稽古は強制ではないよ。給金が発生するわけでもないし、おのおの生活があるわけだし。ボクたちだって、自分らの本業をおろそかにしないという大前提で活動しているんだ。……極端な話、本番をバシッと決めてくれるなら、稽古なしだって全然かまわないんだから」


 それは、論理のすりかえだ。

 稽古もなしに、こんなシビアな芝居をこなせるわけがないではないか。


「そりゃまあ、創作活動に苦労はつきものさ。ボクだってこの一週間、テーマソングやアテレコ用音源の作製におわれて、毎日三時間睡眠だしね。ヤギさんは次の台本にかかりきりで、カントクとサクラさんも造形や大道具の製作で頑張ってる」


「裏でどれだけ努力できるかで、作品の完成度が決まるんだからな」


 カントクも、うっそりとうなずいた。


「主役のトモハルは役者のタマゴで、怪人役のスーツアクター金子くんは格闘の元プロだ。『イツカイザー』のスーツアクターともなれば、あいつらを食うぐらいの気合いで頑張ってもらわんと話にならん」


「本番は、夏と秋ですしね」


「おお。今、千葉県中の夏祭り実行委員会に出演をかけあっているところだ。それが終われば、今度は文化祭シーズン。高校と大学のどちらを主軸にするかが考えどころだな」


「グッズ販売で資金も調達しなきゃいけないから、そのデザインも考えないといけないですね」


「搬入に関しては、ウチの若い連中が……」


 と、カントクとオノディさんは目をキラキラ輝かせながら、再び熱く語りだした。

 いや――キラキラというか、ギラギラだ。

 とても趣味や遊びの範疇におさまる熱意ではない。


 だいたいこの設定資料やら台本やらのこだわり方も尋常ではないし。僕はだんだん、自分がとんでもない世界に足を踏みこみかけている、ということに気づかざるを得なかった。


 僕はアルバイトに応募しただけであって。アマチュア劇団に入団したわけではない。

 さらに言うならば。退屈な日常にちょっとした刺激が欲しかっただけで、日常の在り方そのものを作り変えようとしたわけでは、決してないのだ。


 このおじさま方は大好きな特撮ヒーローを作りあげるというカタルシスのために、底なしの情熱をひきだせるのかもしれないが。僕は別に、特撮マニアではない。フリークでもない。ファンですらない。ただ何となく面白そうなバイトだなと思って応募してみただけの、一介の高校生にすぎないのである。


 怪人の名前なんてどうでもいいし、カイザー・ナックルの破壊力についてなんて、もっとどうでもいい。

 そんな性根の人間が、ついていけるわけがない、と思った。


「……無理だと思うなら、これがラスト・チャンスだな」


 僕の顔色を見てとったのか、カントクが重量感のある声音で言った。


「キミが弱音を吐きたくなるのも、まあわかる。こっちだって、最初からこんな無茶なスケジュールを組んでいたわけじゃない。……実は、『イツカイザー』のスーツアクター役はもう二ヶ月も前に決まっていて、今までずっと順調に稽古を重ねていたんだ」


「そうそう。それが、こちらとはまったく関係のない交通事故で大ケガをしてしまってね。突然リタイアしてしまったんだよ。それで急遽、代役オーディションを開いたってわけさ」


 そういうことだったのか。

 納得はいったが、それで僕の負担が軽減するわけではない。

 だいたい、それだと他のメンバーは準備万端で、僕だけが人並み以上の苦労を強いられる、ということになるではないか。


 カントクはくわえっぱなしだった禁煙パイプを口から外し、真剣きわまりない目で僕を見た。


「こちらも最大限のフォローはする。が、最後にものを言うのは、本人の気合いと根性だ。無理なら無理と、この場ではっきりそう言ってくれ。……その場合は、落選した二人のどちらかを繰り上げで採用するしかないからな」


「あの二人ですか。ボクはあんまり気が進まないなぁ。特撮マニアの大学生くんは熱意に身体がついてきてない感じだし、スタントマンの彼はその反対だし」


 オノディさんは口をすぼめ、問いかけるようなまなざしをこちらに向けてきた。

 そっぽをむいていたヤギさんも、片眉を吊りあげてこちらを振り返る。

 カントクはもとより、閻魔大王のような形相で僕を見すえており、そして、サクラさんは――

 サクラさんは、どんな顔をしているのだろうか。


 最後の最後ぐらい、サクラさんの魅力などは度外視して、自分の意志だけで、きちんと結論を出したいのだが。

 しかし、僕のすぐそばで息をひそめているサクラさんの表情を確認せぬままに結論を出して、それで僕は後悔しないだろうか。


 ……いや、覚悟を決めよう。

 たぶん、僕には無理だ。

 無理なことに首をつっこんだら、よけいサクラさんたちに迷惑をかけてしまう。


 どうせ落胆されるなら、早いうちのほうがいい。

 今なら、まだ取り返しはつくのだから。


 どうも申し訳ありません。あなたがたの期待には応えられそうもありません――そんな思いを視線にこめつつ、僕はそっとサクラさんのほうを振り返った。


 サクラさんは――

 懇願するように、僕を見つめていた。

 その黒い瞳に、うっすら涙まで浮かべながら。


 僕の決心は、一瞬で崩落した。


「……やってみます」


 気づくと、僕の口はそう答えていた。


「そうか! なかなかの根性じゃないか!」


 とたんに、カントクの顔が笑みくずれる。

 ブルドッグが笑ったら、きっとこんな顔になるにちがいない。


「よし、それじゃああらためて、『イツカイザー』のスーツアクター決定を祝うとするか! オノディ、ビールでも持ってこい!」


「えー、飲むんですかぁ? 弱いんだから、ほどほどにしてくださいよ?」


 ぼやきながらも嬉しそうに、オノディさんはチョロチョロと部屋を出ていく。

 ヤギさんはけだるげに息をついて、またそっぽをむいてしまい、カントクは豪快に笑っている。


(……どうしよう)


 サクラさんの白い面に明るい微笑がひろがっていくのを見つめながら、僕は一人、途方に暮れていた。


 こうして僕は、うかつにも、『イツカイザー・プロジェクト』の正式メンバーに加わってしまったのだった。

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