第5幕 王都の騎士
1 侵入者
「魔女さん、大事なお話があります!」
フィリアがそのように言いたてたのは、《黒き沼の魔女》たるラクーシャの住処から無事に生還し、5日ほどが経った頃だった。
その日も朝から秘薬の調合に励んでいた魔女エマは、完全黙殺のかまえである。
「あのー、魔女さん、わたしの声が聞こえておりますか?」
「…………」
「魔女さんって、頭のてっぺんから足の爪先まで愛くるしいですよねー! もしもわたしが殿方であったら、ひと目で魂を奪われていましたよー!」
「…………」
「嘘だよバーカ。おだてられて調子に乗ってんじゃねーぞこのヘボ魔術師」
「よし、殺そう」
魔女エマが何もない空間を撫でさすると、その手に銀色の短剣が握られた。
「あー、やっぱり聞こえてたんじゃないですかー。やだなーもう、魔女さんって意地悪なんだからー」
「やかましいわい。ほれ、この『封魂の剣』でおぬしの魂を100年ばかりも封印してくれるから、その心臓を差し出すがいい」
「わあ、その剣、すごく見事な細工ですねー。鋼を扱うのは禁忌なのでしょうから、銀か何かで錬成されているのですかー?」
魔女エマは大上段で銀色の短剣をかまえたまま、フィリアのとぼけた笑顔をねめつけた。
「それで? 我に何用じゃ?」
「はいはい。それについてはじっくりお聞きいただきたいのですけれど、ちょっと落ち着かないのでその『封魂の剣』とやらは仕舞っていただけますか?」
「かまうな。おぬしの用件がくだらないものであったら、これが必要となるのじゃ」
「そうですかー。ではでは、語らせていただきます!」
フィリアは椅子の上で居住まいを正し、よく響く声で宣言した。
「わたしを、魔女さんの弟子にしてください!」
「うりゃ」
「あ、あぶないですよー! 魔女さんがわたしに傷を負わせたら、また話がややこしくなってしまうでしょー?」
「やかましいわい! 何度も何度も何度も何度も代わり映えのしない言葉を阿呆のように繰り返しおって! そんな言葉はもうこの半月で耳が爛れるほどに聞き飽きたわ!」
「そう! わたしがこちらでお世話になってから、もう半月も経ってしまいました! それが大問題であるのです!」
短剣をかまえた魔女エマにじりじりと詰め寄られながら、フィリアはそのように言いたてた。
「なんというか、ここは居心地がよすぎるのです! それでついつい、わたしも弟子入りの話を先送りにしてしまっていました! これでは、本末転倒というものです!」
「転倒しておるのは、おぬしの脳髄じゃ」
「はい。それで今日は従者さんも朝からお出かけでおしゃべりをする相手もいませんし、魔女さんの仕事っぷりを拝見するのもちょっぴり飽きてきてしまいましたから、ひさびさに本道に立ち返らせていただきたく思います!」
「そんな片手間で弟子入りを願ううつけ者なんぞ、御免こうむるわ!」
「片手間ではありません! わたしが居候として身をやつしつつ、ずっとひそかに弟子入りを願い出る機会をうかがっていたことは、魔女さんもご存知でしょう?」
「それをひそかと呼ぶのなら、この世は陰謀まみれじゃな」
「はい。ともあれ、つつしんで弟子入りを願わせていただきたく思います!」
魔女エマは溜め息をつきながら、『封魂の剣』を放り捨てた。
妖しくきらめく銀色の短剣は、見えない箱にでも投じられたかのように消失する。
「あのなあ。ただ阿呆のように弟子になりたい弟子になりたいと繰り返したところで、いまさらそんなもんが聞き入れられるわけもなかろうが? おぬしは、何を考えておるのじゃ?」
「はい。特に何も考えてはおりません」
「本気で弟子入りを願っておるなら、少しは考えんかい!」
「でもでも、わたしが弟子入りを願う理由は、これまでにもさんざん語らせていただきました。これ以上、どういった言葉を重ねればいいのでしょう?」
「……じゃから、それを考えよと言っておるのじゃ」
「えー、難しいですねー。何か手掛かりでも教えてくださいませんかー?」
「謎かけ問答ではないのじゃぞ。そもそも我は、どのような言葉を告げられても、そんな願いをかなえる気もないのじゃしな」
「だったら、考えるだけ無駄じゃないですかー」
「そう思うなら、とっとと石の都に帰ればよかろうが?」
フィリアは腕を組み、「うーん」と考え込むことになった。
「泣き落としも駄目だったしー、武力に訴えるのも駄目だったしー、胸中の思いを赤裸々に語るのも駄目だったしー……あ、魔女さんの弱みにつけこむというのはどうでしょう?」
「最低最悪な人格じゃな」
「でもでも、魔女さんに弱みなんてなさそうですよねー。そもそもそんなやりかたでは、今後のおつきあいにもいくばくかの影響が出ちゃいそうですし」
「いくばくかで済むのかの」
「うーん、駄目だ! わかりません! それじゃあ逆にお聞きしますけど、魔女さんはどうしたらわたしの弟子入りを認めてくださるのでしょうか?」
「逆の意味はわからんが、明日この生命が尽きるとしても、そのような願いを聞き入れる気にはなれんのう」
「魔女さんの生命が明日尽きちゃうなら、わたしが弟子入りする意味もなくなっちゃうじゃないですかー。大仰な言葉を使って拒絶の意味合いを高めたかったのでしょうけれど、表現としては的外れかもしれませんねー」
「おお、暴虐なまでに失礼な小娘じゃな」
「それに、魔女さんの生命が明日尽きるなんて、そんな不吉なことは仰らないでください!」
と、フィリアは腰を屈めて魔女エマの仏頂面を覗き込みながら、子供のように口をとがらせた。
「そんなの、想像しただけで胸が苦しくなっちゃいます。いまのわたしにとって、魔女さんがどれだけかけがえのない存在であるか、本当にご理解できているのですかー?」
「……そういう方面で情に訴えるという戦略は思い浮かばないのかのう」
「え? 何か仰いました?」
「さて、どうじゃったかの」
「とにかく! わたしより先に魔女さんが魂を返すだなんて、そんな悲しい未来を想像させないでください! お詫びとして、弟子入りを認めていただきたく思います!」
「重ね重ね、残念な頭脳じゃの」
と、再び溜め息をつきかけた魔女エマは、いくぶんうろんげに眉をひそめてから、虚空へと視線を向けた。
「ふむ……第3層まで入り込んだか。なかなか厄介なやつじゃな」
「どうしたのです? もしかしたら……わたしの弟子入りを認めてくださるのですか?」
「やかましいわい。我は、仕事ができた」
魔女エマはお気に入りの長椅子に沈み込むと、何もない空間に四角く指を走らせた。
すると、四角く区切られた空間がぼうっと白く輝き、そこに何かの映像を映し出す。フィリアは「うわあ」と瞳を輝かせながら、その映像を覗き込んだ。
「すごいすごい! この魔術は初めて見ましたー! これって、《針の森》ですよね?」
「うむ。半月ぶりに、侵入者がやってきたようじゃ」
魔女エマがその画面に向かって指を走らせると、それに合わせて映像も動いた。
映し出されているのは、陰鬱なる森の様子である。しばらく進むと、そこにひとりの人間の姿が浮かびあがった。
旅装束の、背の高そうな人間である。
その手に長剣を握りしめ、ふらふらと力ない足取りで森の中をさまよっている。その顔は、
「へー! わたしがお邪魔したときも、こうやってこそこそ覗き見していたのですか?」
「何が覗き見じゃ。この《針の森》は我の領土なのじゃから、侵入者の動向を探るのは当然の行いじゃろうが?」
そのとき、画面上に新たな存在が映し出された。
黒い、巨大な蛇である。
侵入者は、『うぬ!』とかすれた声をあげる。
『また出たか……このように寒さの厳しい地に、蛇などいるわけがない。貴様も魔なる存在であるな!』
『立チ去レ……ココハ貴様ノ居場所デハナイ……』
『黙れ! 我が剣の錆にしてくれるわ!』
侵入者が、巨大なる黒蛇に斬りかかった。
が、その刀身が触れる寸前に、黒蛇は黒い霧となって散り散りになってしまう。
侵入者がたたらを踏んで背後を振り返ると、そこにはまた黒蛇の姿が現出した。
「あー、なんだか懐かしいですねー。わたしもあの蛇さんには苦労しましたー」
「ふん。おぬしは剣を抜こうとせず、ひたすら走って逃げまどっておったな」
「はい。わたしは弟子入りを願う身であったので、なるべく剣は抜かずに済ませたかったのです」
「その割には、躊躇なく
「あー、あれは生命の危険を感じてしまったのですよねー。蛇さんや鴉さんとは、迫力が違いましたのでー」
そんな言葉を交わしている間も、侵入者と黒蛇は戦い続けていた。
というか、煙のようにつかみどころのない黒蛇を相手に、侵入者が翻弄され続けている。その姿を見やりながら、フィリアは「んー?」と首を傾げた。
「あのー、もしかしたらあの蛇さんって、攻撃する気はないのですか?」
「……どうしてそのように思うのじゃ?」
「だってあの侵入者さん、ふらふらしていて隙だらけじゃないですか。ほらほら、いまだって、後ろからがぶーって噛めたでしょう?」
魔女エマは面白くもなさそうに「ふん」と鼻を鳴らした。
「第3層までに配置しておるのは、すべて幻影の魔術じゃ。不埒な侵入者を脅して追い払うのが役割ということじゃな」
「あー、そうだったのですか! だからわたしも、危険を感じることがなかったのですかねー」
「ふん。魔術を恐れぬ大うつけには、脅しなど意味がないということかの」
そう言って、魔女エマは肘掛けに頬杖をついた。
「こやつはぞんぶんに魔術を恐れておるようじゃが……しかし、脅しに屈する気はないようじゃな。なかなかに厄介じゃ」
侵入者の斬撃が、ついに黒蛇の頭を捕らえた。
その瞬間、黒蛇は金属的な絶叫とともに、この世から消滅する。
侵入者はがくりと膝をつき、ぜいぜいと苦しげに荒い息をついた。
「この魔術をも打ち破ったか。おぬしの宝剣ほどではないにせよ、こやつもそれなりの業物を携えておるようじゃな」
「はい。あれは王国の騎士でしょうからねー。それなりの刀剣を所持できるぐらいの身分なのかもしれません」
「なに?」と、魔女エマは顔をしかめた。
「王国の騎士であれば、ぞろぞろと仲間を引き連れておるものじゃろうが? こやつは最初から、ひとりきりで我の領土に踏み込んできおったのじゃぞ?」
「あ、そうなのですか? でもでも、あの剣の柄のところには騎士の刻印が打たれていましたし、あの剣筋はきちんと剣を習った人間のものですよ。あの御方は、まぎれもなく王国の騎士だと思われますー」
「ほほう」と、魔女エマは目をすがめる。
「では、貴き血筋たるおぬしとは、何か縁ある人間であるのやもしれんな。そんな相手を見殺しにしてよいのかの?」
「それは、しかたがありません。わたしは石の都を捨てた身ですから、情をかけることはできませんしねー」
そんな風に言ってから、フィリアはいくぶん眉を下げた。
「でもでも、できれば人間がぐっちゃんぐっちゃんに叩き潰されるところは見たくないですねー。こういう侵入者は、魔女さんが傷つけても罪にはならないのですか?」
「当たり前じゃ。こやつはたび重なる警告を無視して我の領土を踏みにじっておるのじゃから、どのように裁くも我の自由じゃな」
「そうですかー。ではでは、この御方が尻尾を巻いて逃げ帰ることを祈らせていただきます」
そのとき、苦しげに息をついていた侵入者が面を上げて、痛切なる叫びをほとばしらせた。
『フィリア姫! どこにおられるのですか! 王都の騎士、アデリール=ガーデンがお救いに参りました!』
フィリアと魔女エマは、きょとんと顔を見合わせることになった。
「……どうやらこの侵入者めは、おぬしを探しておるようじゃぞ」
「はいー、どうやらそうみたいですねー。……わあ、本当にアデリール先生だあ」
頭をもたげた弾みに
「何じゃ、こやつは女人であったのか。……待て、先生じゃと?」
「はいー。わたしの剣のお師匠さんですー。アデリール先生は王都で唯一の女騎士なのですけれど、闘技会で第2位の座を授かるほどの剣士なのですよー」
「……それはまた、念入りに厄介な相手であるようじゃの」
魔女エマは、燃えるような赤髪を乱暴にかきむしった。
宙に浮かんだ画面の中で、女騎士は怒れる獅子のように爛々と双眸を燃やしていた。
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