2 顔合わせ

『おめでとうございます!』


 携帯電話の通話ボタンを押すなり、電器屋オノディ店主の声が高らかに響きわたった。


『イツカイザーのスーツアクターは、楠岡禅二郎くんに決定いたしました!』


「えぇ? 本当ですか?」


 予想外の告知に、僕も思わず大声をあげてしまう。


 面接の日から、すでに三日が経過していた。

 自分が合格するなどとは夢にも思っていなかったので、僕はそれ以上言葉が続かなかった。


 一次審査の合格者は、十名。

 二次審査の合格者は、三名。


 そこまで生き残れただけでも驚きだったのに、まさか最終審査にまで合格してしまうとは――本当に、何かの間違いなのではないだろうか?


 一次審査は、簡単な質疑応答と、空手の演舞を披露することで終わってしまった。

 二次審査では、いわゆる全身タイツを着させられて、蹴りやら突きやらの適当なシャドーをやらされただけだった。


 この全身タイツというやつが、どうにも恥ずかしくてたまらなかったので、僕は今度こそ帰ってしまおうかと思ったぐらいだったが、恥ずかしがったり、馬鹿馬鹿しく感じているのは僕一人で、審査員は四名ともに大真面目な顔をしており――しかも、一次の時よりも格段に真剣さを増していたので、ついつい僕もその期待に応えたくなってしまった。


 動機が不純と罵りたいなら、罵ればいい。

 確かに、その場に彼女がいなければ……期待に満ちた目で見守るのがあやしげな中年男性三名だけだったら、たぶん僕はタイツのそでに腕を通す前に帰宅していただろう。


「体のラインが綺麗だな」

「手足も長すぎず短かすぎずで、理想的ですなぁ」

「……筋肉がつきすぎていないのも、いい」


 四十過ぎの男たちに、よってたかってそんな風に評されるのがどれほど気色悪いことか、少し想像してみてほしい。訴訟したら勝てるんじゃないかというぐらい、僕は辱めを受けているような気分に陥らされたものだ。


「私も、すごく理想的だと思います」


 最後に麻生さくらさんがそう言ってくれたのが、唯一の救いだった。


 しかし、その後ただちにおこなわれた最終審査によって、僕は自分の落選を確信した。

 何故ならば、二次審査合格者三名のうち、本物のスタントマンが一人、混じっていたからだ。


 最終審査は、わらべ町の外れにある長島工務店の資材置場に移動して、実施された。内容は、怪人役のスーツアクター・金子さんとの「殺陣」だ。


 元プロレスラーだという金子さんの指導のもと、ちょっとした格闘の寸劇をその場で習わされて、一人ずつ披露する、という内容だったのだが。やはり、本職の人間にかなうはずがない。そのスタントマンだという受験者のアクションは、はっきり言って、指導役の金子さんより本格的で、サマになっていた。


 もう一人の審査通過者は、けっして運動が得意とも思われない文化系の大学生で、決めポーズばかり気合いが入っていて、さすがにこの人に負ける気はしなかったが――合格者は一名ということだったので、僕のチャレンジもここで終了、に、なるはずだった。


 なるはずだったのに、今、僕は小野寺さんからの電話を受けている。


『それでね、現在こちらはミーティング中なんだけど。キミにも色々と伝達事項があるから、今からでも来てもらえないかなぁ?』


「はあ。今からですか?」


 すでに時刻は、午後の九時を回っている。


『そんなに時間は取らせないよ! 場所はボクの家、わらべ町の商店街にある電器屋オノディだから。キミの家は、みどり町だろう? 自転車だったら、すぐじゃないか!』


 なんだか、妙にハイテンションだ。


 まあ、あの面接が実施された一日だけでも、彼らのこの企画に対する情熱と意気込みは十分に伝わってきていたので、いつもこんな感じなのかもしれないが。それにしても、少なからず強引な申し出だなという印象は否めない。


『それじゃあ、待ってるよ! 裏の勝手口の呼び鈴を鳴らしてくれれば、誰か出るから!』


 一方的にそれだけまくしたてて、小野寺さんは電話を切ってしまった。

 まあ、いいか……と、僕は部屋着のスウェットからパーカーとデニムに着替え、ハンガーにかけておいたダッフル・コートを取りあげる。


 夕飯を片付けて、風呂にも入って、後はいつも通りダラダラとテレビを観るぐらいしか、やるべきことも残ってはいなかった。


 面倒といえば、この上もなく面倒だ。

 しかし、行けば、麻生さくらさんにも会えるかもしれない。

 実のところ、この三日間、もうこれで彼女と顔をあわせる機会もないのだろうなと残念に思い続けていたところだったので。家を出て、自転車のペダルをこぎだす頃には、僕の胸にもじわじわと幸福感がひろがりはじめていた。


 まあ、あんな高嶺の花に懸想したところで、報われるはずもない。このぼんやりとした憧憬の気持ちが本当の恋心にまで発展してしまう前に、お別れしてしまったほうがいいのだろう、という風にも考えていたのだが――それでも、もう一度会えるのだ、と思うだけで、僕は満ち足りた気持ちになってしまうことを自覚せずにはいられなかった。


(……こんな不純な気持ちでいる僕が合格してしまって、よかったのかな)


 そんなことを考えながら、僕は一月の星空の下、電器屋オノディを目指して自転車を走らせた。


 電器屋オノディは、僕の家から自転車で十五分ていどの場所にあった。

 シャッターの閉まった店の前に自転車を置かせてもらい、裏に回って、勝手口のチャイムを鳴らすと、誰あろう、麻生さくらさんが僕を出迎えてくれた。


「楠岡禅二郎くん。いらっしゃい」


 麻生さんは、今日も黒いフリルのワンピースに黒いカーディガンという黒ずくめの格好で、僕ににこやかに微笑みかけてくれた。


 彼女が黒ずくめか白ずくめの格好しかしない、ということを僕が知るのは、もう少し後になってからのことだ。


「合格おめでとう。これから一緒に頑張ろうね」


 その長い睫毛にふちどられた黒い瞳には、本当に嬉しそうな光が宿っていて、僕はそれだけで天にも昇る気持ちだった。


 しつこいようだが、本当に、なんて綺麗な人だろう。

 こんなに間近でご尊顔を拝謁するのは初めてのことだが。粗探しする余地もない。にきびのあとひとつない肌はぬけるように白く、目鼻立ちは完璧に整っており、それでいて意外に表情もゆたかだから、こんなに美人なのに冷たい印象も生まれない。


 どうしてこんな人が、町おこしのヒーローショーなどという奇天烈な企画に参加することになったのだろうか?


「あ、いちおうもう一回、自己紹介。造形と美術を担当している麻生さくらです。よかったら、サクラって呼んでね。……こっちも、禅二郎くんって呼んでいい?」


「は、はい。どうも、よろしくお願いします」


 ついついかしこまって深々とおじぎをしてしまうと、カーディガンのポケットから顔を出していた黒猫のぬいぐるみと目があってしまった。


 フェルト生地っぽい素材の、どうやら手作りであるらしい人形だ。

 そういえば、最終審査の時も、こやつは麻生さん――いや、サクラさんのポケットでにんまりと笑っていた。


「あ、この子はエドガー。喋ったりはしないから、心配しないでね」


 えーと。

 それは、このぬいぐるみが喋りだしたりはしない、という意味なのか。それとも、彼女が喋りかけたりはしない、という意味なのか。

 その両方だといいなと思いながら、僕は曖昧にうなずきかえした。


「みんな、二階で待ってるよ。なかなか白熱してきたから、禅二郎くんも何か意見があったら、どんどん発言してね?」


 白熱? 意見?

 そうか、そういえばミーティングがどうとか言っていた。

 そんな場所に、高校生の着ぐるみアルバイトにすぎない僕が入りこんでもいいのだろうか。


 まあ、誘ってきたのはあちらのほうなのだし。言うことがなければサクラさんのようににこにこ笑っていればいいかと考えながら、僕は黒衣の美少女の先導で二階へと通じる階段を昇った。


「……だからね、モンシロゲノムというネーミングは、ちょっとどうかと思うわけよ。モンシロっていったら、みんなモンシロチョウを連想するじゃない。それで見た目が毒蛾だったら、ちっちゃいお子様は困惑しちゃうでしょ!」


 ドアを開けると、とたんにがなり声が飛びだしてきた。

 がなっているのは、小野寺さんだ。

 ふだんの温厚そうな様子などみじんもなく、ネズミのような顔を真っ赤にして熱弁を奮っている。


「だからって、ドクガゲノムというのも安易だろう。設定ではモンシロドクガの怪人なんだから、モンシロを強調するのは悪くない発想だ」


 今日も作業着姿の長島監督が、でかい体に威圧的なオーラをまとわせながら、そんな小野寺と相対している。

 小野寺さんがネズミなら、こちらはさながらブルドッグだ。


「いやぁ、ボクはドクガを強調したほうがいいと思うけどなぁ。メインのお客はお子様なんだから、ストレートなほうが絶対いいですって」


「ふん。子どもは子どもむけに咀嚼された物語などに魅力は感じん。『子どもむけ』と思った時点で、子どもの発想を下回った作品しか作れなくなるんじゃないか?」


「ご高説はごもっともですが。怪人の名前をわかりにくくすることに意義があるとは、やっぱりボクには思えません!」


 論議があまりに白熱しているので、僕とサクラさんはしばらく部屋の入口で立ちつくすことになってしまった。


 六畳ぐらいの、雑然とした部屋だ。

 それこそ電器屋でしかお目にかかれないような大型プラズマテレビに、ゴージャスなコンポ。調度と言えるのはそれぐらいなのだが、壁の三面に巨大なラックが立ちはだかっていて、そこにも収まりきらなかった数々のものどもが床にまで散乱しているために、非常に狭苦しく感じられる。


 で、その「数々のものども」が何かと言うと――僕の目にまちがいがなければ、それは古今の特撮ヒーローのDVDソフト、および同種のフィギュア、および同種の専門誌の類い、であるらしかった。

 そんなマニアックなものどもが、壁の三面が見えなくなるほどの巨大なラックに詰め込まれ、かつ、足もとにまであふれかえっているのだ。

 ちなみに天井には、たぶん日本で一番有名なバッタの改造人間のポスターがでかでかと貼りつけられている。


「少しぐらいひっかかりがあったほうが、それがフックとなって、いつまでも心に残るものだろう?」


「だから、そのフックを怪人の名前に託すのはおかしい、と言ってるんです!」


 その部屋の真ん中で三人の中年男性が車座になり、口角泡を飛ばしていた。

 ……しかし、それは大のオトナが大声で議論するような内容なのだろうか。

 困ったように微笑しているサクラさんに、僕はこっそり呼びかけてみる。


「あの……止めなくていいんですか?」


「ん、大丈夫。いつものことだから」


 いつものこと、なのか。


 ところでサクラさんは、僕よりも頭半分ほど背が小さくて、その艶やかな黒髪からは草原の花のように清涼でフローラルな香りがした。


「ヤギさん! ヤギさんはどう思うんですか?」


 ちょっと血走った目で、小野寺さんが最後の一人を振り返る。

 顔色の悪い痩せぎすの脚本家は、憂いに満ちたまなざしで、ネズミのような顔とブルドッグのような顔を見くらべた。


「……それよりも、カミキリゲノムというネーミングが正しいのかが気になる」


 たちまち、小野寺と長島もそれぞれ頭を抱えこんだ。


「そうなんだよなぁ。実に安直だ! シンプル・イズ・ベストとはいえ、どうにもヒネリがなさすぎる!」


「それでいて、カミキリって虫自体はちょっとマニアックですしね。最近じゃめっきり姿も見ないし。ポジション的に、怪人むきとは言い難いですよねぇ……」


「……カミキリの怪人なんて、カミキリキッドぐらいしか思いつかない」


 カミキリキッドって誰だろう。

 とりあえず場が沈静化したと見て、サクラさんがパンパンと手を叩き、僕の来訪を御三方に伝えてくれた。


「おつかれさまでーす。楠岡禅二郎くんが到着しましたよ?」


 三人の中年男性は、まったくもって覇気のない視線を僕にさしむけてくる。


「ん……ああ、スーツアクターで合格した子か」

「ボクが呼んだんですよ。……いらっしゃい」

「…………」


 続いて響きわたる、三つの溜息。

 僕は、本気で帰りたくなってきた。


「さ、座って、禅二郎くん。カントク、ちょっとつめてくださいよぉ」


 しかし、こともあろうにサクラさんが僕の手を引いてくれたので、帰るわけにもいかなくなった。


 僕は、そこらに散乱しているDVDソフトのパッケージやフィギュアを踏みつぶさないように気をつけながら、サクラさんの隣りに腰を降ろした。

 うっかりすると肩がふれあいそうな距離で、これまたドギマギしてしまう。


「で、怪人の名前ですか?」


 このままスルーするのかと思いきや、蒸し返したのはサクラさんだ。

 たちまち小野寺さんがエキサイトして、サクラさんに詰め寄ってくる。


「そうなんだよ! ボクはストレートにドクガゲノムが良いと思うんだけど、サクラさんはどう思う?」


「私は正直、どちらも悪くないと思うんですけど」


 サクラさんは、可愛らしく小首をかしげる。


「そんなにどっちも譲れないなら、公平に、多数決にしたらどうですか?」


「多数決って。今までそれで丸くおさまったことなんてないじゃない」


 どうやら小野寺さんは、興奮すると少しオネエ言葉になるフシがあるらしい。

 そんなネズミ顔の中年男に、サクラさんはにっこりと微笑みかけた。


「今までは四人でしたからね。五人いれば、きちんと結果が出るじゃないですか」


「ちょ、ちょっと麻生さん。……いや、サクラさん」


 何の話だかよくわからないが。こんな白熱した議論の帰趨を決する責務は負いたくない。

 それに、モンシロだろうがドクガだろうが、僕にとっては死ぬほどどうでもいいことだった。


「それじゃあ、多数決することに賛成の人、挙手を願います」


 僕以外の四人が、全員手をあげた。

 サクラさんが振り返り、またあの花が開くような微笑を浮かべる。


「多数決で決めることが、多数決により決定しました」


 ……わかりました。

 どうあれ、この反則級の笑顔に逆らうすべは、僕にはない。


「それじゃあ、恨みっこなしですよ? 議題は、『イツカイザー』第三話の怪人の名前を、モンシロゲノムにするか、ドクガゲノムにするか、ですね」


「…………」

「…………」

「…………」


 興奮をおしひそめた緊張が、狭苦しい六畳間にたちこめる。


「モンシロゲノムに賛成の方、挙手を願います」


 長島監督が、太くて短い腕を勢いよく振り上げる。

 そして――僕とサクラさんの手も、挙がっていた。


「多数決により、モンシロゲノムに決定しました」


 長島監督は馬鹿でかい声でガハハと笑い、小野寺さんは恨みがましい目で僕を見た。

 いや、そんな目で見られても。


「一件落着だな! カミキリゲノムに関しては、またのちほど検討しよう!」


 すっかり上機嫌になった監督は、ブルドッグのような顔にふてぶてしい笑みをひろげながら、初めてはっきりと僕の顔を見た。


「イツカイザー・プロジェクトにようこそ! 歓迎するよ、楠岡禅二郎くん!」

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