終わりの魔女と始まりの世界

EDA

Witch of the end and world of beginning

第1幕 針の森の魔女

プロローグ

 昼なお暗き森の中を、ひとりの少女がてくてくと歩いていた。

 辺りには人間の気配もなく、不吉な気配がこれでもかとばかりに渦巻いている。暗い色合いをした針葉樹にはところどころに雪がかぶさっており、人間どころか生あるもののすべてが死に絶えてしまったかのような様相であった。


 ここは、近隣の人間から『魔女の森』と呼ばれる、きわめて危険な場所であるのだ。

 しかし、少女の表情に不安の陰りはない。

 むしろ、その鳶色をした瞳には、希望と喜びの光が明るく灯されていた。


 まだ若い、せいぜい15歳ぐらいの少女である。

 美しい栗色の髪を男の子のようにばっさりと短くしており、その上から外套マント頭巾フードをすっぽりとかぶっている。背中には大きな荷袋を背負い、腰には立派な長剣を下げた、ごくありふれた旅装束であった。


 小柄で華奢な体格をしているが、そのほっそりとした手足には若鹿のような生命力と躍動感があふれかえっている。道なき道を踏みしめる足取りも軽やかで、いまにも鼻歌でも歌いだしそうな様子であった。


 と――少女の足が、ふいにぴたりと止められる。

 深い茂みに、行く手をさえぎられてしまったのだ。

 黒い針のような葉を持つ茂みであり、高さは少女の胸もとぐらいにまで届いている。

 少女は左右を見回してから、「うーん」と小首を傾げて考え込んだ。


「なんとなく、真っ直ぐ進みたい気分ですね。森さん、ごめんなさい」


 言いざまに、少女は腰の長剣を抜き放った。

 刀身が濡れたように照り輝く、実に見事な長剣である。

 少女がその長剣をおもいきり振り下ろすと、黒い茂みは不自然なまでの勢いで左右に切り開かれた。


 少女は長剣を鞘に収めてから、再びてくてくと前進する。

 するとそこには、ちょっとした広場のような空間が待ち受けていた。

 背の高い針葉樹に囲まれた、ほぼ正円の空き地である。地面は黒みがかった土であり、あちこちに白い雪がかぶさっていた。


 少女はやはり恐れげもなく、その空き地へと足を踏み入れる。

 その瞬間、不吉なる声が地の底から響きわたった。


『立チ去レ……ココハ、オマエの居場所デハナイ……』


 少女は瞳を輝かせながら、きょろきょろと周囲を見回した。


「あなたが、この森の魔女さんですか? わたし、あなたに大切なお話があるのです!」


 少女の問いかけに、答えるものはいなかった。

 その代わりに、足もとがぐらぐらと揺らぎ始める。

 そうしてついには、地面の一部が生あるもののように、もりもりと盛り上がり始めた。


「わあ、すごい!」と、少女は無邪気に歓声をあげた。

 黒みがかった土くれが、少女の頭よりも高い位置まで盛り上がっていく。

 その土くれは、やがて不格好な巨人の姿を作りあげた。


「すごいすごい! これも魔女さんの魔術なのですね!」


 はしゃぎきった声をあげながら、少女は再び抜刀した。

 巨人は両腕を振り上げて、地鳴りのような咆哮を轟かせる。


 目の部分には鬼火のごとき青白い眼光が灯り、口の部分にはぽっかりと黒い穴が空いている。背丈は少女の倍ほどもあり、その腕は少女の胴体よりも太い。この世にありうべからざる、それは恐るべき泥人形ゴーレムであった。


『立チ去レ……サモナクバ、叩キ潰ス……』


「でもでも、わたしは魔女さんに大事なお話があるのです! どうか、わたしの話を聞いてくださいませんか?」


 泥人形ゴーレムは一瞬の沈黙の後、その巨大な拳を少女に振り下ろした。

 少女が長剣を一閃させると、その巨大な拳は木っ端微塵に砕け散る。

 砕けた拳は、元通りの黒い土くれとして地面に還った。


「ごめんなさい! どうかわたしと、お話をしてください!」


 続けざまに、少女は長剣を薙ぎ払った。

 右足を寸断された泥人形ゴーレムは、地響きをたてて倒れ込む。

 その脳天に、少女は迷わず長剣を振り下ろした。


 泥人形ゴーレムの頭部が爆散し、鬼火のごとき眼光も消滅する。

 それと同時に、泥人形ゴーレムの巨体はあっけなく崩落した。

 後に残されたのは、こんもりと盛り上がった土の小山である。


 少女は「ふう」と額の汗をぬぐってから、長剣を鞘に戻した。

 すると、新たな声がその場に響きわたった。


「ええい、いったい何なのじゃ、おぬしは! 我の魔術をことごとく打ち破りおって!」


「あっ! あなたが魔女さんですね!」


 少女は喜色満面で、空き地の真ん中へと駆け出した。

 いつの間にか、そこに小さな人影が出現していたのである。


「はじめまして! わたしはフィリアと申します! 魔女さんにお会いするためにやってきました!」


「……石の都の人間なんぞに、用事はないわい」


 その人物は、心から不機嫌そうに言い捨てた。

 フィリアと名乗った少女よりも、さらに小さな姿である。


 年齢は、10歳ぐらいにしか見えない。

 古びた緋色の長衣ローブの上に、分厚い頭巾フードつきの外套マントを纏っているが、実にちまちまとした姿であった。

 髪は燃えるように赤く、瞳は妖しい金色に光り、なめらかな頬には奇怪な黒い紋様が刻みつけられている。ねじくれ曲がった木の杖を握りしめた手の甲にも、同じような紋様が刻まれていた。


「あなたは、魔女さん……の、娘さんか何かですか?」


 フィリアがきょとんとした面持ちで問いかけると、赤髪金眼の幼女は眉を吊り上げてわめき散らした。


「誰が娘さんじゃ! 我こそが、《針の森の魔女》として知られるエマ=ドルファ=ヴァルリエートであるぞ! 恐れおののいて、ひれ伏せよ!」


「わあ、それじゃあやっぱり、あなたが魔女さんなのですね! お会いできて、光栄です!」


「きらきら瞳を輝かせるな! ひれ伏せよと言っておるのじゃー!」


 幼女ならぬ魔女エマは、癇癪を起こした様子で地団駄を踏んだ。

 少女フィリアは、そんな魔女エマの姿を満面の笑みを浮かべつつ見つめている。

 かくして奇異なる運命のもとに生まれついたふたりの娘たちは、その場で邂逅を果たすことになったのだった。

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