04:入学式と麻里菜の厚意

 今年の一年生は八クラスある。一組の『最難関国立大学選抜クラス』をトップに、だんだんとレベルが下がっていく。

 麻里菜の八組は、学校でも一番下のクラス。他のクラスよりは、部活推薦で入ってきた人が多いらしい。


「八組のみなさん、廊下に出席番号順で並んでください」


 プラカードを持った三年生が迎えに来てくれた。


「廊下側から順に出ればいいよね」


 さすがは頭のいい学校、一番の人から順に教室を出ていく。我先にと出ていく人はいない。

 麻里菜は十一番目に教室を出た。

 同じ階に八組以外の姿はない。


「それでは、移動します」


 プラカードの人が手を挙げて、八組のそばの階段を降り始める。麻里菜たちはついて行った。

 ここに移転してまだ五年ほどしか経たない校舎は、麻里菜の中学校とは比べ物にならないほどきれいだった。

 階段にはホコリひとつも落ちていない。


 体育館付近で一旦止まる。オーケストラ調の音楽と拍手が聞こえてきた。


 ああ、いよいよだ。

 八組が体育館の中に入った。






 一クラスに二列分の席が用意されており、八組は四十人なので、一列に二十席分の椅子が並べてある。


 い、椅子がきれい……


 中学校の時の、サビてキシキシと音を立てるパイプ椅子とは全く違う。背もたれや座面が破れているものは在校生用、破れていないものは新入生か卒業生用、と分かれていたのに。


 これが私立か……


 麻里菜は青いパイプ椅子に座る。

 体育館の床も木のフローリングではなく、少し柔らかい、足にやさしそうな素材である。

 何もかもが『ある意味』新鮮で、麻里菜は頭は動かせないので目だけをぐるりと回す。


 入学式が始まった。

 国家を歌い、次は校歌を歌う。


「新入生のみなさんも、歌える人は歌ってみましょう」


 いや、無理だから。ここ、私のお母さんの母校じゃねぇし。お姉ちゃんいねぇし。

 まぁ、そういう人とかは歌えるでしょうけど。あと中入生は。


 この学校は斉唱ではなく、女声二部合唱らしい。……というより。

 ええっ、これで合唱かよ!

 声が小さい、ハモリのバランスが悪い、歌詞が聞き取れない。カルチャーショックというものなのだろうか。


 麻里菜の中学校は合唱が盛んで、市内のどの中学校よりダントツでうまかった。特に三年生は、外部から来た音楽の先生の誰もが感銘するほどの実力なのだ。


 聞いていられないような校歌を聞き終わった。






「校長式辞、新入生起立」


 半ば反射で立ち上がった。さて、どれくらいの長話なのだろうか。


「……と、堅苦しい式辞はここまでにして」


 校長は式辞が書いてある紙を封筒に入れ、演台の上に置いた。ウワサに聞いていたとおり、校長はおしゃべり好きの先生だった。


「この学校の校長になってから、今年で二十年目になりました。そして、入学式でこうやって話すのも二十回目です。まぁ、色んなことがありましたよ。今から五年前の――」


 あー、長くなりそ……。


 麻里菜たち新入生は立たされたまま、すでに十分ほど校長の長話を聞かされた。

 聞き手を引きこむ話し方だけど、さすがに座らせてくれ。このままじゃ、誰かぶっ倒れる……。


 ふと隣の人を見ると、明らかに具合が悪そうだった。前のパイプ椅子の背もたれをつかんで、体を曲げ、顔は青白い。生えぎわには汗がにじみ、呼吸も荒い。


 これはまずい。


「具合悪い?」


 麻里菜は声をひそめて言った。その人は黙ってうなずく。声も出せないほどなのだろう。


「座っていいと思うよ。無理しないで」


 麻里菜も、小学校の卒業式の予行で貧血になったことがある。悪寒がして、血の気が引いていくのがわかるあの感じ。だんだんと視界が奪われていく恐怖と、せりあがってくる吐き気。


 あの時に言ってほしかったことを、麻里菜はその人に言ったのだ。


「……うん。ありがとう」


 麻里菜はその人が座るのを見届けてから、何事もなかったかのように前を向いた。

 数分後、女性の先生が後ろから来て、後ろの列の人に言った。保健の先生だろう。


「椅子どかしてくれる?」


 その一言だけでわかった。麻里菜の列は後ろから二番目。その後ろの列の椅子をどかせば、貧血で足元がおぼつかない人も連れていきやすい。

 サッと後ろ三席分の椅子がどかされると、隣の人は先生の肩につかまって連れていかれた。すぐに椅子は戻され、麻里菜たちは何事もなかったかのように前を向いた。


 そしてやっと「着席」の号令がかかり、座らせてくれたのだった。結局、十五分くらいは立ちっぱなしだった。


 こういう時、「大丈夫?」って聞くと、人によっては「大丈夫」と返ってくるから、ああ言った方がいいんだよなぁ。

 具合が悪そうな人にかける言葉、前もって知っておいてよかった。

 これは麻里菜の同一人物・マイナーレから教えてもらったことである。






 クラス担任の紹介に移った。一年生の先生十人が壇上に上がった。

 最初に、学年主任が紹介された。この学校の先輩だという。そして、一組から順に担任の名前が読み上げられる。

 八組は右から二番目の、白髪頭のおじいちゃん先生だ。


「よろしくお願いします」の声に、麻里菜は軽くおじぎで返した。


 確かあの先生、学校説明会の時に担当してくれた先生だったよな……。見覚えがある。

 その先生は、この高校の手厚さをこのように表現していた。


「例えばケーキで表すと、公立の○○高校さんは、ケーキを買って冷蔵庫に入れてくれるだけです。『自分で用意して食べてね』という感じです。

 私立の○○高校さんは、ケーキを買って皿にのせて運んできてくれます。

 うちは、皿にのせてフォークもつけて、なんなら食べさせてあげる、という感じでございます」


 あまりにも印象に残る、面白い例えだと思った麻里菜。

 こんな説明をした学校は他にはなかった。他の学校は、薬なしではすぐに眠くなるような話ばかり。

 ここが個性的すぎたのだ。


「麻里菜はめんどくさがりだから、そういう環境に身を置かないと、勉強なんてやらないでしょうし」

と母に言われ、何も言い返す言葉がなかったのを思い出した。






 入学式が終わった。


「新入生が退場します。拍手でお送りください」


 一番後ろの八組からではなく、一組から順に真ん中を通って体育館をあとにする。何でもかんでも八組は一番最後なのだ。

 あとはショートホームルームをして、帰るだけ。

 明日は自己紹介とかするのかもな……。


 そう思いながら、麻里菜は体育館を出た。また五階までの階段をのぼる。エレベーターはあるが、『十八歳未満使用禁止』という貼り紙がしてある。


 息をはずませながら、五階にたどり着く。

 だが、ここからが長い一日の始まりだったのだ。

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