3 歓迎の晩餐
「そ、それでは晩餐の準備を始めるのです」
魔女エマ、ジェラ、フィリアの3名が着席すると、従者のロムロムは壁の岩盤の裂け目に姿を隠した。
魔女エマは《黒き沼の魔女》の姿を真っ直ぐに見返しており、ジェラは従者らしく目を伏せている。そして兎の顔をしたフィリアは、いつまでも物珍しげに視線をさまよわせていた。
「……たかだか従僕を迎えたぐらいで祝いの晩餐とは、ずいぶん豪気じゃの、《黒き沼の魔女》よ」
魔女エマが何気ない口調で切り込むと、《黒き沼の魔女》は山羊の頭骨を傾げた。
「そうでしょうか? 従僕、我々、同胞です。新たな従僕、召し抱える、大きな喜びです」
「ふん。しかしこやつが従僕などでないことは、あの気弱な従僕めにも伝えたはずじゃな」
「はい。従僕でなく、客人である、聞きました。いささかならず、不可解な話です」
「そうじゃろうな。見ての通り、こやつは石の都の住人に他ならん。どうしてそのようなものを客人に迎えておるのかと、おぬしはそれをいぶかっておるのじゃろう?」
「はい。ですが、私、《針の森の魔女》、信頼しています」
あくまで感情の感じられない声音で、《黒き沼の魔女》はそのように述べたてた。
「あなた、短慮にして直情的です。目先の欲求にとらわれて、足を踏み外す、しょっちゅうです。魔術の力、卓越しているのに、精神の成長、ともなっていません。野蛮で、強欲で、幼稚で、浅はかです。……でも、魔術師の誓い、破るとは思いません」
「ほう……ずいぶんとまた、長々とこき下ろしてくれたもんじゃのう」
「はい。私、あなた、好ましく思っています。人間、反対の存在、心をひかれるものであるのでしょう」
「誹謗中傷のついでに自画自賛か!」
魔女エマは敷物に座したまま、地団駄を踏んだ。
そして、右手側のフィリアへと視線を向ける。兎の顔をしたフィリアは、声を殺して笑っていた。
「……我の周りは敵ばかりじゃ。ジェラ、援護をせよ」
「はい。恐れ多くもエマ様は、この世に存在する人間の中でもっとも清廉潔白にして非の打ちどころのない御方でございます。その内には誰よりも純真なる魂が秘められており、見目は麗しく、魔術師としても至高の存在であり――」
「もうよい。かえって虚しい気分になってきたわ」
魔女エマは金色の目を強く光らせながら、《黒き沼の魔女》へと視線を戻した。
「で? おぬしはこやつをどうしようという目論見であるのじゃ?」
「はい。客人、歓迎させていただきたく思います」
「何でじゃ! こやつは、石の都の住人であるのじゃぞ?」
「はい。ですが、《針の森の魔女》、悪辣な人間、客人として招くこと、ないでしょう。私、あなた、信頼しています」
「……おぬしが何の企みもなしに、石の都の人間を信じようというのか?」
「私、信じる、あなたです。あなた、大事な同胞です」
そのように言ってから、《黒き沼の魔女》はゆっくりとフィリアのほうに視線を向けた。
「石の都の住人、信じる、難しいです。よって、素顔と真名、隠しています。ご了承ください」
フィリアは門歯を剥き出しにしながら、片方の目だけをばちっとつぶった。
《黒き沼の魔女》は、不思議そうに山羊の頭骨を傾ける。
「客人、言葉、不自由なのですか? 私も、西の言葉、不自由ですが」
「いや。こやつは言葉だけで他者の殺意をかきたてることのできる特異な能力を持っておるので、いっさい喋るなと言いつけておいたのじゃ」
「なるほど。言魂の術式ですか?」
「そんなご大層なものではないわい」
魔女エマが仏頂面で答えたとき、ロムロムがようやく戻ってきた。
が、その上半身はほとんど隠されてしまっている。彼女は両手に大きな皿を掲げており、そこに巨大な肉塊がのせられていたのだった。
「お、お待たせしましたのです。主菜をお持ちしたのです」
主人と客人たちとの間に、その皿がそっと置かれた。
そこに鎮座ましましていたのは、こんがりと炙り焼きにされた、6本足の山羊の丸焼きであった。
「の、残りの料理もすぐにお持ちしますので、少々お待ちいただきたいのです」
ロムロムはよたよたと、いまにも転んでしまいそうな足取りで、広間と厨房を何往復もした。
さまざまな料理ののせられた皿が、次から次へと運び込まれてくる。フィリアは兎の耳をぴこぴこと動かしながら、いまにも歓呼をあげてしまいそうな様子であった。
「それでは、お召し上がりください。ロムロム、心尽くしです」
最後の皿を運び終えたロムロムが着席すると、《黒き沼の魔女》がそのようにうながした。
フィリアは喜び勇んで木匙をつかみ取ったが、すぐに心配げな眼差しを魔女エマに送る。魔女エマは気のない表情で、ぷらぷらと手を振った。
「こやつがおぬしを殺めるとしても、食事に毒を混ぜたりはせん。それでは罪もなき人間を騙し討ちにすることになるからの」
「はい。石の都の住人であっても、罪なき人間、殺めること、許されません」
フィリアは瞳を輝かせると、《黒き沼の魔女》のほうに深々と一礼してから、手近な皿を引き寄せた。魚と香草の煮込み料理である。
「黒き沼、棲息する、鯰です。泥抜き、十全ですので、美味です」
木匙で簡単に切り分けられるぐらい、鯰の身はやわらかく煮込まれていた。
それを口にしたフィリアは、うっとりと目を細めたのちに、ぶんぶんと手を振った。
「満足いただけたようで、何よりです。そちら、蛇肉と山菜、茹でた料理です。黄色の果実、果汁、絞ると美味です」
はしゃぐフィリアを横目に、魔女エマとジェラも食事を開始した。
その間に、ロムロムは山羊の丸焼きの解体を始めている。使用している刃物は、やはり黒光りする石刀であったが、山羊の巨大な身体は見る見るうちに細かく切り分けられていった。
「黒山羊の炙り焼き、味付け、塩のみですが、とても美味です。客人、脳、目玉、召し上がりください」
「ふん。たった5人で、1頭の山羊を食いきれるかの」
「ご心配、無用です。ロムロム、10人前、たいらげます」
ロムロムは「うにゃあ」とおかしな声をあげて照れていた。
どろりとした褐色の煮汁をすすっていたジェラが、感じ入ったように息をつく。
「こちらの汁物料理は馴染みのない味ですが、とても美味ですね。美味ですし、豊かな滋養を感じます」
「そ、それは、こちらの山羊の臓物を、ぎょしょーと一緒に煮込んだ料理なのです」
「ぎょしょー? ああ、魚醤ですか。さすが、魚の扱いには長けたものですね」
「は、はい。この辺りは沼だらけですので、魚には事欠かないのです。足をのばせば、岩塩もいくらでも手に入るのです」
「素晴らしいお手並みです。自分の至らなさを口惜しく思うほどです」
ジェラの言葉に、ロムロムはぷるぷると首を横に振った。
「と、とんでもないのです。僕なんて、ジェラにはまったくかなわないのです」
「何がかなわないというのです? あなたは魔女の従者として、申し分ない力量をお持ちではないですか」
「で、でも……ジェラは、こんなにお綺麗なのです」
ジェラは、がっくりと肩を落とした。
「容姿の如何を軽んじるわけではありませんが、従者としての資質こそが肝要でありましょう」
「ぼ、僕なんて、いつも失敗まみれなのです。ご主人にも迷惑をかけっぱなしであるのです」
「いえ。ロムロム、優秀です。私、誇りに思っています」
ロムロムは「あうう」と縮こまってしまった。
なんとも和やかな様相である。
そんな中、山羊の丸焼きをむさぼり喰らっていたフィリアが、きょときょとと視線を巡らせる。それに気づいた《黒き沼の魔女》が、手もとの土瓶をそちらに差し出した。
「火酒です。よろしければ、どうぞ」
フィリアは胸の前で手を組み合わせると、兎の顔をかくんと傾げた。
それを真似るように、《黒き沼の魔女》も首を傾げる。
「何でしょう? 意思の疎通、難しいです」
「おそらく、謝罪を示しておるのじゃろ。そやつは酒をたしなまんのじゃ」
「そうでしたか。では、茶をどうぞ」
主人の視線にうながされて、ロムロムが硝子の杯に茶を注いだ。淡い緑色をした、清涼な香りのする茶である。
その杯を押し抱くようにして受け取ったフィリアは、ひと息に半分ほどを飲み干して――そして、声もなく後ろにひっくり返った。
「何じゃ! こやつに何を飲ませたのじゃ!?」
「心配、無用です。眠り、うながすための、薬茶です」
《黒き沼の魔女》は、落ち着き払った声でそのように答えた。
薬茶の瓶を抱えたまま、ロムロムは申し訳なさそうに眉を下げている。
「この娘、信頼、値するかどうか、見極めさせていただきます。こちら、必要な措置です」
「じゃったら、最初からそのように言えばよかろうが! これでは、騙し討ちじゃ!」
「しかし、必要な措置です。石の都の住人、相容れぬ存在であるのです」
怒り心頭の魔女エマを、《黒き沼の魔女》は静かに見返している。
しかし、山羊の頭骨の眼窩の奥では、銀色の瞳が魔女エマと同じぐらい強い輝きをたたえていた。
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