第5話 吉川夜明は図書館でナニを揉む?②
俺と吉川は揉みあいになっていた。
「だって、図書室で水気のあるスライムで遊ぶなんて絶対してはイケナイ事よ! 万が一避けて中身が溢れでもしたら……あはっ! 興奮するわ!」
どうりで、見るからに高い本といつ破裂してもおかしくなさそうなスライムを用意した訳だ。
こいつは、本当にギリギリを楽しんでやがる。
血走った目……怖いです。
あと、想像力豊かすぎ。普通、図書室でスライムをいじくって裂けるかどうかなんて試そうと思います?
「感じる! 感じるわ、藤本くん! これならイける!」
「イかないで絶対! 俺は逝きそうだけど!」
その時だった。
吉川は目の色を変えて、俺の腕を強く引いた。
そして、風も吹いてないのにパラパラと捲られた本を二人の間に置いて、「シッ」と人差し指を口元に立てて、静かにするよう合図を送った。
「なんだよ、急に静かになっ……」
吉川の奥から貸出しカウンターにいた女子生徒が現れた。担当の図書委員だ。メガネをクイッとかけ直し、怪しむような目でこちらを見ている。
マジかよ……こいつ、人の気配を察知して即座に変わり身を決めやがった。3年間磨いた背徳は危機察知能力を極限まで高めるという副産物を産んだのか……!
女子生徒が去ってゆくと吉川は得意げに鼻を鳴らした。
ムカつくけど、こればっかりは助けられた(そもそも吉川がスライムなんて持ってこなければ済んでいた話なのだが)。
おでこを指で小突くと「あうっ」と情けない声を出した。何が起こったのか分からないといった様子でアホっぽく疑問符を浮かべている。
「助かったよ」
そう言うと、吉川は嬉しそうに口の端を上げた。そして、何を言うかと思えば……
「ねっ? 興奮するでしょ?」
全然、懲りてない……
「こっちはヒヤヒヤしたよ」
「大丈夫。段階的に悪化していくから」
その言い草はおかしい。
まるで改善に向かうような言い方で悪化って言っちゃったよ。
──ん?
ふと、机の上に液体でも個体でもない物が見えた。色は緑色で……
「お……おい、吉川……」
「どうしたの?」
「お前さ……スライムどこに隠した?」
「どこって……ポケットに決まって、──!?」
吉川の額から大量の汗が流れる。そのポケットの中には空気しか入っていなかったようだ。
バン! と机の上に2枚の用紙が叩きつけられた。
これあれですね……よく、お咎めの時に色々反省の文を述べるやつ。
顔を上げると、さっきの図書委員。
後ろからゴゴゴゴゴ、と擬音が聞こえてきそうなくらいの怒りのオーラが放たれている。
ああっ! スライムがっ! 図書委員に掴まれたスライムの顔がァ!
「お二人共、こんなモノ持って図書室にきゃダメじゃないですか」
口調は優しくとも、顔は全く笑っていない。
それより、掴まれたスライムの顔が膨れ上がっている方が気になって仕方ない。
「お、落ち着いて下さい……そのままだとスライムが──」
俺は立ち上がって感情を抑えるように宥める。しかし、時すでに遅し。
パァン!
起きたのは小規模爆発。図書委員の手から、机の上に緑色のドロドロとした液体が滴り落ちていく。
絶対にこの沈黙を破ってはいけない。お互いに不利益しか生まないからだ。
そんな何重にも気を配りあった暗黙のルールを破ったのはやはり吉川だった。
ビシッと息絶えたスライムを指さし、
「見て、藤本くん! 裂けた! 図書室で絶対あってはイケナイ事が起きてしまったわ! あははっ!」
「……」
「……」
俺と図書委員の間には沈黙が。
吉川には愉悦が降り注いだ。
結局、責任を感じた図書委員は俺と吉川を不問とし、自分が片付けをする羽目になった。
可哀想すぎる……とんだ流れ弾が彼女に。
去り際、俺は合掌して深々と頭を下げた。
彼女のメガネの奥に輝く水滴が涙ではなく、飛び散ったスライムであるのを願うばかりだ。
「放課後は付き合ってくれなくていいわ」
吉川は別れる間際にそう言った。
「今日は早めに帰らなきゃいけないの」
「なるほど。それで今日は放課後じゃなくて昼休みだったのか」
「ええ」
えっ、もしかして毎日付き合わされるパターンですか? これ、超辛くない? 週5で寿命を削っていくじゃん。
はぁ、とため息を吐く。
「分かったよ。じゃあまたな」
歩き出して三歩としないうちに、吉川は反対側に向かおうとする俺を呼び止めた。
「教室、同じ方向でしょ? 一緒にいかないの?」
「……お前さ、もうちょい自分の立場というか、価値をわかった方がいいよ」
あまりに無垢な顔で言ってくるから、少しぶっきらぼうな言い方になってしまった。
吉川夜明はどうしてもみんなの憧れで、俺なんかと一緒にいるところを見られたら、それこそブランドに傷がついてしまう。
本当なら、多少なり人の目がある図書室にだって行きたくはなかった。
吉川の微動だにしない表情が、咎められているような気分にさせる。
「あー、いや。自販機行ってから戻るから」
人気の少ないうちに別れるべきだ、と意味を込めて。俺は吉川に背を向けて歩き始めた。
……背中に強い視線を感じる。
振り返ると、吉川は胸に手を当てて不安気に眉を下げていた。
ちょっと愛想がなかったかもな。
俺は近寄りそこしなかったが、声が届くように吉川に向き直った。
「今日の昼休みは、いつもと違って楽しかったよ」
それは紛れもない事実だった。
社会の掃き溜めのようなSNSを眺めながら弁当を食べ、俺とは違った色の生活を送る奴らを横目で一瞥する。
そんな昼休みに比べたら、今日は何倍も豊かだった。
「藤本くん」
「ん?」
「私も愉しい」
「お……おう」
今日一番の笑顔を見せた吉川だったが、一抹の不安が頭をかすめる。
字が違うような気がするけど、俺と彼女の間に解釈違いはなかろうか? 不安だ……
教室に戻ると、もう昼休みの時間はごくわずか。
机に突っ伏してみると、疲労感だけが1ヶ月分先に振り込まれてきたような感覚に陥った。
本当に付き合いきれるのだろうか……
5限は隙を見て寝た。
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