第8話 人尽部と雪見京子

 

「ジンジン部?」


「そ。『人のために尽くす』って書いて人尽じんじん部。ご立派な名前つけてるけど、ただのボランティア部だよ」


 もっとも、俺が入部してから、それらしい活動なんて数える程度しかない。今やただの放課後暇つぶし部。完全に名前負けである。


 ハンカチを口に咥えて手を洗う吉川は、へぇー、と感心した様子だった。


 いきなり、部活をやってるのか、なんて真面目な質問をしてくるなんて……少しはお祓いの効果が出たのかもしれない。


 場所はもちろん放課後の男子トイレです。もうデフォルトです。


「そういや、吉川ってなんか部活やってんの?」


「ふおほほはふほおおほ」


「何言ってるか分からん。ハンカチ離せ」


「私はどこにも入ってないわ」


「お前なら引く手数多だっただろうに」


 キュッキュッと蛇口の栓を締めた吉川は「まあね」とキメ顔を見せた。しかし、程なくしてどんよりと表情が曇る。


「でもうちの家、門限があるから部活には参加させて貰えないの」


 も……門限とな。ドラマとかでよく見るやつですよね? お嬢様が門限破って叱られるシーンとか見たことあります。


「ちなみに何時?」


「5時」


「5ッ!? おまっ、それって学校終わったらすぐ戻んないんとギリギリなんじゃ……」


「ええ。だから今もこうやって無駄話をしている時間はないわ」


「この日課をやめればいいのではないでしょうか」


 あと無駄って……付き合わされてるのはこっちなんだけど。


 バッグを肩にかけた吉川は、それじゃまた明日と言い残して、早歩きで帰っていった。


 それにしたって5時はさすがに……もしかして、箱入りお嬢様?





 薄暗い部室棟を訪れた。


 階段を登ること4階。

 人尽部の部室は、もはや追いやられているみたいに最上階の一番端にあった。


 と言っても、この配置には意味がある。

 基本的に、用具や荷物がかさばる運動部は優先的に下の階を使わせてもらえる。


 一方、文化部に激しい移動は無い。

 運動がてら階段くらい登りなさい、と上の層に追いやられるのだ。


 一番端っこなのは……たぶん人尽部にはそこがお似合いという意味が込められているのだろう。


 だって。


「やっぱり開け辛い……」


 ドアの隙間から漏れ出す圧倒的な陰のオーラは、本当にここが我が部の本拠地なのか、と躊躇する程に。


「あら?」


 ドアノブに手をかけた瞬間。

 背後からか細くありながらも透き通った声がした。


「あっ、雪見先輩」


 振り返ると、そこにはメガネをかけた長身で野暮ったい雰囲気の女性がいた。

 吉川と似た長い髪を携えていながら、所々、毛先が外に跳ねている。


 雪見京子ゆきみきょうこ──あだ名は『雪見だいふく』

 俺が勝手につけた。


 理由はたった一つだ。

 チラリと、胸元を見る。


 両手いっぱいに本を何抱えているせいで、ダイナマイト級のお胸が乗っちゃってます。



 フラッシュバックするのはここを訪れた初日。


『初めまして雪見京子です。よろしくね』


 彼女の自己紹介なんて右から左へ受け流れ、脳内では……


 雪見……?

 まさか、その2つ実った果実は雪見だいふくかぁぁぁッッ!?


 初めて雪見先輩に出会ったあの瞬間の衝撃は今でも忘れない。


 そのあだ名を付ける事に一瞬の迷いも無かった。

 なんなら、我ながら秀逸とすら思う。


「今日もたくさん読むんですね」


「うん……」


 どうしたのだろう?

 浮かない顔をしている。


「あのね……ちょっと中で話そうか」


 ただならぬ空気。

 さっきまで躊躇していた部室のドアノブをあっさり開けて中に入った。


 こじんまりとした部屋は長机と椅子が数脚、ホワイトボードがあるだけの質素な部屋だ。


 大量に持ち込まれた雪見先輩の本のせいで、ここは文芸部ですか? と疑問を抱かずにはいられない。


 窓を開けると、新鮮な空気が入り込んでくる。


「で、話ってなんですか?」


 俺がそう言うと、机の上に1枚の用紙が配られる。


「なんすか……これ」


 そこには人尽部に対する警告が記されていた。


「うち、廃部になるかもしれない」


「えっ!? そんな急すぎます! 俺、何も聞いてないですよ!」


「申し訳ない!」


 強かにデコをぶつける雪見先輩に動揺した。


「なんで先輩が謝るんですか?」


「実は、ずっと前から警告を受けてたの。部員が足りないと部活は廃部にせざるを得ないから何とかするように、って」


 我が人尽部には、俺と雪見先輩……あと…………あとは居ない。


「ちなみに、期限は?」


「随分飲み込みが早いんだね……今月末」


 スマホを取り出してカレンダーアプリを起動。


『6月7日』


 どうりで最近暑くなってきたわけだ。

 もう夏本番は目の前、今は暑さに体を慣らしておくための準備期間。


 ……って。


「全然、時間ないじゃないですか!」


「かたじけない……」


「どーすんですか!? 今年、勧誘活動してなかった影響がモロに出ちゃってんじゃないですか! 俺言いましたよね!? 一応しといた方がいいんじゃないかって!」


「だ……だって! 別に一人くらいだったら何もしなくても入ってくるかな〜って思ってたんだもん!」


 そんな楽観的な理由で……


 こうなる予感はしてた。

 だって人尽部の部室前に来てみて下さい。皆、隠しきれない黒いオーラにUターン必至です、間違いなく。


「確か、部存続には最低3名の部員が必要って生徒手帳に書いてあるよ」


 知ってるよ……だって俺、一応見たもん。人尽部無くなりそうだから確認して雪見先輩に伝えましたもん!

 だけど、いつになっても廃部とかの話題が出ないから安心してたのに!


「どうしますか? もう6月ですから、大体の1年生は部活決めちゃってますよ」


 そう言うと、雪見先輩の眼鏡の奥がキランと光った。


 ポン! とペンのキャップを弾けさせる。


 キュッキュッ……バン!


「これより、第一回人尽部存続大作戦の会議を執り行います!」


「せんぱーい、ペンを長らく使ってないせいで、インク固まっちゃってまーす。何も見えませーん」


 ホワイトボードを叩いて決めポーズをする雪見先輩がガクンと崩れ落ちる。


 はよ続きをせい。……ん?

 カザゴソとダンボールを漁り始めたぞ。


 おお、2本目のペン!


 ポン! キュッキュッ……バン!


「これより、第1回人尽部存続大作戦の会議を執り行います!」


 ああ、そこからやり直すんだ……

 それに、第1回って、2、3回目があるような言い方じゃないか。そんなのヤダよ。


「で、作戦って何か案があるんですか?」


「……」


「無いんだ」


 清々しい程の沈黙だった。

 さっきの勢いはどこへ行ったんだ。テンションが0か100の2つしかないのか。


 それにしたって、新入部員か……


 ふと、吉川の顔が頭に浮かんだ。


「あてが無いわけじゃないんですけど……」


「えっ!?」


 部活はやってない……でも門限があるって言ってたな。やっぱ厳しいかもしれない。


「藤本くんに任せていいかな!?」


「先輩がやりたくないだけでしょ」


「だって私、同級生の友達いないし……」


 しまった。地雷を踏んだ。


「俺も気軽に話せる奴なんていませんよ」


「そっか……」


「はい……」


 ……あれ? 詰んでない? 俺も雪見先輩もまともに会話出来る友人がいない。

 じゃあ、いま頼れるのはやっぱり吉川だけか。


「ダメ元で頼んでみようと思います。籍だけでも置いてくれるかもしれないから」


「ほんと!? 助かるな〜。やっぱり持つものは後輩だね!」


「後輩しか持てなかったの間違いでは……」


 吉川にメッセージを、と思ったけど、頼み事はちゃんと顔を合わせて伝えた方がいいよな。文字面だけだと、必死感伝わんないだろうし。


「ところで、その相手って誰なの?」


「吉川です。吉川夜明」


「よっ、吉川夜明!?」


 ビッグネームに体を大きく仰け反らした雪見先輩は、腕をクロスして大きくバツマークを作った。


「絶対ムリ! そんな大御所、引き入れられる可能性があると思う!?」


「やっぱ無理っすかね」


「いいや! やってみなさい!」


 どっちだよ……


 ズレた眼鏡をかけ直した雪見先輩は興味津々と言った様子で、


「どうやって吉川さんと仲良くなったの? 私そっちの方が興味あるんだけど」


「別に何かあったわけじゃないですけど、最近よく話すようになって」


 男子トイレの個室から出てきた所に鉢合わせしました、なんて口が裂けても言えない。

 もしバレたら吉川を崇める学校内の安寧秩序が崩壊しかねないぞ。


「怪しい」


「1年の頃、同じクラスだったよしみで……それだけっス」


「ふーん」


 じりじりと迫ってくるのやめて! アツに押し潰されそう!


「ま、まあ、とにかく一度相談してみますよ」


「そうね、それがいい。この部を失うのは惜しいから」


 窓の外を眺める雪見先輩はどこか悲しそうで、本当にこの部が大切なんだな……って、なんかいい感じに耽ってますけど、元はと言えばちゃんと勧誘活動してればこんなに面倒な事にはならなかった訳で。


「私も出来ることは頑張るから、藤本くんもお願いね」


「了解です、部長!」


 でも、過ぎた事は仕方ない。今は人尽部ここを絶対無くさないように──その為には吉川の手助けが必要だ。


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