ACT.1 イツカイザー・プロジェクト

1 オーディション

 そもそものきっかけは、正月気分もすっかり霧散し果てた一月の半ば頃。

 学校帰り、悪友たちと別れを告げたのち、駅前の掲示板に貼ってあった一枚の広告を発見してしまったのが、すべての始まりだった。


『イツカイザー・プロジェクト 来たれ、五街道の新星たちよ!』 


 そこには、どこかで見たことがあるようなないような、赤いコスチュームの特撮ヒーローが格好よくポージングをしている写真がでかでかとプリントされていた。


 僕はてっきりヒーローショー開催の広告なのかと思ったが、そうではなく、ヒーローショーの運営団体がアルバイトを募集している、という旨の広告であるようだった。


 こんなアルバイトも世の中には存在するのか、と物珍しく思って概要を読んでみると、どうやら町おこしのために企画されたプロジェクトであるらしい。


◯応募資格


1.十六歳~二十五歳までの健康な男子

2.身長・百七十六~百八十センチ 体重・六十~七十キロ

3.五街道市民であること


 バイト募集で身長や体重に制限とはいったい何なのだろう? と不思議に思った。

 ちなみに僕は十六歳の高校一年生で、身長は百七十六センチ、体重は六十キロ。すべてが最低値でギリギリのクリアだ。なおかつ、生まれも育ちもパーフェクトに五街道市民となる。


「健康な男子」ともあるが、むしろ健康ぐらいしか取り柄がない。子どもの頃から通っていたスポーツ空手の道場も、中学とともに卒業してしまい、かといって高校から新しいスポーツを始める気にもなれず、なんとなく悶々としたまま三学期を迎えてしまったところだった。


(アルバイトか……)


 で、けっきょく仕事内容は何なんだ? と見てみると、「主人公イツカイザーのスーツアクター」としか書いていない。

 さて、スーツアクターとは、いったいどのような仕事なのだろうか……そんな風に考えてしまったのが、運のツキだった。


 町おこしのプロジェクトだったら、まあそんなあやしげな話でもないだろうし、あやしげだったら辞めてしまえばいい。そんなことを思いながら、僕は募集広告に記されていた面接の場所と日時を携帯電話にメモして、帰途をたどったのだった。


                  ◇


 べつだん、凡庸なる毎日に不満があったわけではない。

 ただ、ほんの少し退屈していただけだ。


 高校もけっきょく地元の五街道北高校に入学してしまい、登下校が徒歩から自転車に変わっただけで、行動範囲がひろがったわけでもない。勉学やスポーツに打ち込むこともなく、恋人はおろか恋心をかきたてられるような相手とめぐりあうこともなく、放課後や休日は悪友とゲームセンターを練り歩き、夜はゴロゴロとテレビを観て過ごす。これでは、中学時代と何も変わらない。いや、空手の道場を辞めてしまったぶん、いっそう退屈な時間は増えてしまった。


 空手の道場に関しては、小学校の入学から中学校の卒業まできっちり九年間も通い続けていたのだが、とりあえず黒帯は獲得できたし、これ以上続けるには、高校生の部で全国制覇でも狙い、ゆくゆくは防具なしの成人の部へ――というぐらいの展望がなければ、意味がないように思えたのだ。


 だから、すっぱりと引退してしまった。

 しかし、それは僕にとって、唯一の「趣味の時間」を喪失する結果になってしまった。

 その事実に気づいたのは、道場を辞めて何週間も経過してからのことだったが、かといって、今さら道場にもどる気にもなれない。高校生の部が趣味の範疇でおさまるような世界ではない、ということを、僕は彼らの殺人的な練習風景を見て、嫌というほど思い知らされていた。


(防具なしで殴りあうなんて、まっぴらだしなぁ)


 空手という競技自体はもちろん好きだし、勝負事も嫌いじゃない。

 ただし、有効打のポイントを競い合うよりも、相手にダメージを与え、屈服させることを主にしているように思われる上級者たちの戦い方には、興味を覚えることができなかった。なまじ負けず嫌いな性格をしているゆえに、そんな世界に飛びこんでしまったら、えらく殺伐とした人生を送ることになるような気がしてならなかったのだ。


 痛い思いをするのも、させるのも、僕は好きになれそうもなかった。

 だからこうして、無為に寝転がり、面白くもないテレビの画面を眺めている。


(ヒーローショー、か……)


 僕はベッドに寝転んだまま、枕もとに置いておいた携帯電話を手に取った。


 特撮ヒーロー。

 子どもの頃は、わりと好きだった。


 実は僕も小学校にあがるまではけっこうな虚弱児で、それを心配した両親に、空手道場へと入門させられたわけなのだが。そこで人並みの体力と運動神経を育まれるまでは、まあわりと、憧憬の目でそんなヒーロー番組を観ていた。ような気がする。


 格好のいいヒーローが、不気味な怪人や怪獣を討ち倒す。それは、痛快な世界だった。

 年を重ねるごとに執着は薄れていったものの、年の離れた兄とヒーローごっこに興じたり、二人でテレビにかじりついていたりしたのも、今となってはいい思い出だ。


(広田も長谷川も、二人そろってバイトを始めるとか言ってたしなぁ)


 悪友たちが忙しくなれば、また退屈な時間が増えてしまう。

 かといって、彼らのようにファミレスやらコンビニやらで働こうという気には、どうしてもなれなかったのだが――ヒーローショーなどというケレン味にあふれた職場だったら、雑用でも何でもそれなりに刺激的なのではないだろうか。


 退屈な日常に、ちょっとした刺激を。

 ただそれだけの思いで、深く考えることもなく、僕は、『イツカイザー・プロジェクト』の面接を受ける気持ちを固めてしまったのだった。


 その先に、どんな未来が待ち受けているかも、まったく想像できぬままに。


                   ◇


 三日後の土曜日、午後一時の十分前。

 僕は、『なるべく動きやすい格好で』という指定通りに、ジャージの上下にベンチコートという格好で五街道市公民館にやってきた。


 公民館で面接とは、さすが町おこし――と思ったが。どうやら市そのものは関わっていないらしく、市内の有志にて結成されたプロジェクトであるらしい。

 それはそれでかまわないのだが、公民館の入口をくぐった僕は、そこに貼りだされた案内表示の貼り紙を見て、首を傾げることになった。


『イツカイザー・プロジェクト。スーツアクターのオーディション会場はコチラ』


 と、そこにはでかでかと記されていたのだ。


 オーディション?

 アルバイトの面接じゃなかったのか?

 自慢じゃないが、僕には演技の素養などひとかけらもない。


 でもまあ応募要項には「健康な男子」としか書いてなかったし、まさか俳優役のオーディションではあるまいと、僕は気軽に考えながら、案内の表示にしたがって二階の会議室へと足を向けた。


「はーい、会場はこちらでーす! オーディション受験希望者はこちらに必要事項を記入して、番号札を受け取ってくださーい!」


 そこには、僕と同じぐらいの背格好をした若者たちが、ざっと二十人はたむろしていた。

 世の中には、物好きが多いものだ。

 とりあえず声のしたほうに近づいてみると、なんだかネズミのような顔をした小柄な中年男性が、廊下に置いた長机の前でプリント用紙を配布していた。


「あの、ちょっといいですか?」


「はいはい、なんでしょう?」


 意外に愛嬌のある笑顔を向けられて、僕はちょっと安心する。


「すみません。よくわからないまま、ここまで来てしまったんですが。スーツアクターっていうのは、どういうお仕事なんですか?」


「ええ? スーツアクターはスーツアクターですよ! 着ぐるみを着る演者のことです」


「ああ、そういうことですか」


 ん。しかし、広告には「主人公イツカイザーのスーツアクター」と書いてあったような気がする。

 怪獣役ならまだしも、主人公ではちょっと荷が重いかな、と僕は思った。いくら顔が隠れているとはいえ、あまりこっぱずかしい演技などはしたくない。


「まあこんなオーディション、めったにあるもんじゃなし。人生経験と思って受けてみたらどうですかぁ?」


 ネズミ顔の中年男は、気安い感じで僕にプリント用紙をおしつけてくる。


「なんか、予想以上に盛況だし。ちょっとやそっとじゃ受からないですよ、これは。もし受かっても、嫌だと思ったら辞退すればいいんだし」


 それもそうかと思い、僕はおとなしく用紙と番号札を受け取った。

 思えば、これが二度目の分岐ポイントだったのだ。

 そこで引き返しておけば、その後の僕の生活は、百八十度異なる方向に進んでいたことだろう……。


 ともあれ、僕の番号は、二十一番だった。

 最終的には、三十名ほど集まったらしい。

 しかし、中には明らかに規定の身長体重をオーバーしている者もいて、そういううつけ者は面接会場内に呼ばれても十秒足らずで追い返されていた。


「だけど、こんな住宅街で町おこしってのも無理があるよなぁ」


 どうやら友人同士で面接に来たらしい若者たちの会話が、僕の耳にまで忍びこんでくる。


「町おこしって普通、さびれた観光地とかが客寄せで企画するもんなんじゃねーの?」


「まあ、そうだよな。こんなただの住宅街で、どうやって町おこしするつもりなんだろ」


 それは僕も、ちょっと気にかかっていた。

 僕の住む千葉県五街道市は、単なる都心のベッドタウンで、郊外のほうに行けば畑だらけだし、牛やニワトリだってわんさかいるが、彼らの言う通り観光地でも何でもなく、目立った特産品があるわけでもなく、アピールする素材があまりにも不足しているような気がしてならない。


 千葉県といえば落花生だが、他の地域ほど生産が盛んなわけでもなく。梨、栗、いちごも、また然りだ。

 何やら駅裏のガス灯通りが「日本一の長さ」と聞いたことがあるような気もするが。町おこしのメインにするには……ちょっと地味だ。


 しかも、数年前には人口率ののび悩みが発端となり、千葉市との合併話まで持ち上がり、あやうく「千葉市五街道区」になりかけたことさえある。

 まあ――そんなところだからこそ、町おこしが必要なのかもしれないが。なんにせよ、僕は自分が生まれ育ったこの土地がそんなに嫌いなわけでもなかったので、町おこしの手段があるならば、その一助になるのも悪くはないかな、というていどの気持ちはあった。


「二十一番の方、どーぞー」


 そんなことを考えているうちに、自分の順番になってしまった。

 なんとなく流れに身をまかせる格好で、僕はさしたる緊張感もなく、面接会場のドアをくぐった。


 そこで、僕は出会ってしまったのだ。

 サクラさんこと、麻生さくらさんに。


「よ……」

 思わず、声がかすれてしまった。


「よろしくお願い、します」

 こんなに綺麗な女の人を見たのは初めてだ、と思った。


「受験番号二十一番、楠岡禅二郎くん、十六歳、ね」


 もちろんそこにはサクラさんのみならず、『イツカイザー・プロジェクト』の首謀者四名が勢ぞろいしていた。

 なかなか広い会議室だが、その四人が陣取った長机とパイプ椅子以外はすべて脇のほうに片付けられて、よけいにガランとしてしまっている。

 そのだだっ広い空間に立ちつくす僕を、品定めするように見返してくる、四人の面接官たち――それは、なんとも奇妙な取り合わせの四人組だった。


 何だかやたらと強面で、でっぷりと肥えた、作業着姿の大男。

 その半分ぐらいしか体積のなさそうな、ネズミのような顔の小男。

 背は高そうだがガリガリに痩せた、髪が長くて顔色の悪い男。


 年齢は、みんな四十過ぎぐらいだろう。

 そんなあやしげな男たちの末席に、びっくりするぐらい繊細な顔立ちをした美少女がちょこんと腰かけているのだ。

 奇妙、という他には言葉が見つからなかった。


「監督の、長島だ」


 工事現場の親方にしか見えない大男が、禁煙パイプをかじりながら、不機嫌そうにそう言った。……のちほどわかったことだが、彼は隣町にある長島工務店という会社の経営者だった。見た目通りだ。


「音響、技術の小野寺です。さきほどはどうも」


 長机の上にノートパソコンをひろげた小男は、口をすぼめて笑っている。……こちらは、やはり隣町の電器屋オノディの店主。ナイロン製のジャンパーにスラックスという格好は、確かに電器屋の店員ぽい。


「……脚本の、八木」


 陰気な外見をしたその男は、声まで低くて陰気だった。……この人の素性を知るのは、けっこう後になってからとなる。よれよれの白いシャツに膝のぬけそうなコーデュロイのズボンといういでたちからも、その素性を探るヒントはうかがえなかった。


「造形および美術担当の麻生です。よろしくお願いします」


 そして、艶やかな黒髪を腰までのばした美少女が、にこやかに微笑みながら頭を下げる。

 当時の彼女は、私立の女子高に通う高校二年生だった。


(ほんとに綺麗な人だなあ……)


 これから面接だかオーディションだかが始まろうとしているのに、ともすれば、僕の目はその可憐な姿に引き寄せられてしまいそうになる。

 まったく化粧などしていないようなのに、睫毛が長くて、目が大きくて、白いなめらかな肌をしていて――黒髪黒瞳でなければ、まるでフランス人形のようだ。


 そのほっそりとした体を包みこんでいるのは、やたらとフリルのついた黒いワンピースと、蝶やらバラやらが編みこまれた黒いタイツで、その黒ずくめの格好が、肌の白さをいっそう際立たせている。

 膝の上に小さな黒猫のぬいぐるみなどを乗せているのが少しおかしな感じだが、そんなものはご愛嬌だ。僕は一目で、その美しい姿に心臓をわしづかみにされてしまっていた。


「十六歳か。ずいぶん若いな。まごうことなき平成ベイビーだ」


 ぎょろりと大きな目をむいて、長島という大男が僕を見る。


「キミ、好きなヒーローは?」


「……はい? なんですか?」


「ヒーローだよ。好きな特撮ヒーロー」


 外見通りの、ぞんざいな口調だ。


「特撮ヒーローですか。子どもの頃は、それなりに好きなほうでしたけど……」


 しかし、格別に思い入れの深い番組があったわけでもない。

 こんなことが審査対象になるのだろうかと首をひねりつつも、僕は記憶の奥底を総ざらいしてみた。


「まあ……怪獣モノよりは、戦隊モノのほうが好きでしたね。あと、ケーブルテレビの再放送で宇宙刑事とか観てました。年の離れた兄が、わりとそういうのを好きだったもので」


「宇宙刑事シリーズか」


 親方の目が、人食い熊のように光る。


「何作目?」


「え? あの、銀色のやつです」


 兄貴がカラオケなどでもよくその手の主題歌を歌っていたので、どちらかというとリアルタイムで放映されていた番組より、そういった懐かしヒーローのほうが記憶に新しい。ただそれだけのことだったのだが。不思議と監督様はそれなりに満足したようだった。


「嫌になるぐらい淡白だが、昭和のヒーロー番組にまで目を通してるぶん、まだマシか。……だいたい、特撮番組を観たこともないくせにこんなオーディションを受けに来る連中の気が知れん」


「まあボクらの世代には理解し難い現象ですが、ヒーロー番組の主役が二枚目若手俳優の登竜門になりつつある、という影響もあるんでしょう。現に、『五十嵐道』役のトモハルくんだって、ヒーロー番組なんて観たこともないとか言ってましたから」


 そう応じたのは、僕の提出したアンケート用紙に視線を落としているネズミ顔の音響担当さんで、さらには気難しげな顔をした脚本担当さんも「……嘆かわしい」と、不機嫌そうにつぶやいた。


 なんだか、おかしな人達のようだ。

 僕はいったいどうしたらいいのだろう、と棒立ちで待っていると、今度は音響担当さんが声をかけてくる。


「キミ、空手をやってたの?」


「あ、はい。防具つきのスポーツ空手ですけど」


「小学校から中学校までの九年間、ね。なかなかのキャリアじゃないの。演武とか習ったでしょ? ちょっとやってみせてよ」


「演武、ですか?」


 こんな公民館の会議室で、ジャージ姿のまま演武だなんて、それだけでちょっとした羞恥プレイではないか。

 しかも目の前では、くだんの美少女がにこにこと微笑みながら、僕の挙動を見守っているのだ。


「恥ずかしかったら、これかぶる?」


 と、ネズミ顔の小男が長机の下からひっぱりだしたのは、祭の屋台で売っているような特撮ヒーローのお面だった。

 僕は「けっこうです」と丁寧に断ってから、ちょっとだけ天井を見上げ、呼吸を整えた。


 恥ずかしいというか、馬鹿馬鹿しいが。ここはヒーローショーの着ぐるみを着る役のオーディション会場なのだし、音響担当さんの要求はそれほど的外れなわけではない、ような気がしなくもない。多分。おそらくは。

 だとすると、ジャージ姿で演武を披露することより、それを恥ずかしがって固辞することのほうが格好悪いのではないか――僕は、そんな風に思ってしまったのだ。


 まあ要するに、僕は麻生さくらさんの前で格好をつけたかったのだろう。

 そうして僕は、なけなしの覚悟をふるって、ピンアン初段の型を披露することになった。

 黒ずくめの美少女は、終始にこにこと笑っていた。

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