4 一日の終わり

「ひとつ、わからないことがあります」


 魔女エマの住処に帰りつくなり、フィリアはそのように述べたてた。

 外套マントを脱いで長椅子に寝転んだ魔女エマは、「何じゃ?」とうるさげにそちらを振り返る。


「石の都の住人と、魔術の世界に生きる人間は、決して相容れない存在であるのでしょう? でしたら、魔女さんはどうしてさっきの人たちを助けたのですか?」


「我は誰を助けた覚えもないぞ。ただ、悪さをする妖魅めを地の底に追い返してやっただけのことじゃ」


「でもでも、悪さをされたのは石の都の住人たちでしょう? そんなの、放っておけばいいじゃないですか?」


「放っておいたら、世界の相が乱されてしまう。そのような騒ぎを起こされるのは、我らにとっても迷惑なだけなのじゃ」


 そこでひとつ大きなあくびをしてから、魔女エマは言葉を重ねた。


「さきほども言うた通り、いずれこの地からは精霊も妖魅も失われて、魔術の行使できない世界に成り果てる。が、また数百年も経てば精霊の力が蘇り、魔術の世界が復権を果たすであろう」


「えー! だったら、なおさら魔術の技は後世に残すべきじゃないですか!」


「その役割を担うべきは、我ではない。魔術師の一族は新たなる文明に背を向けて、それぞれの聖域に引きこもっておるのじゃ。いずれ世界に精霊の力が戻ったら、あやつらの末裔が魔術の世界を復権させるであろうよ」


 フィリアはきょとんとした面持ちで小首を傾げた。


「でも、魔女さんだって、その一族のおひとりであるのでしょう?」


「我とあやつらでは、立場が異なる。あやつらは、すべての魔術を封印して、野の獣のように生きることで、眠れる世界と一体化しておるのじゃ。言ってみれば、あやつらの肉体そのものが、精霊の力を蘇らせるための触媒であるのじゃな」


「なるほど。ショクバイであるのですね」


「わからんのなら、わかったふりをするでない。石の都の人間に、理解できるはずはないのじゃからな」


 そこで魔女エマは、もう一度大きなあくびをした。


「ともあれ、世界はそのように運行しておる。いまは眠りの時期であるのじゃから、妖魅どもに騒ぎを起こされては、逆に運行の妨げとなってしまうのじゃ。妖魅も精霊も魔術師も、いまはひとまず滅びなければならんのじゃよ」


「それじゃあ、もしかして……魔女さんは、お仲間のみなさんがぐっすり眠れるように、妖魅を退治するお役目を担っている、ということなのですか?」


 フィリアは、いっそう不思議そうな顔をした。


「でも、世間の人たちは、魔術師こそがこの世に害を為している、と思っていますよね? それは、どうしてなのでしょう?」


「どうしても何も、石の都の人間にとっては、魔術そのものが禁忌であるのじゃからな。魔術師など、妖魅ともどもさっさと滅んでしまえばよいと、そのように願っておるのじゃろうよ」


「でもでも、魔女さんたちが妖魅を退治していると知れば、感謝の気持ちを抱くのではないですか?」


「石の都の人間に感謝されたって、何の得にもなりはしないわい。我らは決して相容れない存在であると、なんべん言わせるつもりであるのじゃ?」


 魔女エマは、臭いものでも嗅いだかのように顔をしかめた。


「そもそも我は、数百年後に復権を果たす魔術の世界のために骨を折っておるのじゃ。石の都の人間なんぞに、感謝をされるいわれはないわい」


「なるほど。魔女さんのお考えは理解できたように思います。……でもでも、そんなに大切な使命があるのでしたら、なおさら弟子を取って後継者を育てるべきではないですか?」


「まもなくこの地の魔力は枯渇するのじゃから、後継者なんぞいらんわい。我がこの目で、魔術の世界の終焉を見届けてやるのじゃ」


 フィリアは何か言いかけたが、途中で表情を改めた。


「それじゃあ、魔術の世界の終焉を見届けた後、魔女さんはどうするのです? 聖域という場所に帰られるのですか?」


「馬鹿を抜かせ。魔術を行使した人間が、聖域に戻ることは許されん。これではもう、眠れる世界と一体化することもかなわぬのじゃからな」


「では、どうするのです?」


 フィリアが重ねて問いかけると、魔女エマは面倒くさそうに手を振った。


「魔術の世界が滅んだ後のことなど、どうでもいいわい。この世の魔力が尽きる最後の日まで、我は魔術師として生きる。肝要なのは、それだけじゃ」


「なるほど! おおよその状況は理解できたように思います!」


 フィリアは満面に笑みをたたえつつ、魔女エマの横たわる長椅子に取りすがった。


「それでは改めて、弟子入りを願わせていただきます! どうかわたしを、あなたの弟子にしてください!」


「あのなあ……おぬしは我の話を聞いておったのか?」


「はい! わたしも魔女さんと一緒に、魔術の世界の終焉を見届けさせていただきたく思います! その後は、ふたりでのんびり生きていけばいいではないですか!」


 魔女エマは心底から呆れ果てたように、フィリアの笑顔を見つめ返すことになった。


「何をどんな風に考えたら、そんな馬鹿げた発想に至るのじゃ? 魔女になるということは、滅びの運命に身をゆだねるということなのじゃぞ?」


「はい! わきまえています!」


「魔女となったら、石の都の住人と絆を結ぶことも許されん。そして、ああした妖魅どもを相手取ることになるのじゃぞ?」


「はい! 想像しただけで、胸が高鳴ってしまいますね!」


 魔女エマの仏頂面を間近から覗き込みつつ、フィリアはいっそう朗らかに微笑んだ。


「それこそが、わたしの望んでいた生活です! どうぞ末永くよろしくお願いいたします!」


「いや、まっぴらごめんじゃよ。天地がひっくり返ったとしても、おぬしのような人間を弟子にしたくはないわい」


「えー! わたしのどこがお気に召さないのですか?」


「むしろ、お気に召す部分が見当たらんわい」


「どうかお願いいたしますー! この願いを聞き入れてくださったら、絶対にこの宝剣は抜きませんからー!」


「じゃから、そういう部分がいかんのじゃ!」


 魔女エマはぐったりと、長椅子の敷物に顔をうずめた。


「頼むから、もう帰ってくれんかのう? そこそこ大きな魔術を使ったから、我は眠くてたまらぬのじゃ」


「ふむふむ。いまならわたしにも勝機があるということですね」


「じゃーかーらー!」と、魔女エマはわめき散らす。

 フィリアは「冗談です」と、にっこり微笑んだ。

 そして、胸もとに抱え込んでいた宝剣を、床に置く。


「この宝剣が邪魔なのでしたら、どうぞお好きになさってください。魔女には無用の長物なのでしょうしね」


「……その宝剣を手放したら、我はおぬしを好きに料理できるのじゃぞ?」


「はい。それでもわたしは、魔術の世界で生きていきたいのです」


 魔女エマは、深く大きな溜め息をついた。

 それから、指をぱちんと鳴らすと、何もなかったはずの壁に扉が出現して、音もなくぱっくりと口を開けた。


「おぬしを弟子にする気はない。が、今日はおぬしを追い出す気力もわかん。夜が明けるまで、おぬしはあちらの寝所に下がっておれ」


「わかりました! 宝剣はどうします?」


「そんなものを、我のそばに残しておくな。自分の持ち物は自分で管理せよ」


「はーい!」と元気に返事をしながら、フィリアは宝剣を拾いあげた。


「ではでは、ゆっくりお休みください! また明日、お目にかかれるのを楽しみにしています!」


「やかましいわい」とぼやきながら、魔女エマはフィリアに背を向ける。

 フィリアはその小さな背中に一礼してから、意気揚々と寝所に向かった。

 そうしてふたりの出会いの日は、最後だけは静かに終わりを迎えたのだった。

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