第7話 吉川夜明は神の使いにすら楯を突く
改めて紙を見た宮司が名前を読み上げる。
「ヨシリバ・デイ・ブレイク」
「はぁ!?」
声を上げた俺に辺りの視線が突き刺さる。
口を抑えて俯く。
な……なんちゅうことをやってんですかこの人はァ!?
「おい」と全く動じてない吉川の腕をつついて、耳打ちする。
「誰だよ、ヨシリバ・デイ・ブレイクさん」
「私よ」
「知ってるよ」
当たり前でしょ、と、言いたげな顔しやがって……そりゃ、お前しかこんな馬鹿なことやらんだろうよ。
「それにしても、ヨシリバ・デイ・ブレイクって別に言い吃るような文字面してねぇよな?」
「いいえ、あの方を責めないであげて。だって、私、漢字と平仮名とカタカナとローマ字を複合させたもの。悪いのは私よ」
シュンと眉を下げて申し訳なさそうにするのはいいんだけど、さすがに鬼畜すぎやしませんか?
4種のコラボレーションやめて下さい。
あとちょっと、デイブレイクがカッコよくて口に出したい。
宮司が立ち上がった。叱れるのかと思ったが、手に持っている大麻(棒に白い紙みたいなのがついてるやつ)を見て安心した。
一人一人の頭を左、右、左と撫でるように振って、いよいよ俺の番。
グシャ、グシャ、グシャ!
なんか、俺の時だけ強くないですか?
もしかして、さっき反応しちゃったせいで名前の犯人俺かと思ってます?
「ぐえっ」
最後の一振はもう頬っぺを殴る勢いだった。
吉川は普通(むしろ優しい)ぐらいの撫でられ方で……なんて理不尽なんだ。
チラリと横目で俺を見た吉川と目が合うや、スクスクと笑う。
完全に舐め腐ってやがる……!
口元をひくつかせながら、覚えとけよ、と心の中で呟くのだった。
厄祓いが終わり、解散になると、宮司は真っ先に本殿から姿を消した。
「ねぇ、ヨシリバさんって外国の人かな?」
「別に噛むような名前じゃなくね?」
「お経はスラスラ読めるのに人名に弱いのか」
散々な言われようだ。たった一人の女子高生に、ここまでの傷を負わされるとは……
あと、ヨシリバさんはここにいます。
「じゃあ、私達も行きましょうか」
「そうだな。それにしても名前──がっ」
「が?」
「す、すまん。手を貸してくれ。足が痺れて……」
プルプルと震える俺の足を見た吉川はぷっ、と小さく吹き出した。
笑うな! 今足に蚊でも止まろうものなら、叫び声を上げて泣きわめく自信すらあるんだぞ。
ほら、と差し出された吉川の手を取って、何とか立ち上がれた。
いかん。杖を忘れたおじいさんみたいになってる。
「よ、吉川……もう少し、ゆっくり歩いてもいいかな?」
「仕方ないわね」
その時、嫌な予感がした。吉川の口の端が怪しげにつり上がったからだ。
「──なっ!? 吉川さん!?」
吉川が俺を置いて先を歩き始めた。
ちょっと待って! 一人じゃまともに歩けませんよ!
動けない俺を振り返った吉川は悪魔のようなセリフを吐いた。
「ここまでおいで」
両手を広げて慈愛に満ちた表情を浮かべるのは、さながら仕事で待たせた幼稚園の息子をお迎えに来たお母さん。なんてのはどうでもよくて!
「た……助けて……」
「いやよ。ここまでおいで。そしたら助けてあげる」
立ってるだけで微弱な電流が足元から全身に駆け巡る。そんな状態で一歩踏み出したら、俺の体はどうなって……あぁっ! 考えるだけで恐ろしい!
「お……俺達パートナーだろ? お互いウイン-ウインでいこうじゃないか」
「頭も痺れて小さい『イ』が言えなくなってるわ。洗濯機の音みたいね。ウチのは高性能で静かだから聞いたことないけど」
「これは立派なイジメだぞ。あと、俺を馬鹿にするのは構わないが、洗濯機の優劣をつけるのはやめなさい」
遠くで聴こえる。
「あの、2人見合ってどうしたの? まさか、こんな所で別れ話? サイテーじゃない?」
「いやいや、さすがに釣り合わなすぎでしょ。彼女が不名誉で可哀想よ」
そうですか、この場合俺が悪者に見えているんですか。世の中理不尽すぎやしませんか。
俺は今、足に爆弾を括り付けられた状態なんです。あんたらに、この惨めな気持ちが分かりますか?
「うわっ、こっち見た……目付き怖……」
「行こ行こ」
けっ! さっささと掃けろ! 見せもんじゃねぇぞ!
「さぁ、藤本くん。来るの? 来ないの?」
そう選択を迫られた時だった。
吉川の後ろで、ずざーっと子供が転ぶ。それはもう豪快に。
俺はすぐさま駆け寄った。
きれいなヘッドスライディングと言えば聞こえはマシだが、子供柔らかい皮膚が耐えられるはずもなく。
「痛い……」
「そりゃそうだろ」
体を持ち上げて立たせると、膝から薄い血が滲む。
泣いたりするもんかと思ったが、転んだ少年は砂を払って「ありがとう」と頭を下げた。
「落ち着いてんな」
「自業自得だから」
最近のガキンチョは難しい言葉を使う。
「ソウタ!」
少年の母親がやってきた。膝の怪我を見て切羽詰まった様子だったので、事情を説明すると、深々と頭を下げて去っていった。
あの少年の所作は母親譲りなのだろう。
頭を下げる時の角度とか、後ろ姿とか……よく似ている。
「意外と優しいのね」
「意外と、は余計でしょ」
並び立った吉川は居心地の悪そうな顔をした。
「私はああいう時、どうしたらいいか分からないから……素直に凄いなって思う」
「ほぉ……そいつは──」
「意外?」
……だから被すなよ。
儚げに笑って見せた彼女に「意外すぎて足の痺れもどっかいったわ」と言うとチョンと足をつつかれた。
「ひぃん!」
「嘘つき」
吉川夜明という人間は、それはもう突っ込む暇などないくらいに完成された存在で、見るもの全ての視線を奪い去ってしまうような究極完全体。
そんな彼女の少し弱そうな部分を見れたのは、今日の収穫としておこう。
「それにしても、なんで偽名なんか使ったんだよ」
「宮司さん、最高に困っていたでしょ?」
ああ……そういえばこういう人でしたね……
そもそも、今日は厄祓い──もとい吉川に取り憑いた背徳感という悪魔を払いに来たんですが、どうやら全くの無為になってしまったようです。
賢い人は絶対に他人を困らせるような事はしないで下さいね。
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