2 魔女の裁き

「うむ、ひとつ妙案を思いついたぞ」


 魔女エマは、普段以上に不機嫌そうな声でそのように言い捨てた。


「どうやらこやつの目的はおぬしであるようじゃから、おぬしともども森の外にほっぽり出してやれば、大人しく自分の住処に帰るじゃろ」


「ちょっとー! わたしを生贄に捧げようというおつもりなのですかー?」


「何が生贄じゃ。家に戻るのが半月ばかり早まるだけのことじゃろうが」


「わたしは絶対に、嫌ですからねー! それに、半月ではありません! 意識を失っていた3日間と最初の1日を差し引いて、まだたっぷりと50日は残されているはずです!」


閏月うるうづきを加算するな! ……しかしこのままでは、おぬしは自分の師匠が無残に死に果てる姿を目にすることになるやもしれんぞ?」


 フィリアは「え?」と目を丸くした。


「あのー、魔女さんは、アデリール先生の獅子のごとき剣技に恐れをなしているわけではないのですか?」


「なんで我が、そんなもんを恐れんといかんのじゃ。どれほどの剣士であっても、我の魔術の敵ではない」


「えー? だけどアデリール先生は、わたしが3人がかりでも太刀打ちできないような剣の達人なのですよー?」


「おぬしが3人もおったら、この世の終わりじゃな。……何にせよ、たったひとりの剣士に脅かされるようじゃったら、我などとっくに魂を返しておるわい」


「でもでも、魔女さんとわたしが戦ったら、高い確率で相討ちなのでしょう? アデリール先生は、わたしの3倍の強さなのですよ?」


「じゃからそれは、おぬしではなくあの忌々しき宝剣の力じゃ。……さらに言うならば、宝剣を使いこなせる、おぬしの忌々しき資質じゃな」


 そう言って、魔女エマはいっそう不機嫌そうな顔をした。


「あの宝剣は、おぬしの家の家宝だったのじゃろう? 何かそのへんのいわくで、おぬしはあの宝剣の力を余すところなく引き出すことがかなうのじゃ。おぬしと宝剣のどちらが欠けても、我を脅かすことはできまい」


「なるほどー。そちらに関しては、理解いたしました。でもでも、わたしは絶対にここを出ていかないですからねー!」


「では、あやつが無残に死に絶えるさまを見届ける覚悟がある、ということじゃな?」


 フィリアは空腹の兎のようにうなだれて、「はい」と肯定した。


「旧知の人間の死にざまを見届けるというのはなかなかの試練ですけれど、こればかりはしかたがありません。アデリール先生のご冥福を、この場で祈らせていただきたく思います」


「ふむ。薄情じゃな」


「はい。情が薄いというよりは、情がないのです。情をかける相手が母様の他に存在したのなら、わたしだって故郷を捨てることはできなかったでしょう」


 と、フィリアはそこでにこりと笑った。


「それに、アデリール先生だって、わたしのことは嫌っていたはずです。そんなわたしに情なんてかけられたくはないでしょう」


「ほう。それではどうして、あやつはおぬしのことを探し求めておるのじゃろうな?」


「さあ? おおかた父様にでも命令されたのじゃないですか。アデリール先生より、わたしの父様のほうが身分が高いですからねー」


「そうじゃとしても、王都の騎士などというものが供も連れずにこのような地の果てまでやってくるかのう」


 魔女エマはうろんげに眉をひそめつつ、宙の画面へと視線を戻した。

 画面の中では女騎士アデリールが、骸骨の幻影を相手に剣を振るっている。


「わあ、あの骸骨さんは、初めて見ました! どうしてわたしには見せてくださらなかったのですかー?」


「おぬしはその忌々しき鼻のよさで、我の住処までの最短の道を選んでおったのじゃ。然してこやつは、難儀な道ばかりを選んでおる。これでは最後の結界まで到達することもできんじゃろうな」


 骸骨の幻影を討ち倒したアデリールは、両足を引きずるようにして森を分け入っていた。

 その顔には、疲労の色が濃い。ただ、茶色の双眸には手負いの獣じみた光が浮かんでいる。すでに体力は尽きているのに、執念だけで突き進んでいるような様相であった。


「……情のない相手に、ここまで執念を燃やすことができるもんかのう?」


「できますよー。アデリール先生は、もともと執念深い御方ですから! わたしへの情ではなく、王国への忠誠心を糧にしておられるのでしょう」


 そのように言いながら、フィリアはまた朗らかな笑みをたたえた。


「わたしは石の都のそういうところも、好きになれなかったのです。盲目的な忠誠心に支えられた世界なんて、なんだか気持ちが悪くないですか?」


「……魔術の世界とて、数々の掟に縛られておるがの」


「でもでも、魔術師が重んじるのは『国』ではなく『世界』そのものなのでしょう? 世界を正しく運行させるための掟であるならば、わたしは粛々と従わせていただきたく思います!」


「ふん。知ったような口を叩く小娘じゃの」


「はい。門前の小僧というやつですね」


 そのとき、画面から力ない悲鳴が響きわたった。

 アデリールが、蝙蝠の群れに襲われている。画面が真っ黒に覆われてしまいそうなほどの、蝙蝠の大群である。どのような剣技を持つ人間であっても、それらのすべてを斬り払うことなどは不可能であるようだった。


「ふむ。第4層まで到達したか。あやつの命運も、ここまでじゃろうな」


「あれは、幻影ではないのですか? アデリール先生、とても痛そうにしています」


「幻影じゃが、それに噛まれれば偽りの痛みが走り抜ける。これは幻影じゃと看破せぬ限り、意識の錯誤からは逃れられん」


 斬撃を回避した蝙蝠の何羽かは、アデリールの腕や首筋に牙を立てている。

 それで血が流れたりすることはなかったが、アデリールの口からは断末魔のごとき悲鳴が絞り出されていた。


「うむ。おしまいじゃな」


 やがてアデリールは刀剣を取り落とし、雪の残る大地にくずおれた。

 しばらくはその身体にたかっていた蝙蝠どもが、やがて一体ずつ消滅していく。その最後の一体が消え失せると、フィリアは詰めていた息を吐き出した。


「……アデリール先生は、魂を返されてしまったのですか?」


「いや。痛みで気を失っただけじゃ。偽りの痛みで魂を返すことはない」


 魔女エマが立ち上がると、壁からのびてきた蔓草がねじくれた杖と外套マントを手渡した。

 外套マントを纏った魔女エマが杖を掲げると、その姿が黒い霧に包まれる。

 そうして現出したのは、あの、妖艶なる大人の魔女エマの姿であった。


「あれ? どうしていきなり、変化の術などを使ったのですか?」


「あの侵入者めを、森の外にほっぽり出さなくてはならんからの。いちおうの用心じゃ」


「どうしてわざわざ、森の外に? それで誰かに助けられたら、アデリール先生はまた意気揚々と進軍してきちゃいますよ?」


「そんなもんは、何度でも返り討ちにしてくれるわ。我の領土を、人間の屍骸なんぞで穢されてたまるかい」


 フィリアは「えー!」と驚きの声をあげた。


「それじゃあ魔女さんは、最初からアデリール先生を殺すつもりなんてなかったのですか?」


「当たり前じゃろう。どうして我が、無用の殺生などをしなくてはならんのじゃ」


「だってだって、魔女さんの領土を踏み荒らしたら、どのように裁くのも自由だって仰ってたじゃないですか!」


「自由じゃから、我の好きにするだけじゃ。人間の屍骸なんぞを放置しておったら瘴気が生まれてしまうし、わざわざ墓などを作ってやる義理もない。じゃったら、森の外にほっぽり出すのが一番じゃ」


 フィリアは「うー」と恨めしげにうなった。


「アデリール先生の死にざまを見届ける覚悟があるのか、とか言ってたくせにー! あれは、わたしをからかっていたのですねー!」


「からかってなどはおらん。おぬしの真情をつまびらかにしてやっただけのことじゃ」


 魔女エマは、妖艶なる顔でにやりと笑った。


「さて、それでは後始末じゃ。まったく、面倒なことじゃの」


「あ、ちょっとお待ちを! こんな雑用は、使い魔さんか何かにおまかせできないのですか?」


「あやつは、鋼の剣を携えておる。それに触れることのできる強力な使い魔などを生み出すぐらいなら、我が出張ったほうが早いわ」


「鋼の剣は、アデリール先生の手から離れておりますよ。アデリール先生の身体だけ、ぽーんとほっぽり出しちゃえばいいのではないですか?」


「馬鹿を抜かせ。鋼の剣などという不浄の存在を、我の領土に残しておけんわ」


 そのように答えてから、魔女エマは不審げに眉を寄せた。


「おぬしは、何にかかずらっておるのじゃ? 我があやつのもとに向かうことを止めたいような口ぶりじゃの」


「はい。アデリール先生は執念深いので、人間の気配を察知したら蘇生してしまうのではないかと心配しているのです」


 そこでフィリアは、ぽんと手を打った。


「それならわたしが、アデリール先生を森の外にほっぽり出すお役目をお引き受けいたしますよ! わたしだったら、鋼の剣だってさわり放題ですし!」


「ほう。そのままおぬしも森を出ていってくれたら、手っ取り早いのじゃがな」


「それは絶対に、肯んじません! もしも途中でアデリール先生が目覚めてしまったら、とっとと王都に引き返すように説得いたします」


 魔女エマは、しばし黙考した。

 そしてその末に、「却下じゃな」と言い捨てる。


「えー! どうして駄目なのですか?」


「考えてもみよ。おぬしとて、我の森にとっては侵入者なのじゃ。おぬしをあの場に送り届けても、そこから森の出口までの道行きで、幾重もの魔術の罠が発動してしまうわい」


「だったらそれは、アデリール先生の刀剣でなんとかしますよー」


「馬鹿を抜かせ。魔術の罠が破られるごとに、我の魔力は削られてしまうのじゃ。そんな無駄なことはできん」


 そう言って、魔女エマは切れ長の目をすっと細めた。


「……しかしまた、あのていどの不浄であっても、我が扱うには魔力を削られる。おぬしが不浄の鋼を持ち運ぶ役目を担おうというのなら、同行を許してやらなくもない」


「あ、それはいいですねー! とにかく剣さえ奪ってしまえば、アデリール先生だって悪さはできませんし! 喜んで、そのお役目をお引き受けいたしますー!」


 フィリアがぱあっと顔を輝かせると、魔女エマは「ふん」と鼻を鳴らした。


「何がそんなに嬉しいのか、我にはさっぱり理解不能じゃな」


「だってだって、アデリール先生のせいで魔女さんの身に何かあったら、わたしは居たたまれませんよー。石の都への憎悪の念が、骨髄に徹してしまうやもしれません!」


 にこにこと笑いながら、フィリアはそう言った。


「ではでは、出発いたしましょー! アデリール先生は油虫のようにしぶといので、くれぐれも油断はなさらないでくださいねー?」


「かつての師匠に対して、さんざんな言いようじゃな。おぬしを弟子にしようという気持ちは減退するいっぽうじゃ」


「えー! だって、わたしとアデリール先生はおたがいを嫌い合っていたのですから、致し方のないことです! 魔女さんに対しては海よりも深い情愛を持ち合わせておりますので、ご心配はいりません!」


「どうじゃかの」と、魔女エマは皮肉っぽく笑う。

 白く浮かびあがった画面の中では、王都の女騎士アデリールが死人のように横たわったまま、ぴくりとも動こうとしなかった。

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