第13話

第7章: 〈五本足の悪魔(ブエル)の娘〉



 1、



あたしは愛されない。あたしには愛される資格がない。あたしに長い間平和なんて保てるわけない。すぐに嵐のようないつもの禍々しい衝動が襲ってきて、すべてをぶち壊しにしてなにもかも終わるのだ。そう思っていた。ユニルフに嫌われる夢を何度も何度も見た。でもユニルフはあたしを嫌わなかった。ユニルフはあたしのことをまだ好きでいてくれる。あたしはそんなユニルフのことが好きで、大好きで、もっとずっと一緒にいたいけど、急に不安になる。いろいろな不安に心を支配されそうになる。彼を失うのがあたしは怖い。ユニルフはあたしのことを軽蔑したり見下したりしないけど、彼にはなんの不満もないけど、このままあたしがじっとして大人しくしていられるかどうかがわからない。あたしには安定も平穏も安寧も似合わない。あたしはいつも絶望や破滅に向かって走っていなければならない人間であって、いつもこの身体の血潮は熱くたぎって、この心臓は破裂するほど激しく脈打っていたいのだ。あたしは太陽のようにこの身を焦がして、ぼろぼろになるまでこの心も魂も燃やして焼き尽くしたいんだ。

あたしにはおそらく普通の人生などは送れないだろう。あたしはおそらく普通の死に方をしないだろう。平和な花園のなかで美しい芳しい花をぼんやり眺めて暮らしてばかりいても、あたしの心はいつも砂風の吹く荒野のなかを自由に走っていたいのだ。奇麗な花の咲く美しい場所でなにも考えずに満たされて守られているあたしは、ひょっとしたら本当のあたしではないのかもしれない。あたしは甘い甘い幻覚を見ているに違いない。砂糖漬けの夢を食べているだけなのかもしれない。

そんなかっこ悪い自分を認めたくなくて、そういう自分の悪い癖を生かせる仕事を求めて、ずるずると闇のなかへ堕落していくようなただそんな蟻地獄から抜け出したくて、自分から平穏から打ち壊して飛び出していって、今にも崩れそうな一本の危ない橋を終わりまで一気に走って渡りきってみせるような、ぎりぎりの場所に自分を追いこんで、はじめて、やっと、あたしは息ができるんだ。死ぬ、と思った瞬間に訪れる、この胸のなかごとあたしのこの存在すべてがなんにもなくなってしまうような、あたしの欲しているその恍惚の錯覚と激しく鋭い痛みがあたしは痺れるほど好きなんだ。この痛みがあるから、あたしははっとしてまだ自分が生きていることを知る。脈打つ心臓は、生者の証明。あたしが傷ついてあたたかい血を流す、その傷は何度癒えても、あとすこしの差であの世逝き、簡単には死なないあたしでも、今にも死にそうなやばい場所に放りこまれてそれを潜り抜けると、あたしはやっと、肩を上げ下げしながら呼吸をしながら、あたしはまだ生きてるから空気を吸ってるんだって、ああまだ鼓動はとまっていないんだって、自分の生を確信することができる。それが信じられないほど気持ちがいい。あたしはなんのために生きているのか? ぼうっとしているのはあたしらしいとは思えない。あたしは生まれついての戦士(ファイター)。人が空気がなければ生きていけないように、魚が水のなかでしか棲めないように、あたしの身体は心は魂は本能は、戦うことを求めている。戦いのなかでしか、あたしは本当に生きていることを感じられないんだ。だからあたしは人を殺す。そのときは、あたしは確かに生きているとわかる。身体ごと覚醒する気がする。だからそれを、何度でも感じたいのだ。いま、あたしは死んだかもしれない、と感じたときあたしは瞑目し、その〈無〉である死への渇望に焦がれるあたしの心は両手をのばし、なにもない空を掴む。その瞬間、あたしは確かに死ぬという感覚がどういうものかがわかる。その感覚はちょうど身体のなかが空っぽになるあの錯覚と同じだと感じる。完全なる空虚、死の感覚。そのあとあたしは眼を開きすぐに全身の痛みが蘇る。肉体を刺すような痛み。臓器が千切れるような痛み。血管が破裂するような鈍い痛み。骨が砕けるような波打つ痛み。ひと呼吸すらできなくなるような耐え難い痛み。汗がふき出て、舌が渇いて、骨が軋んで、ずたぼろになってもまだ呼吸をやめないあたしがいる。ああ、やっぱりあたしは生きているのだ。

あたしの殺した人間たちは冷たい身体となって横たわってあたしの背後に積み重なるだろう。あたしは振り返って死んだ人間の顔に死んだ自分を見る。殺したかった自分が死んでいるのを目撃する。たくさんのあたしたちを殺して、あたしはなお生きている。〈無〉へ憧れ、〈死〉を冀(こいねが)いながら、痛みに充ちた世界で、あたしは生を確認する。魂は焦がれ、肉体は熱を持つ。このときだけが、このときこそが、おそらくあたしがあたしのままでいられる唯一の場所。現実のなかには生きていく価値も理由もなにも見いだせないから、あたしは何度でもその場所を求めていく。そうじゃない自分なんて自分じゃない気がするし、そうなってしまった自分を想像するのは恐ろしい。殺戮のその瞬間のなかだけでも生きていこうとする。そうして何十、何百、何千、何万もの人間を傷つけ殺めて生きていくことになる。

 あたしはそんなつまらない人間で、卑劣で、最低な人間で、そんな自分なんていつか灰になっておっ死んじまうまで戦って、戦って、戦いつづけて命を燃やし尽くすまで待つしか能がない、くだらない女なんだよ。

 どこかから声がする。ユニルフの声がする。あたしを女として認めてくれて、あたしの名前を優しく呼ぶ声がする。〈それでも。ぼくは待っています。キファがこちら側に来てくれることを〉あたしはそれを聞いて涙を流す。だれが死んでも悲しみを覚えないような心になってしまったあたしなのに、彼の声を聞いただけで、あたしは安らぎ、心は彼の元へ近づきたいと願い、泣き方も止め方も知らないような子どもに戻ったみたいに、ぼろぼろと涙を流すのだった。本当はもうわかっている。あたしは以前とは違うあたしがいることをすでに知っている。だからあたしは願う。わかってしまったあたしは、彼に乞わなければならない。とても優しく、それを。もっと彼のそばに近づきたい。彼を知りたい。彼が欲しい。彼のことが好きで好きでたまらなくなってくる。好きだという気持ち、彼に惹かれる気持ちは、他のどんなものよりも強い。抗えないほどの甘く温かく強力な引力で、あたしをそばに引き寄せる。手で振りほどこうと思っても、身体ごと逃げようと思っても、あたしは彼から遠く離れた状態ではいられないのだった。あたしは彼が好きだから。どんなに抵抗しても、あたしの大好きな彼には結局その手のなかに捕らえられてしまうのだった。どうしてだかわからない。わからないけど、もうなにも抵抗すべきことは、本当になにもないのだ。このままだと、彼を殺しかねないのではなくて、あたしが彼に殺されかねない。あたしは彼になら殺されてもかまわないとすら思ってしまうのだ。あたしをころして。どうかしてる。このままやさしくあたしをころして。ころして。



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