3 魔女の食卓
魔女エマがねじくれた杖で床を叩くと、そこから新たな卓がにょきにょきと生えのびてきた。
三人で食事をするのに不自由のない大きさである。さらに新たな椅子まで生えのびてくると、フィリアはにこにこと笑いながらそちらに移動した。
「なんだか、こういう魔術も見慣れてきちゃいましたねー。そろそろ目新しい魔術をお披露目していただけませんか?」
「……おぬしの中に、礼節や敬服の概念というものは備わっておらぬのかのう」
怒ることにも疲れた様子で、魔女エマも椅子のひとつに腰を下ろした。
従者のジェラは、魔女エマの生みだした扉の向こうで、食事の準備に励んでいる。そちらから漂ってくる芳香に、フィリアはくんくんと鼻をひくつかせた。
「お肉! お肉の焼ける匂いですね! 兎さんに謝る準備は万端です!」
「あれが兎の肉だとしても、とっくに絶命しとるじゃろ」
「あ、そっか。それに、兎さんの信頼を裏切ったのは、わたしじゃなくって従者さんですもんね。従者さんは、兎さんに呪われたりしないですかねー?」
「喰ろうた獣にいちいち呪われておったら、身がもたんわい」
「でもでも、従者さんの頭に兎さんの耳でも生えてきたら、可愛いですよね! そういう魔術って存在しないのですか?」
「おぬしはいちいち、発想が破綻しておるの」
魔女エマがげんなりとした様子で息をついたとき、大きな木の盆に大小の木皿をのせたジェラが戻ってきた。
フィリアは期待に満ちた表情でそれを見守っていたが、いざ皿の中身を覗き込むと、きょとんと目を丸くする。
「あれー? お肉じゃないですねー。青紫色で、どろっとしてて、あんまり美味しそうじゃないですー」
「これこそが、魔女にとっての正しき食事となる。これより後に出されるものなぞ、食後の余興にすぎんのじゃ」
「えー、早くお肉が食べたいなー。おにくーにくにくー」
「やかましいわい!」
親愛なる主人と招かれざる客人のやりとりも余所に、ジェラは無言で食器を並べていた。いずれも木造りの、小皿と匙である。
それらを並べ終えてから、ジェラはちらりと魔女エマを見やった。
「……我が主よ。本当にこの娘にも、こちらの食事を与えてかまわないのですね?」
「うむ。どのように失礼で俗悪で道理のわからない不埒者であろうと、いちおうは客人であるからな。無用に傷つけてしまった対価を払うためにも、食事ぐらいはふるまうべきであろうよ」
ジェラは感情を押し殺した面持ちで、フィリアの皿に食事を取り分けた。
フィリアがさきほど言いたてていた通り、青紫色で粘性の強い、正体不明の物体である。香りだけは花のように甘ったるかったが、とうてい食べ物とは思えないような見てくれであった。
魔女エマと自分の木皿にも同じものを取り分けてから、ジェラは着席する。
フィリアは眉を下げながら、あらためて木皿の中身を覗き込んだ。
「……これ、本当に食べなきゃ駄目ですかー?」
「これを食わんのなら、他の食事も口にする資格はない。おぬしの好きにするがいいわ」
「わかりましたー。それでは、いざ!」
フィリアは木匙を取り上げて、小皿の中身をすくいあげた。
青紫色の物体は、ねっとりと糸を引く。
フィリアはひとつ深呼吸してから、その物体を口の中に放り込み――その末に、「きゃー!」と絶叫をあげた。
「苦いし辛いし酸っぱいし、口の中がびりびり痺れます! これ、本当に人間が口にしていい存在なのですか!?」
「やかましいのう。我たちも、こうして口にしておるじゃろうが」
魔女エマと従者ジェラは、平然とした面持ちで同じものをすすっていた。
フィリアは卓につっぷすと、「あうう」と哀れげな声を振り絞る。
「この世にこれほど不味いお食事が存在するなんて、わたしは想像もしていませんでしたー。これ、わたしにだけ毒を入れたりしていないですよねー?」
「じゃから、我たちも同じものを喰ろうておるじゃろうが?」
「わたしの皿にだけ、毒を塗っておいたとか!」
「そのときは、心置きなく昇天せい。殺されるのは、本望なのじゃろうが?」
「不味いお食事で毒殺なんて、この世でもっとも悲惨な死に方ですよー。どうせ死ぬなら、もっと華々しく砕け散りたいですー」
不平の声をあげながら、それでもフィリアは再び木匙を手に取った。
そうしてふた口目を呑みくだすと、大きな瞳に涙を浮かべる。
「ううう、やっぱりまじゅい……魔女さんたちは、どうして平然とこのようなものを口にできるのですかー?」
「我らはもう何十年という歳月を、この食事とともに過ごしておるのじゃ。これこそが魔女の正しき食事であると言うたであろうが?」
木皿の中身を綺麗にたいらげて、魔女エマはさらに言葉を重ねた。
「昨晩も言うた通り、この世界から魔力は失われつつある。そんな中で魔術を行使するには、こちらの肉体を魔力に感応しやすいように保つ必要があるのじゃ。これは、そのための食事であるわけじゃな」
「えっ! それじゃあこれを食べ続ければ、魔術を使えるようになるのですか!?」
「そんな甘い話があるわけはなかろう。ただし、この食事を口にしない限り、永久に魔術を行使することはかなうまいな」
フィリアは「うぎゅう」とおかしな声をあげた。
それから決然とした面持ちで木皿をひっつかむと、その中身を口の中にかきこんでいく。
魔女と従者がびっくりまなこで見守る中、フィリアは床に転落し、水揚げされた魚のようにのたうち回った。
「まじゅいー! まじゅいー! しんじゃうー! たすけてー!」
「呆れ果てた娘じゃの。慣れぬ人間がそのような食べ方をしたら、咽喉や胃の腑が焼けただれしまうじゃろうに」
「お、おなかの中が熱いです! わたし、死んじゃうのですかー!?」
「そんなもん、前例がないのでわからんわい」
魔女エマはひとつ溜め息をついてから、空間を撫でさするような仕草を見せた。
次の瞬間には、その手に硝子の小瓶が握られている。小瓶の中身は、火酒のように赤い液体であった。
「あー、その魔術は初めて見ましたー……死にゆくわたしに、最後のご褒美をくださったのですねー……」
「やかましいわい。ジェラ、そやつの身体をこちらに起こすのじゃ」
ジェラはむっつりとした面持ちでフィリアの首根っこをひっつかむと、魔女エマのほうに突き出した。
魔女エマは空になった木皿に小瓶の中身を注ぎ入れると、それをフィリアの口にあてがう。
「そら、こいつを飲むのじゃ。貴重な秘薬なのじゃから、決してこぼすのではないぞ?」
フィリアは息も絶え絶えに、その液体を飲み干した。
次の瞬間、その瞳に生気が蘇る。
「あれー? 急に身体がすっきりしました! 悪い毒が綺麗に洗われたみたいです!」
「我らの食事を毒と抜かすか。つくづく失礼な娘じゃの」
「あ、言われてみれば、そうですね。せっかくのお食事であったのに、不味い不味いと魂の叫びをほとばしらせてしまい、大変失礼いたしました!」
フィリアはジェラに向きなおると、深々と頭を下げた。
ジェラは「ふん」とそっぽを向いて、取り合おうとしない。
「それじゃあ、お次はお肉ですね! わーい、楽しみですー!」
「おぬしはまだ食事を続けるつもりであるのか? すべての滋養はさきほどの食事でまかなえておるのじゃから、あれだけでも丸一日は健やかに過ごせるはずじゃぞ」
「えー! だけど、お肉の準備もしているのでしょー? お肉が食べたいですー! おにくにくにくー!!」
「やかましいと言うておろうが! ……ジェラ、準備をするがいい」
ジェラはフィリアの笑顔をねめつけてから、厨房のほうに引っ込んでいった。
しばらくののち、再び大きな盆を運んでくる。その上にのせられた数々の料理が、フィリアを歓喜させることになった。
「すごーい! お肉だけじゃなかったのですねー! どれも美味しそうですー!」
そこには、3種の料理が準備されていた。
分厚く切り分けられた赤身の焼き肉に、黄白色をした丸い団子と、野菜と香草の汁物料理である。
「さきほどの食事、『魔女の正餐』さえ口にしておれば、これらのものを口にする必要はない。しかしまあ、心を満たすにはこういった余興も必要であるのじゃ」
そんな風に言いながら、魔女エマは団子のひとつをつまみあげた。
「我らも数十年前までは、生身の存在として生きる身であったからの。その時代の習わしというものは、なかなか簡単に捨て去ることができぬのじゃ」
「あれ? それじゃあ魔女さんは、100年前から魔女として過ごしていたわけではないのですか?」
「たわけたことを抜かすな。我が100年もの歳月を生きておるようにでも見えるのか?」
「いえ、見た目は10年ぐらいしか生きていないように見えますけれども……それじゃあ魔女さんは、どうやって魔術を習い覚えたのですか?」
魔女エマは「ふん」と鼻を鳴らしてから、その手の団子をかじり取った。
「100年の昔、魔術の時代が終わりを迎えたとき、4名の魔術師が妖魅を退治する使命を果たすために、俗世に留まった。我は、そのうちの1名から後継者に選ばれたのじゃ」
「へーえ! そのお師匠さまは、どこにいらっしゃるのです?」
「とっくに天命を迎えておるわい。そのためにこそ、後継者が必要であったのじゃからな」
「じゃあじゃあ、やっぱり魔女さんにも後継者が必要なのではないですか?」
フィリアが身を乗り出すと、魔女エマはべーっと舌を出した。
「我の天命が尽きるのは、まだまだ先じゃ。この地の魔力が尽きるほうが早いのじゃろうから、後継者など必要ないわい」
「でもでも、志半ばでぶざまに死に果てるかもしれないじゃないですか!」
「どう考えても、ぶざまの一言は余計じゃな!」
そのようにわめいてから、魔女エマは椅子の上でふんぞり返った。
「何にせよ、我に後継者が必要であれば、そんなもんは聖域で暮らしておる一族の中から選ぶわい。石の都の人間なんぞを選ぶことは絶っ対にあえりえんから、おぬしは安心して絶望と苦悶に満ちた日々を送るがよい」
「ちぇー! まあいいや。魔女さんの説得は、食事を終えてからじっくり取りかからせていただきます」
フィリアは
こんがりと焼いた上で分厚く切り分けた、肉汁のしたたる赤身の肉である。それを口に放り入れ、入念に噛んでから嚥下したフィリアは、「おいしー!」と快哉をあげた。
「やっぱり、兎さんのお肉でしたね! 香草と一緒に焼きあげたのですか? 焼き目の香ばしさと香草の風味がたまらないです!」
あまりに無邪気な賛辞を向けられて、さしものジェラも言葉を失っていた。その秀麗なる形をした眉は、いくぶん困ったように下げられてしまっている。
そんなことはかまいもせずに、フィリアは次々と食事をたいらげていった。
「こちらのお団子は、何かの豆を挽いて、何かの果汁で練り合わせてから、蒸し焼きにしたものなのですね! ほんのり甘くて、とても美味しいです! こちらの汁物には、わたしの知らない山菜などがたくさん使われているようですね! この白い茎なんかはちょっぴりほろ苦いですけれど、噛み応えがとても心地好いです!」
「やかましいのう。食事の間ぐらい、静かにしておられんのか?」
「だって、丸一日ぶりのお食事なのですよー? どれも美味しくてたまりませんし!」
そんな風に述べてから、フィリアはにこーっと微笑んだ。
「それに、誰かと一緒にお食事をするのは、半年前に母様を亡くして以来なのです! やっぱりお食事っていうのは、誰かと一緒に食べるほうが格段に美味しいですよねー!」
「……そういう気恥ずかしい台詞を本心から言ってのけるのが、また小憎たらしいのう」
仏頂面で言い捨ててから、魔女エマは木皿の煮汁をすすり込んだ。
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