6 奸計の代償
「なるほど。それでおぬしは、やむなく宝剣を抜くことになったわけじゃな」
半裸となったジェラの首筋と背中に薬液を塗りつけながら、魔女エマはそのように問い質した。
それを見守るフィリアは、「ひゃあ」と目を丸くしている。
「従者さん、そうやって着ているものをはだけると、尋常でない色っぽさですね! わたしが殿方であったら、魂を奪われてしまいそうです!」
「我の質問に答えんかい! おぬしは我の言いつけに背いて、縛りの術式を解いてしまったのじゃろうが?」
「あ、はい。やむなくですよ。やむなくやむなくー」
「ふん。しかし、おぬしは我と結んだ約定を破ったこととなる。おぬしを従者に迎えるという話も、これでおしまいじゃな」
「し、しばしお待ちください、我が主よ!」
と、うなだれていたジェラが頭をもたげた。
その黒い瞳が、必死な光をたたえて魔女エマのほうを見る。
「この娘は、自分ではなく私などの身を守るために、宝剣を抜くことになってしまったのです。それでも、やはり……約定は破られたことになってしまうのでしょうか?」
「おぬしとて、もう長きの時間を我のもとで過ごしておるのじゃから、約定の重さはわきまえておるじゃろう。どのような理由であろうとも、魔術師の約定を揺るがすことは許されぬのじゃ」
そのように答えてから、魔女エマはフィリアの顔をねめつけた。
「だいたいこやつは、我の家でもひとたび縛りの術式を解いておったからな。あの時点で話を終わらせてもよかったぐらいじゃろう」
「てへへ」と笑いながら、フィリアは自分の頭を小突いた。
「寒気がするほど、小憎たらしい娘じゃな。……で、我の従者となる道を閉ざされた気分は、如何なものじゃ?」
「そうですねー。残念なことは残念ですけれど、しかたありません。こぼした水は壺に戻らないと言いますし、わたしはなんべん同じことがあっても、同じように水をこぼしてしまうと思いますー」
「ふん。望みの道が絶たれたわりには、ずいぶん清々しげな面持ちじゃな」
「それはまあ、わたしにとっては降ってわいたようなお話でありましたしねー。従者さんがわたしを傷つけていなかったら、そもそもこのようなお話も持ち上がっていなかったのでしょう? だったら、最初からなかったものと考えるしかありませんよー」
「しかし」と、ジェラがフィリアに向きなおった。
「あなたは本当に、それでいいのですか? あなたには、なんの落ち度もなかったはずです」
「そうですかー? 従者さんだって、わたしに逃げろと助言をくださったではないですか。それをないがしろにして宝剣を抜いたのはわたしなのですから、これも自業自得というものです!」
そう言って、フィリアはにこりと微笑んだ。
「何にせよ、従者さんも死なずに済んだのですから、わたしにとっては悔いのない結果ですよー。やっぱり自分の道というものは、自分で切り開くべきなのでしょう!」
ジェラはきつく眉を寄せながら、無念そうに唇を噛んだ。
魔女エマは「ふふん」と鼻を鳴らす。
「まあ、すべては我が見込んだ通りの結果じゃな。おぬしたちは、どちらも合格じゃ」
「はい?」と、フィリアとジェラは魔女エマを振り返った。
魔女エマは、何やら得意そうに胸をそらしている。
「あの地に妖魅がわいておることは、我も察知しておった。その上で、おぬしたちがどのように振る舞うかを見定めさせてもらったのじゃ」
「そ、それはどういう意味でありましょう? それに、こちらの娘ばかりでなく、私が合格というのは、いったい……?」
「おぬしはその娘に、たいそう腹を立てておったじゃろう。我の目のないところで妖魅に襲われたとき、きちんと客人を守るかどうか、それを見定めさせてもらったのじゃ」
魔女エマは、きょとんとしているフィリアのほうに向きなおった。
「そして、あの地の妖魅がジェラの手に負える相手でないことも想定済みじゃった。ジェラの身が危うくなったとき、おぬしは自分の欲と他者の生命のどちらを重んずるのか、それを見定めさせてもらったのじゃ」
「はあ……それを見定めて、何とするのです? 魔術師の約定というのは、絶対のものであるのでしょう?」
「うむ。じゃから、おぬしを従者として迎えることはできん。その代わりに、居候としてしばらくこの場に置いてやろう」
「居候、ですか」
「そうじゃ。期限は、ひと月といったところかの。その傷の対価としては、それぐらいが相応じゃろうよ」
ジェラの手当を終えた魔女エマは、長椅子の上に腰を下ろした。
「その期間は、せいぜい客人として遇してやろう。おぬしのような厄介者をひと月も預かってやろうというのじゃから、せいぜい感謝するがよいわ」
フィリアは難しげな顔をこしらえながら、魔女エマに詰め寄った。
「あのですね、魔女さん。そういうのは、あんまりよくないと思いますよー?」
「うむ? 何がじゃ?」
「だから、そういう風に人を騙して試したりするのは、よくないことだと思います」
「そうです!」と、ジェラも魔女エマに詰め寄った。
「この娘ばかりでなく、私までたばかる必要があったのでしょうか? 私はそれほどまでに、エマ様から信用されていなかったのでしょうか?」
「だ、だっておぬしは、血の気が多すぎるからのう。実際、こやつを傷つけたわけじゃし……」
「それは、この娘を敵と誤認したためです! この娘が客人であると知っていれば、決して傷つけたりすることはありませんでした!」
「そうですよー。さっきだって、従者さんは自分の生命を危険にさらしながら、わたしに逃げろと言ってくださったのですからねー」
「じゃ、じゃから我は、それを見定めようと……」
「そうだとしても、やり方が悪質すぎませんかー?」
「そうです! 我々のほうこそ、エマ様への信頼を踏みにじられたような心地です!」
「何じゃ、ふたりしてー!」と、魔女エマは座ったまま地団駄を踏んだ。
「もともと良識に外れた行いに手を染めたのは、おぬしたちのほうじゃろうが! どうして我ばかりが非難されなければならないのじゃ!」
「それはそれ、これはこれ、ですよー」
「そうです! この一件に関して、我々に落ち度はないはずです。我々の心を弄んで、エマ様はそれでご満足なのですか?」
「じゃから、ふたりで結託するな! 我はこの家の主であるぞー!」
「そうであるからこそ、主人に相応しい器量を見せていただきたいのです」
「そうですよー。わたしだって、魔女さんを尊敬したいですー」
「わーん!」とわめきながら、魔女エマは木の杖を振り回した。
「何じゃ何じゃ、我を悪者あつかいしおってー! 文句があるなら、かかってくるのじゃー!」
「文句ではありません。これはむしろ、陳情です。エマ様に、我々の無念を理解していただきたいのです」
「うんうん。わたしたちだって、魔女さんを責めたいわけではないのですよー?」
「……じゃったら、我にどうせよというのじゃ?」
「それは、魔女さんの決めることですよー。自分が悪いと思ったら、人はどうするべきでしょうか?」
魔女エマは、これ以上ないぐらい眉を下げながら、思案した。
その末に、おずおずとした目つきでふたりの姿を見比べる。
「ごめんなさい……なのじゃ」
フィリアとジェラは、満足そうに微笑んだ。
「わかっていただければ、いいのです。私はこれからも、エマ様に忠義を尽くす所存です」
「うんうん。わたしもこれから居候として、どうぞよろしくですー」
「それでは、私は自分の仕事に戻らせていただきます。裏の菜園で薬草の様子を見てまいりますので、ご用事の際はお声をおかけください」
「薬草の菜園なんてあるのですね! わたしにも見物させていただけませんかー?」
「承知いたしました。こちらにどうぞ」
ふたりは連れ立って、扉の向こうに消えていく。
その姿が見えなくなってから、魔女エマは木の杖を振り上げた。
「やっぱりなんだか、納得がいかんぞー!」
そうして《針の森の魔女》として石の都の人間に恐れられるエマ=ドルファ=ヴァルリエートは、その日からフィリアなる奇妙な娘を居候として迎えることに相成ったのだった。
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