2 荒ぶる従者

「えーと……初めまして。わたしは、フィリアと申します」


 床にへたり込んだまま、フィリアはぴょこんと頭を下げた。

 フィリアを傷つけた闖入者は、「ふざけるな!」と怒鳴り返す。


 すらりと背の高い、美しい女である。

 髪と瞳は漆黒で、肌は抜けるように白い。黒い毛皮の外套マントの下に、黒の長衣ローブを纏っており、帯も靴もすべてが黒ずくめであった。

 両の目は鋭く切れ上がっており、高い鼻には筋が通っている。いかにも凛然とした端麗なる面立ちであったが、その双眸には飢えた獣のごとき恐ろしげな殺気があふれかえっていた。


「偉大なる魔女エマ様の屋敷を、鋼の刀剣などという不浄の存在で穢しおって……貴様のような不埒者は、八つ裂きにした上で森の獣に喰らわせてやるわ!」


「待てと言うておるのが、聞こえぬのか? 控えよ、ジェラ」


 ジェラと呼ばれたその者は、憤怒に燃える目で魔女エマを見返した。


「何故です、我が主よ! こやつは魔女の住処に不浄の存在を持ち込んだのですよ? それだけで、万死に値します!」


「こやつを家に招き入れたのは、我じゃ。我も万死に値するのかのう?」


 ジェラは、愕然とした様子で立ちすくんだ。


「な、何故にこのようなものを、我が主が? こやつは石の都の住人でありましょう?」


「話せば、長くなる。それよりも、我の命令もないままに人間を襲うとは、どうしたことじゃ?」


 魔女エマの金色をした瞳に、強い光が灯る。

 それだけで、ジェラは恐怖に青ざめた。


「おぬしは我に絶対の忠誠を誓ったはずじゃ。我との盟約を反故にしたいのであれば、そう言うてみよ」


「い、いえ、決してそのような……わ、私はエマ様の忠実なる従僕にてございます」


「ならば、控えておれ。まったく、面倒な真似をしてからに……」


 魔女エマはぶつぶつとぼやきつつ、長椅子から立ち上がった。


「こやつが、我の従者たるジェラじゃ。まったく、とんでもない顔合わせになってしまったのう」


「は、はい。わたしは、悪くないのですよね?」


「うむ。あらゆる災厄の根源のごときおぬしでも、このたびばかりは何の責もなかろうな」


「よかったー」と、フィリアは安堵の息をつく。

 その間にも、左の二の腕からはどくどくと血が流れていた。


「まずは、その傷の手当をせねばの。ジェラよ、薬の準備じゃ」


「……承知いたしました、我が主」


 ジェラなる者は悄然とした様子で、硝子瓶の並べられた棚へと近づいていった。

 それを横目に、魔女エマはフィリアのもとで膝を折る。


「そら、傷口を見せてみるがよい。……ふむ、けっこう深々とえぐられておるの」


「はい。けっこう痛いです」


「おぬしのような人間にも、赤い血が流れていたのだのう」


「ええ。どうやらそうみたいですね」


 軽口を叩き合うふたりのもとに、従者のジェラが硝子瓶や水瓶や包帯を運んできた。

 魔女エマは、硝子瓶のひとつから黒い丸薬を取り出すと、それをフィリアの鼻先に突きつける。


「まず、これを呑むがよい」


「え? どうして傷の手当をするのに、薬を呑まなくてはならないのですか?」


「これは、痛みを麻痺させる秘薬じゃ。手当の最中に騒がれたら、かなわんからの」


 フィリアは小首を傾げつつ、その丸薬を口に放り入れた。

 数秒と待たずして、その目がとろんと虚ろになる。


「あれー? なんだか頭がぽわぽわしてきましたよー」


「そうじゃろう。えい」


 魔女エマが、フィリアの頭を平手でひっぱたいた。


「あ、いたーい……のかなあ?」


「うむ。薬が効いたようじゃな」


「ちょっと、たしかめかたがらんぼーじゃないでしゅかー?」


「こまかいことは、気にするでない」


 魔女エマは、フィリアの傷口にてきぱきと手当てを施していった。

 まずは水瓶の水で傷口を洗い、ねっとりとした紫色の薬を塗ってから、白い包帯を巻いていく。その姿をぼんやりと見やりながら、フィリアは「ふにゅう」とおかしな声をあげた。


「なんか、ふちゅうのやりかたでしゅねー。もっとこう、まじゅちゅのちからでぱぱっとなおせないのでしゅかー?」


「馬鹿を抜かせ。このていどのことで、魔力を無駄には使えんわい」


「むだって、ひどいでしゅー。わたしのだいじなおててなのにー」


「もとはと言えば、おぬしが勝手に居座っておったからじゃろうが? じゃから我は、決して謝罪したりはせんぞ」


「えー? それじゃあこのふしまちゅをたてにとって、でしいりをねがうってのもなしでしゅかー?」


「うむ。無しじゃな」


「ちぇー。ちょっぴりきたいしてたのにー。これじゃあ、いたいおもいをしたかいがないでしゅー。わたし、ほんとーは、ほーけんではんげきすることもできたのでしゅよー? でも、まじょしゃんがおとなしくしてろっていうから、あえてけんをぬかなかったのでしゅからねー? こんなにいたいおもいをしたのに、なんのごほーびもないなんて、あんまりじゃないでしゅかー?」


「呂律が回らんくせに、饒舌じゃな! いいから、大人しくしておれ!」


 魔女エマは、硝子瓶の赤い液体に指先をひたすと、巻いた包帯の上に何か奇怪な紋様を描いた。

 それでようやく手当ては完了したらしく、「ふう」と息をつく。


「これでよし、と。数日もすれば、痕も残らずに治るじゃろう」


「えへへー。ありがとうございましゅー」


「腹立たしさが倍増するので、正気に戻ってもらおうかの」


 魔女エマは、暗緑色の液体で満たされた硝子瓶の口を、フィリアの鼻先に突きつけた。

 野兎のように鼻をひくつかせてその匂いを嗅いだ瞬間、フィリアは「きゃー!」と悲鳴をあげる。


「な、何ですか、それー! 頭の中身を刃物でかき回されたような気分ですー!」


「ただの気付けの薬じゃよ。口にしたら、そのまま脳髄がとろけてしまうがの」


 魔女エマは、大儀そうに立ち上がった。


「やれやれじゃ。傷口のほうは痛まぬか?」


「あ、はい。ちょっと疼くような感じはしますけど……それよりも、頭の痛みのほうが甚大ですー」


「ならばよし」


「ならばよしじゃないですよー! 頭がとろけたりしないですよねー?」


「大丈夫じゃろう、たぶん」


 魔女エマは長椅子に腰を落ち着けてから、所在なさげに立ち尽くしているジェラのほうを見やった。


「何を呆けておるのじゃ。その場を片付けよ」


「は、はい。……あの、エマ様はまだお怒りなのでしょうか……?」


「うむ? 怒ってほしいのか?」


「い、いえ! 決してそういうわけでは……」


「だったら、おぬしもしゃんとせい。そやつに謝罪する必要はないが、勝手な真似をした件は猛省するのじゃぞ」


 ジェラはがっくりとうなだれつつ、床に散乱した硝子瓶や治療の道具を片付け始めた。

 フィリアもようやく立ち上がり、魔女エマの向かいにある椅子にちょこんと腰を下ろす。


「あの従者さんは、ジェラと仰るのですね。すごく綺麗なので、びっくりしちゃいました!」


「ふん。このような目にあわされておきながら、まずは容姿の品定めかい」


「あ、はい。人間離れした身のこなしだったから、最初は魔物か何かかと思っちゃいましたよー。うっかり斬り捨ててしまわなくてよかったですー」


 魔女エマは、うろんげに眉をひそめた。


「おぬしはさっきも同じようなことを言いたてておったが、その気になれば本当にあやつを返り討ちにすることができたのか?」


「え? それはまあ、こっちには宝剣がありますからねー。わたしだって、いっぱしの剣技は修めているつもりですし!」


「……二重三重に厄介な娘じゃのう」


 魔女エマがそのようにつぶやいたとき、後片付けを終えた従者ジェラが戻ってきた。

 美麗なる容姿の持ち主であるのに、とてもしょんぼりとした顔になってしまっている。その長身を見上げながら、魔女エマは「ふん」と鼻息をふいた。


「それで? 我の言いつけ通り、仕事を果たしてきたのであろうな?」


「……はい。お望みの品は、こちらに」


 ジェラは黒い毛皮の外套マントの内側をまさぐって、そこから取り出したものを卓に並べ始めた。

 老人の顔のようにしなびた朱色の果実や、毒々しい色合いをした花の花弁や、透明の毛がびっしりと生えた木の根や、火のように赤い石の塊や――いずれも怪しげな品々である。それらを目にして、フィリアは「うわあ」と瞳を輝かせた。


「すごいすごーい! いかにも魔術で使いそうなものばかりですね! この綺麗な赤い石は何ですかー?」


「ああもう、さわるでない! 匂いを嗅ぐな! 食べようとするな!」


「ちぇー、魔女さんのけちんぼー」


「……ジェラよりも先に、我の殺意が沸点を越えてしまうやもしれんの」


 フィリアの手から深紅の石塊を奪取した魔女エマは、その色合いを入念に検分してから、ジェラのほうに放り投げた。


「こやつに食われんうちに、すべて仕舞っておけ。命じたものは、すべて集められたようじゃな」


「……はい。仰せのままに」


「我の助力もなしにこれだけの仕事を果たすのは、ずいぶん難儀であったじゃろう。ご苦労じゃったな」


 ジェラは毛皮の外套マントの下で、もじもじと肢体をくねらせた。


「……私のように不出来な従者を、ねぎらってくださるのですか?」


「さきほどの粗相とこちらの成果に、関わりはあるまい。おぬしは、よくやってくれておるよ」


 ジェラはぱあっと表情を輝かせるや、魔女エマへと躍りかかった。

 その妖艶なる唇の間からのばされた舌先が、魔女エマの頬をぺろぺろと蹂躙する。魔女エマは「やめんかー!」と怒声をあげ、フィリアはきょとんと目を見開いた。


「あの……おふたりはそういう関係であられたのですか?」


「そういう関係って、どういう関係じゃ! 誓って、おかしな関係ではないぞ!」


「いえ、いいのです。人と人との情愛の前に、性の如何などは些細なことですものね」


「その弁に異を唱えるつもりはないが、我とこやつの間に存在するのは主従関係だけじゃ!」


「いえいえ、そこで主従などという言葉を持ち出されると、猥褻の度合いがぐんと上がってしまいますー」


「主従という言葉に、そのような意味を持たせるな! おぬしも、いいかげんにせんか!」


 魔女エマが杖で脳天を殴打すると、ジェラはハッとした様子で直立した。


「も、申し訳ありません。エマ様に対する愛欲が噴出してしまいました」


「誤解を招くような発言は控えい! まったく、どいつもこいつも……」


「……まことに、申し訳ありませんでした」


 ジェラは凛然たる表情を取り戻し、深々と一礼した。

 そして、卓に広げた品々をしなやかな指先でつまみあげていく。


「それでは、こちらを片付けたのち、食事の準備をいたします。2日も家を空けてしまいましたので、エマ様もさぞかし――」


 フィリアが「あーっ!」と大声をあげた。

 魔女エマは、げんなりとした面持ちでそちらを振り返る。


「今度は、なんじゃ? とろけた脳髄が鼻からこぼれてきおったか?」


「いえ! 大変なことを思い出してしまったのです! どうしていままで、こんな重要なことを失念してしまっていたのでしょう!」


 そんな風にわめき散らしながら、フィリアは弾かれたように立ち上がった。


「わたし、ものすごく空腹です!」


「……で?」


「でってことはないでしょう! わたし、昨日の昼から何も口にしていないのですよ? おなかと背中がくっついちゃいそうです! 身体のどこにも力が入りません!」


「十分に元気そうじゃがのう。……まあよい。こちらも、食事どきじゃったからな」


 すると、ジェラが氷のごとき眼差しでフィリアを見下ろした。


「……エマ様、この不埒なる娘の分まで、食事を準備しなければならないのでしょうか?」


「うむ。毒殺するわけにはいかんので、毒草はほどほどにの」


「承知いたしました。万事、おまかせくださいませ」


「はーい。毒入りでもいいので、美味しいものをお願いいたします!」


 主従の冷徹なる眼差しにはさまれながら、フィリアはあくまで陽気であった。

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