第16話
第9章: ここは〈ゲヘナ〉
1、
ユニルフの声を聞いて安心したのか、あたしはまた眠ってしまった。眠くて瞼が閉じてしまうことには逆らえなかった。ユニルフがあたしを起こす声が聞こえているのに、眼を覚ましたいのに、眠ってしまった。ユニルフの声がする。あたしの口のなかに錠剤の甘い味が舌の上で広がった。ユニルフがあたしに薬を飲ませてくれたのだろう。ユニルフ。ねえ。〈五本足の悪魔(ブエル)の娘〉の呪いが早く解けないと、ユニルフと満足に話すこともできないし一緒に遊べないからつまんないよ。あたしと最近してないからって、他の女と浮気してないだろうね?
彼のあの可愛らしい唇を指でぷにゅってつまみたい。彼が眼鏡をかけて本を読んでいるときに眼鏡をそっと指で引っかけて外してベッドの上に放り投げて困らせたい。あたしはユニルフの気をひきたくて意地悪して、彼の困ったかわいい顔を見るのが好きなんだ。かわいいかわいいって言って、彼の両頬を両手で挟んで顔をなでまわしたりしてかわいがる。もっとあたしと遊ぼうよ。あたしって性格悪いなあ。彼を愛しすぎているあまりにあんまりいじめたら嫌われるから、したいことを調子に乗ってやりすぎないようにしないといけないの。あたしは彼を傷つけたいんじゃなくて、あたしは彼のことが好きだから悪戯したいだけなんだ。あたしは彼だけの悪戯っ子。あんまり意地悪すると、ぼく仕返ししちゃいますよ。ユニルフの声がして、彼があたしのなかに入ってきて、子宮や腰がぶるぶる震えるような、身体を貫かれるような快感で一瞬で満たされ、あたしは彼をきゅうっと締めつけた。がんがん来ないでってば。何度も硬いのがまっすぐに挿したり抜いたりして責め立ててくるから、あたしは涙もにじんでくるし涎も垂れそうになっちゃうし、とろとろになっちゃうし甘えた声が出そうになった。彼は突然くるんだもの。でもそこがいいんだよねえ。野獣みたいに襲って来られると、どきどきしてしまう。寝込みを野獣の彼に襲われて喜ぶなんて、あたしって変態みたいだ。病院なのに、病人とそんなことしちゃうなんて、ユニルフったら大胆だね。あたしは相変わらず眠ったままであるっていうのが、彼に申し訳ないんだけれども。やぁん。あたしシアワセだなあ。
彼とやってて、すっかりあたしはご飯を食べ損ねちゃったんだけど? あたしひょっとしてご飯抜き? ってあたしはむにゃむにゃって口を動かして彼に尋ねたんだ。彼は言った。
身体を動かしてもいないのに、三食しっかり食べて寝てたら、太っちゃいますよ?
よく聴きとれる耳だなあ、ってあたしは感心しながら、でもちょっとお腹すいたんだけど。って言った。仕方がないなあ。ちょっとだけですよ? って、彼が言って、彼が口移しでかぼちゃのスープを飲ませてくれた。甘いかぼちゃと彼の唾液の味がする暖かなスープ。またいきそうになってしまいながら、あたしは泣いた。温まった両頬の上を、冷たい涙が流れる。あぁ。ユニルフ。ありがと。こんなに素敵なスープの飲ませ方をしてくれるなんて、嬉しいよ。なんだか嬉しくて感動しちゃうよ。どうしてだろう。彼は黙ってあたしにさらにかぼちゃのスープを何度も何度も口のなかに移して熱い液体を注ぎ入れてくれる。なんだかなにかのえっちぃ行為の代償行為、疑似行為、みたい。とか考えてあたしは一人で気持ち良くなってた。なんてマメな男なんだ。あたしがにやにやしてたら、彼はこう言った。ぼくは親鳥になった気分ですよ。あー。あたしたちは鳥の親子ってわけね。雛鳥が懸命に小さい嘴を開けて、親鳥が雛の口のなかに何度も虫を運んできて首をのばして雛鳥に食べさせてあげるっていうあれね。うん。見たことあるね、そういうシーン。あたしはがっかりして、そのまま完全に眠った。さっきイメージしたシーンの、せっせと雛鳥に嘴を使って何度も虫を食べさせる一生懸命な親鳥の顔がユニルフに置き換えられてて、なんだかユニルフってかわいい、とあたしは思い出してふふっと笑った。鳥みたいに嘴がついてて、頭の毛がふぁさふぁさ立ってて、きょとん顔であたしを振り返って見るユニルフ親鳥。かわいすぎるよ。
あたしはにやにやしながら、ひとりで眠りの世界に入った。遠くからだれかの声が聞こえた。
どこかでだれかが歌っている。知らない歌だ。女かな、男かな、それとも子どもかな。聞いたことがない歌だけど、なんだか懐かしい気持ちがするような暗い調子の歌。あたしは暗い歌を聞くと、あたしの心の奥の底の底の底にいるあたしが、やっと長いため息をつけるようになるような気持ちになって、すっかり安堵して、安らぐ。あたしの心の底にいるなにかが暗く満たされる。ユニルフや他人はまだ触れることができない場所。あたしでもなかなかそこまで触ることができない場所。普段は隠されてて、だれも気づかない。暗い歌は暗ければ暗い方がいい。だれもが理解不能だといって呆れるくらいどうしようもないくらいの暗い歌が好きだ。きっとあたしの底の底の底は、そういうものを、求めている。光の当たらない、だれの眼からも隠されていて、明るい幸せとは、全く縁のない場所。むしろ、正反対の性質のもの。たとえば、ずっと昔から、自分の大切な人を殺した、怨んでいる相手を仇討ちするためにだけ生きてきて、そいつの大切なものをすべてぶち壊して最後にはそいつを焼き殺したあと、たった一人で自殺する、という歌を聞くと、あたしの心の最も深い底は、その歌を歌うために、その歌を吸いこむために、呼吸をしはじめる。そのうち陶酔してよろこぶ。あたしの暗い底は、深呼吸して暗く満足する。そこにはきっとだれよりも暗いあたしが隠れて棲んでいて、すべてに絶望したといいながら生き長らえているからだろう。でもきっと、あたしだけじゃなくて、そこはだれにでもある場所なんだ。あたしはあたしの底をそのときだけ触れることができて、撫でて、抱きしめてやれる。あたしは何度でも、暗い歌が聞きたくなる。どこからか流れてくるその歌を鼻歌で歌いながら、あたしはその歌が聞こえてくる方向へ歩き出した。あいつも死んだ。こいつも死んだ。そいつも死んだ。奴も死んだ。あの子も死んだ。あの人も死んだ。だれもが死んだ。みんな死んで、死んで、だれもいなくなった。
だれもいなくなった。あたしは一人ぼっちだ。そういう懐かしい気持ちを思い出すような声で、だれかが歌っている。そうしてだれもが一人ぼっち。はじめも、おわりも。ずっと。ずっと。わたしたちはここでは一人ぼっち。だって、あの子もいない。あの人もいない。だれももういない。だってだれもが死んでしまったんだもの。気づいたら死んでしまっていたんだもの。この世に神はいないとだれもが言うけど、悪魔や死神ならこの世には溢れているんだね。酷いことしか起こらない人生なら、生きていく意味なんて、見つからない。それならばいっそ、どんどん酷いことが起こればいい。わたしが死にたくなるまで。死にたくなるまで。消えてしまいたくなるまで。ああ。ああ。あたしは死にたい。あたしは死にたい。あたしは自分では死ねないから。だれか、お願い、どうか。だれでもいいから、あたしのこめかみに銃口を突きつけて、その引き金を引いて。その引き金を引いて。そうすれば、もう生きていかずに済むだろう。どんなに悲惨な最期でもいいから。どうか。どうか。お願い、あたしの臓器をぶちまけてこの首を落として。原型もないくらいにあたしをばらばらにして。はじめからあたしがこの世に生きていたことすら疑うくらい、殺しておくれよ。
視界がうす暗くてはっきりとしないけど、あたしはその歌を歌っている女の後ろ姿を、あたしの前方にいるのを見た。女は白いドレスを着ていて、細い両腕を胸に当てたり広げたりしながら、その死の歌を奇麗な澄んだ声で歌っていた。透き通るような声なのに、悲しみがこみ上げてくるような悲鳴のような声で、あたしは眼を閉じればまるでその歌い手の震える心の痛みに触れられそうな気がしていた。あたしは歌っている女の後ろから、彼女にそっと近づいて行った。
歌い終わったその女は、ゆっくりと振り返って、あたしを見た。銀色の長い髪がさらりと後ろへ流れた。白いきらきらするドレスを着た細身の女は、上品で儚げで、整った顔立ちをしていた。あたしはその顔をひとめ見て、奇麗だけど悲しい顔だと思った。銀色の眼をした女は、小さな口を閉じて、なにも言わずにあたしを見た。あたしは彼女がきっと〈五本足の悪魔(ブエル)の娘〉だとすぐに悟った。
あたしをいつの間にか捕らえて、夢のなかの世界に閉じこめているのが、〈ブエルの娘〉で、あたしは彼女に呪われているんだった。ということだけは思い出せた。それからあとが思い出せない。〈ブエルの娘〉に会って、どうすればいいんだったけ? あたしは彼女になんて言えばいいんだったけ?
彼女はあたしを指差した。細い華奢な白い指でゆっくりあたしを指差した。彼女が口を開いて小さくなにごとかを言う。〈ブエルの娘〉はまほうつかいか。そう思ったときには、あたしは違う場所へ彼女のまほうで飛ばされてしまったようだ。意識が途切れる前に、あたしは眼を瞑った。
場所が切り替わったことを認識できたのが、あれから数秒後で、あたしは思った通りまったく別の場所へ移転されてしまっていたようだった。あたしは頭をくらくらさせながら、立っているのがやっとで、両膝を手で押さえて、ふらつく足を安定させようとした。あたしの意識ごと別の場所へ瞬間移動させるくらいの強大な力を持った〈ブエルの娘〉に会って、生きていたことの方が驚きだ。羽虫をすり潰すように獣人のあたしなどあっという間に殺してしまうことだってできるんだから。
足元から土の匂いがした。流れている空気が違う。あたしは舌打ちした。夢のなかであることを認識していても、決して現実に目覚めて戻ることは不可能なんだ。呪いが解けなければ、できないのだろう。ここは森のなかだった。まわりが青い葉っぱくさいにおいがする乾いた木に囲まれていて、遠くから鳥の鳴き声や動物の息づく気配が伝わってくる。乾いた木は曲がった細い骨のように歪んで自由に伸びきっていた。白骨が焦げるほど燃やせばこんな感じになるだろうか。身体に圧力をかけて押し潰し、骨がきゅにゃりとなるまで圧迫し、灰になる寸前まで高温まで燃やす。青く赤い高温の炎の色。人の身体が焼けて焦げる匂い。あたしにはできないけれど、なぜかそういうことが自分にはできるような気がする。まるで自分が今までのあたしじゃなくて、別のまほうつかいになって生まれ変わったようだ。そういうことが、起こるわけがないのに。でも夢のなかでは、そういうことは起こるのかもしれない。夢のなかで、違う別人になる夢を見ることがあるではないか。あたしはまほうつかいになったんだ。あたしの身体のどこかで、それは違う。あたしは獣人だ。あたしは確かに獣人なんだ、とだれかが叫んでいる声が鬱陶しい。あたしはだれ? そういうあなたこそだれよ? あたしは混乱してきた。混乱しながら、それがおかしくて、一人で甲高く笑ってしまう。
あたしはだれをも殺すことのできるまほうつかいだ。だれもかれもみんな皆殺しにして見せることだってできる。は、は、は。あたしはあなたのことが気に入らないのよ。あなたって、あたしよりも人殺しが好きな冷酷な悪魔よりも悪魔みたいな女じゃない? うす汚いけだもの女だから、脳みそもけだもの程度なのか知らないけど、能天気すぎない? 人殺しの癖に、人殺しの癖に、なんであなたなんかがのうのうと生きてるのよ? すこしは自分の罪の重さにでも震えて畏れ慄いたら? っていってもどうせあなたなんか本能しかない馬鹿だから、罪悪感なんていうものが、まるでないのよね。ほんと、馬鹿なけだものみたいな女。あんたみたいなのはね、すこしは苦しめばいいのよ。あたしがお仕置きしてあげるわよ。
あたしが楽しく生きてるからって、僻むんじゃねえよ。あんたのくだらない嫉妬なんか、あたしにはなんの関係もないね。人のこと羨ましがってる暇があれば、自分でも少しは努力したら? あんたの嫉妬なんかのせいで勝手に巻きこまれるあたしはいい迷惑だよ。つうか、あたしの身体返せよ。早く出ていけ、この欲求不満女。自分かわいそうぶりっこ女。女の嫉妬ほど醜いものはこの世にはないよ。あたしのことを馬鹿にするくせに、あたしのこと羨ましがるなんて、醜悪極まりないね。あんた、いま酷い顔してるよ。ひどいブス顔。殺してやろうか。
あたしがあの女に毒づくと、あの女はあっさりあたしの身体から分離して出ていった。すごく怒ったみたいで、青白い顔を真っ赤にして、銀色の眼の血管が切れるんじゃないかっていうくらい見開いて睨みつけてきた。あたしになんの断りもなく、勝手に身体のなかに乗り移ったりするから、追い出してやったんだ。
口の悪い女ね。ちょっと育ちが悪すぎるんじゃない? そう言って〈ブエルの娘〉はあたしの眼の前で肩で息をしている。あたしがあの女の首を絞めたり、頭が壊れるほど大声で悪口を叫んだりしたからだ。彼女はお嬢様のようだ。はじめから見たらわかった。ブエルっていうのは、ライオンの顔に放射状に五本の足がついた高等悪魔だ。悪魔は醜い姿をしていればしているほど力が強くて、いにしえの時代から存在している証だと聞いた。ブエルは気高いんだか頭がいいんだかなんだか知らないけど、獣人のあたしよりもよっぽど醜い姿をしている。顔だけで横に回転して移動するのかと思っていたけど、たぶん違うんだろう。その方法じゃ縦に移動できなくなるもんね。蟹みたいに。おおかた空中に浮いて死んだような白い眼をしていて音もなく青白い唇を動かしながら自由自在にふーっと移動するんだろう。気持ち悪っ。しかも喋るし。
あたしは思わず笑った。〈ブエルの娘〉はなんで笑うのか理解できないという顔をした。あたしのことを殺せると言っていたけど、あたしのことを本当に殺そうとしたら、あたしはこの女のことを先に殺してやる。まほうつかいだろうが、名家の高等悪魔の娘だろうが、細っこい首を噛みちぎって身体を切り裂いてやる。
「あなた、〈ランタン男〉のこと、ご存じかしら?」〈ブエルの娘〉はあたしに突然聞いた。
「知らない」あたしは言った。何回か名前は聞いたことあるけど。幽霊男はぬいぐるみのお化けだとか、ユニルフはカニバリストの殺人者だとか言ってた気がする。ゲオルクは具現化しただれかの別人格だといった。三人が三人とも答えが違うなんて、(ランタン男)とはなにかと聞くことのほうがなにか大きな意味があるような気がする。(ランタン男)とは、なにか? あたしの頭があたしなりの答えを探し出そうと動きはじめたのがわかった。
「ふふん。そろそろあたしがあなたに本当のことを教えてあげるわ。知るがいい、あなたの本当を」〈ブエルの娘〉は急に機嫌がよくなって、高笑いしそうな顔になって、誇らしげにそう言った。〈ブエルの娘〉は両手を広げた。森のなかの空気が変わった。「せいぜい苦しむがいいわ」
あたしはすぐにまわりを見渡した。匂いを嗅いだだけで、胃がむかつくような不快感がこみ上げてきた。あいつらが来たんだ。それも複数で。あたしの大嫌いな、苦手な奴らが。しかも囲まれてる。座りこんで口のなかに手を入れて、嘔吐したくなった。頭のおかしいやつらが来た。
木の影から、猟師が数人出てきた。後ろの方は、影になっていて、よく見えない。
「あんたがいけないんですよ。おれのことを無視するから。まだわからないですか。えぇ? 馬鹿な女だなあ、ホントに。そういうところが、また、おれを刺激するんだ。わかるか、この小娘が。森を出て一人で暮らす? はっ、なにを寝ぼけたことを言ってやがんだ。女が一人で家を出て暮らすって、おれにその話を話した時点で、おれのことを誘ってるんだってことぐらい、だれでも気づくぜ。男と行動を共にするんだったら、へへ。なにが起こるのか、ちっともわかんねんだな、おまえってやつは。馬鹿だ。ホントに馬鹿だ。ホントは誘ってんだろ、おれのことを? そうなんだろ? そんな顔して誘惑しやがってよ? いやらしい女だ。本当はおれのことが好きなんだろ? 好きって言えよ? へっへっへ」
まだあたしが子どもだったころ、あたしは大人の男が怖かった。怖い眼をしていて、どす黒い思いを抱えて、あたしを滅ぼそうとしているのがわかったから。あたしのことを敗者だと貶め、あたしを踏みつけて蔑ろにし、そんなあたしのことをにやにや面白がって笑う。猟師の影がだんだんぼやけてきて、姿を変えていく。猟師の本来の姿に戻って行く。〈ランタン男〉は、あいつらはいくら拒絶してもいつまでもつきまとってくる病的なストーカー男。あたしを誘拐して監禁すると脅した変質者。嫌らしい、危ない、頭のおかしい男。まるで〈ランタン男〉みたい。闇夜にうろつく、正真正銘の恐ろしい男。交際を断ったら殺すと脅したり、危険な妄想を壊れたように延々と話し続ける男。本当に頭がおかしい男には、あたしはナイフで以って迎撃するしかないではないか。そうしてあたしはあたしの自然な女らしい気持ちを畏れによってすり減らしていく。恐怖に打ち勝つために、あたしは自然な女らしい気持ちを大事にすることよりも、ナイフを振りまわすことばかり考えるようになる。あたしはとても不幸だった。〈ランタン男〉なんか、大嫌いなのに、頭のおかしい変質者なんか、大嫌いなのに、なんでそんな奴らに、おれを誘ってるだろうとか言われてストーキングされなきゃいけないの? なんで嫌いなやつにいやらしい眼で見られなきゃいけないの? どうして? あたしは〈ランタン男〉なんかに負けるわけにはいかないから、ストーキングなんかに屈服するわけにはいかないから、だれよりも強くならなければならなかったんだ。自分の身を守るために、自分が強くなるしかなかったんだ。そうしてあたしは生きてきた。強い女になった。
「×××、×××、×××××、×××、×××、××××××」
そういうこと言ってくるからあたしはあんたたちのことが嫌いなんだよ。涎を垂らしながら狂った眼であたしをにやにや見ながら、そういうことを平気で垂れ流すように連呼して発言する変態犯罪者だから、あたしはおまえたちのことを殺さなくちゃならなくなったんだよ。ナイフで刺して切り裂いて、首を切って、顔を切り裂く。あんな変質者なんかに、あたしは自分の牙も爪も触れたくない。あたしはチェーンソーやナイフやときにはマシンガンで、あいつらをばらばらに殺傷しなければならない。大嫌いな数種類の人間のうちの一種類のあいつらを、あたしは怨みを晴らすために殺してやるんだ。あたしを苦しめたあいつらが二度と口がきけなくなるように、細切れの肉片にしなければならない。眼玉をえぐり出して、完全に液状になるように潰さなければならない。あたしはあいつらの縋りつくような眼が嫌いだ。乞食のような、奴隷のような、みすぼらしいあいつらが死ぬほど嫌いだ。絶対に殺してやる。いつまでもつきまとってくるから、次から次へと湧いて出てくるから、傷つけて殺さなければならない。じゃあ、あたしの一生は、その作業で終わってしまうの? あいつらを殺して追い払うだけの馬鹿みたいなそんな作業の繰り返しで、あたしの楽しい暮らしや、希望や未来や夢を持つことも、その作業が邪魔してずっとできないの? そんなの、もう嫌だ。あたしはそんな人生、もう嫌だよ。そんなの、なんのために生きているのか、わからないよ。
あいつらは笑う。〈ランタン男〉たちは、あたしを見て馬鹿にしたように笑う。あたしの発言が面白いといってげたげた汚らしく笑う。卑猥な言葉を混ぜながらあたしをしつこく罵倒する。
「あたしにも選ぶ権利がある」と言いたい。「おまえじゃねーよ、って、言いたい。あたしの言ってる意味、いい加減にわかれよ、キチガイ」あたしが手に持っていたナイフの刃先が震えた。泣くまいとしていたのに、心からまた血が出そうなほど痛み出してきた。あたしは死ぬまであいつらと戦わなきゃいけないのか。たった一人で。
ストーカーは、はやく刑務所に入ってもらうしかないですよ。あなたは、そんな頭のおかしい人に苦しめられる必要なんか、ないですから。その前に、ナイフで人を刺す前に、ナイフを持つ手を下げること。ナイフを地面に捨てること。ナイフのことを忘れること。あたしがナイフを持つことを考えたら、ユニルフが優しく言った。ユニルフがまた夢のなかまであたしを助けに来てくれた。あたしの手を両手で押さえて、ナイフはだめだよ、とそっと言う。人を殺すのは、よくない。あなたはナイフを持ってはいけない。
「あたしにも、見当違いだよって、あんたじゃねーよって、堂々と言うことを、赦してほしい。それを理解してほしい。あたしの言いたいことは、それだけ。男と女は、平等だって、伝えたいだけなの。あたしが嫌なことをもうしないでほしいって理解してもらいたいだけなの。あたしの弱みにつけこまれたくない。あたしは差別されたくない。劣っているといわれたくない。見下されたくない。あたしは女で、男よりは確かにか弱いから、あたしにナイフが必要になるような事態には、なってほしいと思わない。それだけを願っているの」あたしは言った。そうでなければ、あたしは男という生き物を愛せないだろう。気持ちの悪い呼吸をする物体として憎しみをぶつけて殺すだろう。あたしは縋りついてくるような劣ったごみどもを愛することは決してできない。乞われても蹴り落とすだろう。
「男女ははじめから平等だよ。なにがあったんだか知らないけど、きみの権利は保障されているし、そうか、きみは暴力的に脅されたことがあったんだね。それが辛くて、怖がりになったんだね。でももう大丈夫。きみは自分の力で自分を守れる強い女だし、だれにもきみにはかなわないよ」ユニルフはあたしの手をしっかり握ってくれた。暖かくて、穏やかな気持ちになれる手だ。あたしはユニルフに守られている。
心が気持ちが悪くなる人には、近づいてきてほしくない。あたしにも選ぶ権利があるってことを、あたしは言いたい。あなたじゃないです、ごめんなさいって。それを伝えても、あたし、殺されたくないよ。断ったら殺すだなんて、言われたら、あたしは、そいつを。〈ランタン男〉をあたしは逆にナイフで思わず刺殺してしまうだろう。
「きみは人を殺す必要はないよ。ぼくがきみを守ってあげる。卑怯なくずどもたちから、きみを守るよ」
ユニルフが言ってくれて、あたしは心が安らいだ。足から崩れ落ちて地面に倒れ伏して大声で泣いてしまいたかった。あたしはそろそろ眼が覚めるだろうと思った。夢のなかから現実の世界に近づいていっていることが、なんとなくわかった。口のなかにあの例の甘い錠剤の味が広がった。薬を飲む時間だったんだろう。あたしはゆっくり瞼を開いた。心は優しく満たされていて、あたしは微笑んだ。あたしの手をしっかりと握って、ユニルフがあたしの隣に座ってあたしを見ていてくれた。あたしの眼から涙が滲んで、流れた。あたしはもう一度、足首を掴まれたように夢のなかにひっぱられて落ちた。ユニルフの声が聞こえなくなった。ゆだんした。ぶえるの。む。す。め、
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