16:黄金に輝くフルートへの思い

 そこは防音室だった。


「いつもここで練習してるの」

「家に防音室があるとか……うちじゃあ考えられん……」


 三階のほとんどが防音室で、もはや防音室を作りたくて三階建てにしたのかと思えてきた麻里菜。

 壁にそってボックスソファがあり、アップライトピアノ、アコースティックギター、エレキギターが置いてある。

 そして、ガラス扉の棚にはいくつものトロフィーが展示され、壁には賞状や写真が貼ってあった。


「美晴ってギター弾くの?」

「あー、ギターはお父さんの」


 麻里菜は写真を順々に見ていった。三分の一は美晴が写っているが、あとの三分の二はフルートを持った女性ばかり写っている。 その女性は仏壇で見たお母さんとそっくりだった。


「美晴のお母さん、フルート吹いてたんだ」

「うん。プロのオーケストラとか吹奏楽団で、よくソロ吹いてた。個人でも色んな賞とって、あのトロフィーのほとんどがお母さんのやつ」

「プロか……」


 すると、美晴はソファに座っておもむろにフルートのケースを開ける。中には金色のフルートが鎮座していた。


「き、金!? すげぇ……」


 そのフルートをサッと組み立てると、美晴は音出しもしないでいきなり唇へと運んだ。目を閉じてフルートを構える姿は、写真のお母さんを連想させる。


 美晴のもとから一つ一つ、旋律が紡がれていく。


 この演奏を聞いて麻里菜は思い出した。『亡き母のフルートを受け継いで』と朝日新聞に特集されていた記事を。

 麻里菜の中学校では出場しないのだが、他の学校では『管打楽器ソロコンテスト』通称『ソロコン』に出場しているところもある。


 昨年の三月、麻里菜が中二の時、他校の三年生を押し抜き二年生にして、全日本のソロコンで第一位・文部科学大臣賞を受賞した人がいると聞いた。それは埼玉の川口の人で、『化け物』とも呼ばれるフルート吹きだったのだ。


 その記事によると、中二の全日本吹奏楽コンクールを前にしてフルート奏者である母が亡くなり、遺品であるフルートを売らずに娘が吹き継ぐことにしたという。母のフルートで奏でる音は、高校生までも脅かす音らしい。中三では受験のため出場しなかったらしいが。


 そこで吹いた曲が、母が自身のために書き下ろしたソロ曲なのだ。


 中学生一のフルート奏者の肩書きに恥じない演奏である。麻里菜の先輩も十分にうまかったのだが、明らかにレベルが違う。


 美晴が静かに唇からフルートを離した。


「……すごい」


 麻里菜の鼓動が高鳴っている。今、その『やばい』人と一緒の部屋にいて、お金を払わずに演奏を聞いていたのだ。


「麻里菜、全然聞いてこなかったけど……やっと気づいた?」

「今のを聞いて気づいた。中二でソロコン一位の……」

「そう。これ、お母さんのフルートなの」


 麻里菜の目には涙が浮かんでいた。麻里菜は自身の妖力で、フルートから美晴のお母さんの念を感じ取っていたからだ。


「吹いてる時、美晴にお母さんが憑依しているように見えた。もちろんいい意味で」

「やっぱりそうなんだ。お母さん……」


 美晴は壁の写真に目をやった。どこかのコンサートホールで撮ったのだろうか。黒いドレスを着た金色のフルートを持つお母さんと、紫色の衣装を着た銀色のフルートを持つ美晴が、笑顔でこちらを向いていた。


 母を亡くした美晴とフルートにかける思い。このたった五分の間にしみじみと感じた麻里菜だった。






「麻里菜はソロコン出た?」

「うちの学校はみんな出ない……そこまでのレベルじゃないから」

「うそぉ〜、麻里菜何か吹いてみてよ」

「きゅ、急に言われてもなぁ」


 異次元レベルの演奏を聞いたあとでは、何となく吹きにくい雰囲気である。


「コンクール曲のソロよりも、ポップスのソロの方が分かりやすいかな。昨年、髭男の『Pretender』をソロで吹いたことがあって」

「いいじゃん! 聞かせて聞かせて!」

「最近は週一でしか吹いてないけど……」

「いいよいいよ、ソロを任されるくらいだったんでしょ!」


 麻里菜が音出しを始めると、美晴はクロスを敷いたテーブルの上にフルートを置き、アップライトピアノの前に座った。


「私が伴奏する」

「ええっ!? ピアノも弾けるの?」

「ちっちゃいころからやってたからね」


 美晴は音楽一家の英才教育の賜物だったのだ。


「原曲キー? フルでいく?」

「もちろん」


 演奏会で吹いた時は二番をカットしたけど、個人的にフルで吹きたかったからなぁ……。一番と二番じゃ曲調が変わってくるし。


「じゃあ始めるよ!」


 麻里菜がうなずくと、少しの間が空いてから、特徴的な旋律のピアノの伴奏が始まった。

 流行りの曲は、演奏会の曲決めのお陰で知っていた麻里菜。引退した今となっては、何が流行っているのかなど気にもしない。『Pretender』も吹奏楽部に入っていなければ知らなかったかもしれない。


 失恋ソング。いつもみたいにまっすぐ吹くのではなく、音に感情をのせて吹く。それが難しいんだけど。自分一人しか吹いてないから。


 麻里菜の頭の中には、階名はもちろん歌詞も流れていた。ピアノの伴奏に合うよう、音の強弱やビブラートも調節する。吹きづらい上に連発する『シ♭』にも気を配りながら。


 最後のハモリは上のパートを麻里菜のクラリネットが吹き、下のハモリは美晴のピアノで弾く。そうしようと話し合っていないにもかかわらず、ピシッとパート分けができてしまった。

 麻里菜は最後まで吹きあげ、静かに五分間の演奏が終わった。数秒は余韻に浸る。


「麻里菜すごいじゃん! めちゃめちゃうまいって!」

「そ、そうかなぁ……。一応アンコンは西関東金賞なんだけど」


 秋から冬にかけて行われるアンサンブルコンテストで、麻里菜は中二の時、西関東大会金賞を取っていた。審査員の人からは、麻里菜のことはよくほめられていた。


「やっぱり! あれ麻里菜の学校だったのかな? 木管八十奏のクラがすごくうまい人がいて、全日本行くと思ったらダメ金だったところ」

「あー、それ、うちだわ」


 麻里菜は苦笑いをし、クラリネットを膝の上に立てて乗せる。

 ダメ金とは、金賞を取れたものの上の大会に進めないことである。


「麻里菜がソロコン出てたら、私といい勝負できそうだったのに。もったいない」


 謙遜して顔の前で手を振る麻里菜。美晴はその手をにぎった。


「自信もってよぉ! 週一しか吹いてなくてあの音はずるいくらいだから、羨ましいって!」


 そう言われるともっと謙遜したくなるのが麻里菜である。

 ピアノの鍵盤にクロスを敷き、ふたを閉じる。美晴は再びフルートを持った。


「今度は楽譜初見バトル! 練習時間は十分間。フルート・クラリネット二重奏用の楽譜で、まだ私、中身見てないから」


 袋ののりの強度からして、美晴も初見だというのは本当だろう。困惑しながら「挑発してきてるなぁ……」とつぶやく。


「曲はDISH//ディッシュの『猫』!」

「……ねこ? ごめん、知らない」

「知らないの!?」


 仕方なく原曲を流してもらい、曲の雰囲気をつかむ。


「……これも失恋ソングだね。よく聞くの?」

「そうだね。なんか刺さるものがあるというか」


 恋愛という恋愛をしたことがない。一目ぼれはせず、麻里菜は性格で判断するからである。いじめられてきた麻里菜は男子など、ただのクラスメイトでしかなかった。


「……そう……なんだ」


 流れてくる歌詞を頭でかみ砕き、いわゆる『失恋した時の気持ち』を想像する。『Pretender』の時と同じように。


「麻里菜、始めていい?」

「なんとなく分かったから、いいよ」

「オッケー! タイマースタート!」


 美晴はスマホのタイマーの『開始』を押し、テーブルに置いた。


「これもシがフラットになって……、『Swingスウィング』だから……跳ねるリズムっと」


 麻里菜は美晴から借りたシャーペンで、注意すべきところに印をつけていく。残りの七分で一通り吹いてみて、余った二分間でミスしやすいところを練習した。


 アラームが鳴った。


「よーし麻里菜、合わせるよ! 手応えは?」

「スウィングだからリズムが心配だけど。たぶん大丈夫」


 ああ、久しぶりだなぁ……この感じ、この緊張感。……でも嫌いじゃない。

 二人はそれぞれ楽器を構える。美晴の合図でデュエットが始まった。


 初めて合わせたとは思えないほど、二人の演奏はかみ合っていた。低音域はクラリネットのあたたかい音色で包まれ、高音域はフルートのきらびやかな音色が貫く。

 主張しすぎず、のっぺりとした音でもない。


 中学生元日本一のフルートと、ソロで吹けば実力は未知数であるクラリネットは、吹き終わってもなお存在感を放っていた。

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