6 怒れる魔女

 魔女エマとジェラとフィリアの3名は、ようやく町の端まで辿り着いた。

 が、そこに待ち受けていたのは、背の高い木の塀である。この町は、四方をこの塀で守られているのだ。


「太陽の位置からして、ここが西の端ですよねー。この塀の向こうに、お墓があるわけですか」


「うむ。屍鬼グールが塀を乗り越えた形跡はないから、どこぞに門でもあるのじゃろう」


 そのように言いながら、魔女エマは頭巾フードの下で眉をひそめた。


「しかし……この方向に、首魁めの魔力は感知できん。どうやら地の底にでも潜ってしまったようじゃな」


「え? それじゃあ、どうするのです?」


「根を断つことはかなわなくなったが、草葉は枯らすしかあるまい。この地の妖魅をすべて焼き尽くしてやれば、首魁めも魔力を得ることはできなくなるのじゃから、ひとまずは上々じゃ」


「なるほどー。前線の兵士たちを置き去りにして、指揮官だけが逃げてしまったようなものですかー。それで指揮官が逃げのびたとしても、また兵力をかき集めるのはひと苦労ですものねー」


 魔女エマは、うろんげにフィリアを見下ろした。


「今日のおぬしは、頭の巡りが違っておるようじゃな。悪いもんでも喰ろうたのかの」


「朝から魔女さんたちと同じものしか食べておりませんよー。見習いの弟子として、これぐらいは……あ、いえいえ、何でもございません!」


「ふん。小憎たらしい娘じゃの」


 魔女エマは、ジェラのほうを振り返った。


「それでは、妖魅どもの後始末じゃが……おぬしも、わきまえておろうな?」


「はい。あちこちに散らばっていた妖魅の気配が、こちらに集まってきているようです」


「うむ。こちらにとっても好都合じゃが、いささか数が多すぎるようじゃの。これだけの数をいっぺんに相手にしておったら、そこらの家まで燃やしてしまいそうじゃ」


 魔女エマはしばらく思案してから、「よし」とうなずいた。


「おぬしは南、我は北で分かれるのじゃ。くれぐれも、油断するのではないぞ?」


「承知いたしました。我が主の期待に応えてみせましょう」


 そのように言い捨てるなり、ジェラは狼さながらの俊足で南の方角に駆け去っていった。

 魔女エマは杖の先でフィリアの頭を小突いてから、北の方角に足を向ける。


「もたもたするな。我らも移動するのじゃ」


「はーい。だけど今回は、下っ端の妖魅ばかりだから――」


 フィリアがそのように言いかけたとき、家屋の陰から屍鬼グールが跳びかかってきた。

 これまでの屍鬼グールとは比べものにならぬほどの、俊敏な動作である。フィリアは「うひゃあ!」と悲鳴をあげながら、その場に尻もちをつくことになった。


 すかさず繰り出された魔女エマの杖によって、屍鬼グールは弾き返される。

 家屋の壁に叩きつけられた屍鬼グールは、地鳴りのごとき咆哮をあげた。

 顔からは血の気が引いており、首筋からわずかに血を流している他は、どこにもおかしなところのない人間の姿である。ただしその目は、青い燐光のような輝きを宿していた。


「生きた人間が首を噛まれて、屍鬼グールと化してしまったのじゃな。下っ端の妖魅ばかりじゃから、何じゃと?」


「ぜ、前言は撤回いたしますー。あの、蛙さんみたいな妖魅よりは厄介みたいですねー」


「ふん。死者が相手であれば手加減はいらぬから、べつだん厄介ではないがな」


 屍鬼グールは獣のように身を屈めると、再び跳びかかってきた。

 その鼻先に、魔女エマは深紅の飛沫を投げつける。

 呪文の詠唱により、その屍鬼グールもまた滅びの炎に包まれた。


「おぬしがぐずぐずしておったから、すっかり取り囲まれてしまったようじゃの。ここで始末をつける他なさそうじゃ」


 魔女エマは身を屈めると、金色に光る石塊を地面に埋め込んだ。

 そして、その場所に左の手の平をあてがうと、小声で呪文を唱え始める。

 フィリアはその背後に身をひそめながら、兎の目できょときょとと周囲を見回した。


「だ、大丈夫ですかー? あちこちから、妖魅のうめき声が近づいてきてるみたいですけどー」


 詠唱の途中であるために、魔女エマは答えない。

 フィリアは頭巾フードを背中のほうにはねのけると、長い耳を揺らしながら、いっそう慌ただしく視線を巡らせた。


「そ、それに何だか、ものすごく重たいものを引きずってるような音も聞こえてるみたいですー。本当に、妖魅の首魁は逃げちゃったのですかー?」


「…………」


「まあ、わたしの生命はこの際どうでもいいですけどー、魔女さんには大事な使命があるのですから……きゃーっ!!」


 フィリアは、悲鳴をほとばしらせた。

 家屋の陰から、ありうべからざるものが姿を現したのだ。


 それは、天を突くような巨人であった。

 体長は、フィリアの倍以上もあっただろう。2階建ての家屋の屋根に届きそうなほどの巨体である。

 しかもそれは、人間の屍骸で構成された巨人であった。

 腐りかけた屍骸がどろどろとからみ合って、巨人の姿を作りあげていたのだ。


 いったい何十体の屍骸をこね合わせたら、これほどの巨人を作りあげることがかなうのだろうか。

 巨人の肉体のあちこちから、半ば溶け崩れた人間の手足が生えている。頭や、腸も垂れ下がっている。数十体の屍骸から発せられる腐臭が、その場の空気を一瞬で澱ませていた。


 そして、北や南の方角からは、別なる屍鬼グールどもも集まってきている。

 西の側は塀であり、東の側からは屍骸の巨人が迫り寄ってきているので、もはやどこにも逃げ場はなかった。


「ま、魔女さん魔女さん! けっこうな窮地であるみたいですよー? まだ魔術は完成しないのですかー?」


「……やかましいのう。こんな木っ端どもに、我が後れを取るとでも思っておるのか?」


 不敵な言葉をもらしながら、魔女エマはようやく身を起こした。

 その金色の瞳は、爛々と燃えさかっている。


「術式は、完成した。……いでよ、大地の精霊! 《針の森の魔女》に、その力を貸し与えたまえ!」


 ふたりの目の前で、土の地面がぼこりと盛り上がった。

 見る見る間にそれは小山のごとき大きさとなり、そして巨人の姿を作りあげる。それは、かつてフィリアの前に立ちはだかった土の巨人、泥人形ゴーレムであった。


「えー、泥人形ゴーレムさんですかー? あんまり頼りにならなそうですねー」


「……大地の精霊がおぬしを地中に連れ去ろうとしても、我は助けぬからな」


 泥人形ゴーレムは地鳴りのごとき咆哮を轟かせるや、屍骸の巨人へと近づいていった。

 屍骸の巨人と泥人形ゴーレムの大きさは、ほぼ同程度である。泥人形ゴーレムがその巨大な拳で屍骸の巨人を殴打すると、青黒い腐汁や人間のちぎれた手足が空中に飛散した。


「本来、屍鬼グールを相手取るには、火の魔術こそが有効なのじゃがな。この町を焼き滅ぼさずに済ませるには、そうも言っておられまい」


 そんな風に言いながら、魔女エマは深紅の飛沫を頭上にばらまいた。

 それから杖を旋回させると、炎の渦がふたつに分かれて、南北から迫り寄っていた屍鬼グールどもを焼き尽くしていく。


「魔力を惜しまねば、大地の魔術でも屍鬼グールを滅ぼすことはかなう。あのでかぶつめは泥人形ゴーレムに任せて、我は木っ端どもの殲滅じゃ」


「ふーん、へーえ。あの泥人形ゴーレムさんは、なかなかお強いみたいですね! わたしが斬り伏せた泥人形ゴーレムさんとは、ひと味違うみたいですー」


「……いや、寸分違わず同じ存在であるはずじゃが」


「えー、そうなのですかー? だったら、わたしの宝剣ってものすごい力を持ってるのですねー」


 魔女エマの仏頂面を見上げながら、フィリアは兎の顔で微笑んだ。

 その目が、きょろんと丸くなる。


「魔女さん、あぶなーい!」


「わー、何をするのじゃー!」


 フィリアは本物の兎さながらに跳躍すると、魔女エマのくびれた腰に体当たりをした。

 背中から倒れた魔女エマは「うぬぬ」とうめいてから、半身を起こす。


「おぬし! 我にも我慢の限度というものが――!」


 そこで魔女エマは、後の言葉を呑み込むことになった。

 腹這いで倒れたフィリアの背中が、丸太の杭で串刺しにされていたのだ。

 その杭を抱きすくめるようにして、フィリアの背中にまたがっていたのは、腐りかけの屍鬼グールであった。背の高い背後の壁から、杭を抱えて飛び降りてきたのだろう。

 フィリアは兎の長い耳をぴこぴこと動かしながら、魔女エマを見上げてきた。


「ううう、痛いですー……魔女さん、お怪我はありませんかー?」


 門歯の目立つその口から、大量の鮮血が噴きこぼれる。

 魔女エマは金色の双眸を炎のように燃えあがらせるや、そのしなやかな右足を振り上げて、杭にしがみついた屍鬼グールを蹴り飛ばした。


 屍鬼グールはごろごろと地面を転がっていき、魔女エマはそちらの方向に赤いきらめきを投げつける。

 屍鬼グールは凄まじいまでの炎に焼かれて、一瞬の内に灰燼と成り果てた。


 それを見届ける前に、魔女エマはフィリアの腰のあたりを踏みにじり、左腕一本で杭を引き抜く。

 噴水のように鮮血が噴出し、フィリアに「うきゃー!」と悲鳴をあげさせた。


「魔女さん、ひどいですー……殺すときは、痛くしないでって……」


「やかましいわ! 余計な口を叩くでない!」


 血まみれの杭を放り捨てた魔女エマは、外套マントの内から玉虫色の宝珠を取り出した。

 子供の拳ほどもありそうなその宝珠を、フィリアの背中に空いた穴の中に、ぐりぐりと押し込んでいく。フィリアは「あうう……」という弱々しげな声とともに、がくりと意識を失うことになった。


 宝珠がぴったりと埋め込まれたことで、傷口からの出血は止まっている。

 さらに、魔女エマが呪文を詠唱すると、宝珠が玉虫色の輝きを放って、フィリアの全身を包み込んだ。


「……運がよければ、魂を返さずに済むじゃろう」


 低い声でつぶやきながら、魔女エマはフィリアの頭をそっと撫でた。

 それから身を起こし、燃える双眸で周囲を見回していく。北と南の方角からは、また新たな屍鬼グールどもが迫り寄ってきていた。


 魔女エマの妖艶なる唇が、きゅうっと半月の形に吊り上げられる。

 それは、魔女の名に相応しい凄絶なる笑みであった。


「かかってくるがいい、醜悪なる妖魅どもめ! 貴様らの痕跡など一片も残さずに、灰燼となるまで焼き尽くしてくれるわ!」


 魔女エマは、懐に差し込んだ左手を大きく振り払った。

 妖しいきらめきを帯びた深紅の飛沫が、天を覆わんばかりに撒き散らされる。

 そうして魔女エマが呪文を唱えながら杖を振りかざすと、そこには巨大な竜のごとき炎の濁流が生まれ出た。

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