3 正体

「たとえ意識を取り戻そうとも、剣なくして悪さをすることはできん。まあ、そのていどの剣であれば、最初から恐るるに足らんがの」


「出たな、魔女め……貴様が悪名高き、《針の森の魔女》であるな……」


 フィリアの足首を握ったまま、アデリールは力なく半身を起こした。

 フィリアはなるべく剣をアデリールから遠ざけつつ、その姿を見下ろす。


「フィリア姫はどこだ……フィリア姫を王国に返すがいい、忌まわしき魔女め!」


「ふん。なんのことだか、わからんのう。我は誰に何を借りた覚えもないぞ」


「とぼけるな! フィリア姫がこの忌まわしき森に足を踏み入れたことはわかっておるのだ! 貴様がフィリア姫をそそのかし、国宝たる『あけ灼炎しゃくえん』を盗み出したのであろうが!」


「国宝?」と、魔女エマはうろんげに眉をひそめた。

 アデリールは熾火のように双眸を燃やしながら、「そうだ!」とわめきたてる。


「聖アレシュが鍛えし、創世の聖剣! 我が王国の繁栄の象徴にして、すべてのはじまりの聖剣たる、『あけ灼炎しゃくえん』だ! よもや、知らぬとは言わさぬぞ!」


「それはつまり、石の都が築かれた100年の昔に生み出された、4本の聖剣のひと振りのことかの。どうしてフィリアやらいう小娘風情が、そんな大層なものを携えておるのじゃ?」


「あくまで、白を切ろうというつもりか……恐れ多くも国王陛下の第一息女たるフィリア姫をかどわかしたのも、貴様なのであろうが!」


 魔女エマは、きょとんと目を丸くした。

 そののちに、咽喉をのけぞらして高笑いをする。


「この小娘が、王国の王の第一息女? これは、とびきり愉快な冗談じゃ! この世を統べる聖なる血筋などと抜かしながら、とんだうつけ者をこの世に産み落としたものじゃな!」


 フィリアは剣を抱えたまま、困り果てた様子で魔女エマとアデリールの姿を見比べている。

 魔女エマは、涙を流さんばかりの勢いで笑い続けた。


「しかし、これで合点がいったわい! そうまで由緒正しき聖剣と血筋であったからこそ、我を脅かすほどの力を生み出すこともかなったというわけか! 石の都の象徴たる聖剣と、それを持つに相応しい血筋の剣士! なるほどなるほど、これはお笑い種じゃ!」


「あ、あの、魔女さん……?」


「うむ! 笑ってばかりはおられまいな!」


 魔女エマは、その手の杖をぶんと振り払った。

 フィリアは小首を傾げてから、左手で自分の顔をまさぐり、「あー!」と悲鳴まじりの声をあげる。


「な、なんでいきなり変化の術を解いちゃうんですかー! アデリール先生に、正体がバレちゃうでしょう!?」


「そのために解いたのじゃわい。我とて、あらぬ疑いをかけられるのは不本意じゃからな」


 そう言って、魔女エマは艶めかしく咽喉で笑った。

 フィリアはこれ以上ないぐらい眉を下げながら、おそるおそる足もとのアデリールを見下ろす。

 アデリールは、まなじりが裂けんばかりに目を見開いて、フィリアの顔を見つめていた。


「姫……ご無事であったのですね、フィリア姫!」


「あ、はい。わたしは元気です。……えーん! これって、どうしたらいいのですかー?」


「どうするも何も、そこの粗忽者に真実を教えてやるがよい。それともおぬしは、我に聖剣盗みの濡れ衣を着せようという心づもりであるのか?」


「いえ、そんなつもりは毛頭ありませんけれど……ア、アデリール先生、まずは落ち着いてくださいね?」


 フィリアの足首から手を離したアデリールは、ゆらりと立ち上がっていた。

 その双眸には、不審と疑いの火が渦巻き始めている。


「フィリア姫……よもやあなたは、魔女めにたぶらかされたままであるのですか……?」


「た、たぶらかされてなどはおりません! わたしは、自分の意思で国を出たのです!」


 鋼の剣を背中に隠しながら、フィリアは後ずさる。

 同じ距離だけ、アデリールは足を踏み出した。


「自分の意思で、国を出た……? では何故、あなたが国宝を盗み出さなければならなかったのですか? あなたは魔女にたぶらかされて、国宝たる聖剣を盗み出したのでしょう……?」


「ち、違います! 聖剣は、従者が持たせてくれたのですよー。わたしみたいに非才の人間がひとりで生きていくのは大変だろうと仰って、こっそり聖剣を届けてくれたのです」


 アデリールの目に、何かこれまでとは異なる炎が渦巻いた。

 深甚なる、怒りの激情の炎である。


「従者が、フィリア姫に聖剣を……それは、何者であるのです?」


「な、名前などは知りません。普段はお城のほうで働いている、あの、でっぷりとしたお姿の……ああ、もしかしたら従者ではなく、従者を取りまとめる執事さんかもしれませんね」


 アデリールはふらりとよろめいたが、なんとかその場に踏みとどまった。


「だらしなく肥え太った、城の執事……それは、第三王子殿下の手の者となります」


「ああ、言われてみれば、そうかもしれませんね。あの御方は、たまーに離宮までやってきて、わたしや母様の様子をうかがってくれていたのです」


「それは、第三王子殿下がフィリア姫と王妃殿下の動向を探っていたに他なりません」


 そうしてアデリールは悲壮な面持ちで、ぎりっと奥歯を噛み鳴らした。


「ようやくわたしにも、理解できました! これは、第三王子殿下の陰謀であったのです!」


「い、陰謀? それはいったい、なんのお話でしょう?」


「第三王子殿下は、日頃からフィリア姫の存在を疎ましく思っておられたのです! ご自分の王位継承権が、いずれフィリア姫と差し替えられてしまうのではないかと、そのように恐れていたのでしょう!」


 アデリールの双眸は、もはや手負いの獣のごとき眼光に成り果てていた。


「あの御方は、そういう御方であられるのです。自分より上にいる人間の足を引っ張り、下にいる人間は蹴落とそうとする……王族にあるまじき、低劣なるご気性であられるのです」


「はあ。だけどまあ、上の兄様たちも似たり寄ったりですよね?」


 フィリアはそのように口をはさんだが、アデリールの耳には届いていないようだった。


「そうして第三王子殿下は、ついにフィリア姫を王都から追放するべく、画策したのでしょう! フィリア姫が魔女にたぶらかされたなどという流言を広めて、国宝を盗んだという濡れ衣をかぶせたのです!」


「なるほど、それはありえそうなお話ですねー。……わたしは王都で、そのような扱いなのですか?」


「……はい。フィリア姫は国宝を盗んだ大罪人として、王国中に布告が回されています」


「ありゃりゃ」と、フィリアは苦笑した。

 アデリールは、いっそういきりたってしまう。


「ありゃりゃではありません! フィリア姫は、そのように薄汚い陰謀の餌食にされようとしているのですよ?」


「うーん。だけどまあ、わたしが石の都を捨てたのは事実ですし……聖剣のおかげで、なんとか生き永らえたようなものですからねー。文句を言える立場ではないように思います」


 アデリールは、愕然とした様子で立ちすくんだ。


「フィリア姫……姫は第三王子殿下や執事めにそそのかされて、王都を出奔したわけではないのですか……?」


「はい。わたしは、自分の意思で王都を出ました。魔女さんに弟子入りを願ったのも、まぎれもなくわたし自身の意思によります」


 アデリールは、信じ難いものでも見るようにフィリアの顔を見据える。

 それを見返しながら、フィリアはふにゃりと微笑んだ。


「アデリール先生には、ご心配をおかけしました。もしも聖剣をご所望でしたらお返ししますので、どうかお帰り願えませんか?」


「何を……何を仰っているのですか、姫? こやつは、石の都を滅ぼさんとする、魔女なのですよ?」


「どうやらそれは、根も葉もない風聞であったようですよ。……でもわたしは、それが風聞だと思い知らされる前から、魔女さんに弟子入りを願っていたのです」


 フィリアは微笑をたたえたまま、申し訳なさそうに眉を下げた。


「石の都の人間にとって、わたしは許されざる背信者であるのです。そういう意味では、兄様も間違ってはいなかったのでしょう。これが、まぎれもない真実となります」


「馬鹿な……そのようなことは、決して許されません!」


 言いざまに、アデリールは魔女エマへと視線を転じた。

 魔女エマは不敵に唇を吊り上げつつ、その眼光を跳ね返す。


「何じゃ? 許されないならば、どうしようというつもりなのかのう?」


「知れたこと! 貴様を斬り捨てて、姫に目を覚ましていただく!」


 アデリールは、外套マントの内側に右手を差し入れた。

 そこから取り出されたのは、刀身がぬめるように照り輝く短剣である。

 魔女エマは「ほう」と鼻で笑った。


「その長剣よりも、いっそう強い力を持つ短剣であるようじゃな。察するところ、それはおぬしの家に伝わる由緒ある業物であろう?」


「問答は無用! 魔女よ、滅びよ!」


 咆哮をあげながら、アデリールは深く腰を落とした。

 それは、死にかけた獣が最後に生命の炎を燃やしているかのような、凄絶なる迫力であった。

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