4 罪と罰
「さて、と……それでは、厄介な話を片付けておこうかの」
すべての食事を終えた後、魔女エマはそのように言いたてた。
満たされた腹を抱えて幸福そうに弛緩していたフィリアは、「ふにゃあ?」とそちらを振り返る。
「ふにゃあではない。我の従者たるジェラが、おぬしの身を傷つけた一件についてじゃ」
従者のジェラは、たちまち表情を引き締めた。
しかしフィリアは、ゆるみきった表情のままである。
「そんなの、気にしなくていいですよー。従者さんだって、悪気があったわけではないのでしょうからねー」
「ふん。おぬしとて、さっきは見返りを要求していたではないか」
「うふふー。こんなに美味しいお食事を食べさせていただいたから、おなかも心も満たされてしまいましたー。見返りなんて、とんでもないですー」
「おぬしがそれでよくとも、こちらはそれでは済まんのじゃ」
不機嫌そうな面持ちのまま、魔女エマは卓に頬杖をついた。
「おぬしの起き抜けにも言うたはずじゃな。魔術師には、数多くの制約が存在するのじゃ。それらの制約を破って魂が穢れれば、妖魅と変わらぬ闇の存在に堕ちることとなる」
「はあ。そんなことを仰っていましたっけー? これっぽっちも覚えてないですねー」
「おぬしなあ……それで本当に、弟子入りを願う身であるのか?」
「てへへ。いまは食事を終えたばかりで、頭に血が回らないのですよー。それで、その制約がどうしたというのですか?」
「じゃから、こやつはその制約を破ってしまったのじゃよ。罪なき人間を傷つけるのは、魔術師にとって大きな禁忌であるのじゃ」
「へー! 災厄の権化として恐れられている魔術師に、そんな禁忌が存在したのですかー!」
大きな声をあげてから、フィリアは「あり?」と小首を傾げた。
「でもでも、禁忌を破ったのは従者さんですよね。従者さんはあくまで従者であり、魔女さんの弟子ではない、というお話ではありませんでしたか?」
「従者であろうと、こやつはもはや我の眷属じゃ。眷属の罪は、主人が贖わなければならぬ。あるいは、主従の絆を断ち切って、こやつを野に返すという手もなくはないが――」
従者のジェラは、切れ上がった目をうるうると潤ませながら、魔女エマを見つめていた。
魔女エマは頬杖をついたまま、肩をすくめる。
「ま、ひとたびの不手際でそこまでするのは狭量じゃし、新たな従者を見つくろうのも手間じゃからの。不肖の従者に代わって、我がその罪を贖わなければならないのじゃ」
「ではでは、今度こそわたしの弟子入りを認めてくださるのですね!」
「いや、それは絶対に認めない」
「がびーん!」
「何じゃ、その効果音は。……おぬしのような厄介者に弟子入りを認めるなぞ、こちらの苦労がまさりするぎるわい。罪と罰は、あくまで等価であらねばならぬのじゃ」
「だったら、何をしてくださるのですかー? わたしはこの美味しい食事だけでも十分すぎるぐらいでしたけどー」
「こんな食事ていどでは、等価にならん。おぬしの負った痛みに等しい対価を、我らは支払わなければならないのじゃ」
フィリアはふいに、がばっと身を起こした。
「じゃあじゃあ、その内容をわたしに決めさせてはいただけませんか?」
「ふん。おぬしに真っ当な案をひねり出せるとは、とうてい思えんがの」
「そのご判断は、そちらにおまかせいたします。ただひとつ、思いついたことがあるのです!」
フィリアはにこにこと笑いながら、身を乗り出した。
「わたしを、従者にしてください!」
「嫌じゃ」
「がびーん!」
「いや、しかし……従者なんぞになって、どうしようというのじゃ? おぬしは魔術師になりたいのじゃろうが?」
「はい! だけど、魔女さんのおそばにあることを許していただければ、ひとまずは満足です! それだけでも、魔術の世界を垣間見ることはできるのでしょうからね!」
魔女エマは何十匹もの苦虫を噛み潰しているような顔で、赤い髪をかき回した。
「あのな、我の従者となったら、我の命令は絶対となるのじゃぞ?」
「はい! 主従の関係なのですから、それも当然です! どんな猥褻なる命令にも従ってみせます!」
「じゃから、主従という言葉にそのような意味をもたせるな! ……我の眷属となったら、石の都の人間と絆を持つことは許されぬし、その宝剣も始末せねばならぬのじゃぞ?」
「はい! そんなのは、弟子入りを願ったときから決めていたことです!」
「それじゃあ、今後は二度と弟子入りを望まぬと誓えるか?」
フィリアは、にこーっと微笑んだ。
魔女エマは金色の瞳を半分だけまぶたに隠しながら、その笑顔をねめつける。
「なるほど。従者として我のそばに身を置きながら、またいずれ弟子入りを願おうという魂胆であったのじゃな」
「すごーい! それが読心の魔術ですか?」
「おぬしの顔にすべて答えが記されておるのに、心を読む必要などあるかい。……つくづくおぬしは、嘘をつくことのできぬ人間であるようじゃな」
「はい! 都合の悪いときは笑顔で乗り切れというのが、最愛なる母の最期のお言葉であったのです!」
「ずいぶんとまた体裁の悪い最期の言葉じゃのう」
魔女エマは深々と溜め息をついた。
「しかし……おぬしが求める対価としては、それほど不相応なわけでもない。なかなか厄介なことを言いだしてくれたもんじゃな」
「ではでは、従者にしてくださるのですか?」
魔女エマは答えず、しばし無言で思案した。
「ならば……ひとつの条件をつけさせてもらおう」
「えー? 罪を贖うのはそちらのほうなのに、条件とか言いだすのはおかしくないですかー?」
「やかましいわい! これは、おぬしの覚悟と資質をはかるためにも、必要な行いであるのじゃ」
魔女エマのちんまりとした指先が、フィリアの腰の宝剣を指し示した。
「その宝剣を、おぬし自身の手で封印せよ。さすれば、おぬしを従者と認めよう」
「了解でーす! 具体的には、どうしたらいいのですか?」
「まずは縛りの術式をほどこし、しかるのちに、我のこしらえた結界に封印をする。それを、おぬし自身の手で成し遂げるのじゃ」
そのように言いながら、魔女エマは
そこから取り出されたのは、さまざまな色合いをした紐の束である。
「これを使って、縛りの術式をほどこす。我が手本を見せるので、その通りに術式を完成させよ」
魔女エマは、木の杖の先端に紐を1本ずつ巻きつけ始めた。
「ふむふむ」と、フィリアもそれを真似て、宝剣の柄に紐を巻きつけていく。
「うむ。それでよい。試しに、宝剣を鞘から抜いてみよ」
「え? ここで宝剣を抜いてもいいのですか?」
「かまわんから、やってみい」
「はーい」と、フィリアは宝剣の柄に手をかけた。
しかし、鞘は刀身から離れない。
「あれー? 柄に紐を巻きつけただけなのに、鞘から抜けないです!」
「そうじゃろう。それが、縛りの術式というものじゃ。術式をかけた人間が『解』と解放の呪文を唱えぬ限り、その宝剣は――」
「『解』!」
ぬめるように輝く白銀の刀身が、あらわになった。
とたんに魔女の家が鳴動し、照明用の白い花が激しい明滅を繰り返す。壁で待機していた蔓草は、死にかけた蛇のようにのたうち回っていた。
「たわけー! とっとと宝剣を戻すのじゃ! 我の家が、怯えておろうが!」
「はーい」とフィリアが宝剣を鞘に収めると、家の鳴動も静まっていった。
魔女エマは額の汗をぬぐい、ジェラは獣のようにぐるぐると咽喉を鳴らしている。
「まったく、底抜けのうつけ者じゃな! また縛りの術式からやりなおしではないか!」
「てへへ。好奇心に勝てませんでした」
「……こんな娘を従者に迎えるのは、つくづく気が進まぬのう」
さきほどと同じ手間をかけて、再び宝剣に縛りの術式がほどこされた。
「あとはこれを、我の結界まで運ぶのじゃ。お目付け役として、ジェラにも同行してもらう」
「ふにゅ? 魔女さんはご一緒しないのですかー?」
「そのような面倒ごとに、いちいちつきあっておれんわい。誰かさんのせいで、今日はまったく仕事が進んでおらぬのじゃからな」
「えー? そんな風に従者さんを責めたら気の毒ですよー」
「……ジェラよ、心中は察するが、決してこれ以上の罪を重ねるのではないぞ?」
ジェラは感情を押し殺した声で、「はい」と応じる。
その黒い瞳には、フィリアに対する憎悪と敵意の炎が荒れ狂っていた。
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