2 滅びの運命

「わあ、これが魔女さんのお家ですかー! すごいですー!」


 フィリアは瞳を輝かせながら、周囲の様子を見回していた。

 魔女エマが出現させた光の門ゲートをくぐるなり、そこにはいかにも魔女の住処めいた空間が現出したのである。


 それは、木造りの部屋であった。

 といっても、木の板や柱などで造られているわけではない。

 床も壁も天井も、すべてがゆるやかな曲面で構成されており、どこにも継ぎ目などは見当たらないのだ。

 それはまるで、途方もなく巨大な樹木のうろに、人間の住処をこしらえた、とでもいった様相であった。


 椅子や卓や棚などは、床や壁から直接生えのびている。そして、壁の高い位置にはいくつも白い花が咲き誇っており、その花弁が発光することによって、真昼のような明るさを作りあげていた。

 巨大な棚には、得体の知れないものが詰め込まれた硝子の瓶が、みっしりと並べられている。また、部屋の隅には巨大な壺がいくつも置かれており、蓋には厳重な封印が施されていた。


「いかにも魔女さんっぽいお家ですねー! この瓶とか壺とかには、魔術で使う秘薬なんかが仕舞われているのですかー?」


「迂闊にさわるでないぞ。人間には毒となるものが山ほど蓄えられておるのじゃからな」


「うわー、くっさーい! これ、ひどい臭いですね!」


「迂闊にさわるなと言うておろうが! 我が道を行くのも大概にせい!」


 わめく魔女エマのもとに、壁から生えのびた蔓草がするすると近づいていった。その蔓草が、まるで従順な下僕であるかのように、魔女エマの纏っていた外套マントを脱がして、壁のほうに運んでいく。その姿を目にして、フィリアは「ふわあ」と素っ頓狂な声をあげた。


「すごいすごい! 魔女さんは、やっぱり魔女さんなんですねー!」


「やかましいわい。ほれ、おぬしも腰を落ち着けるがよい」


「あれれー? わたしの外套マントは預かってくれないのですかー?」


「……この部屋も、おぬしの携えておる鋼の存在を警戒しておるのじゃ。よいか、冗談でもそれを鞘から抜こうとしたら、今度こそ生命の保証はせんからの」


 魔女エマは、何枚もの毛織物が敷かれた長椅子にだらしなく寝そべった。

 自分の手で外套マントを脱いだフィリアは、それを几帳面に折りたたみ、荷袋と一緒に床に置いてから、魔女エマの正面の椅子に腰を下ろす。宝剣は、鞘ごと両腕で抱え込んでいた。


「さて。どうしておぬしのような厄介者を我の住処にまで招き入れたか、おぬしは理解しておるか?」


「はい! わたしを弟子として認めてくれたのですよね?」


「……おぬしほど楽観的に生きることができたら、人生も楽しそうじゃの」


 魔女エマは、妖しくきらめく金色の瞳で、フィリアの無邪気な笑顔をねめつけた。


「おぬしの弟子入りを認める気持ちなど、これっぽっちも持ち合わせてはおらん。しかし、おぬしがどうしてそのような思いを抱え込むことになったのか、ほんの少しだけ興味を覚えたのじゃ」


「わたしに、興味を覚えてくださったのですね!」


「ほんの、ほーんのこれっぽっちな」


 魔女エマは、小さな豆でもつまむような仕草をした。


「さしあたって、おぬしが虚言を吐いている気配はない。我に弟子入りをしたいという言葉も、おそらくは本心から発せられておるのじゃろう。然して、おぬしはそのような宝剣を家宝とするような、石の都の貴き血筋じゃ。魔術を忌避して、災厄の象徴と見なしておる石の都の人間が、どうして魔女に弟子入りをしたいなどと願ったのか、それを我に語ってみせよ」


「はい。それには、ふたつの理由があります。どちらから聞きたいですか?」


「……内容もわからんのに、そんなもんが選べるかい」


「では、いい話と悪い話の、どちらから聞きたいですか?」


「どっちでもいいわい! さっさと語らんか!」


「はーい、承知いたしました。……魔女さんの仰る通り、わたしはそれなりに名のある家の生まれです。しかしわたしは女児であった上に、三人もの兄があったので、家でもまったく顧みられることがなかったのです」


 語りながら、フィリアはその手の宝剣をひしと抱きすくめた。


「そんなわたしにとって、唯一の楽しみは、書庫に眠る数々の書物を読みあさることでした」


「ふむふむ」


「あ、あと、剣の稽古も楽しかったです。身体を動かすのって、気持ちいいですよね」


「……それでは、唯一ではないのう」


「それに、母様と語らうのも、わたしにとってはもっとも幸福なひとときでした」


「三つになっちゃったよ」


「ですからわたしは、書庫で書物を読みあさり、剣の稽古に明け暮れながら、母様と楽しく語らう日々を送っていたのです」


「こうして聞く限り、めちゃくちゃ充実した日々じゃのう」


「えーと……話がぶれるので、書物のくだりに集中させていただけますか?」


「ぶれておるのは、おぬしの脳髄じゃ」


「はい。特にわたしが好ましく思ったのは、太古の魔術の世界が記された古文書や、御伽噺の類いでした。そういう書において、魔女や魔術師などはいつも災厄の象徴として描かれていたのですが……わたしには、そちらのほうが正しいように思えてならなかったのです」


「そちらとは、魔女や魔術師のことかの?」


「いえ。魔術に運行される世界が、です」


 フィリアはうっとりと目を細めながら、微笑した。

 魔女エマは、仏頂面でその姿を見やっている。


「すべての人間が、当たり前のように魔術を行使する世界。妖精や幻獣は人間の友であり、石造りの家も、鋼の武器も、王も貴族も奴隷も存在しない、精神の気高さだけが重んじられる世界……それこそが、世界の真の相であるように思えてしまったのです」


「ふん。石の都の人間としては、きわめて危険な思想じゃの」


「はい。ですからわたしは、誰にもそのような思いを告げられないまま、15年もの歳月を過ごすことになりました。この世でもっとも大切な母様にすら、真情を打ち明けることはかなわなかったのです」


 フィリアは小さく息をついてから、右手の指を2本、ぴょこんと立てた。


「それでは、ふたつ目の理由に参ります」


「余韻もへったくれもないのう」


「はい。実は半年ほど前に、母様が魂を返されてしまったのです」


 フィリアは、にこりと微笑んだ。

 その目に、うっすらと涙が浮かんでいく。


「母様を失ったことにより、わたしは生きる希望をも失ってしまいました。そして、魔術の世界に移り住みたいと願う真情をこらえる理由も失ってしまったのです」


「しかし、書物を読みあさり、剣の稽古に打ち込んでおれば、楽しいのじゃろ?」


「わたしが書物を好んでいたのは、魔術の世界への憧憬そのものです。剣の稽古に打ち込んでいたのは……たぶん、父様や兄様たちの嫌がる顔を見たかったゆえであるのです」


「ふむ……」


「だからわたしは、これまでの生を打ち捨てて、魔女さんへの弟子入りを願うことになったのです。どうか聞き入れてはいただけませんでしょうか?」


 魔女エマは燃えるような赤髪を乱暴にかき回してから、「無理じゃな」と言い捨てた。


「理由は、ふたつある。どちらを先に聞きたいかの?」


「えー、話の内容もわからないのに、そんなの選べるわけないじゃないですかー。魔女さんって、ときどき素っ頓狂なことを仰いますよねー」


「本気で脳天を打ち砕いてやりたくなる娘じゃの。……まず理由のひとつ。魔術の世界は、おぬしの憧憬に価するようなものではない」


 魔女エマは、気のない表情でそのように述べたてた。


「もはや魔術に、世界の運行を司る力など残されていないのじゃ。そんな力は、100年も前に失われておるのじゃよ」


「はい。だけど魔女さんは、魔術の技が完全に失われてしまわないように、こうして頑張っておられるのでしょう?」


「こんなものは、ただの悪あがきじゃ。この世界そのものが、もはや魔術を必要としておらんのじゃからな」


 金色の瞳を半分まぶたに隠しながら、魔女エマは言葉を重ねていく。


「100年前の大暗黒時代に、世界から魔術の礎は失われた。それゆえに、人間は鋼を打って武器となし、木を伐り、石を砕いて、新たな文明を築いたのじゃ。魔術は禁忌の技とされ、精霊や妖魅も世界の果てへと追いやられた。火を灯したいなら、石を打てばよい。水を欲するのなら、井戸を掘ればよい。魔術なんぞに頼らんでも、人間はこの世の支配者たりえたのじゃな」


「でもでも、魔術にはものすごい力があるのですから、正しく使えば石の都でも重宝されるのではないですか?」


「無理じゃよ。石の都で、魔術を行使することはできん。魔術の源は精霊であるのじゃから、精霊の住まぬ地で魔術をふるうことはかなわぬのじゃ」


 魔女エマは寝そべったまま、肩をすくめた。


「それに、魔術の礎が失われたと言ったじゃろ? 人間が新たな文明を築いたから、魔術が失われたのではない。魔術が失われたからこそ、人間は新たな文明を築いたのじゃ。もうしばらくすれば、この地からは精霊たちも完全に消え去って、誰にも魔術を行使することはかなわなくなるじゃろう。我ら魔術師は、滅ぶことが決定されている運命の中で、悪あがきをしているだけなのじゃよ」


「でも……まだしばらくは、魔術も滅びずに済むのですよね? それでしたら、わたしも魔術の世界に生きたいと願います!」


 フィリアが昂揚した面持ちで身を乗り出すと、魔女エマは2本の指をそちらに突きつけた。


「では、おぬしに弟子入りを許さない、ふたつ目の理由じゃ」


「はい! 何でしょう!?」


「めんどくさい」


「はい?」と、フィリアは小首を傾げた。

 魔女エマは、そちらに向かってべーっと舌を出す。


「どうせ滅びるとわかっている技を、後世に残す意味なんぞないわい。そんな無意味な行動に労力をかけるのは、まっぴらごめんじゃ」


「そ、それはあまりに怠慢ですよー! わたし、絶対お役に立ってみせますから!」


「嫌じゃよ。めんどくさいもん」


 フィリアは眉を吊り上げながら、子供のように「うー」とうなった。

 そこに、コンコンと軽妙なる音色が響く。

 魔女エマが「入れ」と応じると、どこからともなく漆黒の鴉が舞い降りてきた。


「わあ、大きな鴉さん!」と、フィリアはたちまち瞳を輝かせる。

 それを横目に、鴉はガアガアと濁った鳴き声をあげた。


「ふむ。ついに臨界を迎えたか。面倒じゃが、始末をつけておくかの」


 魔女エマは、弾みをつけて長椅子から飛び降りた。

 たちまち蔓草がのびてきて、その小さな身体に外套を羽織らせる。


「我は、用事ができた。森の外に放り出してやるから、あとは好きにせよ」


「絶対に嫌ですー! 弟子入りを認めていただけるまで、この場を動きません!」


「……そんな厄介な代物を抱え込んでいなければ、問答無用でほっぽり出してやるのじゃがのう」


 しかめっ面で述べてから、魔女エマは蔓草の差し出してきた杖を握りしめた。


「では、おぬしもついてくるがよい」


「え? どこに行くのですか?」


「妖魅が暴れておるので、それを退治する。おぬしがどのような世界に憧れを抱いておるのか、その目で確かめてみるがよいわ」


 フィリアは一瞬きょとんとしてから、「わーい!」と宝剣を振り上げた。


「妖魅の退治なんて、すごいですねー! わたしもお手伝いしましょうかー?」


「あぶ、あぶないわい! そんなものを、気軽に振り回すな!」


 魔女エマはひとしきりわめいてから、壁に杖を走らせた。

 すると、壁に光の門ゲートが出現する。フィリアは宝剣を腰に戻すと、床にたたんでおいた外套マントをひっつかみ、魔女エマのもとへといそいそと駆け寄った。

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