第9話

2、



「失踪者を探す仕事なんて、あたしたちの引き受ける仕事じゃないと思うけど?」

あたしはここに来る前にユニルフにそう言った。ユニルフは「簡単な仕事だからとか、違う仕事だからとか言って、引き受けるに足らない仕事だと決めつけるのは、よくないと思いますよ。特にあなたの場合はね」と言って笑った。あたしにお金がないことを彼は知っているのだ。それであたしは、失踪した双子の少年少女を探しに、襲撃された彼らの地域を訪れた。あたしと彼は別行動で、失踪者を探している。ユニルフにもらった青い携帯電話がパンツの右ポケットに入っている。

「ところで、依頼者ってどんな人だった?」あたしは聞いた。

「普通のおばさんでしたよ。ちょっと声が上ずってましたけど。わたしの双子の子どもたちを探してほしいって。泣きそうで、かわいそうでした。双子のお兄ちゃんがメイスで妹がララ、って」

 あたしは捨て子なので、そういう優しい両親のことになると、ちょっと心がぴりぴりしてささくれ立ってしまう。いらつくとは違うような、羨ましい、というような。あたしは機嫌を悪くして小さく言った。「その子どもを失って泣いてる母親、確かにかわいそうだけどさ、そんなことになるんだったら、〈ゲヘナ〉に棲まなきゃよかったのに」

 ユニルフはうつむいてちょっと微笑した。

〈ゲヘナ〉の新聞は、気まぐれな嘘つきライターが書いた出まかせまじりのくだらない新聞しか発刊されていないので、あたしたち住人はその悪意に満ちた新聞をその嘘だらけの情報の悪意ぶりをわざと楽しむときだけしか読まない。偽物と本物の情報を混ぜて書かれると、あたしたちはなにが本当でなにが嘘の情報なのかわからなくなる。したがって〈ゲヘナ〉では、ニュースや新聞では正確な情報を発信しないので、だれも近所でなにかの事件が起こったことを、自分の眼で確かめるまで、正しく知らないことがある。暇な人は新聞を狩ってこれは本当の情報だろう、とかここから先は嘘に違いないとか、当てっこをして遊んでいる人もいるようだが、そんな変人は別だ。あたしたちは普通は流れてくる噂話やだれかの話から、事件のことをなんとなく知ることができるくらいだ。しょっちゅう人が死に、酷い方法で殺されるので、そういう事件の類は、もうそれこそ日常茶飯事になっていた。どこかの地域が襲撃されてそのだれかの家の哀れな子どもの双子がいまだに見つかっていないとしても、あたしたちはそんな事件が同じ街で起こっていたことを、依頼者からの電話がかかってくるまで、知らなかった。そしてそういうことは、〈ゲヘナ〉では、珍しくもなんともない、ごく普通のことなのだった。

 襲撃された地域は、崩壊しそうな家々が並んでいて、相当派手に撃ち合い殺し合いが起こったんだろうということが容易に想像できた。マシンガンで撃たれた窓ガラスが窓枠ごと道路に落ちている。おびただしい量の血液と掌の跡が壁にべったりと残っている。もう元の家に棲んでいる人はいないんだろうということは、漂ってくる風に含まれた空気を嗅いだら、なんとなくわかった。あたしは街並みを携帯電話で写真を撮りはじめた。こんなところに、双子の少年少女なんて、絶対に生き残っていないだろう。彼らの遺品でも母親の代わりに見つけてくれば、依頼人は満足するんだろうか。ブーツが砂利を踏みしめる。地面には割れたガラスの破片や木片や泥や砂が散っている。あたしは膝を曲げて、崩れた家の木材が垂れ下がって邪魔をしている狭い暗い入り口のなかに入った。廃墟のなかは、埃と糞尿の混ざったにおいがした。数日前までここでだれかが隠れて生活していた

んだろう。この家の住人かそうでないのかは知らない。物騒なところだけれども、ただで寝泊まりできるから、家を持たない浮浪者かなにかが溜まり場のように使っていた可能性がある。嫌だなあ。床で排泄するなよ。後で臭くなるんだからさ。消臭に気をつけてよね。片手にナイフを下げてあたしは軽く興奮してきた。まだだれかが潜んでいるのかもしれないと思ったからだ。どこからか狙撃しようと思って隠れているだれかに背後からライフル銃で撃たれる不安に背中を一瞬冷たくされて、それが逆に心地よかった。そういうの、あたしはちょっと変態かもしれない。どっちでもいいけど。だれかの視線が、背中に当たったら、あたしは気配でわかる。家のなかもかなり崩壊していた。どこの廃墟も同じようなものだ。どこを見渡しても廃墟、廃墟、廃墟ばっかり。だれか生きている人間がいないかをざっと探して、見つからなかったらすぐに次の家に移動する、その繰り返し。瓦礫の下に小さな死体が挟まっていて、あの双子の片割れかと思ったが、逃げ遅れたのだろう、個人の判別がつかないほどの損傷がひどい死体だったのでとりあえず違うと見当をつけて次へ移った。不思議なことに死体はめったになかった。あたしは首を振りながら、仕事のついでに金目のものがないかを探した。金属っぽいものは溶かして使えるらしいから売れる。床に惨殺されて砕かれた目覚まし時計を見つけて、ちっちゃいねじだのばねだの歯車だの細々した金属部品を爪で摘んで数個拾った。ポケットに納めながらあたしは屑鉄拾い屋かよ、と馬鹿らしくなってやめた。台所を見た。白く汚れたシンクには木のスプーンが落ちていた。小花柄のかわいらしい食器棚には割れた皿くらいしかない。それにしても臭いなあ。奥の部屋にも入ってみる。倒れたクローゼットのなかにはぼろぼろの雑巾みたいな生地の服しかない。床にほうっておく。黄ばんだシャツは、あたしは着ない。引き出しも開けてみた。割れた鏡の破片と写真立てが入っていた。カラー写真で、少年と少女が手を繋いでいた。ふたりとも似たような顔立ちで茶色の髪で、緑の眼をしていた。緑の眼は、あたしから見てもごく普通の人種。温和な人柄と色白の肌が特徴。事なかれ主義者が多いと聞いた。優しそうな性格の子どもたちの笑顔が脳裏に残る。男の子と女の子の兄妹のようだったけど、依頼者の言っていた双子のような気がした。でもあたしは緑の眼の人たちは大の苦手なのだ。差別するわけじゃないけど、本当に、緑の眼の人たちとは、あたしはどうしても仲良くなれないのだ。あたしは心底困った。依頼人のおばさんに、ユニルフが双子の眼の色を聞いてくれていたら、あたしは絶対に断ったのに! あたしは緑の眼の人たちが苦手な理由は、彼らが穏やかな普段の姿とは想像もつかないほどの異形な姿に変身するからだ。写真立ては壊れていなかった。あたしはガラスの写真立てから破かないように丁寧に写真を抜いて裏返した。〈メイス&ララ〉。大当たり。約二十軒ちかく見てまわってやっと見つけた。これでは遺品にならないだろうか。あたしは一応ガラス製の写真立てを服のポケットにしまった。引き出しを探って売れそうな指輪や耳飾を探そうかと思ったけどここが依頼人の家であることを考えて、やめておいた。メイスくんとララちゃんは、いったいどこに行ったのだろう。生きているとしたら、この家にまだ隠れているのだろうか。あたしは人間の吐息がどこからか漂ってこないかを嗅いでみた。砂埃と硝煙のかおりの漂うなかから、生存者のにおいを嗅ぎつけるのは、絶対にできないことではない。ただ面倒なんだ。さて、どこに隠れているのかな。所々崩れかけている部屋を見まわした。倒れたクローゼットを退けると、後ろの壁に穴があって抜け道があったりするんだろうか。ベタな隠れ場所。だれかが息を潜めているのだろうか。あたしは近づいてみて、わかった。クローゼットをわきへ退けてみると、思った通り人間が二人くらい隠れることができそうな小さなせまい空間が出てきた。残念だけど、そこには二人の子どもの死体があった。とっくに死んでいた。殺されたか餓死したかほかの死に方か。はっきりした死因はわからない。腐りはじめた死体の皮膚がところどころ変な色をしていたから、服毒自殺かもしれない。生きることに絶望したのか、双子らは毒をのんで死んだ。折り重なった白っぽい死体たちは黙っている。あたしはそれをどうやって依頼人に伝えようかを考えた。二人の死体を、写真に撮って依頼人に渡そうか。あたしは携帯電話のカメラで数枚二人の写真を撮った。まだ腐敗が軽いから、母親が見たら、本人たちだとわかるだろう。写真立ての写真とは全く違う写真が一枚撮れた。どういう理由があってあなたたちが死んでしまったのかは、あたしにはわからないけど、用が済んだあたしは黙ってここから去るしかない。

 あたしはそっと後ずさりして、足音を立てないように、床になるべく泥の足跡を残さないように、慎重に家のなかを素早く捜索した。足元で金属質な軋み音がした。踏んだ、ということを認識するよりも早く、あたしは全身の身体のばねを使って、反対方向にできるだけ跳んで全力で逃げた。視界が失明しそうなほど真っ白に光る。突風。家は爆破されて、天井は跡形もなくなくなった。ごうん、と耳を壊すほどの大きな音がした後、あたしのすぐ背後でテーブルや戸棚や屋根が消えてなくなるのが気配で伝わった。背中が寒くなった。鼓膜がまだ痺れている。依頼人の家に地雷を設置するなんてずるいことをするのはいったいだれだ。ここのあたりには地雷が他にもいくつも埋まっているのか。あたしはいらついて舌打ちした。明るい空が見えるようになった廃墟であたしは小さく歯噛みした。でも両足を吹き飛ばされるよりましだった。冷たい風が吹いている。あたしは近くに敵がいないかを探した。右ポケットの青い携帯電話のことが一瞬頭のなかに出てきて、すぐに消える。いまは考えないでおく。哀れな双子の死体があるのに。あたしは一目散にまだ地雷で吹き飛んでいない家々の方向に走って逃げだした。そういえば遺体から写真しか撮ってない。っ手今気づいてももう粉砕されてしまった後だ。あたしは頭を掻き毟りたくなった。

 がさがさがさっ。乾いた足音が群れてこちらへ向かって追いかけてくるのが聞こえた。だれかが来る。ブーツのような重たいものを履いていない、軽やかな足どりで、たくさんのなにかが急いでやってくる。ぽた。ぽた。あたしの耳がとても嫌な音を聞きとった。だれかが涎を垂らしている。ざかざか走りながら涎を垂らすなんて! あたしは感覚的に鳥肌が全身に立つほどおぞましいもののことを思い当たった。あいつらだ。あいつらしかいない。あたしを見つけて、やつらは涎をたらした。

“しゃあああげええええええぇぇぇえええぇ”

 走りながらあたしはすぐに獣の姿に〈変化〉した。長い手足は前脚と後脚になった。顔が獣の顔になる。黒い髪の横から黒い尖った耳が立つ。開いた口が大きく裂けて歯が尖った白い牙に変わる。身体は黒い毛皮に覆われ、黒い長い尻尾が立つ。あたしはある家の玄関の出っぱりに飛び上がり、爪と全身を使って屋根の上に逃げる。屋根から隣の屋根の上に全身のばねを使って次々に跳躍し、逃げ続ける。隣へ飛び移るときに、あたしは一瞬振り返った。遠く後ろの方に、赤色のどことなく卑猥な感じのするねっとりした大きな口のついた花を開いた、人間のような二本の裸足の足の生えた、緑色の食肉植物の集団が2、30匹位の群れになって、あたしの後を追いかけてきていた。大きな赤い花からは唾液を振り散らしながら、もったりした緑色の壺のような喉に当たる場所から、奇怪な叫び声を漏らしながら、飢えた食肉植物化した人種が、どたどたと裸足ですごい勢いで走ってどこまでもついてくる。あの様子からすると相当空腹なのだろう。

(あたしのこと、絶対餌かなにかだと思ってる!!)

 あたしは顔から血の気が引くのを知りながら、泣きそうになりながら、屋根と屋根の間を飛んで逃げ惑った。あたしの頭のなかは、双子の死体はおそらく無事ではないだろうということと、依頼人の家になぜ地雷が仕掛けてあったのかということと、食肉植物の大好物が獣人であるという恐ろしい知識がぐるぐる廻って、混乱していた。

(あたしは餌じゃないんだってば! わかってよ!) 

 あたしが屋根の上で唸ったり吼えたりして威嚇していると、食肉植物人種たちは地面で足を踏み鳴らして茎を伸ばしたり左右に振ったりする。ユニルフもいないし。あたしは首を伸ばして遠くまで見て、途中で乗ってきた車を探した。武装運転手が乗ってる安いぼろの賃走代行車が小さく離れて見える。軍隊で使われていた旧式をそのまま乗り継いでるから古いけど、頑丈なんだ。ガラスも防弾ガラスらしい。見ると、武装運転手は防弾ベストを着て肩から銃の予備弾をかけて窓からマシンガンを構えて、迎撃の準備万端といった感じだった。さすがだ。あたしは屋根から跳び下りた。ぬめぬめしている赤い口を開いて待ち構えている食肉植物人種たちの花びらやら足やらをひらりとかわして、ガラスの破片だらけの地面に着地する。硬い肉球が、完全に地面に触れる前に次の足を前に前に掻き込むように叩きつけて行って、息を切らして砂利の上を駆けていく。背後には、一段と色めき立って奇声を上げる変な花の群れが、どたどたどたどた走って追いかけてくる。食肉植物たちの緑色の茎のような足には人間だった名残りなのか、ああ、あたしと同じように10本の指と足の裏と踵があるのだった。指がやや開き気味の足や臭い足の裏が砂利も壁の破片もガラスも容赦なく踏みつづけていく。あたしの右耳のすぐ後ろで、大きな口のなかの歯がかちんっと空を噛んだ音がした。粘着質な涎が宙を跳んで地面に落ちた。あたしは視界内にとうとう賃走代行車を見つけた。どんどん近づいていく。あたしは空中に高く飛び上がって跳躍する。武装運転手はマシンガンではなく、別の大きな銃を空へ向かって垂直に一度撃った。威嚇射撃だ。あたしは賃走代行車の手前に着地する。車の後席のドアが自動で開く。食肉植物人種たちはちょっと戸惑っているようだった。「早く! 早く車を出して! 急いで!!」あたしは乗り込んで言う。すでに人間の姿に戻っていて、あたしは後席のドアに設置してある、サブマシンガンを構えて窓の外に向けた。武装運転手は車をすばやく発進させた。なにものかに襲撃された食肉植物人種たちの居住地を急いで後にする。車並みに足の速い食肉植物人種はさすがにいない。その場にとり残されて、車の走り去っていくのをただ見送っているだけだった。〈変化〉して飢えて理性が飛んでしまっていてるところもあるが、基本的には彼らはとても温厚な人種なのだ。だから武装運転手も彼らを故意に撃たなかった。

「あんたあ。危ないわぁ、獣人やったのに、彼らの前に出てったら。なあ。そらええ餌が来たと思われるぃや。ここらはあんなになったけえ、だれも近寄れんことなったんやろうねえ」

「仕事だったの。あたしの。それが仕事なのよ。あ、ちょっと電話かけていい? ごめんね」あたしはポケットのなかから青い携帯電話をとり出して、急いでユニルフの携帯電話の番号を呼び出した。まだあの場にユニルフがとり残されていないかを確認したかったんだ。呼び出し音が流れて、彼が電話に出た、と思ったら留守番電話に切り替わった。あたしはいらいらしてしまって携帯電話をポケットに戻して、親指の爪を噛んで、混乱している頭のなかを整理しはじめた。爪は土くれの味がした。あたしは窓を開けて唾を吐き捨てたくなった。賃走代行車は走る。

 しばらくして、ユニルフからメールが来た。〈さっきは電話に出られなくて すみません キファさんは ご無事でしたか? ぼくは大丈夫です〉あたしはそれを読んで安心したけど、必要なこと以外話さない彼の寡黙さにいらついた。あたしは混乱しているときには、些細なことで機嫌が悪くなってしまうのだ。彼は説明が苦手なのかしらないけど、あたしに納得のいくように説明をしてくれないことがある。彼がひとりだけわかっていればそれでいいのだ、みたいな変なところがある。それがあたしにはとても歯がゆいのだ。あたしもだれかに多くを話すタイプじゃないけど、聞かれたらわかるように相手にちゃんと話してあげることができる女だ。あたしが彼よりも頭が悪い馬鹿女だから、彼はどうせ言ってもわからないとでも思っているのだろうか。あたしには理解力が圧倒的に劣っているというような容易に彼に軽んじられるような、本当に劣った人間なんだろうか。腹が立つ。(あたしが理解できてもできなくても、なんでだろう? ってあたしが思ってるんだから、そのあたしの気持ちをどうにか配慮しろよ、この鈍感傲慢野郎! あたしの理解力が劣っているなら、あんただってあたしの気持ちに対する理解力が圧倒的に劣っているわ! この馬鹿!)

 あたしはひとりで憤りながら、彼にメールを打った。〈ユニルフが無事でよかったわ 仕事のことで聞きたいことがあるから あとで質問に答えてくれる? いまからあなたの家へ行くけど いいよね?〉賃走代行車は、〈ゲヘナ〉の街のなかへ帰ってきた。あたしは武装運転手になけなしの全財産のなかから、今回の彼と彼の車の仕事に対する給料を支払った。あたしたちはそのまま別れて、あたしは地下道を通って、ユニルフのアパートへ向かった。日がまぶしく照っていて、あたしは眠たかった。こっちの本業をしていたおかげで、今日はバイトができなかったんだ。地下道のなかの階段を一段一段下りた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る