14:はじめまして、おじゃまします

 その週の土曜日、麻里菜は休日にも関わらず午前中から外にいた。京浜東北線の電車にゆられている。一泊分の荷物が詰まっているリュックを背負い、麻里菜の手には何か楽器らしきケースが握られていた。

 そして麻里菜のスマホの画面に映っているのは、美晴とのLINEのトーク画面である。


『マイ楽器持ってるんでしょ? じゃあ楽器も持ってきて!』


 どうしてそう指示したのかは分からない。

 引退して半年、週に一度はメンテナンスも兼ねて三十分ほど吹いているが、現役の時のようにガツガツ練習しているわけではないのだ。


 普通の一軒家って聞いたけど、「一緒に吹こう」ってことなのか……? まぁ、いい。

 それに、美晴の方からも言いたいことがあるとかなんとか……らしい。


「まもなく、西川口、西川口」


 おっ、着いた。

 スマホをバッグにしまい、電車から降りた。麻里菜は初めて、川口という土地に降り立った。

 階段を上って改札の方に目をやると、いる。


「麻里菜〜〜!!」


 こちらに手を振る美晴に、麻里菜はICカード『PASMO』を持ったまま手を振り返した。

 改札を出て美晴の方に歩いていくと、美晴は両腕を広げた。


「ようこそ~」


 戸惑いつつ、麻里菜はその両腕の中に体を預ける。


「荷物持つよ」

「いいの? ありがとう」


 美晴が麻里菜の楽器ケースと紙袋をつかんだ。


 美晴の家は駅から歩いて五分くらいのところにある。麻里菜の家は最寄りの駅まで歩くと三十分弱はかかるところなので、羨ましい限りである。自転車でも十五分くらいかかる。


「さ、三階建て……」


 都会は土地がないらしく、縦に家を広くするしかないとは聞いたことがあった。駅前だし、そうなるよなぁ。


「どうぞ、入って入って」

「お邪魔します」


 玄関から麻里菜の家とはまったく違った。四人家族のはずなのに、たくさんの靴やらサンダルやらが散乱している、どこかの家のようではない。美晴のものと思われるローファーと、もう一足、大きめのスニーカーしか出ていない。


 麻里菜ははいていたスニーカーを脱ぐと、廊下をつたってリビングに入る。


「きれい……」


 ごちゃごちゃ散らかっているどこかの家とは違う。テーブルの上には何一つ置かれていない。

 麻里菜が来るからといって、急いで整理したようではなかった。日頃からこういう状態なのだろう。


「荷物はここに置いて」


 リビングとつながる洋室に案内され、美晴が紙袋と楽器ケースを置いた隣に、重たいリュックを下ろした。


「どうして今日、親いないの?」

「あー、出張なんだよね。二日がかりらしいから、帰ってくるのは明日の夕方」

「ふぅん」


 両親二人とも、なのか……?


 テレビ台の上に置かれた写真立てが目に入った。

 一つ目は美晴が小さい頃の写真で、真ん中に二つ結びの美晴、その両脇にお父さんとお母さんが写っていた。

 二つ目は中学の卒業式の写真だろう。校門の前の『卒業証書授与式』と書かれた看板のとなりに、美晴とお父さんが写っていた。


「他の部屋、行ってもいい?」

「いいよ」


 ふいに別の部屋へと行きたくなった。いつもならリビングのソファに座ってしまうのに。

 麻里菜はまたとなりの洋室に入る。さっきリュックを置いたところと反対側を向くと、小さな仏壇があった。


「え…………」


 さっきの一枚目に写っていた、お母さんの写真が置いてある。


「まさか」


 さっき美晴が言っていたことを思い出す。後ろを向くと美晴が立っていた。


「あぁ、私のお母さん。一年半前にガンで」

「中二の時?」

「うん」


 遺影の写真では、黒いドレスのようなものを着ているようだった。この雰囲気からは音楽家だったように思わせる。

 麻里菜は胸に手を当て、目を閉じた。


「手を合わせてもいい?」


 振り返って尋ねた麻里菜に美晴はうなずく。

 ひざまずき、一つお鈴を鳴らして両手を合わせる。


 麻里菜はあのことを思い出した。二年前の戦争でマイに呼び出された時に入ってきた、彼女の記憶。戦いの中で仲間がバタバタと倒れていったことを。その人たちはもちろん、麻里菜とマイが別々になる前から知っている人たちなので、胸が苦しくなった。

 残された人の気持ちを、麻里菜は痛いほど分かっている。


 また胸に手を当てて、こみ上げてくる感情を奥へと押しこんだ。


「ありがとう、麻里菜。お母さん喜んでるかな、高校の友だち……だよ」

「美晴も、そういう過去があったんだ」

「麻里菜も、ね?」


 少しの沈黙の後、美晴はあえて明るい声で「飲み物、何がいい?」と言った。






「へぇー、コーヒーとか大人だね! うちお父さんしか飲まないから。しかも砂糖なしで飲めるとかすごくない!?」


 例のミルクたっぷりにしてもらい、麻里菜は一口飲んだ。


「そうかな? 小学生の時から普通に飲んでたけど」

「マジか!」


 そういう美晴は、午後ティーのミルクティー。麻里菜もミルクティーは好きだが、どうしても甘すぎて、目の前にあるものは飲めないのだ。

 立ち上がった美晴は対面式キッチンに行き、何やら準備を始めた。


「お昼ご飯、パンとヨーグルトなんだけど、大丈夫?」

「全然大丈夫。基本的に嫌いな食べものはないから」

「すごっ! 私、ゴーヤとかピーマンとか、苦いもの系がダメなんだよねー」

「えー、おいしいじゃん」

「あれがおいしいとか意味わかんない! ホントに嫌いな食べものないんだね」


 そう言うと、トースターからチンと音が響く。香ばしい香りがして、麻里菜のお腹がぐぅと鳴った。


「はい、どうぞ〜!」


 トースト、ガラスの容器に入ったヨーグルト、小さめの家庭用マーガリンがテーブルに置かれる。さらにいちごジャム、ブルーベリージャム……と何種類ものジャムの容器が横一直線に並んだ。


「す、すげぇ……」


 目の前のトーストは、スーパーで一斤九十八円で売っているようなものではなさそうだ。

 もしかして、ちょっとお高めの高級パン……?


「いただきます」


 麻里菜は思わず、マーガリンもつけずにかぶりつく。


「う、うまっ」

「分かった? これ、米粉パンなんだよ。ホームベーカリーで作った」

「米粉! どおりで、いつも食べてるやつと違うって思った!」


 美晴は、幸せそうにパンをほおばる麻里菜を、目を細めて見つめていた。


「美晴、食べないの?」

「……え、あっ、食べる、食べるよ!」


 ただ聞いただけなのに、ここまでの慌てよう。麻里菜の頭には、またもやクエスチョンマークが散りばめられたのであった。

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