5 死者の町

「開けて! 開けてよぉ! か、怪物が出たのよぉ!」


 大きな通りに面した家の前で、若い女が叫んでいた。手の平で何度となく戸板を叩いているが、内から答える者はない。

 そして、魔女エマたちとは逆の方向から、娘に近づこうとしているものがあった。

 両足を引きずるようにして、のろのろと道を歩いている。半ば腐りかけた人間の屍骸、屍鬼グールである。


「我が主よ、私が始末いたしましょうか?」


「ふん。それでは、やってみるがよい」


 魔女エマは娘が取りすがっている家の前で足を止め、ジェラだけが屍鬼グールのもとへと駆け寄っていく。

 ようやく魔女エマに追いついたフィリアは、自分の両膝に手をやりながら、「ふいー」と息をついた。


「決して離れるなとか言いながら、魔女さんも従者さんも足が速すぎですよー。足が長くなったぶん、余計に速く走れるようになったのではないですかー?」


「やかましいわい。しばらく黙っとれ」


 両名がそんな言葉を交わしている間に、ジェラも足を止めた。

 すでに屍鬼グールは目の前である。


 ジェラは毛皮の外套マントの内に手をやると、そこから鈍い銀色に輝く鎚鉾メイスを取り出した。

 ごく小さな、装飾品のような鎚鉾メイスである。その先端には赤い宝石が埋め込まれているので、とうてい本来の用途である殴打には使えないだろう。


 ジェラが口の中で呪文をつぶやきながら、その鎚鉾メイス屍鬼グールのほうに突きつけると、赤い宝石から炎の鞭が生まれいで、敵の肉体をからめとった。


「うわあ、魔術ですー! やっぱり従者さんも、魔術が使えるんじゃないですかー!」


「黙っておれと言うておろうに。あれは、我が貸し与えた力じゃ。あやつに真なる意味で魔術を使うことはできん」


 それでも精霊のもたらした炎は、あっという間に屍鬼グールを焼き尽くしていた。

 先ほどの屍鬼グールと同じように、底ごもる断末魔をほとばしらせながら、路上にくずおれる。そのおぞましい様相に、気の毒な娘は「ひいっ」と悲鳴をあげていた。


「さて、それでは話を聞かせてもらおうかの」


 魔女エマは、娘のほうに近づいていった。

 娘は閉ざされたままの戸板に背中をへばりつかせて、がたがたと震えている。


「おい、娘。この地の墓場はどこにあるのじゃ?」


 娘は真っ青になりながら、魔女エマを振り返った。


「あ、あなたたちは何なのですか? さっきのあの怪物は……」


「問うておるのは、我のほうじゃ。素直に答えぬと、おぬしも炎で浄化してやるぞ」


 娘は、慄然と身をすくめた。


「あ、あなたのその姿……まさか、あなたは……」


「ほう、このような地にまで、我の名は鳴り響いておるのか? 左様、我こそが《針の森の魔女》じゃ」


 娘は戸板にもたれたままずるずるとへたり込むと、懇願するように両手を組み合わせた。


「ど、どうかお生命だけは……わたしは決して、あなた様に仇なすものではありません!」


「じゃったら、我の問いに答えるがよい。墓場は、どこじゃ?」


「は、墓場と定められたわけではございませんが……魂を返した死者の肉体は、西の荒れ地に葬っております」


「西か」と、魔女エマはきびすを返す。

 フィリアは気の毒な娘をちらりと見やってから、それを追いかけた。


「あのー、あそこで一言、『我が助けてくれようぞ』とでも言っておいたら、丸く収まるのではないでしょうか?」


「やかましいわい。我は石の都の住人どもを救っておるわけではないと、なんべんも言うておろうが」


「でもでも、余計な誤解は避けるべきじゃないですかー? これだとまた、この騒ぎは魔女さんが招いたものだと思われてしまいますよー?」


 魔女エマは、金色に光る目でフィリアを見下ろした。


「また、ということは、おぬしは他にも我の風聞を耳にしておるということじゃな」


「それは当然ですよー。わたしはそういう風聞をかき集めて、数ヶ月がかりで魔女さんの居場所を突き止めたのですからねー」


「ふふん。魔女を滅ぼさんとする王国の騎士たちよりも、おぬしのほうが鼻がきくということじゃな」


 ジェラのもとへと歩を進めながら、魔女エマはにやりと不敵に笑った。


「そんな悪名にまみれた我に弟子入りを願おうなどとは、まこと酔狂な娘じゃな、おぬしは」


「はいー。どんなに邪悪なお人であっても、魔女さんはこの王国でただひとりの魔術師とされていましたからねー。選択の余地はありませんでしたー」


「うむ。他の魔女らは、他の王国を根城にしておるからの」


「ええ。だけどわたしは、この王国を根城にする魔術師が魔女さんでよかったと、心から思っておりますよー。魔女さんが災厄の権化だなんていう風聞も、みーんな嘘っぱちでしたしねー」


 魔女エマは、おかしな形に眉をひそめながら、フィリアの頭を杖で小突いた。


「じゃから、鼻をひくひくと動かすな。その仕草は腹立たしくてならんのじゃ」


「あはは。でも、わたしをこの姿に変化させたのは魔女さんですよねー?」


「それは、おぬしが留守番を拒絶したからじゃろうが。まったく、厄介な娘じゃな」


 おもいきり顔をしかめつつ、魔女エマは幼子のように舌を出す。

 そうしてジェラのもとまで到着すると、狼の顔貌をした従者は足もとでぶすぶすと燻る屍鬼グールの姿を鎚鉾メイスで指し示した。


「主からお借りした魔道具の術式で、問題なく滅殺できるようです。一体一体は、大した力を持つ妖魅ではないようですね」


「それはそうじゃ。問題なのは、その数であろうよ。おそらくは、墓場に埋められておった屍骸が、のきなみ妖魅に憑依されたのじゃろうからな」


 そう言って、魔女エマは西の方角に足を向けた。


「妖魅の首魁めが潜んでおるのも、その墓場の近在じゃろう。行きあう妖魅を片付けながら、首魁めのもとに向かうぞ」


「承知いたしました、我が主よ」


 3名は、街路を西に辿り始めた。

 それなりの規模を持つ町であるのに、この辺りはしんと静まりかえっている。生きた人間とすれ違うこともなく、姿を現すのはいずれも醜悪なる屍鬼グールであった。


「住民どもは異変を察して、家の中に引きこもっておるのじゃろうな。こちらとしては、好都合じゃ」


「はいー。だけどこれじゃあ、変化の術を使った甲斐がありませんねー」


「ひとりは生きた人間と出くわしておるのじゃから、無駄にはなっておらんわい」


「でもでも、その妖艶なるお姿をみんなに見せつけたい! というお気持ちも、ちょっとはあったのではないですかー?」


「あるか、そんなもん!」


 フィリアと軽口を交わしながら、魔女エマは次々と屍鬼グールを焼き尽くしていった。

 屍鬼グールは動きが鈍いので、身を守るすべを持たないフィリアにも危険が及ぶことはなかった。なにせ屍鬼グールというのは、おおよそが腐りかけの屍骸であったのだ。ひどいものなどはほとんど白骨同然の姿で、わずかばかりの肉片を地面にこぼしながら、ずるずると地を這いずっていたのだった。


「だけど、わからないですねー。妖魅はいったいどのような目論見で、人間の亡骸なんかに憑依しているのですか?」


「これは、いわゆる繁殖じゃ。屍鬼グールに殺められた人間もまた屍鬼グールに成り果てるので、その数が増えれば増えるほどに、首魁の妖魅めは魔力を高めることがかなう。おぬしたち石の都の住人と同じようなもんじゃろう」


「えー? わたしたちは、どこも腐ってないですよー?」


「しかしおぬしたちは、そうやってこの大陸にはびこっておる。人間の数が増えれば増えるほどに、首魁――王国の王は、力を増すのじゃろう? 一は全にして全は一なりという真理は、人間にも妖魅にも当てはまるということじゃな」


 速足で街路を進みながら、フィリアは「うーん?」と首を傾げる。


「それはつまり、人間が自然を切り開いて文明の領土を広げたり、敵対国の領土を侵略したりするのと同じようなものである、ということなのですかー?」


「ほう。珍しく察しがよいではないか」


「なるほどー。ではでは、妖魅がそうやって魔力を高めることに、どういった意味や目的が存在するのです?」


「じゃったら、石の都の住人は、どういった意味や目的のもとに領土を広げておるのじゃ?」


「えーと、それは……たぶんですけど、より豊かな暮らしを手にするためなのではないでしょうか?」


「じゃったら、妖魅もそうなのじゃろうよ。しかし、人間と妖魅は相容れぬ存在であるので、おたがいの侵略から我が身を守らねばならんのじゃ」


 言いざまに、魔女エマは左腕を振り払った。

 建物の陰から現れようとしていた屍鬼グールが、一瞬で炎に包まれる。逆の側から近づいてきていた屍鬼グールは、ジェラが鎚鉾メイスを振るって焼き滅ぼした。


「うーん。それでもって、妖魅というのは魔術師にとっても敵となるわけなのですか?」


「仕事の最中に、やかましいのう。……妖魅も精霊も力の根源は同一じゃが、人間に妖魅を従わせることはできん。というか、人間に制御できない魔なる存在こそが、妖魅と定義されるのじゃ。それは最初の夜にも説明したじゃろうが?」


「あのときは、石の都の住人にとっての妖魅、というお話だと思って聞いていたのです。魔術師にとっても、それは同じことなのだとすると……妖魅というのは、いったい何なのでしょう?」


「それは、人間とは何か、という問いと同一であるのじゃろうよ。人の子の手には余る命題じゃ」


 魔女エマの返答は、素っ気なかった。

 しかし兎の顔をしたフィリアは、満足したようににぱっと笑う。


「なんだか今日は、魔女さんがあれこれ語ってくださるので、楽しいです! 無理を言ってついてきた甲斐がありましたー!」


「ふん。我らが不愉快な思いをすればするだけ、おぬしの心は満たされるようじゃな。まこと災厄の権化のごとき娘じゃ」


 そんな風に語りながら、魔女エマは何やら笑いをこらえているような面持ちになっていた。

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