四畳半開拓日記 07/18



 例の穴の前に戻ってきた。

 そこでサチの言っていたことを実践する。

 右腕の袖をまくると、穴の中にそっと差し込んだ。

 穴の中は、土がひんやりと冷たかった。

 しかし、二の腕くらいまで差し込んだところで変化が現れる。

 急に開放感が──というか、どうも腕がどこかに抜けたような感覚がするのだ。

 これがさっき、サチの腕が穴から生えていたのと同じ状態なのだろう。

 そのまま、はたと止まる。

 そこから少しも穴に入れないのだ。

 向こうからは容易に来れるが、こっちから向こうに行くのは難しいようだ。

 何か、掴むものはないだろうか。

 床下なんだから、柱の一本でもありそうなものだが。


「……お?」


 突然、おれの身体が引っ張られた。

 不思議な感覚で、するすると穴の中に吸い込まれる。

 目を開けると、そこは見慣れたアパートだった。

 驚いていると、正面に岬が仁王立ちしている。

 彼女は非常に機嫌の悪そうな顔で、おれに言った。


「お、か、え、り、な、さ、い!」


「た、ただいま」


 よかった。

 怒って帰っていたらどうしようかと思っていた。


「ありがとう」


「もう、本当ですよ。あのモニターで見えてましたけど、行き当たりばったりでひやひやしました」


 ぷりぷり怒りながら、タオルを持ってきてくれた。

 気がつけば、頬とかに泥がついている。


「それで、大丈夫だったんですか?」


「え? ああ、サチたちは無事だった」


「じゃなくて、先輩がですよ。お怪我とかはないんですか?」


「おお?」


 珍しい発言だった。

「へえ。心配してくれたのか」


「う、うるさいです。だって先輩がいなかったら、もうサチちゃんに会えないでしょ」


「……はいはい。そういうことな」


 まあ、それでも岬にしては寛大な心だ。

 素直にありがたがっておこう。


「これから、どうするんですか?」


「すまんが、もう一度、向こうに行こうと思う」


「ええ!? もしかして、またお留守番させるつもりですか!?」


「ああ、もしアレなら、おまえは帰っても……」


「いやですよ! 今度はわたしも行きます!」


 ああ、そういう意味か。

 このお嬢ちゃんも、なかなかアクティブだな。


「でも、どっちか残っておかないと、戻ってこれないぞ」


「それについては、ちょっと考えがあります。先輩、近くにホームセンターあるんですよね?」


「ああ。おれもそろえるものがあるし、いっしょに行こうか」


 おれたちは急いで買い物に出かけた。


***


 ホームセンターから帰宅。

 おれの購入品は、ロープ、業務用軍手、ビニール袋。

 あと部屋にたまっていた漫画雑誌と、タンスの奥で眠っていた古着を引っ張りだす。

 そして岬が買ってきたものは……。


「鎖です」


「鎖だな」


 中高生がファッションで身に着けているやつではない。

 ブランコに使われていそうな、太くて頑丈そうな鎖をジャラジャラさせる。


「これを垂らしておけば、伝って戻れるかなと思いまして」


「ああ、なるほどな」


 それは思いつかなかった。

 もし成功すれば、二人で向こうに行くことができる。


「よし。じゃあ、試してみるか」


 鎖の片方を、しっかりと固定する。

 それを持って、まずはおれが向こうの世界へと行ってみる。

 目を開けると、一瞬で草原に立っていた。

 おっと、鎖の確認が優先事項だ。

 穴の中から伸びたそれを握ったまま、右腕を差し込む。

 先ほどのように、腕だけが向こうにある感覚。

 そこから、ぐっと鎖を引っ張った。

 すると次の瞬間には、アパートの部屋に戻っていた。

 どうやら成功のようだ。


「固定しているのは大丈夫か?」


「オッケーです。まったく緩んでません」


「じゃあ、おまえが行ってみろ」


「は、はい!」


 彼女は少し緊張した様子で靴を履いた。

 モニターに足をのせると、その身体が真っ白い光に吸い込まれていく。

 画面を見ると、彼女が無事に向こうへと到着したようだ。

 鎖も安定している。


「おれも行くか」


 一応、火の元を確認して、向こうへと渡った。


***


 岬の反応は、上々だった。


「先輩。これ、夢じゃないですか!?」


「まあ、そうなんだろうな」


「わ、わ。これ、すごい。まるで異世界みたい」


 ……異世界か。

 まあ、確かにしっくりする言葉だな。


「とりあえず、サチたちは向こうだ」


 二人で、一家の元にやってきた。

 おれたちを認めると、サチが走ってくる。


「あ、巫女みこさま!」


 巫女さま?


「神さまの意思を伝えるしもべです!」


「へえ。そりゃいいな。おい岬、おれのしもべだとさ」


 すると岬は、なんとも嫌そうな表情を浮かべた。


「巫女って福利厚生ついてますか?」


 ……たまに異世界で遊ぶ権利くらいで我慢してくれるとありがたいが。


「なにを持ってきたんですか!?」


 サチが楽しそうにホームセンターの袋を覗いた。


「これで、がいじゅうけのおまじないを作るんだ。準備はしておいてくれたか?」


「はい。お父さんが用意しています!」


 向こうで、カガミがせっせとノコギリを動かしている。

 その脇には、細く切りだした木材が積んであった。


「……これで、なにをしようっていうんだ?」


 まだおれのことは警戒しているらしい。

 彼と仲よくなるためにも、これを成功させたいものだ。


「これで、案山子かかしを作る」


「カカシ?」


「ヒトに似せた人形だ。向こうの世界では、ポピュラーな害獣除けのアイテムなんだ」


「そんなもので、どうにかなるのか?」


「まあ、試してみる価値はあるかもしれないぞ」


 なにせ、古くからの伝統だからな。

 長く使われるものには、きっと意味がある。


「じゃあ、まずは骨組みを作ろう」


 さっきネットで簡単に調べてきた方法に従って、作業を開始した。

 まず使用する木材は三本。

 胴体部分の、長いやつ。

 腕部分の、中くらいのやつ。

 そして腰を補強する、短いやつだ。

 まず長いのと中くらいのを十字に交差させて、ロープで縛る。

 それから、短いのを……。

 それから……。

 それ……。


「ええい、ぜんぜん固定できないぞ!」


 十字に交差させた木材が、うまく固定できない。

 寝せた状態で巻くのはいいのだが、それを立ててみると重みで降りてきてしまうのだ。

 岬が呆れたように言った。


「先輩。溝を作れって書いてたじゃないですか」


 溝。

 つまり、切り込みだ。

 木材を安定させるために、それぞれ交差する場所に切り込みを入れる。

 それを噛ませることで、がっしりとした強度を実現するのだ。


「さすが委員長だな」


「先輩がわたしに張っ倒されたいというのはわかりました」


 うちの後輩が武闘派すぎる。

 まあ、それはいい。

 そうとわかれば、さっそく溝を作るぞ。


「あっ」


 切り込みを入れすぎて、胴体の木材が真っ二つになってしまった。


「……先輩」


「こ、これは次のやつの腕部分にするから」


 慌てて次の木材にノコギリを当てる。

 ギコギコギコギコ。

 さっきの教訓から、そっと切り込みを入れた。


「……こんな感じかな」


「いいと思いますよ」


 素人の作業なので不細工だが、いい感じに木材同士がハマった。


「サチもします!」


 わくわくしながら、サチがノコギリを手にした。


「え、でも……」


 カガミたちを見ると、肩をすくめた。

 どうやら、好きにさせてやってほしいらしい。


「そ、そっとだぞ!」


「サチちゃん。落ち着いて、落ち着いてね」


 二人して、その作業を見守る。

 しかしゆうだった。

 サチは案外、器用なようで、ささっと切り込みを作ってしまった。


「先輩よりうまいんじゃないですか?」


 岬がくすくす笑った。


「いや、競ってるわけじゃないだろ」


 とにかく、これで骨組みは完成だ。

 それに服を着せて、手の部分に軍手をかける。

 次は頭部の制作だ。

 これは簡単で、破った漫画雑誌を丸めていくだけ。

 最後に、雨にれてもいいようにビニール袋で包む。

 白い布をかぶせて、サチに顔を描いてもらう。


「できました!」


 制作時間、だいたい二時間くらい。

 初めてにしては、なかなか立派なものが完成したと思う。


「名前はなんにする?」


 サチが挙手。


「神さま一号がいいです!」


 つまり、この顔のモチーフはおれらしい。


「……ちょっとイケメンすぎません?」


「おい、どういう意味だ?」


 岬が笑った。


「これを畑に立てるんですか?」


 イトナが興味津々という様子で見ている。


「ああ、そうだ。これは畑の中央に立ててみよう」


 すると、カガミが不審そうに見回した。


「そんなもので、モンスターが避けられるとは思わないが……」


 ううむ。ツンツンさでは、岬に通じるものがあるな。


「まあ、効果は時間が経たないと……」


 わからない、と言おうとしたんだが。


「せ、先輩……」


「どうした?」


「えっと、あれ……」


 岬が空を指さした。

 どうしたんだ?


「……うわっ」


 びっくりした。

 なぜか空一面に、山田村を囲むように透明っぽい青い膜みたいなのが張ってあるのだ。


「……岬、おまえなにかしたか?」


「いえ。わたしにもさっぱり……」


 一同の視線が、神さま一号に注がれていた。

 なぜなら神さま一号の前に、変な文面が現れていたのだ。


■ おじさんの案山子 ■

固有スキル:結界C

モンスターの侵入を阻むのだ。すごい!


 す、すごーい。

 いや、この場合、スキルがすごいのではなくて。

 宙に文面が表示されているのだ。

 映画で見たことあるやつだ。


「神さま、すごいです!!」


 サチが大感激である。

 文面に触ろうとして、すいすいすり抜けている。


「やっぱり神さまは神さまです!」


「いや、効果のほうが重要だから……」


 カガミが呆然とした状態から、ハッと我に返る。


「お、おれは、認めない……」


「え? どうした?」


「おまえなんか、認めないからなああ!!」


 そう叫んで、走り去ってしまった。

 ……なんかおもしろいやつだなあ。


***


 ゆうの煙が立っていた。

 小屋の隅で、岬がサチを猫っ可愛がりしている。


「ああ、向こうのペットでは満足できない身体になってしまう……」


「あの、巫女さま。くすぐったいですぅ」


「そう言っても、こっちの尻尾は嫌とは言っておらぬのう」


 岬さん、下品だぞー。


「それより、食事までごそうになっていいのか?」


「もちろんでございます。ぜひともお召し上がりください」


 ……ん?

 岬のやつ、ずっとイトナを物欲しそうに見ているが。


「ケモミミお母さんの尻尾……」


 落ち着け。

 今日はこいつのイメージが、一気に崩れてしまった。


「こちらをどうぞ」


 出されたのは、透き通ったスープだった。

 意外にも肉のような食材が浮かんでいる。


「では、お言葉に甘えて」


 香りは特にない。

 器に口をつけるように、スープを飲んだ。


「…………」


 岬と目を合わせる。

 まずい。

 いや、まずいというか、味がほとんどない。

 ただ水を煮立たせて飲んでいるだけだ。

 あのおにぎりの味付けを感動していたくらいだ。

 調味料など、こっちでは高価なものなのだろう。

 心配そうにイトナが聞いてくる。


「やはり、お口には合いませんか?」


「……いや」


 おれはもう一口、スープを飲んだ。

 確かに、現代のに比べればまずい。

 向こうでは、これは料理とは呼べないだろう。

 しかし案外、悪くない。

 作業のあとの空腹のせいだろうか。

 この微妙にまずいスープが、妙にあとを引くのだ。


「……パン。パンが欲しいな」


「ですね」


 スーパーで、百円で売っているような、硬いだけのフランスパン。

 あれを浸すと、なんかよさそうだ。

 今度は持参しよう。


「悪くない。本当だ。お代わりをくれ」


 おれの言葉に、イトナはホッとした。

 お代わりなど厚かましいとは思うが、ここは行動で示したほうがよさそうだ。

 この、めちゃくちゃ硬い、スルメのような肉が気になる。


「これは?」


「ツチクイの肉です」


 あのイノシシか。

 ははあ。こんな味なのか。

 もっと臭いかと思ってたんだが。

 それから食事を終えて、イトナから周辺の事情について聞いてみた。


「ここは、どういった国なんだ?」


「そうですね。わたくしも、あまり詳しくはないのですが……」


 囲炉裏の灰に、簡単な図を描いて見せる。


「この大陸は、三つの大国が領土を分け合っています」


「三つの国?」


「純人種の治める帝国と、亜人種が集う共和国、そして神と呼ばれる指導者を擁する皇国です」


 本当にファンタジーという感じの言葉が並んで実感する。

 ここは本当に異世界なのだな。


「そういえば、ここが共和国だと見たことがあったな」


「ちょうど、共和国領と帝国領の中間に位置します」


「近くに町はないのか?」


「ここから北のほうに、共和国に属する小さな都市があります。他はわかりません。東の森のせいで、行商が通るような場所でもないですから」


「おまえたちは、どうしてここに? そんなへんな場所で暮らすなんて大変だろう」


 見た様子では、やはり他にヒトはいない。

 たった一家族のみで暮らすなど、あまりに危険だ。

 他に町があるなら、そこで暮らしたほうがよかろうに。


「それは……」


 言いかけたとき、それまで黙っていたカガミが声を上げた。


「イトナ!!」


「……っ」


 それを受けて、イトナも口を閉ざした。


「申し訳ございませんが、そればかりはご容赦を……」


「いや、問題ない。なにか事情があるのだろうが、深くは聞かないよ」


 文字通り、おれたちとは住む世界が違う。

 それに彼らが悪人でないのはわかっている。


「そろそろ、おれたちもおいとましようか」


「はい」


 おれたちは小屋を出た。

 サチとイトナが見送りながら、手を振ってくれる。


「神さま! また来てください!」


「おう。次はお土産、持ってくるからな」


 すっかりと夜も更けていた。

 やはり街中と違って、星がきれいだな。

 そんな柄にもないことを考えていると、岬が暗い表情でつぶやいた。


「先輩。どうするんですか?」


「そうだなあ」


 こんな奇妙なことが起きれば、本来、すぐに警察に届けでるのが当然なのだろう。

 ただ、それがあの家族のためになるのかと聞かれれば、わからない。

 それに……。


「……まあ、そのうちな」


「もう。面倒なことになっても知りませんからね」


 とか言いながらも、岬も反対はしなかった。

 少しだけ他と違う優越感に浸っていたいというわがままも、きっと大人の特権だからな。

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