6 絆

「おお、ようやく目覚めたか」


 フィリアがまぶたを上げると、魔女エマの不機嫌そうな顔が至近距離に迫っていた。


「魔女さん、おはようございましゅ……目覚めの接吻でありますかー?」


「うむ。もとの人格を保っておるようじゃな。これほど腹立たしい人間が他にあるわけがない」


 魔女エマがすっくと立ちあがると、それに膝枕をされていたフィリアの後頭部は、床に落ちることになった。

 分厚い敷物が敷かれているとはいえ、その下は岩盤である。ごちんと硬質の音色が響き、フィリアは「うみゃー!」とわめき声をあげた。


「痛い痛い! 魔女さん、ひどいですー!」


「ひどいのは、おぬしの精神構造じゃ」


「んんー? その罵倒は以前にもお聞きしましたよー。もう罵倒のネタが尽きてしまったのですか?」


「やかましいわ! 目が覚めたのなら、とっとと起き上がらんか!」


 フィリアは後頭部をさすりながら、身を起こそうとした。

 その途中で、「あり?」と目を丸くする。


「魔女さん魔女さん、変化の術が解けちゃっておりますよー。まさか、またわたしの眠っている間に数日が経過したりはしていないですよねー?」


「……おぬしが夢の中を漂っておったのは、ほんの四半刻ばかりじゃ」


「そうですかー。それなら、よかったです」


 敷物の上に身を起こしたフィリアは、ぐるりと視線を巡らせた。

 魔女エマもジェラも《黒き沼の魔女》もロムロムも、全員が顔をそろえている。敷物の中央には食べかけの料理も残されており、フィリアが昏倒する前とまったく変わらぬ様相であった。


「えーと……わたしは《黒き沼の魔女》さんの魔術に掛けられていたのですよね?」


「うむ。こやつがおぬしの心中を探らねば気が済まぬと言い張ってな。茶の中に眠りを誘う薬草などを仕込んでおったのじゃ」


「なるほどなるほどー。それで、お気は済んだのでしょうか?」


《黒き沼の魔女》は、「はい」と山羊の頭骨を縦に振った。


「あなた、どのような人間であるか、理解できました。あらためて、歓待させていただきます」


「そうですかー。……あの、さっきの夢の中の出来事って、他のみなさんにも見られちゃっていたのですか?」


「いえ。拝見、私のみです。ロムロムも、夢の中、打ち倒されてから、退いています」


「そうですかー! それなら、よかったですー!」


 フィリアが安堵の息をつくと、魔女エマが「なんじゃ」と仏頂面でにらみつけた。


「その様子じゃと、我らに見られたら都合の悪い醜態をさらしたようじゃな」


「えー? 都合が悪いっていうかー、ちょっと気恥ずかしいなあと思ってー」


「身をくねらせるな。気色の悪い。……しかし、おぬしがこうまであっさりと手を引こうというのは、いささか意外じゃったの」


 魔女エマの視線が、《黒き沼の魔女》へと向けられる。

《黒き沼の魔女》は、また「はい」とうなずいた。


「さしあたって、危険はない、判じました。……行く末、どうなるか、不明ですが」


「ふん。おぬしのことじゃから、こやつと鯰の魂を取り換えるぐらいのことはしでかしそうに思っておったのじゃがの。まったく、残念なことじゃ」


「魂、入れ替えますか?」


「いえいえ! わたしはこの身体を気にいっておりますゆえにー!」


「そうですか」と、《黒き沼の魔女》はロムロムを振り返る。


「では、歓迎の晩餐、再開しましょう。ロムロム、料理、温めなおしてください」


「は、はい!」と立ち上がってから、ロムロムはおずおずとフィリアを見た。


「あ、あの……さきほどは、大変失礼いたしましたのです……」


「いえいえ、こちらこそ! あなたも痛い思いをしたりはしていないのですよね?」


「は、はい。あれはあなたの夢の中でしたので、痛みを感じるのはあなただけなのです」


「それなら、問題ありません! わたしも怪我をしたりはしていないようですし!」


 フィリアは、にっこりと微笑んだ。

 ロムロムも、つられたように弱々しく微笑む。


「そ、それでは料理を温めなおすのです。しばしお待ちいただきたいのです」


「はーい! 夢の中で暴れたら、すっかりおなかが空いちゃいました! 料理、楽しみにしていますねー!」


 ロムロムが、煮物や汁物料理の大皿を盆にのせて、厨房へと引っ込んでいく。

 その後ろ姿を見送ってから、魔女エマはフィリアの笑顔をねめつけた。


「おぬしも、大した心臓じゃな。普通は心の奥底まで覗かれたら、そのようにへらへらと笑ってはおれんはずじゃぞ」


「えへへ。わたしは普段から、思ったことをぜーんぶ口にしちゃってますからねー。べつだん、気にならないですー」


「ほう。それならどのような醜態をさらしていたのか、事細かに聞かせてもらおうかの、《黒き沼の魔女》よ」


「あー、ちょっとお待ちを! それとこれとは、話が別ですー!」


「何が別じゃ。何も恥じるところはないのじゃろうが?」


「それは、あれです! 浴室で裸を見られても恥ずかしくはないけれど、それ以外の場所で裸をさらすのは恥ずかしい! みたいな感じです!」


「おぬしの貧相な裸なんぞに興味はないわい」


 魔女エマはぶすっとした面持ちで、あぐらをかいた自分の膝に頬杖をついた。

 そこで《黒き沼の魔女》が、「よろしいですか?」と声をあげる。


「私、お詫びの言葉、捧げたく思います」


「え? お詫びの言葉って、何についてですかー?」


「あなた、欺き、眠らせたことです。私、卑劣であった、思います。謝罪、受け入れていただけますか?」


「もちろんですー! あなたとも仲良くさせてもらえたら、わたしはとっても嬉しいですよー?」


「そうですか」と、《黒き沼の魔女》は山羊の頭骨の左右から生えのびた角に手をかけた。

 山羊の頭骨が敷物に下ろされて、その下に隠されていた素顔が衆目にさらされる。


「私、《黒き沼の魔女》、真名、ラクーシャ=スヤ=インドゥラティカです。《針の森の魔女》の客分、フィリア。絆、結ばせていただけたら、幸いです」


 感情の欠落した声で、魔女ラクーシャはそのように述べたてた。

 まなじりの切れ上がった目には、その長い髪と同じく白銀の光が灯されている。筋の通った鼻梁に、薄い唇をしており、その肌は炭を塗ったように黒く、頬には灰色の紋様が刻まれている。魔女エマと同じように10歳ていどの年齢にしか見えないが、そのほっそりとした面は人形のように端正で、無表情であった。


「うわあ、ラクーシャさんは、ものすごく可愛いお顔をされていたのですね!」


「可愛い、ですか? その評価、初めてです」


「えー、可愛いですよ! こっちの魔女さんにも負けないぐらいです!」


「そうですか。普段、美しい、言われています」


 魔女エマが、「かーっ」と不満げに咽喉を鳴らした。

 魔女ラクーシャは白銀の髪を揺らしながら、小首を傾げる。


「それで、如何でしょうか?」


「はい? 何がですかー?」


「絆、結んでいただけますか? 魔術の世界、言葉、重要です」


「はいはい、もちろんですー! お友達、ということでよろしいのでしょうか?」


「はい。それで、かまいません。友人として、あなた、行く末、見守りたい、思います」


 そう言って、魔女ラクーシャはわずかに目を細めた。

 その白銀の瞳は、フィリアが夢の中で見たときと同じように、とてもやわらかい光をたたえているようだった。

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