1 魔女と少女

「だいたい、おぬしは何なのじゃ! 我の魔術をいとも簡単に打ち破りおって!」


 エマと名乗ったその魔女は、いつまでもぷりぷりと怒っていた。

 フィリアと名乗った旅人姿の少女は、「ごめんなさい」と頭を下げる。


「さっきの泥人形ゴーレムさんも、魔女さんの魔術だったのですよね? 叩き潰されたらお話ができなくなってしまうので、やむなく退治させていただきました」


泥人形ゴーレムだけの話ではない! その前には、我の結界を破っておったろうが! というか、この森には何重もの魔術の罠が張り巡らされておったはずじゃぞ!」


「あ、はい。この《針の森》という場所に踏み入ってから、色々と不思議な出来事に見舞われました。たくさんの鴉さんに追いかけられたり、こーんなに大きな蛇さんに襲われたり、あちこちから奇妙な笑い声が聞こえてきたり……やっぱりあれも、魔女さんの魔術だったのですね?」


 フィリアは歓喜の表情で、魔女エマに詰め寄った。


「いつになったら魔女さんにお会いできるんだろうって、ずーっと胸を弾ませていました! お会いできて、心から光栄に思っています!」


「……もういいわい。それじゃあ、決着をつけることにするかの」


「はい? 何の決着でしょうか?」


「おぬしと我の決着じゃ。おぬしは我を討伐に来たのじゃろうが?」


 フィリアは、きょとんと目を丸くした。


「わたしは、魔女さんにお話があって来たのですけれど……人の話、聞いてました?」


「やかましいわい! どうして魔女と石の都の人間が、話なんぞをせねばならんのじゃ!」


「はい。実は、魔女さんにお願いがあってやってきたのです」


 フィリアはふいに真面目な顔になって、魔女エマの前に片方の膝をついた。


「どうか、お願いいたします! わたしを魔女さんの弟子にしてください!」


「嫌じゃ」


「えー! 魔女さん、ひどいですー!」


「ひどいのは、おぬしの頭蓋の中身じゃわい! こともあろうに、魔女に弟子入りじゃと? いったいどれだけ人の道を外れた生を歩んだら、そんな発想に至ることができるのじゃ!」


「えーとですね、話せば長くなるのですが」


「説明はいらんわい! 帰れ帰れ! いますぐ帰れ!」


「えーん! 魔女さん、ひどいですー!」


 フィリアは両手で顔を覆うと、さも哀れげに肩を震わせた。

 そして、指の間からちらりと魔女エマの表情をうかがう。


「……泣き真似はいいから、さっさと帰れ」


「てへへ。作戦失敗です」


「うわー、腹立たしい娘じゃの! だいたい、その刀剣は何なのじゃ! 我の魔術を打ち破るなど、生半可な刀剣ではかなわぬはずじゃぞ!」


「あ、これは我が家に代々伝わる宝剣です。わたしの家出に気づいた従者が、こっそり持たせてくれたのです」


「ふん。ろくでもない人間には、ろくでもない従者がつくもんじゃの。よほどの身分でなければ、そのような刀剣を携えることはできなかろうに」


「はい。勝手に家宝を持ち出してしまいましたから、父様たちはさぞかし怒っているでしょうけれど……でも、そのおかげで魔女さんに会うことができました!」


「さっさと帰って、尻でも叩かれるがいいわ。それじゃあの」


 魔女エマがきびすを返そうとすると、フィリアはその外套マントの裾に取りすがった。


「ま、待ってください! わたしはもう家に戻らぬ覚悟で、この森に足を踏み入れたのです! 魔女さんの弟子になれなかったら、もはや行くあてもないのです!」


「我の知ったことではないわい! そもそもおぬしは、魔女や魔術の恐ろしさを理解しておるのか?」


「はい。魔術は100年の昔から、禁忌の技として封印されているのですよね。それはこの世を滅ぼす力であるので、決して人の子が触れてはならぬのだと教わりました」


「……だったら、その掟に従うがいい。石の都に住まう人間と、魔術の世界に生きる人間は、決して相容れない存在であるのじゃ」


「それなら、わたしを魔術の世界にお導きください! わたしはどうしても、魔術を習い覚えたいのです!」


 ずっと不機嫌そうな顔をしていた魔女エマは、そこで初めてフィリアの顔をまじまじと見やった。


「おおかたおぬしは、貴族か何かの娘であるのじゃろう? それがどうして、魔術なんぞに魅了されることになったのじゃ? 石の都においては、身分が高ければ高いほど、魔術を忌避するものであろうが?」


「はい。魔女さんは、石の都についてお詳しいのですね」


「ふん。ひまなときに使い魔を飛ばして、都の様子をうかがっておるだけじゃ。悪辣なる石の都の住人どもに、寝首を搔かれてはたまらんからの」


 フィリアに外套マントの裾をつかまれたまま、魔女エマは傲然と腕を組んだ。


「おぬしも本当は、我の寝首を搔こうと舌なめずりしておるのではないのか? 魔女に弟子入りしたいなどという戯れ言よりは、よっぽどありえそうな話じゃ」


「そんなことは、決してありません! どうしたら、私の言葉を信じていただけますか?」


「ふふん。それなら、その宝剣とやらを、我に捧げてみよ」


 フィリアは「はい」とうなずくと、宝剣を鞘ごと魔女エマに差し出した。

 魔女エマはいくぶん顔色を失いながら後ずさろうとしたが、外套マントの裾をつかまれたままであったので、それもかなわない。


「や、やめんか。冗談じゃ。さっさとそれを引っ込めろ」


「でも、これでわたしの言葉を信じていただけるのでしたら、わたしは喜んで捧げます!」


「じゃから、冗談じゃと言うておろうが! そんなものを、我に近づけるな!」


「……もしかしたら、魔女さんはこの宝剣が怖いのですか?」


「こ、怖いわけがあるか! 魔女にとって、鋼の刀剣というのは不浄の存在であるのじゃ! よいか、決して我にそれを近づけるのではないぞ!」


「……絶対にですか?」


「そう、絶対にじゃ!」


「……うりうり」


「ぎゃー! やめんかー!」


 魔女エマは、ねじくれた杖でフィリアの脳天を殴打した。


「えーん! 魔女さん、ひどいですー!」


「ひ、ひどいのはおぬしの品性じゃ! 人の嫌がることをしてはならぬと親に教わらなかったのか!?」


「ほほう。災厄の権化と忌み嫌われる魔女殿とも思えぬ言葉でありますな」


「何じゃその人格は! おぬしの情緒はどうなっておるのじゃ!」


「あ、はい。魔女さんに出会えた喜びと、弟子入りを断られた悲しみで、いささか我を失っているのかもしれません」


 殴打された頭を撫でさすりながら、フィリアはふにゃりと微笑んだ。


「どうかわたしの言葉を信じていただけませんか? そうしたら、この宝剣は決して抜かないとお約束いたします」


「察するに、それは脅迫じゃな!」


「あ、言い間違えました。わたしの言葉を信じていただけたら、この宝剣は鞘に戻します」


「何も言い間違えておらんではないか! あー、抜くな抜くな! 抜くと、始まるから! 我とおぬしの、最終決戦が!」


 鞘から宝剣を抜きかけた体勢で、フィリアは困り果てたように眉を下げた。


「えーと、わたしはどうしたらいいのでしょう?」


「とっととこの場から消え失せい! 我は絶対に、弟子入りなどを許すことはないのじゃからな!」


「でもでも、わたしが武力に訴えれば、一縷の望みが生じたりはしませんか?」


「生じんわい! おぬしがあくまでその宝剣を抜こうというのなら、我もおぬしもこの場で魂を返すこととなろう」


「え? そうなのですか?」


「うむ。その宝剣の力と我の魔力は、おそらく拮抗しておる。我らが争えば、どちらも生命は助かるまい」


 フィリアはいっそう困り果てた様子で、「えー!」と身をよじった。


「わたしが死ぬのはいっこうにかまいませんが、魔女さんの弟子になれないのは困ります! わたしは、どうしたらいいのでしょう?」


「知らんわい。つくづく頭の破綻した娘じゃな」


 そんな風に述べてから、魔女エマは「へくちゅ」とくしゃみをした。


「うー、すっかり身体が冷えてしまったわい。おい、ひとまず我の住処に戻るぞ」


「ありがとうございます! 誠心誠意、修行に励みます!」


「言っておくが、弟子入りなんぞを認めたわけではないからな? これ以上、我の結界を荒らされたくないだけじゃ」


 魔女エマは、ねじくれた杖で虚空をひと撫でした。

 すると、そこには玉虫色に輝く光の門ゲートが、ぽっかりと口を開けたのだった。

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