第12話

第5章: ユニルフ・ルセロ



あたしはユニルフに聞きたいことがたくさんあったんだ。昔好きだった人の話とか、前につきあっていた恋人の話とか、はじめてセックスをした日のこととか。彼のいろいろな過去のことや彼についてのことが知りたかった。あたしが彼に尋ねたら、彼もあたしに同じことやいろいろなことを尋ねるだろう。だれとどんなセックスをしていたかとか、彼は聞きたがった。あたしはトラウマになっていることもあるけど、話せることは話したいと思った。あたしは男性恐怖症だったり、男性やセックスにまつわることが苦手だった。キスも嫌いだったし、ディープキスも気持ち悪いから嫌だったし、性器に触るのも好きじゃなかった、と言った。グロテスクだしなんだか怖いし。質の悪いセックスをしていて、それが普通だと思っていたから、もともとそういうつまんないものなのかもしれない、と思っていたけど、本当に古い時代から現在まで多くの人間が惹きつけられ、熱心にその重要性を感じて生きているということは、やっぱりそれだけすごいことなのだと思う。人間じゃないだろ、そういうのは、まるで完全に動物じゃんか、馬鹿みたいだ、とか思ったりして軽く見ていたこともあったりもした。それは半分当たっていて、本当で、いまでもそのころ思っていた不快感を感じることもある。不快で、愚かで、間違っていると思うことは確かにいたることに存在する。そういう意味であたしは容易で堕落したセックスを寛容的に保護するつもりはさらさらなく、もちろんセックス至上主義者ではない。あたしはそういうのは本当は神秘的なものだと思っている。時代遅れだと笑われても、あたしはこの態度を改めるつもりはない。あたしはあたしなりの考え方をしていて、それをだれかに話せるのが嬉しい。聞いてもらってそれにコメントしてもらって話ができるのが嬉しい。

ユニルフは変わった人間だとあたしは思う。それと同時に、あたしと違う考え方をして、あたしに彼の考え方を話してくれるのが、嬉しいという気持ちもある。あたしとは別の意見を聞くことができるのは貴重なことなんだ。あたしは本当はおしゃべりなんだろう。一緒にいるときに相手にしょっちゅう話しかけたり、話をしていないと、あたしは本当は愛されていないんじゃないだろうか、と不安な気持ちになることがある。だからあたしは、〈黙っていても、わかるだろう、伝わるだろう、言葉は多くはいらない〉というタイプの人間から、うるさがられたりするんだけど。あたしは孤児で、育ての親は無口な老人だったから、あたしは言葉に飢えていた。だれかと話がしたくて、話しかけられたくて、お腹を空かせていたころがあった。だからかしらないけど、あたしは言葉を話していると満足する。だれかと話をしていると飢えが癒える。あたしは愛しているなら、余計にでも言葉を尽くすべきだと考えている。たくさんの言葉を、愛する相手に、自分の思っている気持ちを託して、表現するんだ。

ユニルフは映画が好きだった。たくさん映画を見ているんだろうから、あたしは彼の見た映画の話をしてほしいと頼んだ。彼はたくさん見過ぎて、なにがなんだかよくわからないんだ、と言った。あたしはそれでもいいから、途中からつくり話になってもいいから、話してほしいとお願いしたら、今度ぼくが昔見た映画を一緒に見ましょう、と笑って言ってくれた。映画館は苦手なんだけど、って思ってたら、彼は映画のビデオをどこかから調達してこなくちゃ、と浮かれていた。彼と一緒にくっついて映画を見るのはきっと楽しいだろう。

彼は信号や道路の標識は必ず守るタイプだ。彼のどこからか借りてきた車の助手席に乗ったときだけではなく、彼はいつも安全運転をする。あたしは車の運転は苦手で、あまりしないけど、すぐにスピード違反で捕まる。だから免許も(〈ゲヘナ〉ではほとんど免許なんて役に立たない。みんな無免許か偽造しているんだ。だから交通事故が絶えない)すぐなくなっちゃったり大金をぼったくられちゃったりするから、あたしは面倒くさくなって、もう車だけそこに置いてっちゃって、降りて自分で走って目的地に向こう方が楽だったから、そうしたことがある。車は大きな機械で、道具で、主人がいないと操作できない、鬱陶しい重たい面倒くさいものなんだから。だいたいあれは携帯できる重さではない。便利だと言う人もいるけどね、あたしは苦手。

「旅行に行きたいなあ。どこか、ここではなくて、もっとクラシカルな街並みのある街に行ってみて、そこの古代の遺跡を見てまわりたいんですよね。きっと楽しいだろうなあ。ゲヘナにはない、もっと長く重厚な歴史を感じさせてくれるような、そういう場所に旅行に行きたいですね」

「観光旅行に行きたいんだ?」

「そうですよ」

「ふうん。あたしも観光旅行してみたいなあ。お金貯めてから、いつか行きたいね。絶対、一緒に行こうね?」眼を瞑ると、海鳥の高い鳴き声が聞こえてきた。潮風が吹いていて、どこからか海の波打つ音が聞こえてくる、そういう街。空はからっと晴れていて、白い綿雲が浮かんでいて、白い貝殻でできているみたいな、古代の塔が建っている、そんな街。あたしは海をまだこの眼で見たことがない。あたしは海を見に行きたい。

「絶対、絶対ですよ」そう念を押して彼は言って、にっこり笑った。

 彼が観光旅行に遺跡を見てまわりたいと思ったのはなぜなんだろう。遺跡のある街へ行きたいのはなぜなんだろう。そのすべてが知りたい。彼がかつて棲んでいた街となにか関係があるんだろうか。なぜ憧れるのだろうか。それが知りたい。彼に関すること、彼のことをあたしはいろいろ知りたい。疑問は尽きない、興味があるから。聞いて詳しく説明してもらいたい気持ちもあるけど、まだずっとわからないままで、彼について知らないことがあって、あたしがそれをああでもない、こうでもない、と想像するのが楽しい。彼がだれかと代わりたいと言うまで、彼はあたしのパートナーだ。一緒にいて楽しい方がいい、一緒にいることを楽しめる方がいい。長いことずっと一緒にいたいんだ。あたしはユニルフのことをとても大事に思っているから。

あたしは彼の誕生日がいつなのかを知っている。あたしはあたしの誕生日を知らないから、彼の誕生日に、一緒にお祝いしてもらうことになった。あたしは彼の誕生日プレゼントをなんにしようかをわくわくしながら考えている。お婆ちゃんは、誕生日のお祝いをあたしにはしてくれなかったから、あたしは誕生日にお祝いをするという習慣を、ずいぶん大きくなるまで知らなかった。「そういう人もいるんですね」と彼は珍しそうにあたしを見た。「じゃあ今度からぼくと一緒の誕生日に一緒にお祝いできますね。楽しみですよ」とあたしの肩をしっかり抱いて、感動するようなことを普通に言うんだ。嬉しいよう、とあたしはいつものように普通に泣く。涙が出てきて、彼に抱きついてありがとうと言う。キスを交わして喜び合う。彼はいつもあたしのことを気遣ってくれるから、あたしたちはうまくいくのだろう。あたしもぼうっとしすぎていたら、彼が疲れて他の女のところに行ってしまったらいけないから、手を抜かないようにしなければならない。なんにしても。

春の天気のいい日、彼の二十数回目の誕生日だった。あたしは普段着たこともないような可愛らしい女性らしいふわっとひらっとしたワンピースを買って着てみた。普段から革パンだとかスキニージーンズとかばっかりで、スカートなんか全然履いたことないんだけど、頑張って着てみた。似合っていなかったら恥ずかしいから、部屋のなかだけで着ていることにした。こっそり彼のいない間にひとりで猛練習をしていたお化粧も必死で自力で覚えて、可愛く見えるようにメイクをしてみた。普段つけないような細い金のちょっと力を入れてひっぱっただけで切れてしまいそうなネックレスとかしてみた。ロックテイストの髑髏とかのピアスじゃなくて、ピンクのリボンのちっちゃい揺れるピアスをしてみた。ファンデーションを塗って整った肌にして、乾いた唇に赤色のリップグロスを塗ってつやつやにして、薔薇色のチークを上気した頬のようにさっとつけて、眼に黒いアイラインを引いて、睫毛にマスカラを塗って、お人形さんのようにぱっちりにしたくてビューラーでまつげをカールさせて、娼婦の友達がいつもつけているような派手な翼のようなものではなく、ごく地味なアイラッシュ(つけ睫毛)も何時間もかかって苦労してつけた。甘い香水もつけてみた。黒眼がちの美女に見えるように努力した。これで間違っても小柄だけれども筋肉質なお兄さんのようなお姉さんには見えてはいないだろう。彼はいつものきみと違う、変だ、と言って笑いだしたりしないだろうか。自分で気に入るように頑張ってみたのだけれど、どうであろうか。短いスカートの裾をいじって、スカートが短いと言ってひとりで恥ずかしがったり、鏡の前でうろうろしたりして、彼が外出から帰ってくるのを家で待っていた。今日一日は、あたしは自分をひとりの可愛い女の子だと思いこんで、なりきってみようと思った。でも可愛くない、とユニルフに言われたら嫌だ。可愛くないのにと言われるのが嫌だから、男っぽい服をあえて普段から着ていたりしがちなのに。彼からもうすぐ家に着くという連絡をもらってから急に、やっぱりこのワンピースはあたしには似合っていないような気がするかも、と後悔しだした。身体のコンプレックスをカバーできるようなあっちのバージョンの服の方が良かったかも、と後悔した。普段から気を配っていないから、こんなことになるんだ。あたしは顔を真っ赤にしてそわそわした。彼が玄関の鍵を開けて入ってきた。あたしは隠れることもできずに、ぎこちなく立って笑って出迎えた。

「わぁ」彼はあたしの顔を見て言った。「驚いたよ、きみがお化粧するなんて。普段からしてほしいってあれだけ言ってるじゃないか。すごくきれいだよ、似合ってる」

「それに服。可愛いなあ。もう。いつもこんなふうにしていればいいのに。きみはぼくのお姫さまだよ」

彼は頬に軽くそうっとひときわ丁寧にキスした。あたしは頑張ってよかったと、ガッツポーズ……ではなく顔の近くで小さく手を叩いて可愛らしく見えるように喜んだ。「ありがとう、嬉しい」

彼は大きな花束を持って、タキシードを着ていた。タキシード姿なんて初めて見た。うわぁ、似合うなあ、タキシード。かっこいい服。しゅっとしてクールできりっとしてびしっと決めてて大好きな服なんだ。「ユニルフこそ、すごくかっこいいよ。王子様みたい。そういう服着てるユニルフ、あたしは大好きだよ。やばいよ、きゅんきゅんするよ」

彼は照れて笑った。「ありがとうございます。はい、これ、プレゼントですよ」と言って大きな花束をあたしに手渡す。ずっしりと重量感のある赤や黄色の大輪の花の豪華な花束だ。花の花粉や花びらの匂いがする。〈ゲヘナ〉では花は希少品だから、これだけ手に入れるのは、とても苦労したんだろう。どこでどうやって手配したんだろう。

「すごい、花束! ありがとう、本当に嬉しいよ。すごくきれいだねえ」新鮮な花を急いで花瓶にさしたいのだけど、家には花瓶がない。「ねえ、ユニルフ、このお花、もったいないけど、せっかくだから、ちょっとだけお風呂に活けてもいい?」浴室には水がある。

「え、浴槽に直接ですか?」

「うん。お花風呂にしようよ。ねえ、あとで一緒に入ろう♪」

「全部はだめですよ。もったいないから」

「そうだね。じゃ全部じゃなくてほんの数本だけ、ちょっとだけ花びらをお湯に浮かべてみたいの。お花のいい匂いがして、奇麗だと思うよ。お花の入浴剤も一緒に入れちゃおうよ。あといっぱい残ったのはペットボトルに入れて花瓶にして部屋じゅうに置いて飾ろうよ。花屋敷みたいだよ♪」そう言ってあたしはお風呂にお花の数本を抜いて花びらをむしって浴槽に入れた。浴槽に湯を入れはじめる。

「キファは思いつきで変なことするからなあ」

「だってお花こんなにいっぱい買ってもらったことないから、嬉しくなっちゃって。玄関と台所と枕元にも飾ろーっと♪ 部屋じゅうお花だらけだよー!」

そんなわけで部屋のいたるところにお花が飾られることになった。あたしたちは、誕生日おめでとうとかかれたチョコのプレートの載った苺のホールケーキをわかちあって食べた。ケーキを食べるのは久しぶりだ。普段からそんなにケーキを食べる機会がない。ハッピーバースデーの歌を、ユニルフがベッドの下に隠してあったギターケースのなかからギターをとり出して、弾きながら歌ってくれた。彼が楽器を弾けることをあたしは今まで知らなかった。相変わらずいい声だ。ギターの弾き語りショートライブ。彼にいろいろ弾いて歌ってもらいたくなった。「いいなあ。ギターが弾けるなんて、かっこいいなあ。なんで教えてくれなかったのー?」

「キファが聞かないからですよ。ちなみにぼくは作曲もできるんですよ」

「えーっ、聴きたい聴きたいよー」

「じゃあ、あなたのためにぼくのつくったとっておきのラブソングを」

ユニルフがよくできたオシャレなラブソングを歌いはじめる。柔らかいギターの弦の音と、のびやかなユニルフの歌声。窓辺に置いたコーヒーカップ、きみとぼくのようで♪~~

 あたしは彼の曲を全部レコーダーに録音して、彼のいないときや寝るときにイヤフォンでいつも聞いていたいと思った。「すごいよ、ユニルフ。シンガーソングライターになればいいのに。あたし、ユニルフの曲を録音したのが欲しいなあ」

「きみのためなら、ぼくがいつでも何度でも歌ってあげますよ」とユニルフは言う。

「やったぁ。また歌ってね! ねー上手だねー上手だねー」あたしはユニルフといちゃいちゃしたくなる。彼はギターを静かに床に置く。あたしは彼の頬にキスする。彼の指にはまっているあたしとおそろいの銀のペアリングを指で触れる。彼の体温が移って暖かい。

「プレゼントがあるの」あたしは彼に奇麗に包装紙に包まれた贈り物をあげた。

彼は嬉しそうに包装紙を開けた。「本ですね」旅行のガイドブックの本。彼が行きたいと言った観光地の旅行の本。写真がたくさん載っていて、彼は本を開いてページをめくって、あたしを抱きしめた。「ぼくが前に行ったこと、覚えていてくれてたんですね」と礼を言った。

あたしはサインペンをとりだして、「ねえ、本の後ろの空いたページに、今日の日づけとメッセージを二人で書こうよ。記念に」と言った。彼はペンを受けとって、〈……年4月 二人の誕生日に ユニルフ〉と書いた。〈愛してる ずっと一緒にいようね キファ〉とあたしも書いた。

「あなたにはこれを」ユニルフは小さなプレゼントの箱をくれた。「指輪?」赤い宝石のついたちいさなリングだった。奇麗で高そうなリングだった。

「指にはめてごらんなさい」彼は優しく笑って言う。

 あたしの指にぴったりだった。アクセサリーは大好きなので、嬉しかった。赤い情熱的な石はあたしにふさわしい。ユニルフとの愛の象徴。いつまでも眺めていたくなる赤い宝石。あたしはペアリングを外して代わりにそれをつけた。「ありがとう、すごくかわいいね。気に入ったよ。大切にするね」

「似合ってるよ、キファ。お膝に乗せてあげましょうか?」

 彼はあたしを抱えた。彼に後ろから抱きしめられると、どきどきしてくる。彼の腕に触れられただけでいきそうになる。彼がうなじに唇をつけたので、くすぐったくなってあたしは首をすくめそうになる。お腹に腕をまわして足と一緒にあたしの身体を支えながら、片手であたしの服を脱がしはじめる。あっという間に中途半端に急いで服を脱がせて、彼はすでに硬くなっていて、挿入してきた。彼と繋がることができて嬉しい。彼はまっすぐに攻める。ワンピースの裾が揺れてふわふわと浮く。「お風呂に入りましょうか。もうお湯は沸いたでしょう」彼はあたしを抱えて浴室に移動する。お姫様だっこをしてもらったのははじめてだ。「待って。指輪を外さないと」「早くしてください」彼はあたしを脱がして、自分も脱いで、一緒にお花風呂に入って、そこでまたやった。お花の匂いのする入浴剤も入った湯のなかで、彼はあたしを抱いて、あたしたちは何回も飽きずにした。彼は湯に浮かんでいるお花の花びらを一枚歯で噛んで咥えて、指でつまんで、あたしの頬っぺたにぺたっと貼って、笑った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る