第10話 勇気をだして
「お兄、今日なんか滾ってんね」
「おっ、分かるか? 実は今日、天下分け目の大一番な訳よ」
「えっ……!? まさかお兄が……? でも仕方ないよね、そういうお年頃だもんね」
そう、今日は吉川を我が人尽部に勧誘する日なのだ。これが上手くいかないと、コミュ障部員しか居ない我が部はもれなく
靴紐を結び終え立ち上がると優子がへぇ、と面白がる顔をした。
見慣れた表情だけど、不安半分な心持ちだったせいで少々癪に障る。
「んだよ。どうせ上手くいかないと思ってんだろ」
語気が強くなってしまったが、優子は全く物怖じせず、
「思ってる」
「ちょっとは遠慮しろよ。プロ野球選手だっていざ、ど真ん中のストレートがきたら見逃しちゃうもんなんだぞ」
怒る気にもならなかった。と言うのも、自分でも本心ではそう簡単に吉川を説得が出来るとは思っていないからだ。
期待に胸を膨らませるのは結構。しかし、過度な期待は身を滅ぼすぞ、と優子は遠回しに教えてくれたのだ。
ポンと俺の肩に手が置かれる。
見上げると、優子は控えめに微笑んで「ほどほどに頑張りたまえ」と俺に最高の言葉選びでエールを送ってくれた。
ほどほど……か。
まさか、中学1のガキンチョに励まされるなんてな。
「うわっ! やめてよ! 髪の毛ボサボサになるぅ〜!」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でると、くすぐったそうに身を捩る優子。
待っていろ吉川夜明! あらゆる交渉手段を用いて、必ず入部届けに名前を書いてもらうからな!
玄関を開けて勇ましく一歩を踏み出す。これが藤本直樹──反逆の始まりだったのだ。
「お兄! まだ片方しか靴履いてないよ!」
「えっ!?」
午前の授業が終わったが、内容は全くといっていいほど頭に入らなかった。
それより、どう吉川を堕とすかだ。
泣き寝入りはNG(俺の羞恥心が持たないため)。かと言って、門限という名の盾を構えられたら……無理な気しかしない。
雪見先輩に連絡しても『がんばれれ』と『れ』が2回続いた返事が返ってきただけだ。
誤字は可愛らしいけど、部存続の危機に無関心なのは褒められたもんじゃない。仮にも部長でしょうが。
優子からもメッセージが来た。
『ダメだったとしても自殺とか考えないでね! お兄の玉子焼き食べられないのやだよ!』
デフォルメされたウサギがわんわんと泣くスタンプが添えられていた。
自殺て、そんな仰々しい……
『するわけないだろ』と返信した1秒後。
返信早っ! グッドマークをした猿のスタンプ……人を舐め腐ったような顔で、なんか煽られてる気になるな。
そして、時間はあっという間に過ぎて──放課後になってしまった。いつも通りトイレの入口で見張り番をやっていると、
「どうしたの? 今日はなんたか顔が固いけど」
「えっ!? そそそそうかな!?」
足音も無く事を終えた吉川が現れる。
「吃り方もあからさまね。何かあったの? 私達、簡単な仲じゃないんだから補えるところは補いあわないと」
簡単な仲にさせてくれないのは千パーセントあなたのせいですよね……?
あなたが特殊性癖に目覚めちゃったせいで拗れに拗れたこの関係はもう修復不可です!
頭ん中で、どう話を切り出すか考えてはみたけど……やっぱり何一つ思いつかない。
なかなか切り出せない俺を見かねた吉川は、話を切り上げる。
「じゃ、今日もありがとう。明日もよろしくね」
ああ……吉川が帰ってしまう。
背を見せる寸前──俺は吉川の腕を掴んだ。
「ちょっと待ってくれ! 話がある」
結局、あれこれ考えるだけ無駄だったみたいだ。まともにコミニケーションを計れないような奴が試行錯誤する方がよっぽど醜い。ただ素直に、伝えたい事を簡潔に。それだけで良かったのだ。
「俺んとこの部に入ってくれないか?」
言った! 言ったった!
吉川さんめちゃくちゃ面食らってるけど、もう言えた方が快挙すぎてどうでもいい!
「ごめんなさい」
「えっ」
「昨日も言ったけど、門限があるから部活には入れない……藤本くんからのお願いだとしても、こればっかりは無理なの」
掴んでいた手から力が抜けてゆく。
ぷらんと振り子のように垂れた俺の腕を吉川が悲しげに見つめる。
正直に言ってもよろしいでしょうか?
──これ、絶対入部の流れでしたよね!? 不安がってた俺を妹が励まして、やる気のない先輩も実は裏ではドキドキしてて、無理そうに見えていて、実はオッケー! なんてよく漫画とかじゃありがちな展開じゃん! お願い! もっかい今のところやり直させて!
「あっ……あの、名前だけでも借りられ──」
ダメだ……まだ頑張るんですか? って吉川が訴えてきてる。ここで引かないと本当に聞き分けのない子供だと思われるだろう。
「すまん。忘れてくれ」
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