4 決別

「あー、駄目ですよー! どうして魔女さんにひどいことをしようとするのですか?」


 アデリールの視界から魔女エマの姿を隠そうと、フィリアが長剣を手に立ちはだかった。

 アデリールは爛々と双眸を燃やしながら、頭ひとつ分も小さなフィリアの姿を見下ろす。


「おどきください、フィリア姫。石の都の住人にとって、魔なる存在は敵であるのです」


「だったら、わたしも敵ですよー。なにせ、魔女さんに弟子入りを願った身なのですからね」


 とても嫌そうに眉をひそめつつ、フィリアは正眼に長剣をかまえた。

 それと対峙するアデリールは、短剣しか所持していない。しかしそれは、兎と獅子が向かい合っているかのような様相であった。


「何故です? あなたは、王女であるのですよ? この世でもっとも聖なる血を受け継ぐあなたが、そのように忌々しい行いに手を染めることは許されません!」


「それが許されないなら、わたしには神の怒りが下るでしょう。それでも、後悔はありません」


「愚かな……あまりに愚かです! 魂を召された王妃殿下も、神のみもとで嘆いておられることでしょう!」


 その言葉に、フィリアは口をとがらせた。


「そうやって母様の名を出せば、わたしが怯むとお考えですか? 残念ながら、母様は夢の中でわたしの前途を祝福してくれましたよーだ」


「夢の中? 馬鹿馬鹿しい! どうやらあなたは、すでに魔女めにたぶらかされてしまったご様子です!」


「いーえ! たぶらかしてくださいと何度もお願いしているのに、魔女さんはなかなか了承してくれないんです! わたしのことを罵るのはかまいませんけれど、魔女さんにおかしな疑いをかけるのはやめてください!」


 腰を落として短剣をかまえたまま、アデリールは「何故です?」と囁くように繰り返した。


「王妃殿下が魂を返してしまい、あなたが深い悲しみにとらわれるのは当然です。しかしどうして、王族としての身分を捨て去ろうなどと考えることができるのですか?」


「そんなのは、決まっています。わたしにとって、唯一の拠り所は母様であったからです。母様がいなくなってしまった石の都に、わたしの居場所などありはしません」


「何を仰っているのですか! 王妃殿下が身罷られたからこそ、あなたは正しき居場所を手に入れられるのではないですか?」


 フィリアは、げんなりとした様子で溜め息をついた。


「わたしがそのようなものに価値を見出せるとお思いですか? 母様がいなくなったことで得られる居場所なんて、そんなものはクソクラエです!」


「ですが、王妃殿下は――」


「ええ、母様はわたしを産むと同時に、すっかり身体が弱くなってしまいましたものね。いつでも誰かに甘えていないと気の済まない父様には、それが我慢ならなかったのでしょう。だから、母様をあんな離宮に追いやって、さっさと魂を返してしまえばいいのにと願うことになったのでしょうね!」


 フィリアは癇癪を起こした幼子のように言いつのった。


「それで、わたしに居場所が生まれるというのは、どういうお話なのですか? もしかしたら、これで兄様たちがわたしを受け入れてくれるとでもお思いなのでしょうか? ああ、これで父様が3人目の王妃でも迎えれば、わたしも兄様たちと同じ立場になりますものね! 半分血の繋がった兄妹同士、仲良く義母を憎めばいいというお話なのでしょうか?」


「わたしは何も、そのようなことは……」


「それじゃあ、どういうことなのです? あなただって、わたしのことを嫌っていたじゃないですか! 国王たる父様に忌避された力なき王妃に与する、反乱分子だとでも思っていたのでしょう? わたしが母様を見捨てて兄様たちと仲良くすれば丸く収まるのにって、いつもそんな風にお考えのようでしたものね!」


「…………」


「あなたが母様のことを疎ましく思っていたのは、知っています。あなたが侍女たちと語らっているのを、たまたま立ち聞きしてしまったのですよ、アデリール先生。母様さえ王妃としての本分を取り戻して、わたしのことを遠ざけてくれれば、王家の確執も解かれるものを……王妃殿下は、お覚悟が足りない! なーんて言ってましたよね?」


 フィリアは、半ば凍てついた地面を乱暴に踏み鳴らした。


「そんな話を聞かされて、わたしがどんな気持ちになったか、わかりますか? あなたがわたしに優しいのは、けっきょく王家の安寧を思ってのことだったのですよね! そうしてわたしを母様から遠ざけようと、あれこれ画策していたのに、わたしがぜーんぶ台無しにしちゃったから、だんだん苛立ってきたのでしょう? いまもあなたは、ものすごく苛立ったお顔をしておりますよ!」


「…………」


「ということで、包み隠さず真情を述べさせていただきました。わたしはあなたの敵であり、あなたはわたしの敵であるのです。魔女さんが王国の敵だというのなら、まずはわたしから討伐すればいいです」


 アデリールはその双眸に激情をたぎらせながら、短剣を握りなおした。


「……どうあっても、姫には城にお戻りいただきます」


「まっぴらごめんです」


 と、フィリアは長剣を振り払った。

 アデリールは後方に跳びすさり、口もとだけで獣のように笑う。


「あなたが剣術で、わたしにかなうとお思いですか、姫?」


「さあ、どうでしょう? あなたはわたしよりも3倍は強いと思いますけれど、長剣と短剣であれば五分ではないでしょうか?」


「それは、とんだ見込み違いです」


 今度は、アデリールがフィリアの懐に跳び込んだ。

 さきほどまで意識を失っていたとは思えないほどの、俊敏なる身のこなしである。

 その斬撃を危ういところで弾き返したフィリアは、なんとか体勢を立て直そうとしたが、それよりもアデリールの動きのほうが速かった。


 白銀の斬撃が、縦横無尽にフィリアへと襲いかかる。

 フィリアは必死の形相でそれを防いだが、攻撃に転ずる隙はなかった。


「どうしました? もっと離れないと、長剣の間合いにはなりませんよ?」


「う、うるさいですよー!」


 フィリアは、横合いに大きく跳びすさろうとした。

 その腹に、革の長靴ながぐつを履いたアデリールの右足が突き刺さる。

「うぎゅう」とくぐもった声をあげながら、フィリアは小石のように宙を舞い、背中から大樹の幹に叩きつけられることになった。


「しょせん、兎の歯で獅子の咽喉を噛み破ることはかないません」


 大樹の根もとにうずくまったフィリアの前に、アデリールが立ちはだかる。

 フィリアはまだ長剣を握ったままであったが、その刀身はアデリールにしっかりと踏みつけられていた。


「勝負あり、ですね。わたしとともに、王都に戻っていただきます」


「……まっぴらごめんですってば。文句があるなら、わたしを斬り捨ててください」


「王国の敵として、このような場で朽ちることをお望みなのですか?」


「ええ。あのように悪意の渦巻く場所に戻るぐらいであれば、わたしは喜んで魂を返します」


 アデリールの目に、激情の炎がぎらついた。

 しかし、その奥にはかすかに悲哀の光も灯されている。


「わかりました。あなたがそうまで、強情を張ろうというのなら――」


 その瞬間、ふたりの姿が大きな影に覆われた。

 愕然と背後を振り返ろうとしたアデリールの頭が、黒くて巨大な5本の指に、わしづかみにされる。

 悲鳴をあげるアデリールの身体は、そのまま天高く吊り上げられることになった。


「ま、魔女さん!? いったい、どうされたのですか?」


「どうされたもへったくれもないわい。領土の主たる我を、ないがしろにしおって」


 いままでアデリールが立ちはだかっていた場所に、魔女エマが立ちはだかる。

 その燃えるような赤髪の遥か頭上では、アデリールの両足が狂ったように空気をかき回していた。


 アデリールの身体をつまみあげたのは、魔女エマの生み出した泥人形ゴーレム)である。

 頭をわしづかみにされたアデリールは、その土くれでできた手の甲に何度となく短剣を突き刺していたが、泥人形ゴーレム)は痛痒を覚えた様子もなく、ぼんやりとたたずんでいた。


「なかなかの業物であるようじゃが、我の泥人形ゴーレム)を退けられるほどではないようじゃな。まあ、当然の話じゃが」


 そのように言いたててから、魔女エマはじろりとフィリアを見下ろした。


「ところでおぬしは、我との約定をないがしろにしようという心づもりか?」


「や、約定?」


「……ひと月が過ぎるまで、おぬしは我の客人じゃ。約定が果たされて、我の従者めの罪が贖われるまで、おぬしが魂を返すことはまかりならん」


 そう言って、魔女エマは頭上のアデリールのほうに視線を転じた。

 アデリールは最後の力も使い果たしてしまった様子で、四肢をだらりと下げている。その短剣は、泥人形ゴーレム)の手の甲に深々と突き立てられたまま、手放されていた。


「まったく、厄介者は厄介者を引き寄せるのう」


 魔女エマはフィリアのかたわらまで歩を進めると、ぱちんと指を鳴らした。

 泥人形ゴーレム)の指が開き、アデリールの身体はぐしゃりと地面に墜落する。その口からは、死にかけた兎のようなうめき声がこぼされていた。


「ともあれ、この地は我の領土じゃ。石の都の陰謀なんぞ、我の知ったことではない。そのようなものは、石塀の中でぞんぶんに楽しむがよいわ」


 魔女エマは蠱惑的な曲線を描く右足をのばして、アデリールの肩を軽く蹴り飛ばした。

 それで仰向けに返されたアデリールは、固く目をつぶったまま、弱々しくうめいている。その姿は、か弱い妙齢の娘にしか見えなかった。


「さて、それでは森の外にほっぽり出すとするかのう。……おぬしは、どうするのじゃ?」


 魔女エマに金色の目を向けられて、フィリアは「え?」と首を傾げた。


「どうするって、わたしはもちろん魔女さんのお家に残らせていただきますよ?」


「そんなことは、わかっとる。しかし、こやつと最後に交わしておくべき言葉はないのか?」


 フィリアはきゅっと唇を噛みしめると、鋼の剣を大樹にたてかけて、アデリールのもとににじり寄っていった。

 アデリールは弱々しくまぶたを開いて、フィリアの姿を見つめ返す。


「アデリール先生。あなたはどうして供も連れずに、たったひとりでこのような場所にまでやってきたのですか? どうせ父様は、わたしのことも聖剣のこともどうでもいいと思っているのでしょうから、探索の命令など出すはずもありませんよね?」


「わたしは……真実を突き止めようとしたのです……あなたが本当に、魔女などにたぶらかされてしまったのか……それとも、何かの陰謀に巻き込まれてしまったのか……それを確かめずに、のうのうと過ごすことはできませんでした……」


「そうですか。でしたら、これが真実です」


 フィリアは、少しはかなげに微笑んだ。


「残念ながら、わたしは石の都で生きる意味と資格を失ってしまいました。王家に忠誠を誓ったあなたにしてみれば、言語道断の行いなのでしょうが……どうか、わたしのことはお忘れください」


「…………」


「それでもなお、あなたがわたしや魔女さんの前に現れるようでしたら、わたしは何度でもあなたと戦います。わたしから言えるのは、それだけです」


「わたしは……」と、アデリールは消え入りそうな声で囁いた。

 その茶色い目から、ふいに大きな涙がこぼれる。


「……わたしはあなたの奔放な振る舞いに、苛立つ姿を見せてしまったかもしれませんが……それでも決して、あなたを憎んだりはしていませんでした……」


「ええ、どうやら、そうみたいですね」


 フィリアは、にこりと微笑んだ。

 その頬にも、透明の涙が流れ落ちる。


「だけどあなたは、わたしの母様を疎んでいたでしょう? 子離れできない母様のせいで、宮廷の秩序が乱されるのだと……そんな風にも仰っていましたよね」


「……はい。そう考えていたのは、事実です。でも、それは……宮廷内における、あなたのお立場を思いやってのことで……」


「わかっています。でも、母様がわたしを手放せなかったように、わたしもまた母様を手放すことができなかったのです。あなたは母様ではなく、わたしを疎むべきでした」


 そう言って、フィリアはアデリールの髪にそっと手を触れた。


「そうしたら、わたしがあなたを憎むこともなかったでしょう。わたしにとって、あなたはこの世で母様の次に大切な存在であったのです。……あの、母様に対する罵言を耳にする日までは」


 アデリールは、顔をくしゃくしゃにして涙をこぼした。

 フィリアは涙を流しながら、無垢なる微笑をたたえている。

 そんなふたりの姿を、魔女エマは少し離れた場所から、じっと見つめていた。

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