4 清めの炎

 魔女エマの生み出した光の門ゲートをくぐると、そこは小高い丘の上だった。

 眼下には、それなりの規模を持つ町の様相が見て取れる。食事の準備でもしているのか、あちこちから白い煙がたなびいていた。


「へー、けっこうたくさんの人たちが住んでそうですねー。やっぱりお家は、石造りじゃなくて木造りですけれど」


「ふん。妖魅がわいて出るような地は、辺境の区域と相場が決まっておるからの」


 妖艶なる女の姿をした魔女エマは、憎々しげに言い捨てた。


「逆に言えば、そういった地はいまだ精霊と妖魅の領土であるということじゃ。そこにずかずかと踏み込んだりしなければ、妖魅に脅かされることもなかろうにな。まったく、愚かな者たちじゃ」


「そんなこと言って、またあそこに住んでいる人たちを助けてあげるのでしょー? 魔女さんって素直じゃないですよねー」


「じゃからそれは、この世の相を正すためじゃと言うておろうが! 魔術師も精霊も妖魅も、ひとまずは滅びの運命を受け入れなければ、正しき行く末を迎えることもかなわぬのじゃからな!」


「うふふー。そんなにムキにならないでくださいよー」


 長い耳をぴこぴこと動かしながら、小さな鼻をひくつかせる。兎と化したフィリアの顔を見下ろしながら、魔女エマはこめかみに青筋を走らせた。


「本当に、殺意をかきたててやまない姿じゃな……その憎たらしい顔を、とっとと頭巾フードで隠すがいい!」


「えー? せっかく変化したのに、隠しちゃうのですかー?」


「そんな姿の化け物がのこのこ歩いておったら、石の都の人間どもが余計に騒いでしまうわ! 素顔さえさらさなければ、こちらの用事は足りるのじゃ!」


 わめきながら、魔女エマも外套マント頭巾フードを深くかぶった。

 狼の顔をしたジェラのほうは、とっくに身支度を済ませている。が、黒い狼が黒い毛皮の頭巾フードをかぶっているという、なかなかに珍妙な姿である。

 そちらを見やったフィリアは、不思議そうに小首を傾げた。


「従者さんは、お鼻がにょっきり飛び出しちゃっておりますよー? これじゃあバレバレじゃないですかー?」


「これは恐ろしげな姿をちらりと垣間見せることで、威嚇の効果を狙っておるのじゃ。下手に騒がれるのは厄介じゃが、魔術師としての威厳と風格は示さなければならんからの」


「なるほどー。だから魔女さんは、そういう立派なお姿に化けたのですね!」


「……我の真なる姿には、威厳も風格も備わっておらんと言いたげじゃな」


 兎のまん丸い目がきゅっとつぶられて、2本の門歯が剥き出しにされる。

 魔女エマは、頭巾フードの陰で金色の瞳を燃やした。


「なるほど……そのように醜悪な笑顔をさらしてでも、虚言を吐かぬという信念をつらぬこうというのじゃな」


「てへへ」


「……我が禁忌を犯す前に、そのおぞましき顔貌を頭巾フードに隠すがよい」


「はーい」と、フィリアは頭巾フードを引っ張り上げた。

 が、どれほど深くかぶっても、2本の耳がぴょこんと前側から飛び出してしまう。


「あのー、こちらの耳が視界の妨げとなってしまうのですが」


「そうか。ならば、我が解決してやろう」


「あ、絶対に耳を切り落とすおつもりですよね? 変化の術を解いたとき、それはわたしの肉体にどのような影響を与えるのでしょう?」


「知らん。前例がないからの」


 魔女エマが据わった目つきで足を踏み出そうとすると、ジェラがそれよりも早く進み出た。


「エマ様までもが禁忌を犯してしまったら、またこの娘に贖いを果たさなければなりません。それは本意ではありませんでしょう?」


「じゃったら、おぬしがなんとかせい!」


「承知いたしました」


 ジェラはフィリアのほうに向きなおると、こぼれた耳を頭巾フードの奥に押し込み始めた。フィリアは目を細めつつ、また立派な門歯を剥き出しにする。


「あはは。くすぐったいですー。本当はそんな場所に耳なんてないはずなのに、不思議ですよねー」


「…………」


「あれ? どうされたのですか、従者さん? 食欲、ないしは愛欲をかきたてられているかのような眼差しになられているようですけれども」


「そ、そのようなことはありません」


 耳の始末を終えたジェラは、主人のもとまで引き下がった。

 魔女エマは「ふん」と無愛想に鼻を鳴らす。


「それでは、町に下りる前に一言だけ言うておく。石の都の住人の前では、決して我やジェラの名を口にするのではないぞ?」


「え? それはどうしてですかー?」


「魔術師の真名というのは、秘するべきものであるのじゃ。真なる姿と同様に、そのようなものを石の都の人間にさらすのは、災厄の種にしかならぬのじゃからな」


「なるほどー。でも、どっちみちわたしはおふたりのお名前を呼んだことはありませんからねー。ご心配は無用ですー」


 そんな風に応じてから、フィリアは「あり?」と首を傾げた。


「でもでも、魔女さんが初めてわたしの前にお姿を現したとき、変化の術を使ったりはしていませんでしたよねー?」


「……あれは、門番たる泥人形ゴーレムがあまりにあっけなく退治されてしまったため、いささか慌てておったのじゃ」


「ふむふむ。そしてその後には、堂々とお名前を名乗られていたような……?」


「あれは、おぬしの無礼さに腹を立てて、我を失っておったのじゃ!」


「なーるほどー。前々から思ってましたけど、魔女さんってけっこう慌てんぼうさんですよねー」


 つぶらな瞳を細めながら、フィリアはくすくすと笑い声をたてた。

 魔女エマは怒りに両目を燃やしながら、ぷるぷると肩を震わせる。


「のう、ジェラよ……これほどの無礼者であれば、たとえ殺めてしまったとしても、我の魂が穢れたりはしないのではなかろうかな……?」


「その可能性はありえるのやもしれませんが、確証はありません。どうぞご短慮はおつつしみください」


 魔女エマは何度か深呼吸をして気持ちを落ち着けてから、「よし」と面を上げた。


「不屈の精神力で不埒者に対する殺意をやりすごすことがかなったので、町に下りるぞ。この間にも、妖魅どもは好き勝手に暴れておるはずなのじゃからな」


「わーい、いよいよ出発ですね! 今日はどんな妖魅なのか、胸が高鳴っちゃいますー!」


「……言うておくが、聖剣を手放したおぬしに身を守るすべはないのじゃからな。生命が惜しくば、決して我々から離れるのではないぞ?」


「はーい! 承知つかまつりました!」


「では、この杖に手をかけるがよい」


 魔女エマが、ねじくれた杖を前方に突き出した。

 フィリアとジェラがその杖に触れるなり、一陣の風が吹きすさぶ。

 次の瞬間、3名の身体は町の中に移動していた。


「わあ、魔術です魔術ですー!」


「やかましいわい。呑気に笑っておられるような状況ではないようじゃぞ」


 魔女エマが、右の方向を杖で指し示した。

 そちらに目をやったフィリアは、丸い目をいっそう丸くする。そこは街路の只中であったのだが、平らに均された地面の上で、何か黒々としたものが燃やされていたのだった。


「なんか、ひどい臭いですねー。胸が悪くなりそうですー」


「じゃろうな。あれは、人間の屍じゃ」


 魔女エマの言葉に、フィリアは「えー!」と飛び上がった。


「これ、人間のご遺体なのですか? それじゃあ、今回の妖魅は……炎を操る妖魅なのでしょうか?」


「違うな。火を放ったのは、人間のほうじゃろう。精霊の介在しない炎でも、このていどの妖魅を焼き滅ぼすことはできるようじゃ」


「妖魅? 人間ではないのですか?」


「妖魅であり、人間であるのじゃ。……うむ。やはりこれでは、火の糧が足りておらんようじゃな」


 魔女エマがそのようにつぶやくと同時に、炎に包まれていた黒い塊が、むくりと起き上がった。

 表面が黒く焼けただれた、人間の屍骸である。

 そして、顔と思しき部分には、現世の炎とは異なる青白い火がふたつ燃えている。それはまぎれもなく、鬼火のごとき妖魅の眼光であった。


「ふふん。もともとこれだけ燃えあがっておれば、こちらも魔力を節約できそうじゃ」


 魔女エマが、左腕をふわりと振り払った。

 赤いきらめきが、燃えあがる妖魅へと飛来していく。その飛沫が触れると同時に、炎は倍する勢いで燃えあがった。


 黒き屍骸は形の崩れた両腕で頭を抱え込み、くぐもった絶叫を響かせる。

 そうしてしばらく苦悶の舞踏を踊ったのち、屍骸はぐしゃりと倒れ込んだ。

 青い鬼火のごとき眼光も消え失せて、あとはぶすぶすと肉の焼ける音色だけが空気を震わせる。


「こ、これで退治できたのですね? でも、これはどういった妖魅なのです?」


「じゃから、人間の屍骸に憑依した妖魅じゃよ。我々は、屍鬼グールと呼んでおる」


 面白くもなさそうに言いながら、魔女エマは秀麗な形をした下顎をまさぐった。


「これで納得がいったわい。現世の物体に憑依した妖魅は、日の下でも難なく動くことがかなうのじゃ。このような災厄をもたらした妖魅の首魁めは、どこぞの暗がりで舌なめずりをしておるのじゃろうな」


「そ、それではどうするのです? 夜が訪れるのを待つのですか?」


「その前に木っ端どもを退治しておかんと、この地の住人はすべてが屍鬼グールに成り果ててしまうじゃろうな」


 魔女エマのつぶやきに応じるかのように、どこかから女の悲鳴が聞こえてきた。

 魔女エマは舌打ちすると、ものも言わずに走り始める。ジェラは同時に動いていたが、フィリアはひと足遅れてそれを追いかけることになった。

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