17:二人のディナーとカミングアウト

「麻里菜、今日の夜ご飯カレーなんだけど、一緒に作る?」

「いいよ。作ろう!」


 初見バトルは、引き分けを通り越して一つの曲としてしあがってしまった。そもそも、最初から決着をつけるつもりはなかったのだ。


「他の家のカレー食べるの久しぶりかも」


 春休み中、麻里菜は「どうせ暇なんでしよ」と母に言われて、毎日夕食を作っていた。カレーに関しては、母よりおいしく作れるのだ。

 いや、進学校ゆえ春休みの宿題は多かったので、言われるほど暇ではなかったのだが。


「これ、調理実習の時に持っていってたエプロン。麻里菜はこれつけて」


 美晴は水色の、胸から足まである丈のエプロンを引っ張り出してきた。

 受け取った麻里菜は少し浮かない顔をする。


「……ちょっと大きめかも……あはは」


 高身長(百六十センチは余裕で超えている)の美晴に合わせて作られている。自分で作ったのだろうか。麻里菜がすると膝下十五センチまですそが垂れてしまった。


「か、かわいい」

「何か言った?」

「な、何でもないよ!」


 麻里菜は美晴を見上げた。そっぽを向く美晴の耳が少し赤い。


「み、見ないで。恥ずかしい」


 何で照れてるんだ……? 「かわいい」って言われた私が照れるのなら違和感はないのになぁ。


「ほ、ほら、やるよ! 二人で手分けして皮むきするから」

「あ、うん」


 麻里菜はピーラーで、美晴は包丁で、じゃがいもやにんじんの皮をむいていく。家のものと違ってよく切れるピーラーにも驚いたが、一番は美晴の包丁さばきである。ピーラーを使う麻里菜より速くむかれてしまった。


「美晴、いつもご飯作ってるの? この間も『夜ご飯の準備しないと』って言って電話切られたし」

「そうだよ。私しかやる人いないし。だから部活にも入らない」

「だよね……」


 具材を切り終わると、美晴はさっそく肉と玉ねぎを炒め始めた。炊飯器は十五分前からボタンが押されて起動中だ。


「麻里菜、サラダ作ってくれる? そこのお皿にレタスをしいて、冷蔵庫に入ってる『キャベツとスパゲティサラダ』をのせて」


 ま、まめだな……。うちなんてカット済みの千切りキャベツなのに。


 麻里菜がサラダを作り終えるころには、炒めた具材から香る甘いにおいが部屋中に広がっていた。


「このまま煮こんで、ルー入れて、すりおろしりんごとはちみつを入れればオッケー」


と言って美晴は鍋にふたをした。


「隠し味入れてるんだね」

「麻里菜ん家は入れないの?」

「うちは……というか『私は』その代わり、玉ねぎはもっと炒めて、色んなメーカーのルーを入れるよ。多い時で六、七種類はあったかな。常に十箱以上は開封済み」


 家庭によって辛さはもちろん、隠し味などで個性が出るカレーライスである。

 煮こんでいる間にりんごをすりおろした。

 十分ほど経ち、美晴が取り出したのは某メーカーの中辛と甘口のカレールーだった。りんごとはちみつを入れることも考え、麻里菜が作るカレーよりは辛めになっている。


 すりおろしたりんごと、目分量ではちみつを加えた美晴。味見では「今日はうまくいったよ! 完璧!」と御満悦らしい。






 ダイニングテーブルにカレーライスとサラダが並んだ。


「「いただきます」」


 一口、麻里菜は口に運んだ。


「う……うまぁ」

「でしょでしょ! 味つけ完璧じゃない?」

「うちとは違ってまたおいしい」


 割と辛めに作ってあるのにもかかわらず、りんごとはちみつで甘さとまろやかさが足され、深いコクが作り出されていた。

 感情をあまり表現しない麻里菜が、ここまで分かりやすく幸せそうな顔をしている。美晴は食べる手を止め、左手を膝の上でにぎって何かをこらえる。


 夕食は、お互いの吹奏楽部現役時代の話で盛り上がった。






 また麻里菜は皿を洗い、美晴はソファでスマホを見ながらくつろいでいる。


「麻里菜、ありがとう。いつも一人でやってるから、夜にこんなのんびりできたことないよ」

「いえいえ。私だって、これくらいのことはしないと」


 今度はしっかり電気を消してから、美晴の隣に座った。

 まだ八時半を過ぎたころである。


「なんか、ね。うちら姉妹なんだよね」

「そうだよ。……実感がわかないけど」

「……ねぇ、麻里菜」


 美晴の声色が少し変わった。あんなにハキハキしゃべっていたのに、微妙に声が震えている。


「なに?」

「私からも言いたいことがあるって言ったじゃん? 今から話していい?」

「いいよ」


 麻里菜は美晴に先を促した。


「……お母さんには死ぬ前に言ったんだけどさ、私……」


 続きの言葉がなかなか出てこない。が、麻里菜は急かすことなく黙ってうなずく。


「男の人じゃなくて、女の人が好きみたい」


 麻里菜はただ「ふぅん」とだけ言った。


「それがどうした?」

「えっ、気持ち悪いとか思わないの?」

「別に。私の感覚としては『私、タピオカ好きなんだ』『へぇ』っていうのと同じ感じだけど」


 美晴の方が逆にキョトンとしている。


「じゃあ麻里菜は? 麻里菜も私と同じような感じ?」

「いや。恋愛対象は男性だよ」

「それなのに何で……」


 麻里菜はさっき言ったことを言い換える。


「当事者の人には初めて会ったけどね。美晴がレズビアンだからといって、嫌悪感とかそういうのはない。いいじゃん、人それぞれなんだし」


 この反応だと、今まで友だちとかにカミングアウトしたことがありそう。でも、受け入れてくれなかったのかもなぁ。


「……分かった。今度は質問を変える。……す、好きな人が目の前にいる人だって言われたら……どう?」

「目の前に?」


 この部屋にいるのは、美晴以外には自分だけ。と、なると……。

 麻里菜はゆっくりと自身を指さした。唇をかんで、美晴は首を縦に振る。


「まだ……出会ってから一週間くらいだけど、もう?」


 性格で判断する麻里菜にとっては、あまりにも時間が短すぎるのだ。


「初めて教室で会ってから、一目ぼれしちゃったみたい」

「なるほどね……私、そんなにかわいい顔してないけど」

「いやいや。麻里菜が私の髪とかをじっと見てたあの時には、もう私の心臓撃ち抜かれてた」


 あ……あの時か。あの時はただ『すげぇ髪長いなぁ』『その高い身長、分けてほしいなぁ(冗談)』としか思ってなかったけど。


 麻里菜は美晴の左手を包むようににぎった。


「やっと分かった。『かわいい』とか『癒し』って言ってた意味が」


 恥ずかしがって、美晴の耳やほほが真っ赤になっている。それを見た麻里菜は少しいじってみる。


「顔、真っ赤だよ。私に手をにぎられてそんなに嬉しい?」

「ちょ……………………ばか」


 にぎられていない方の手で自身の顔を覆うと、美晴は首を横に振った。


「このこと、お母さん以外に言ったことある?」

「あるよ。小学校の時も中学校の時も。でも、気持ち悪がられて『レズ』って呼ばれて、友だちも何人かは離れていった。恋愛対象として見られるのが嫌だったんだよ……」

「それは……つらかったね」


 麻里菜も中学生の時、授業中によく寝てしまうことから『眠り姫』と呼ばれていた。『寝る』や『居眠り』という単語が出てくると、あからさまに数人のクラスメイトが自分の方を向いてきたのだ。


「さっき夕飯の時に言ったけど、私もあんなことされたからすごく美晴の気持ちが分かる」

「そう。だから麻里菜にカミングアウトしようって思った。麻里菜が理解者でよかった」


 そう言うと、美晴は麻里菜にぴったりとくっつくようにして座り直す。


「それで、告ったことへのお返事は……?」


 ど、どう返したらいいんだろ。一回だけ男子に告られたことはあるけど、その時はフッたからなぁ。

 私の、美晴に対しての恋愛感情はまだない。同性を好きになることに抵抗はないけど、実感はない。


「言っておくけど……私はビアンじゃない。今まで男の人が恋愛対象だった。これから美晴のことが好きになるかもしれないし、ならずにただの『双子の姉妹』で済ませるかもしれないよ。それでもいいなら」

「うん、ただの『双子の姉妹』でもいい。麻里菜とかかわれるだけでいいから」


 美晴はにぎられていなかった方の手で、麻里菜の両手を覆った。


「でもこれだけは言っておく。麻里菜、好きだよ」

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