第3話

第1章: アパート〈エイリアンズ・アトランティス〉



1、



あたしの借りている部屋のある古いアパートが見えてきた。娼婦やホステスや男娼やホストが多く住むだけあって、ここから栄えているところにいくと、会員制酒場や売春宿がたくさん建っている。

あたしは緩やかな坂道を登って、アパートの敷地内に入った。昨日まで花壇に植えられていたはずの背の低い若木たちはなにものかによって、折られたり蹴散らされたり踏み潰されて、食べかけのカップラーメンの容器と中身や缶ビールがいたるところにぶちまけられ、縮れて腐りはじめた黄色い麺には蝿がたかり黒い点々模様をつけて、若木のまわりの土には水の代わりにラーメンの汁が滲みこんでいた。十個くらいの缶ビールは口径のとても小さな銃で撃ち抜かれた跡があった。破られて散らばる小切手や領収書やトイレットペーパーの紙切れ。くらげのように見えるビニール袋。ここのアパートの管理人がしぶしぶ掃除をはじめていないところを見ると、管理人はまだこの惨劇を見つけていないことになる。別にだれも彼に報告しなくても、気づくときには気づくのだしね。

あたしはアパートの郵便受けの前を素通りして階段へ向かった。あたしはここに引っ越してきてから郵便受けには一度も触れたことがない。あたしはあたしの棲んでいる子のアパートのアドレスをだれにも教えていない。だれも知る必要がないし、教えるのは危険だから。だから知り合いのだれからもなにも届かない。したがって、届くのは、ダイレクトメール関係だけになる。あたしが郵便受けに触らないのは、どんな危険なものが仕掛けられているかわからないからだ。郵便受けの扉を開いた途端になかに仕掛けられたものが爆発するかもしれない。今日は大丈夫でも明日には仕掛けられているかもしれない。あたしはたぶんすぐに治る怪我を負うだけで死なないだろうけど、爆発物のせいで損傷したアパートの壁や他の郵便受けを修理するお金を必要以上に嫌というほど請求されてしまいそうだから。あの管理人ならしかねない。いや爆発物を仕込むという意味だけではなく。手紙の類は読まないから別にいい。あたしに手紙を書いてくれる人なんてくれないし、来たとしてもたいがいが架空請求かエロ広告か詐欺のダイレクトメールだし、だからあたしには郵便受けは必要ない。

家賃はアパートは新しいわけではないのになかなか高いし、しょっちゅう空き巣に入られる。何度直しても鍵や窓ガラスを面白半分に壊される。ゲヘナじゅうのアパートを廻って、ドアを壊したり窓を割ったりして遊んでいる連中がいるようだ。だれかがとっ捕まえて殺せばいいのに、連中は細胞分裂するみたいに、殺しても殺してもそいつらにそっくりな奴らが、次から次へと増えていって、絶滅しない。殺す数より増える数の方が上まわっているからだ。連中は瞬間最速5人の勢いで分裂して、そいつそっくりなやつを生みだすらしい。あたしは顔の濃いもったりした感じの男が、眼を離した隙にそいつにそっくりなもったりした奴が、いまさっき鏡から抜け出してきましたよ、みたいな感じで一人、増殖して二人になったところをたまたま見たことがある。気持ち悪かった。

彼らには〈蝿の王(ベルゼブブ)の細胞〉という高等悪魔の一部という名前がついている。悪事を行うためだけに、彼らは無駄に分裂して生まれ続ける。

アパート〈エイリアンズ・アトランティス〉とかいうセンスのない名前はあの妙な管理人がつけたに違いない。ガス代や水道代や光熱費はあきらかに彼が自分の利益分を上乗せして請求いるに違いないほど毎月高いけど、あたしは歯を食いしばって毎月払っている。それなのにときどきあたしの部屋の貴重品がいつの間にか消えている。腕時計とか、買ったばかりの指輪とか。下着もよくなくなる。管理人がたまに勝手にあたしの部屋を物色しているのではないかと疑っている。いつか管理人の部屋を漁り返してこようかと思う。見つかったらなんて言い訳をしよう。どう言ったら犯罪にならないだろうか? すぐにアパートから追い出されるのがオチだろう。あたしはこの変な名前のアパートを出て行って、どこかのここよりもっと質の悪い崩れそうなぼろアパートに住む。そして管理人は高い引越し業者のトラックの後を彼の雇ったどこかのチンピラにあたしの新しい住居にまで尾行させて、最後に嫌がらせを盛大にするように仕組む、くらいはするだろう。あたしは眠くなって、あくびをかみ殺した。夜の間にバイトをするのは、朝の明るい間に寝ていられるからでだ。〈ゲヘナ〉の住人はほとんど夜型だ。〈ゲヘナ〉の街自体も、夜型の住人たちに対応して動いているようだ。朝の明るい間にだれもが寝るのは、眠っている間に強盗に寝込みを襲撃されて成功する確率が低くなるからだし、家に放火をされた際にはアパートのまわりの住民や暇な見物人やたまたまそばを歩いていた通行人が囃(はや)し立てて騒いでうるさくなる前に、まわりが明るければそこから逃げ出しやすいからだ。断然明るいうちに寝るほうがいい。

302号室のあたしの部屋の玄関のドアに、赤いスプレーで壁まで大きくはみ出した落書きがしてあった。〈おれたちはおまえを殺ス〉と書いてあった。あたしのことを怨むだれかの仕業だろう。こんなくだらないことをしてなんの役に立つんだか知らないけど、〈ゲヘナ〉ではよくあることだ。街のいたるところにスプレーでの落書きがある。あたしはいちいち気にしないけど、落書きははやく消さなければ、たまたま通りかかった暇な人がそれを見つけて〈じゃあ、暇だから自分が殺してあげようかな〉みたいな気持ちになって、ふらっとあたしを殺しに来たら困るからだ。あたしはアパートではおとなしい獣人のおねえさんでいたいのだ。騒ぎを起こしたくない。

ドアノブに鍵を差し込んで部屋のなかに入ろうとしたら、鍵が入らない。よく見たら鍵穴が接着剤で埋まっていた。鍵が開けられない。あたしがどうしたものかと(玄関のドアを壊してなかに入ったら修理費はいくらぐらい払う必要があるんだろうかと)立ったまま考えていると、いつのまにか背後に擦り減って黒ずんだゴム草履を履いた太ったチビの外国人男性が卑屈ににやにや笑いながら、三白眼の小さな黒い眼であたしを上目遣いで見上げて立っていた。このアパートの管理人だ。

 あたしがなにか言いかける前に、彼は呂律のまわらない濁った声で言った。「清掃屋はぁアパート側ではぁ呼べませんのでねえ、すううぅみませんねえ。早く呼んでもらわないとねえ、あぁたしも困ぉるんでぇねえぇ。落書きは早く消してもらわないとねえ、みんな嫌がってるんでねえ、そうねえ、明日か明後日までには奇麗にしてもらわないとねえぇえ。くえっくえっえくえっえぇえっ」

 発音が変なのは彼が異国で育ったからだ。最後の奇声は彼の笑い声だ。

 管理人は中身のほどほどに入ったゴミ袋を片手に下げて、あたしの背後にがに股で立っていつまでもにやにやしている。こいつもどうもどっかおかしいんじゃないのかな、とあたしは彼を見るたびに思うのだが、意地悪な嫌味を的確にぶつけてくるくらいの知能があるから、一応普通の人間なのかもしれないな、と思うこともある。正体のわからない、不気味な奴だ。いかにも頭が鈍くさそうなくせに、お金のことになるとものすごくこずるくケチになる。ゴミ袋のなかからカップラーメンの汁のにおいがぷんと漂ったから、花壇の掃除をしてきた後なんだろう。だったらあたしの玄関のドアの落書きも、ついでに奇麗にしてくれればいいのに。自分で雇えだなんて、こういうときはアパート側が雇うべきだと思うんだけどね?

あたしは悪くないのに、すみませんとか絶対言いたくないし、でも部屋に入れないし、あたしはそいつを睨んだまま黙っていると、彼は舌打ちしてそばにあったあたしの傘立てをゴム草履のつま先で派手に蹴飛ばした。傘立てが倒れて傘が飛び出る。アパートの廊下に甲高い大きな音が響く。あたしはすぐに頭のなかであとで管理人の家の一番奇麗な傘を一本盗んでゴミ捨て場に放り投げてくることに決めた。あたしがなにもしないでいるのを管理人は盗み見て、にやにや笑ったあと、満足げに肩を揺らして帰っていった。〈嫌なら今すぐにでも出て行ってもらったって構わないんだよ?〉とでも言いたげな顔だった。死ね。あたしはあいつを殴りたくなった。でもここで怒りに任せてあいつや壁や手すりを殴ったりすると、翌日の自分の留守中に引越し業者が部屋の家具やら荷物やらを全部部屋の外に移動していて、新しい住人が管理人と談笑していたりする。要するに逆らうなら出て行いけということだ。あのクソ男は引越し業者もわざと高い会社に頼むだろうし大量のダンボール箱代も一箱ずつきっちりとったりして馬鹿を見るのはここの住民のほうだ。留守中にこういうめに遭ってきたほかの住人の例を、あたしは見てきた。家賃の安いアパートはみんな入りたがっているから、管理人は横暴な仕打ちができるし威張っていられる。あのクソ陰険短足男には、わからないように復讐してやるのがいい。猫の死体でも拾ってきてやつの玄関の前に積んでおくか。それにしても清掃業者を呼ぶ金をどこから捻出しようか。あたしは重労働のわりには儲けが少ない。自分で清掃? スプレーの落書きなんて、どうやって落とせばいいのかわからない。真面目に落書きを必死こいてこそぎ落としていたりなんかしていると、だれかに見られたら、爆笑のネタにされる。絶対からかわれる。翌日にはそいつかだれかがまたさっそく新しく落書きをしているだろう。ふざけた連中だ。ここの街の人たちは、そういうことをしかねない。その場面に遭遇した自分の気持ちを丁寧に想像しなくても、すぐに嫌な気分になることはすでにわかっている。嫌なことを思い出しそうになる。あたしが心のなかに閉じ込めたたくさんの嫌なことをふっと蘇ってしそうになる。心のなかから出られないように、封印したのに。あたしは居心地が悪い気持ちになるのはすごく嫌いなんだ。心が重くなって、どうしていいのかわからなくなる。心の持っていき場所がわからなくて、途方にくれてしまう。だから、考えないようにして、触らないように、見ないようにしている。関わらなければ、知らずに済む。

あたしはスプレー落としを近所で買ってくることに頭のなかで決めた。管理人は遠ざかった後も「くえっけ、くええけっ」と怪鳥のような珍妙な声でずっと笑っていた。あいつもきっとただの人間じゃないものが血のなかに入っているのだろう。いつか絶対に仕返しして嫌というほど痛いめに遭わせてやる。

〈ゲヘナ〉で生きるために最低限必要なもの、三つ。一つ、強さ。二つ、賢さ、三つ、お金。

 一つ、自分の身を他人から守れるほど強いこと。

 二つ、自分の頭で考えて行動できるほど賢いこと。

 三つ、自分の生活のためにお金が稼げていること。

 どこの世界でも、この三つは大人の人間としての常識だ。

〈ゲヘナ〉では、他人を支配できる力としてこの三つが、重視されている。他人を殺せるほど強く、他人を利用できるほど賢く、他人を従わせるほど金持ちであること。思いやりも優しさも必要ないし、他人からつけこまれないように冷淡で、他人の生き死にに対して冷酷であること。これは〈ゲヘナ〉の住人の基本的な素質。違う要素を持っていてそれをつかって暮らしていても、基礎的な部分は大して変わらない。自分のために他人を犠牲にして、その他人の死骸の上に平気で建っていられる罪悪感のなさ。普通の人間の感覚からすれば、たしかにそんな異常な人間の住む場所はきっと〈地獄〉にしか見えないのだろう。

 脱獄犯が姿をくらませるためにここにくることも多いし、捕まっていないだけで非合法な職業に就いている犯罪者もここで暮らしている。闇市場で稼ぐ闇取引屋、高級車の窃盗や車上荒らしをする車両窃盗団や車の部品の高値取引や交換や架空の故障代請求詐欺関係者、銀行や宝石店を定期的に襲撃する組織化した強盗賊、巧妙な手口で金を騙しとる〈ゲヘナ〉で多く活躍する詐欺師たち、虚ろな眼をして少年少女を惹きつける麻薬密売人、架空の調査書をでっち上げることが常套手段の偽探偵、犯罪者予備軍と不良児たちの小遣い稼ぎのために組まれた恐喝少年団、臓器のばら売りから小児、外国人女性などを売買する人身売買屋、〈ゲヘナ〉のあちこちに存在する娼婦と宿の管理をする売春館経営者、洗脳や暗示で騙す演技上手な催眠術師の悪徳商会、賭け事で生業を立てる賭博師など。と、無職・無宿の道端に寝転がる浮浪者や、悪魔の名前を名乗る大規模な犯罪組織がある。闇には魔物が棲むというが、〈ゲヘナ〉には本物に負けず劣らない、人のふりをした化け物が潜んでいる。このあたしも、その一種だ。ここの化け物や魔物は、互いに互いを食い利用しあいながら生きている。〈ゲヘナ〉は一般社会とはまったく違った文明社会を形成している。だからあたしたちがここから出て暮らすのは、至難の業だ。生きてきた過去も、生きていく方法も、生きているその姿も、みな〈ゲヘナ〉独自のものだから、ここ以外では、とても目立つからだ。ここの住人は、それをみんなわかっているから、あたしたちが〈ゲヘナ〉から出てくることをとても恐れている。彼らはあたしたちを〈ゲヘナ〉という街に追いやることで彼らの生活や生きる場所の安全を守っているのだ。だからいつまで経っても、一般市民から降格した人間たちが〈ゲヘナ〉へ追放されつづけ、一般市民は〈ゲヘナ〉自体を完全に消し去りきることはできないのだ。太陽がすべてのものを平等に照らすといっても、夜になれば太陽の光は届かないものなのだから、〈ゲヘナ〉がそこにあることはとても自然なことなのだ。たとえばもし人間の心が完全に善人で、隅から隅まで完璧に善良一色になってしまったら、その前に人間は発狂するに違いない。人間の心のなかには、ごく当たり前に悪が存在することはとても自然なことなのだ。大きさ、種類、比重の違いの差はあったとしても。

あたしはもっとお金が欲しい。普通よりも貯めて他人を圧倒できるほどのお金が。そうすれば古いアパートの玄関の扉を壊してもその修理代をなんなく払えることができるし、鍵穴の修理代も簡単に出せるようになる。だからもっと仕事をして、稼ごう。あたしは携帯電話の電源を入れてユニルフのもう一つの携帯電話にメールを若い子のように速く簡潔な内容を打って送信した。鍵屋を呼ぶのとペンキクリーナーを買うのは、一昨日のお給料で足りるけど、今日はあの部屋では眠れないから、どこか安全なところに泊まらなければならないんだ。今すぐにでも眠りたい。もうすぐ本格的に朝になってしまう。あたしは眠たくて頭が痛くなるのを我慢しながら、自分の家から離れた。今日は眠らないまま、早めにバイトに行くしかない。それまでの間の時間をどこでどう潰そう? あたしはアパートの階段を下りた。あたしが〈割れた鏡通り(ブロークン・ミラー・ストリート)〉を歩いているといつも穿いてる黒い革パンのポケットから新しい携帯電話がピアノの鍵盤を執拗にじゃんじゃん鳴らしまくる重旋律曲、タイトルは知らないけど、〈ブルー・ヴォイス〉というアーティストの着信音が、控えめな音で流れはじめた。

あの男の趣味で設定してあったこの携帯電話は、あの男のものだったから。設定を変えるのは、面倒だったから、もらったままにしてあったんだ。さっきあたしがメールを送ったからだろう。

〈青い声(ヴルーヴォイス)〉は、あの男の大好きなアーティストらしい。あの男はピアノが弾けるんだろうか。特にピアニストのような手をしていたような気がしなかったけれども。白と黒の鍵盤の上を滑らかに動くあの男の指たちをいま不覚にも、見たい、と思ってしまった。ピアノを弾くユニルフの長くて太い整った指を想像してしまう。

自分の携帯電話はこの間とうとう衝動に負けて握り締めつけて割って壊して潰してしまったので、廃棄した。あたしにとって大事なものを保持させ続けているのが無性に気に入らなくなって、携帯電話を我慢して持つ手首ごと震えた。携帯を壊さなかったら、あたし、他になにをしでかすかわかんなくて、ほんとにやばかったんだよ。ドラッグとかじゃなくて。携帯電話が大事だと思っている自分も気に入らないし。あんな携帯電話なんか。だから結局壊して捨てた。

あたしの携帯電話を壊したから、もう使えないといったら、

「それでは仕事ができないじゃないですよ。まったく、あなたという人は。そういうところ、なんだか自虐的な感じがしますね。せめて自分が使うものくらい、大事に使えるようになってもらわないと。どうしてそういうことがわからないんです? あと、ぼくはあなたの便利な道具箱なんかじゃないんですよ? 念のため。ね?」

とため息混じりに、あの男、ユニルフは言った(このユニルフ、とかいう変てこな名前はあいつの本名かあだ名なんだか知らないけど、そう名乗ったから、一応名前のつもりなんだろうね)。最後のあたりを言うときに、彼の眼は強く光った。思い出すとあたしはこっそりため息を漏らしてぞくぞくしてしまう。彼の眼はまだ黒いままだ。いつ色がどんな風に変わるのかが、どうしても、見たいよ。ねえ。

彼は青い携帯電話をあたしに渡してくれた。「これ、差し上げます。ぼくのですけど、使っていいですよ。どうぞご自由に。連絡はご面倒でもこまめにしてくださいね。心配になりますから」

ユニちゃんありがとう、とあたしは満面の笑みであの男に礼を言う。彼はちゃんづけはやめてくださいって言うけど、あたしは調子に乗ってわざと字面をもじって呼んでみたりする。ユニール、とか、ユニユニルンとか。笑いながらじっとユニルフを見る。彼の白い肌の頬だけ赤くなって、眼を逸らすあの顔が、たまらんのだよ。そのあと顔を背けてツンとすましているお高いところも憎たらしくて実によい。甘ったれでなくて、気高く、簡単に飼いならせないところがものすごく可愛らしいのだ。かーわーいーいー。かわいいとか言うと怒るから、あんまり言わないんだけど。

でも〈ブルーヴォイス〉のうっとうしい不協和音が鳴りやむ前に、青い携帯電話のディスプレイにあの男の名前と着信の表示されたのを見た時点で即、電源を切った。「あたしは仕事中はメールしか受けとらないからねって言ったのに」

必要な要件だけを的確にメールで送信してくればいいんだよってことを、あの男にも学習させてやらねばなるまい。仕事中に彼と電話するのは、とにかくあたしはだめなんだ。

青いメタリックな携帯電話で、ストラップはついていない。ところどころかすかな傷がついていて、長い間彼が使っていたのだろうということがわかる。革パンのポケットに再び滑りこませる。

あたしは一昨日〈無秩序〉を潰した。〈無秩序〉は〈ゲヘナ〉では〈悪魔の子どもたち〉というランクの証明として〈下級悪魔の名前〉を〈組織名〉にしていた。〈無秩序〉は成り上がりものの集まりで、外から来た寄せ集めの集団であり、身分も〈悪魔の正統の血筋〉をひいていない、つまり頭領が後から〈悪魔の名前〉を受理したので、〈悪魔の血〉は薄い、つまり、悪魔の子でも義理の子扱い、だから下級悪魔、なんだ。

〈無秩序〉は滅んだので、また新しい組織がその名前を名乗ることを認められるまで、しばらくは〈ゲヘナ〉からはいないままだろう。次の〈無秩序〉は第6世になるんだったかな。

あたしは〈無秩序〉の死体から奪った財布の金で(あたしの給料)、お酒と食べ物と服とブーツを買った。ユニルフと電話で話す気分にはなれないし。電話で声を聞いたら、きっとあたしはもっと彼のことが好きになる。彼の声のことばっかり考えてしまうだろう。ユニルフの低すぎなくて優しい声。普段は冷たくてフラットなあたしの声とは違う安定した表情のある声。携帯電話を耳に押し当てながら、あたしは眼を瞑り、高鳴る胸を片手で押さえつけながら、頭のなかで彼の薄い唇の動きを必死に想像するだろう。あたしはそれを簡単に予想できる。あの声とあの優しさが好き、と思った時点でその気持ちはあたしのすべてをそのうち乗っとって支配するであろうことが容易に想像できる。あたしはあの男のことを。そのうち一日中ユニルフのことばかり考えて暮らすようになるかもしれない。それはとても危険なことなんだ。ユニルフを好きになりすぎてはいけない。ほどほどにしておかなくては。

品揃えの悪くしょっちゅう強盗の入るちゃちなコンビニエンスストアに行って欲しかったものも買えて嬉しかった。店の多くは夜から朝日が昇るまで営業している。

〈ゲヘナ〉の昼には、外であまり人は活動しない。昼は住民は自分たちの隠れ家で窓から光が差さないようにベニヤ板を打ちつけ、黒い遮光カーテンをして、真っ暗ななかで寝ている。あたしたちは、暗い夜の方が安心して過ごせる。真っ暗な夜のなかで夜と闇と空気の混じってまるで暗闇を呼吸しているみたいな息をするのが、あたしたちは好きなんだ。暖かい太陽の照っている完全に昼の間の世界はあたしたちには眩しすぎて、強い太陽の光を浴びた瞬間、失明してしまうものもいるくらいだ。したがって彼らは夏が苦手だ。そういうモグラっぽい人たちは、地下へ移動する。地下道を通って通勤し、地下で仕事をして地下で寝る。昼の神々しい明るさはあたしたちにとっては危険なものだ。夜や朝の気配が混じれば、太陽が空に出ていても、外で活動できるほど生命力の強く、適応力のあるものもいる。あたしはだいぶ平気な方。

狭苦しいアパートの家から出てきて、これから入っている警備の仕事にいく。ちゃんとした会社の正規職員として、ではなく、さびれた洋酒屋の臨時雇用のガード係のアルバイトだ。過酷な本業の間を縫ってできるからこのバイトを選んだ。給料は低い。

道の左横にある配送売春所〈キャンドル・リリス〉の窓ガラスの向こうには、若い女が化粧をしていたり、タバコを吸ったりして電話で呼ばれる出番を待っていた。夜になると赤いネオンが灯って、窓ガラス越しに客引きをはじめる女もいる。あたしはうつむいて歩いているけど、たまに眼があうと怖い眼で睨まれるのであたしはさらに睨み返して歩く。でも気分はよくない。女と戦うのはあたしは苦手だ。女は華奢でか弱くて頼りなくて、すぐに泣くし、あたしは彼女らと戦うのは哀れでならない。女の小指の一本折っただけでも、彼女らはすぐに泣いて負けを認めるだろう。女は弱い。だからあたしは、女でいるのは好きじゃないんだ。あたしはだれよりも強い女なんだから。細い小道の脇からはどことなく吐寫(しゃ)物と生ごみと酒のにおいが漂ってくる。ときどき道端で痩せ細った人が干からびて死んでいたりする。自分も気を抜いたらすぐにこうなるのだろうかと一瞬憂いてしまう。視線は落とす必要はない。死後とっくに寄って集(たか)って身ぐるみ剥がれて用なしになって放置されているだろうから。あたしが再利用できるものはすでにない。白っぽい灰色のあばら骨の間を黒い蝿がうろついていた。この街にも旅人がたまに紛れこむこともあるが、〈ゲヘナ〉の街の道を歩いていたら突然なんの理由もなく、だれでも差別され殺される可能性がある。だれも助けに来てくれない。巻き込まれるのが嫌だからだ。それどころか、その様子を遠くでビデオカメラをまわして盗撮してどこかの店に売りに行ったりするようなろくでもない最低なやつらばかりだ。買う奴もいるからそういう非情な人間は減らない。だから〈ゲヘナ〉ではたった一人で力強く生きていかねばならない。弱いものは喰われ、より強いものだけが生き残る。自分の身は、自分で守る。だから、容易に他人を信じては、いけない。人は必ず裏切るもの。人は道具のように利用するもの。人を騙し欺き、踏み台にし盾に使い、飽きた玩具のように放り捨て、他人より超越するために生きていく。これが、生きることの唯一の望み。ここでは、自分の力、だけが、自分を支える武器なのだ。これが、〈ゲヘナ〉の常識だ。

バイトまでまだ時間がある。あたしは携帯電話を見た。ユニルフからメールがいつの間にか届いていた。〈おはようございます キファさん ご無事でしょうか? 〈無秩序〉の件は どうもおつかれさまでした 〉

あたしはメールを返信した。〈さっきはごめんね ユニルフ あたしは無事だよ おかげさまででも仕事中は電話をかけないでって言ったじゃんか 今日バイト終わったら 会いたいよ ユニルフの部屋に遊びに行ってもいい? ユニルフと話がしたいんだけど いいかな? あたしね   もう家に帰れないかも〉

メールを送信してから、あたしはにやっとした。今日彼の家に泊めてもらえたらいいのになあ。家に帰れないから泊めてって頼みたいなあ。一人でしょぼいホテルとかに泊まるのって嫌なんだ。街娼が客連れてくるホテルくらいしか建ってないし。彼も若い男だし、恋人もいなさそうだし、あたしの気持ちにもすこしは気づいているんだろうから、たぶんこれで大丈夫だろう。

あたしは生活のために本業とバイトを掛け持ちしなければ、〈ゲヘナ〉では暮らせない。物価が高いのか、給料が低いのか、不景気だからなのか、治安の悪い地帯の発する呪いかなにかなのか、それともあたしのせいだからなのかは、はっきりしない。他所(よそ)で仕事はできないから、あたしは〈ゲヘナ〉で仕事をすることを選んだ。〈ゲヘナ〉以外で化け物が正体を隠して仕事をして人並みに生きていくのは、ほとんど不可能だと思っている。学歴もないし、人間ですらないあたしが一般社会のどこかの会社のオフィス・ウーマンにでもなって、事務職ができるとでも? とんだ笑い話だね。化け物はおとなしく化け物相手に真面目にお仕事をするしかないではない。本業もこのバイトも、〈ゲヘナ〉でやっとの思いで就けた仕事なんだ。だからすごく大事。

〈バー・リヴァイアサン〉

あたしのバイト先のバー。派手な名前。黒いウッディ調の店の外装、黄色のネオンサインで店の名前の看板がちかちか光っている。閉じた扉の前には準備中、の札がぶらさがっているが、マスターは当然いるだろうから、裏口の戸の前に立つと、ひとりでに内側から鍵が開いて扉が開いた。やっぱりいた。そっとなかに入る。

 店のなかに入ったつもりだったけど、実はここだけ夜のままだった、ってわけじゃないんだね、っていうのがわかるくらいの申し訳程度に電灯はついているが、全体的にうす暗い。足元と相手の顔がわかる程度、という酒を楽しむ店だから、明るいのはよくないという常識に基づいている。

 カウンターの奥では、デザインの違う酒類のボトルや磨かれたクリスタル・グラスがガラス棚に並んでいる。ぼんやりとした橙の電灯は、特注の品で、ガラスを最も美しく見せる色らしい。みずみずしく輝くグラスは、素材にラメでも混ぜているかのように確かにすごく見入ってしまって手を離すのが惜しいくらいだと思う。おつまみは置いてない。カウンター席は年季の入ったオーク材でできている。しっとりと輝いているのは定期的にワックスをかけるからではない。長年客が触れるからてかてかに光ってしまうのだという。マスターの姿は見えない。でも店内のどこかにいることはわかっている。裏口開けてくれたし。あたしはグランドピアノを見やった。彼が布で拭いているのではないかと思ったのだがいないようだ。いつもBGМの代わりのピアノの伴奏は彼がする。でもまわりから見れば、ピアノが勝手にひとりでに鳴っているようにしか見えない。

暗がりのなかから、乾いた笑い声が聞こえてきた。「ははは」

「あたしの頭のなかのこと勝手に読みとらないでよ!」あたしは言った。

むかつく。彼の姿は生きている人間には見ることができないし、触ることもできない。彼はあたしたちの姿を見れるし、ときには心のなかも見える。死んだ人間なので。そう、バーの店主は、幽霊なのだ。でも彼の声は例外なく霊感があってもなくてもだれにでも聞こえるから不思議だ。それをいつか彼は「たとえ幽霊になっても、おれは仕事をし続けるんだ、っていう情熱がきっと神様に伝わったのさ。おれの底力と人徳のおかげだ」と自慢げに言っていたが、要するに、往生際の悪い未練たらしい呪われた幽霊店主、ってことじゃないか。ポルターガイスト、怪奇現象ともいうが。

 あたしは低収入なのをこの酒場の支配人に訴えきらない小心者なのだが、酒場でお客様と一緒に酒を飲む接待娼婦、歌ったり踊ったりする舞台娼婦、いろいろな娼婦のほうがあたしより稼いでいる。支配人は娼婦の方が大事なんだろう、とあたしは思っている。いくらでもとりかえのきく用心棒よりも、酒場の収入を支えている娼婦の方が。それをそれとなく伝えると、文句があるならおまえも半裸で酒を注いでまわれと幽霊男に怒られた。店員にはすぐキレるしょうもない男だ。普段は穏やかなくせにときどき火山が噴火するみたいに激怒する。幽霊の癖に偉そうに説教してくるから背後から蹴ってやろうと思ったんだけど、悲しいかな、死者には触ることができない。ここを辞めるときに、どこかの寺院のお札でも大量に買ってきて店に貼って奴を店に入れなくさせてやろうとあたしは企んでいる。そのときの幽霊男の悔しそうな顔が見られないのが残念だけど。

酒場の支配人の男は、店には出ているようには見えないが、ただ人から見えない姿であるだけで、仕事はしている。見えない手でカクテルをつくったり(酒瓶やシェイカーが宙に浮かんで勝手にカクテルがつくられているように見える)、店員に文句を言ったり(店員が一人で壁際のところでうなだれているようにしか見えない)、客が床に嘔吐したものを掃除したり(雑巾とちりとりが勝手に掃除しているようにしか見えない)。だれも気味悪がる者はいないが、支配人は、死んだ人間、つまり幽霊なのだ。喋る声は聞こえる。幽霊だが、支配人の仕事をしている。よく犬や猫には人間に見えないものが見えるというが、獣人であるあたしには、なぜか支配人の若い男の姿が見えない。生前の写真が(遺影ともいう)黒い額縁に入れられて、店の壁に飾ってあって、横顔が魅力的ななかなかの二枚目男なのだが、幽霊なのでそのお顔が拝めないところが、ちょっとだけ惜しい。本人もそれを自覚しているようで、若い美男のまま死んだから、死んでも死にきれず、まだ支配人の仕事をしているのだと言っていたこともあった。冗談なのか本気なのかはよく知らない。笑ってるのかそうでないのか、その表情すらも見えないんだし。支配人は、カウンターのなかで立っているか、そうでなければ、客のテーブルの間をうろついて、娼婦や客にちょっかいをかけて笑わせたりしている。どこかの宗教の有名なあの、十字架にかかって死んだ隣人愛を説く冤罪の異国の男の彫刻が、カウンターの上に置いてあるのも、ちょっとした冗談のつもりのようだ。銅色の男の肩から支配人お手製のタスキが掛けられている。《だれかが右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい》彼はあるお気に入りの娼婦に《修道女(シスター)》という源氏名をつけたりしていた。彼の奇妙なギャグセンスはあたしにはよくわからない。幽霊支配人は気が向いたときに男の彫刻の頭から酒をかけて「神にご挨拶を」と言ってふざけている。それをまわりから指摘されると「堕落した酒場にオシャレなオヴジェだろう?」と幽霊は笑った。神に嫌われた幽霊の歪んだ信仰心。まともに神にすがったとしても、とうてい救ってもらえない。幽霊男は神に縋っているのかそれとも呪っているのか。ふざけた冗談でごまかしても、彼は幽霊であるのは辛い、と吐露しているようだ。

「そこ、座ってもいいよ。でもだれかが来たら裏に立つんだよ。なにか飲むかい? 古くなった酒なら3割増しだよ」

「いらない。わかってる。あたしがすぐ酔うの、知ってるでしょ。仕事になんないよ」あたしはカウンター席の右から三番目に座った。台に両肘をついて、組んだ指を額に押しつける。はたからみたら、あたし一人でしゃべってるみたいで気味が悪いかもしれない。

「水道水なら5割増しだよ」こいつ、遊んでやがる。

「殴るよ?」

幽霊は笑い声を出して、透明な手でグラスを一つ掴み、カウンターに置いた。グラスが自分から棚から出てきて台に降り立ったわけではない。台の下に押しこまれている冷蔵庫の戸が開く音がして、炭酸水のボトルと果汁ジュースの瓶が宙に浮かんだ。グラスに紫色のジュースと炭酸水が混じって注がれていく。乱反射する甘い葡萄(ぶどう)の色。

「悪いけど、きみのじゃないよ?」

 あたしは鼻にしわを寄せた。「じゃあだれのだよ?」

「おれのさ」

あんたのかよ。空中に、葡萄ジュースの入ったグラスが浮いた。グラスは傾いて、葡萄ジュースが空中に消えていく。幽霊男の胃のなかまではシースルーじゃないようだ。

どばん! と急に表の扉の蝶番が弾け飛ぶほど、戸が乱暴に開け放たれた。店にいることに慣れてくると扉の開け方で、どんな人が来たかがわかるようになってくる。あたしは嫌な顔をして、扉に八つ当たりをしたあの女が酒場に入ってくるのを見た。

「あぁああぁ~~~~! まったくどうしてこうも気が滅入る朝なんだろうねえ! これから働くとなるとなおさらうんざりだね! けれども金、金、金! 金がなければ食っていくことさえできないとはね! はぁぁあぁぁぁ~~~……」

 縮れたピンクのかつらを被り、肌の荒れた顔にめいっぱい濃い化粧をして、真っ赤で丈の短いボディコンスーツ姿の娼婦、アスタルテは喚いた。がさがさした声で、いつも怒っているような印象を受けるし、歩く干物のようで貧相に見える。心は子どものまま年をとっただけという女は、あたしたちの視線を集めていることに気づいて、唾を飛ばして威嚇した。

「なんだい? 馬鹿みたいに馬鹿が揃いも揃って人の顔をじろじろ見たりなんかしてさ! あたしは見世物小屋の猿じゃないんだよ! ただ見られるだけじゃ、あたしの商売にはならないんだからね! おううい、こっちを向くなってんだよ! しっし!」

アスタルテはテーブルに近寄って、椅子に荒々しく座り、テーブルを一度平手で叩き、カウンターに向かってだみ声の大声で叫んだ。「プッシー・キャット・カクテル! いつものね! 早く!」

冷蔵庫のなかからオレンジジュースとパイナップルジュースとグレープフルーツジュースの瓶がとり出され、それらがきんとぶつかる甲高い音がした。それを見た後、アスタルテはタバコを吸いはじめた。アスタルテはカクテルを一杯飲んだ後、店のそばに立って、客をとる。場所代は、マスターに毎月払っているので、だれも文句を言わない。そろそろあたしは自分の仕事をすることにしよう。アスタルテの後には、暇な墓苑の管理人のゲオルクがいつものように遊びにやってくるんだろう。

あたしは裏口から外に出た。外で立ってガードしはじめる。表の入り口の準備中の札を裏返して営業中の面にしたあと、裏口に再び戻り、青いふたつきポリバケツのゴミ箱の横に腰を下ろした。アスファルトの段差は冷たくて臀部が冷えそうだった。

あたしの仕事は酒場の裏口に立ついわゆる用心棒だ。客引きする下着姿の街娼に混じって、シャツに革パンツというラフな格好であるが店の護衛係のあたしは、女だからか、あまり強そうに見えないし、目立たないから、こういう類の酒場の護衛係にはうってつけだそうだ。酒場内の娼婦に暴力を振るう危ないお客様や、ごねて暴れ出す迷惑なお客様に、力づくで納得させてお帰りいただくという仕事内容で、あたしは結構これが気に入っているんだが、高給とりでないのが残念なところ。内容の割に金額がバイト扱いって、どういうことよ? あの幽霊男はとてもけちなのだ。

奇妙な鐘の音が、遠くから響いて聞こえてきた。時計塔の鐘、街の時計塔が歪な不協和音を鳴らしている。時計塔の時計は壊れているので、いつも鐘の鳴る時間は決まっていないのだ。それをこの街の住人はみんな知っているから狂った時計塔に正確な時刻を期待するものはだれもいないが、時計塔は時計の本能の名残りか、ときおり調律の狂った奇妙な音で、ずれた時刻を告げる。でたらめに鐘を鳴らしているような、音痴の人の下手な歌を真似てわざと音程を外しているような、鐘の鳴り方だった。まるで頭のおかしい〈ランタン男〉の笑い声みたいだ。〈ランタン男〉というのは、空のかぼちゃの頭のハロウィンの化け物、が有名だが、〈ゲヘナ〉ではそれは暗号で、〈ゲヘナ〉でだれもが知っているけれども正体不明の狂人の呼び名として使われている。街の中央にある、黄金の時計塔は、〈ゲヘナ〉がかつて〈エルドラド〉と呼ばれていた時代に造られたものだ。あの剥がれかけた黄金は、メッキであることはだれもが知っている。音痴の幽霊支配人の、お得意の十八番の替え歌が〈リヴァイアサン〉から流れ出した。営業時間中に時計塔の鐘がたまたま鳴ると、音痴の彼はこの不吉な替え歌を歌う。元の歌はだれも知らない。

〈ランタン男〉は、黄金の時計塔に、殺した人間を吊るした。血まみれの時計塔は

狂って歌って鐘を鳴らした。〈ランタン男〉は血の指を拾ってこう書いた、ここは〈ゲヘナ〉。

 あたしは店の裏のゴミ箱のそばにぼんやり座ったまま、幽霊男の歌う変な音に耳を澄ませていた。あたしは音楽には詳しいたちではないが、はじめてあの時計塔の音を聞いたときは、あたしの獣の両耳がせめて人間の聾(ろう)くらいだったらよかったのに、と思ってしまうくらいだった。いまでは聞こえが良すぎるあたしの耳も、あの不協和音にすっかりなじんで、耳を傾けて聞きいっている。それ以上感傷に浸る前に、あたしは自分の心をを無感情にする。そうすればもう悲しい思いをせずに済む。冷たくなった心なら、あたしはどんなことにも傷つかずに、耐えることができる。それに気づいたとき、あたしは人間らしい暖かな感情をすべて放棄することを望んだ。弱さを憎み、優しさを嘲笑い、強くあることにした。力で人を圧倒することを望んだ。あたしよりも弱い人間を、あたしは見下し、そいつが倒れたら足蹴にして、泣いて赦しを乞えばさらに蹴倒して、あたしに縋りついてきたことを死ぬほど後悔させてやるのだ。あたしはだれをも拒絶して、なお一人で力強く生き延びてきた女だ。あたしは獣人だから、差別を受け嫌われる。みっともないあたしを、あたしはさらに嫌いになる。人はあたしに消えろと嘲笑する。人やこの世のすべてが、あたしを見下し、あたしを拒み、あたしを憎み、あたしのあたしらしさを否定する。だからあたしはあたしを否定するすべてのものを、あたしは否定しかえしてやる。あたしを否定する人が大事だと思うものは、あたしが破壊して踵で踏みにじってこっちから完全否定してやる。あたしに跪いて赦してくれって泣いて命乞いをしてきたって、あたしは一生赦してやらない。赦すものか。生まれてきたことを死ぬほど後悔して絶望して死ぬがいい。全身の血が暗く沸騰しそうなほど熱くなりそうになって、あたしは考えるのをやめた。

あたしはひとりで怨みを増幅させながらゴミ箱のそばで棄てられたようにいつまでも座っているのが、お似合いなんだろう。あたしは馴染みのあるといえば懐かしすぎる憎たらしいゴミ箱のそばで、十何年も前と同じように、両手をこすり合わせて、白い息を吐いた。親はあたしをゴミ捨て場に捨てていった。孤児のあたしを、親はとっくに死んだと思っているんだろう。あたしのことすらも覚えていないのかもしれない。あたしは生まれてくる必要もなかった。生まれてきたあたしのことをだれひとりとして待っていなかった。歓迎も祝福もされない、あたしは馬鹿みたいだ。あたしはあたしをつくって捨てた奴らを赦さない。だれかが通りでくしゃみをした。アスタルテの懇願するような悲鳴のような声が聞こえてきた。「お願いだからさ、ねえってば! ちょっと待ってたらあっ!」あいつらを呪ったままこのままここで凍死してしまいそうだ、とあたしはひとりで笑った。火をつけずとも燃えそうな酒を買って傍らに置いておきたいが、薄給なので、安い薄い酒しかあたしには買えない。仕事中に飲酒をしても、冬ならばすこししか減給されない。酒はうちの酒場の余ったものを買うならば。冷たい幽霊。死ぬ前からあいつの血は冷たかったんだろう。どうでもいいけど。

 冬も近い寒い夜なのに、下着姿で酒場のまわりで客引きをしている街娼は、休憩時間に酒場のなかで酒を飲んで客と話をするだけで自分たちよりも稼ぐ売れっ子の接待娼婦の悪口を言ったり、ちびたマッチで煙草に火をつけて腰かけて吸ったり、派手なカツラや濃すぎる化粧を直したりしている。金色で頭上に盛った独特の髪のカツラをつけたダークプリンセス(源氏名。本名は知らない)が眼を瞬かせると、長い睫毛が鳥の羽根のようで音を立てて羽ばたきそうだ。気が強いダークプリンセスは、あたりをやたら気にしながら、人が増えているときになってから、仲のいい娼婦の一人を捕まえて昨晩の客の愚痴をやおらぶつぶつ言いはじめた。ダークプリンセスの金色の眼が楽しそうに光っているだろう。ダークプリンセスは言う。「………ねえ、聞いてよ。昨日の夜おとなしそうな細い眼の男がお金を握って近づいてきたから、酒場のそばのホテルに一緒に行ったのよ、それで名前は? って聞かれたから、あたしはダークプリンセスよ、って教えてあげたら、そいつあたしの名前が何回言っても正しく発音できなくて、急に怒りはじめてホテルの壁を蹴ったり八つ当たりをしだしたのよ。アゥウダトゥロロ、オクゥアアフフ、フ、フテリステリセスステル……そいつ言いながら震えだしてね。あ、こいつ危ないなって思ってたの。舌が、呂律がまわらないみたいなのね。細っこい眼にもきっときちんとあたしの姿が見えていないんでしょうけど。そいつは急に部屋のなかをぐるぐる走り出してわけのわからないことを一人でわあわあ喚いて、怖いでしょう、バスルームに飛び込んで鏡に一回二回三回って何度も頭をぶつけはじめて頭で鏡を粉々に割ったのよ! 次にそいつは鏡の破片で傷ついた額から血を流しながらも、頭も身体もふらついてるのに、鏡の破片を拾って自分の指をぎこぎこ傷つけはじめて、黄色いぼろぼろの歯を鳴らして歯ぎしりをしながら、指が切り落としそうなくらい、ギリギリギリって、押しつけてこすりつてけて切り落としにかかったわ。本当に切るのか気になったけど、あたしはあわてて眼を逸らして、そいつのそのときの顔、まだはっきり覚えているわ。涙と鼻水も出して泣いてた、涙やら汗やら鼻水やらが混じって水に浮いた油みたいにぬめぬめ虹みたいにそいつの顔が光ってて、指から血がわき出るみたいに流れて、滴って床に血の水たまりができたの。あたしが逃げようとしたら、そいつが肩を掴んできたから、悲鳴をあげたら、そいつはふーふー言いながら暗い濁った眼であたしを睨みつけたの。錆びた包丁みたいな鈍い汚らしい白っぽいとろんと濁った眼が眼のなかでぐるぐる廻ってるのね。あんな眼は見たことがないわ。歯ぎしりしている口の端に唾の泡が浮いてて。お、れの、指を投げつけてやるうううう! って言われたわ。意味わからないし、あたし殺されるかもしれないと思ったから、そのときはあんまり笑えなかったわよ、は、は、は! そいつは自棄になったみたいに泣きながら鏡の破片を拾ってはあたしに投げつけてくるから、あたしは部屋のなかをわざとお尻を振って逃げ惑ったら、さらに椅子を持って振りまわしてきて、そいつはあたしを狙いそこねて窓を叩き割っちゃったのね。あらあら! 窓から椅子が落ちそうになったわ、そいつも一緒に落ちれば望み通り死ねたのにさ! へたってるのにまだ絶叫しながら椅子をもってる手の切りつけた指が奇妙に曲がってぷらぷらしてて、そいつが肩で息をしている間に、あたしは部屋を出て逃げ切ったわ。そいつが指を切ってまで訴えようとすることが、あたしにはなんとなくしか理解できなかったけど、死ぬほど怖くて仕方がないから、それでももらったお金の分だけのすることだけをし終えようかと思ったけど、無理だったからお金だけもらっておいて急いでホテルから逃げてきたわよ。お金もらってきちゃったけど、殺されそうになったんだから、代わりにもらってもいいわよね?」とのことだった。「あたしが壊したんじゃないから、窓と鏡と部屋の弁償はしないからね!」兇暴な男をお客として扱わないといけない街娼は、怖い思いをすることもあるんだろう。あたしは裏口から出てきて立ったまま、自然に聞こえてくる彼女の話を聞いていた。聞かされている相手は何度か苦笑したり吹いたりした。「あたしの名前がうまく発音できないくらいでね!」繰り返される大きすぎる彼女の言葉は、他の街娼たちや酒場の前を通り過ぎる者たちの注意を引きたいからだろう。他の人にも聞かせたい話なのだろうけど、いまはあたししか盗み聞きの聞き手はいない。残念だね。あたしはダークプリンセスの話を聞いて、他の娼婦から聞いた、ホテルに行って、その娼婦に奇妙な行為を要求するお客の数々の奇行たちを思い出した。ちょうどおれの誕生日だったこの新聞紙でおれの尻を叩いてくれとか軽いものから、蝶々の死骸を舐めながらでないといけないんだとかいって恍惚としながら潰れた粉末のついてる掌を見せてくるとか気持ちの悪いものから、他にも持参した妄想物語の本のなかのきらびやかな変態行為を実演して見せてくれと言って無茶なことを強要してくるベタなものとか。あたしは引き攣り吐き気を催しながら、なんてそいつらは余計な想像力が豊かなんだろうかとうんざりする。迷走してその方向性をどんどん間違えていく。ふつうの幸せなものたちはそこまで創りたがらない。不幸で、満足できない者たちはそのまま不幸な方向へまだまだ行ってしまう。普通の人が理解できないところまでどこまでも進んで極めて行ってしまう。幸せな停滞よりも不幸の迷走の方が多彩なのは真実だ。そうして不幸の方が、傍から見れば面白いものなのだ。人の苦しむ顔を見るとき、あたしはそいつを思いきり突き放したところで面白がって罵倒して暗い優越感を覚えることができるから楽しい。それはあたしのなかの人間の血の本能なんだ。悪しき野蛮な本能。だから人間なんてものはもともと美しくなんかないのだ。ちっとも美しくない。人は醜い。あたしは人が嫌いだ。自分のなかに嫌いな人間の血も入っているのも嫌だ。

酔っぱらった通行人のただの男が一人の若い街娼の手にひかれて、ホテルへ歩いていく。あの男はあの娼婦と平凡な行為/多彩な行為、どちらに及ぶのだろうかと考えなくてもわかっている。あたしは暗く笑う。娼婦を買う男は不幸だ。不幸な男はたくさん見てきた。あの娼婦と酔っ払いの男の背中を、あたしはいつものようににやにやしながら見送った。お互いにせいぜい不幸になって苦しむがいい。男も女もあたしは嫌いだ。

休憩が終わって娼婦たちは酒場の前に出て再び客をとる。若くて肉体が綺麗な女が先に売れて、ホテルへ行く。何度もお客を捕まえる娼婦もいる。あたしは護衛係なので、娼婦たちの後ろに立って、彼女たちを見守っている。あたしは娼婦にはなれないな、と彼女たちを見ているといつも思う。見知らぬ男に生活のために身体を売るのは、あたしにはできない。行為に及ぼうとしてあたしにのしかかる男のことを、我慢できずに殺してしまいかねないから、商売にならないだろう。あたしはああいうある種の男たちを死ぬほど男を憎んでいるんだ。女だから弱いだとか、女だから馬鹿だとか、女だから男よりも劣っているだとか、馬鹿な理屈を振りかざす男どもが死ぬほど嫌いだ。女だから男の言うことを聞けとかいって、縋りついてくるような眼をする男どもが気持ち悪い。おまえなんか大嫌いなのに「おれのこと誘ってるだろう」とか言われるのが脳の血管がぶち切れ、腸が煮え繰り返るくらい、赦せない。ああ、あたしの眼の前をうろつく男という男を絶望させて殺して、怨みを晴らしたい。あたしの方が優れていることを認めさせて、諦めた眼をして死んでいく男に唾を吐き捨てるんだ。羽虫のようなそいつが死んだら、あたしの怨みも少しは軽くなるだろう。

「おい、おまえはいくらなんだ?」と首をしゃくってあたしに聞いてくる馬鹿なお客を、黙って睨みつけた。仕事中じゃなければ、そいつの首を絞め殺してやるところだった。いくらか、だと? あたしを娼婦扱いする男は死ね。「なんだ、愛想がねえな」と顔を歪めてふてくされたそいつは、街娼に笑われてホテルに連れて行かれた。あたしは娼婦じゃないんだから、笑ってやるわけにもいかないと思うんだが。娼婦と間違われてものすごく不愉快だし。あたしの仕事は媚び売りじゃねえんだよ。あたしは壁を殴ろうとしていらいらしながら裏口にまた引っ込んで、ゴミバケツのそばにしゃがみこんだ。

〈バー・リヴァイアサン〉の前を歩いてどこかへ向かう通行人たちは、こちらを見ようともしない。足早に去っていく。ときおり通行人に呼びかけるアスタルテのしわがれた声が届いてくる。「熱帯夜の夏でも、あたしを味わいたくなる客もいるんだよ」とか意味不明なこといったりして、吹雪の冬でも、寒いならあたしが暖めてあげるとか、発情期の猫のふりをして一年中彼女は道に立つ。そうまでしても、たいして金は稼いでいないようだ。いや、あたしよりは儲かってるのかな? 聞いたことないけど。アスタルテやダークプリンセス以外の数人ほどあたしは娼婦の知り合いがいたけど、あたしは売春してまで生きていこうとは思わない。そんな辛い嫌な仕事なんか、死んでもしたくないよ。そういう言い方は彼女たちに失礼かもしれないけど。あたしにはそういう商売はできないけど、できたとしても、絶対選ばないだろう。あたしはセックスが嫌いではない。普通に好きだ。でも主導権はあたしが持ちたい。あたしは狩られる側ではなく、狩るほうだ。もしあたしが食い扶持をなくして毛嫌いしている売春業なんかに手を染めなければならなくなったら、アスタルテやまわりのみんなはきっとにやにや笑うに違いない。とうとう頭がイカれたかキファ? とか。あたしがろくでもないやつらだと思っていた連中が、金をちらつかせてやってきたら、あたしは迎合するように媚びた眼でへつらわなければならなくなる! それから腕を組んで安い部屋で一仕事して、また誘ってくださいねとかなんとか愛想をふりまいて、あたしが散々見下してきた連中に、きみって意外とたいしたことなかったね、とか上から目線で小馬鹿にされるんだ! そんなのは耐え難い! 汚らしい連中と至近距離以上でごそごそなんかしたくない! 嫌過ぎて反吐が出る! ていうかそんなことされたらそいつの首を絞めて殺してしまいかねない! うおえぇ。

あぁ。お腹が空いた。ここのところ、古びた野菜のきれっぱしぐらいしか食べてない。あたしは家畜か。水道水は臭いし必ずお腹を壊すからとても飲めない。浄水器は持ってない。ミネラルウォーターをいちいち買うから値段もかさばる置き場所もかさばる。雨水でもバケツにためて飲もうかと真剣に思っている。他人に見つかったらそこにゴミかあるいは唾か尿でも流し込まれそうだから、置き場に困るんだけど。スーパーマーケットもろくなものが置いてない。置いてても高いから買えない。質の悪いぼそぼそする激安豚肉をちびちび焼いて食べてるのが月一回の贅沢。外国産の缶詰の魚は味つけがヘン。夜中でも開店しているからいつも行くとこの弁当は高いうえに少量で不味い。ガス代はもったいないし、しょっちゅう止められて、お湯を沸かせないからインスタントラーメンを袋から出して小袋の粉末をかけてバリバリ食べる。冬だったらそのときはストーブの上にアルミホイルを敷いてバナナの皮とかミカンの皮とかリンゴの皮とかも焼いて食べるんだ。飲食店のテーブルのそばの備えつけの調味料を少々くすねてきたものをかけて味に変化をつけて。でもキャベツを焦がしたものは危険だからもう食わない。部屋のなかに野菜を育てて食料にしようと思ったけど、じめじめした日当たりの悪い部屋だから、きのこが育ちそうな気がする。食べていいのかわからないきのこが生えてきたら、そいつが育つまでのもろもろのものがもったいなくて、涙が出そうだ。仕事をもっと増やすか。あたしは働き馬じゃない! でも他にこれといって好きなこととか得意なこととかしたいこととかがあるわけじゃないんだけど。清掃屋を呼ぶなんて、高すぎる。三週間くらい水だけで暮らさなければいけないくらいの値段だ。どうしよう。とても払えない。そもそも本業は固定給じゃないんだ。バイト代を前借りしようか。

考えているとだんだん気持ちが暗くなった。一週間でも絶食すれば、どうにかなるだろうか? そんなに食わなかったらいくらあたしでも死ぬ。これ以上痩せるとみっともない乞食のようになってしまいそうだ。見かけが頼りなかったら、ますます仕事が減ってしまう。ゴミ漁りでもして、屑売りにでもなろうか。たぶんだめだろうな。一日中ゴミを集めてまわってそれを売ったとしても、安い駄菓子一個すら買えるかどうか怪しいものだ。あぁ、金が欲しい。たくさんじゃなくてもいい。そこそこ満足のできる暮らしができるくらいの金額でいいから。どうか。本当は、たくさんあればたくさんあるだけ欲しいんだ。たとえあたしはここで一生を終えることになったとしても。あたしはここが好きじゃないけど、自分にはお似合いのような気がしている。どこかに高額の仕事か札束が落ちてないかな。笑っちゃうくらい馬鹿な夢。まるで子どもか。ため息をついて、見上げた遠くの夜空に散らばる白い星が、あたしのようなごろつきには到底手の届かない高価な宝石の粒に見えた。涙が出るほど奇麗だった。〈ゲヘナ〉の空に星が見えることはとても少ない。別世界っていうのは、こういうことなのか。奇麗なものは、羨ましい。美しくて白くて幸福な場所には、あたしはどうせ一生かかわらないまま終わるのだ。叶わないのなら、あたしははじめから願ったりしない。

 馬鹿野郎ぉ! とだれか男の野太い怒鳴り声が聞こえて、はっと立ち上がった。でたらめな歌のような気がしたが、なんだかよくわからない。続いてガラスの製品が地面にぶつかって、割れる音と怒声。アスタルテが、やめてよ、あっちへ行きな、と言い、男はいいじゃねえかとか、呂律がまわらない舌でうだうだ言っているようだ。千鳥足の酔っ払いが店のまわりをうろうろしているのか。追い払わねば。裏口から出て店の表に出た。

ふらふらと歩く酔っ払いはあたしを見て、おぉう? と言って首をかしげた。足元には酒瓶の破片と液体が飛び散っていた。あたしは静かに胸の前で腕を組んで、〈リヴァイアサン〉の店の入り口の前に立った。あたしは無駄な動きは控えて、省エネで働くことにしているので、必要がなければ動かないし喋らない。腐るほど食料があるなら別だが。酔っ払いが話しかけづらくなるように、あたしは怖い顔をして睨みつけてやる。

赤い顔の男は、舌打ちしてあたしに背を向けた。入店するのを諦めてくれたようだ。あたしは男のパンツの右尻ポケットのふくらみを見た。厚い財布が入っていた。あたしの財布があんなにもふくらんだことはほとんどない。いいな。欲しいな。あたしの心がそう言った。え? だって欲しいんだもん。奪って、しまおうか。あたしはこそ泥なんかしたことないし、これからもするつもりはないよ。財布くらい、いいじゃないか。殺すわけでもないし。財布。金。どうする。ダメだってば。なぜ? あたしは男の財布から眼が離せなかった。だれにあたしを咎められる? 見つからなければいいじゃん。ちょっとだけなら。だめだ。あの酔っ払いくらいなら、一撃で黙らせることができる、ここは〈ゲヘナ〉だ、じゃ、少しだけだったら、そうすれば財布を盗めるのではないか、あたしじゃなくてもあのままならだれかが財布を掏るぞ、財布を盗んだ後、適当なところに男を横たわらせておけば、そうだ、そうすればあたしは金を手に入れられる、酔っ払いはどこでだれに財布を掏(す)られたかなんて覚えられるわけない。そうだよ。でもさ。あたしは頭が熱に浮かされたような朦朧とした状態で、糸で釣られたみたいに音もなく男の背後に忍び寄って、気づいたときには男の後頭部を思い切り殴りつけていた。しまった。殴っちゃった! うっかりだ。男は鼻を鳴らして地面に倒れた。あたしの心臓はどくどくと強く早く脈打っている。どうする。やった。どうする。あっけなく。こんなにも。やってしまったら、もう後戻りはできないんだ。逃げる? まさか。胸の奥がぐうっと押しつけられるみたいに痛んだ。あたしは素早く動かない男の両足を掴んで引きずり物陰に運んだ。震える手で、ちょっと躊躇(ためら)った後、唾を嚥下(えんか)して、尻ポケットの財布をとり出す。はじめてこそ泥をしてしまった。あああああああ。もう嫌だ嫌だ嫌だ最低。貧乏があたしをこんなケチい窃盗なんかをさせたんだ! なかを開けると、札がぎっしり入っていた。すごい。でもだめだよ、こんな泥棒。でもこれで清掃屋を雇える! 絶食しなくて済むんだ! 札を数枚抜きとって、自分のポケットに入れようとしたら、急にだれかに背中を蹴りこまれて息ができなくなりかけた。見られていたんだ! 瞬時に恥ずかしさで体中が熱くなって、やっぱりこんなことをするんじゃなかったと猛烈に悔やんだ。あたしは眼を瞑って、ちゃんとそれなりの罰を受けることにした。

「ふざけてんじゃねえぇぞ、こらあぁああっ! 人の連れになにしてくれとんじゃボケぇ! ああぁっ? ぶっ殺すぞおらあぁっ! 獣人女のくせによおおぉっ! 汚えんだよっ」

大声で怒鳴られ、猫のように首根っこを掴まれ、身体ごと吊るされる。アスタルテにもきっとバレただろう。ああぁああ嫌―――

いかつい男に顔を拳で殴られ、鳩尾に膝蹴りを食らった。飛ばされて地面にさりげなくなるべく痛くないような落ち方をして、倒れる。気絶したふりをして動かないようにしておいた。手からはすでに札は回収されていた。「クソが! ほんま頭来るんじゃあカスがあぁっ! んっとに!」さらに腹部を数回蹴られて、唾を吐きかけられ、男は酔っ払いを肩に担いだようで足音はだんだん去っていった。地面は冷たかった。身体が痛い。

みじめだった。やっぱりこそ泥なんかするんじゃなかった。かっこ悪くて死にそうだ。あたしは起き上がって、這うようにして、裏口にこそこそ逃げ帰った。「痛ぃたた……」つぶやくと、醜態を晒した自分のことを恥じて責めて呪って罵倒する言葉が沸きあがって、ぐつぐつと煮つまっているようだった。もうだれとも口をききたくない。あたしは自分のなかに閉じこもって、ゴミ箱の陰に隠れるように地面に腰かけて、膝を抱えて、顔を大腿(たい)部に押しつけて、しばらく死んだふりをした。涙は出てこない。泣いたらもっと惨めで情けなくなるから。

お金は手に入らないし、殴られ蹴られ唾も吐かれるし痛いし、ダサいしみっともないし、あたしはこれで正真正銘だれからも見下される最低な奴だって、自分で認めざるを得ないし、違うんだ、自分で自分を貶(おとし)めるようなまねを平気でしてしまうこんな自分がなおさら嫌なんだって言ったってどうしようもないけど、自分の心も思わず涙ぐんでいるようだった。こんなのもう嫌だって、これで何百回目か知らないけど、口に出しそうになって、身体が震えだすのは寒い夜だからだって、腕で抱きしめながら、あたしは歯噛みするしかなかった。だれかのせいにすることもできずに、大人であるあたしはあたし一人の力に頼って生きていくことしかできないわけだから、どんなことが起こったとしてもあたしがすべて自分で責任をとらなければならないのだった。もうどうにでもなれって、どうでもいいやって、自暴自棄になって投げ出したくなるけど、自分自身を放棄することはここではすなわち死を意味していることはとっくにわかっていた。風はアパートの部屋で吹く隙間風のように寂しげに鳴きながら夜空へ舞い上がって消えていった。その音色は、あたしにそのまま凍え死ねばいいのに、と言っているみたいに聞こえた。遠くで車が行き来する音がときおり聞こえ、〈リヴァイアサン〉にごくまれに客が入っていく足音と楽しそうな話し声が聞きとれた。鼻息が顔の前で白くなった。

もういっそ銀行強盗でも辻強盗でも、どんな手段でも選ばずに、刑務所に繋がれるまえに射殺されることも辞さずに、だれかから金を強奪するべきだろうか。このままどこまでも転がり落ちて、とことん卑劣で最低な人間になってしまおうか。恥に恥を塗り重ね、それがあたしの面の皮を厚くする鎧となって、まわりの非難や軽蔑の眼をわけもなく弾き飛ばすくらいの強度を持って、鎧の盾の内側からは、羞恥心とか後悔とか罪を咎めるあたしのちっぽけなプライドとかに心を刺されても、まったくの鈍感になって平気でいられるような人間に? あたしの弱い心はぐいぐいそっちに惹きつけれるけれど、魅力は感じなかった。そんなのって、最低なあたしがますます最低になるだけだ。ますますおぞましい化け物ぶりに拍車がかかる。あたしは相手を選んで襲いかかる分別のある化け物を気どっていたかった。気持ちの悪い化け物だけど、本当の最低の最低な部類からは除外されずに済むような化け物になりたかった。最下級にいくのは嫌だった。

「おや、こんなところに人が」

 男の声がした。あたしに話しかけたのだろうか? だれだかすぐにわかる。あの男の声だった。あの男の声だけは、他の人間とは違う特別な魅力を持った声に聞こえる。何度もあたしが頭のなかで思い出していたからだろう。大腿部にくっつけた顔を上げると、あたしのすぐ隣に、背の高い男が立っていた。

「キファさんでしたか。これは意外でしたね」

 優男は低くない声でそう言って、微笑した。やっぱりいい声だ。身体が暖かくなった。いつものスーツ姿で、あたしを見ている。あたしは自分がみっともなくて恥ずかしくって、顔を赤くした。

「………なんで来たの。あたしバイト中だよ」ふてくされて小声で言う。地面で身体を丸くして横たわったままユニルフの顔を下から見上げる。ユニルフがあたしを助けてくれたみたいで嬉しい。あたしの心は甘く安らいでいる。

 ユニルフはなにも言わずに近づいてきて、あたしのそばにしゃがんで笑いながらあたしの尻尾を手で掴んでつんつんひっぱった。 

「にゃぁ! にゃにをする~~」黒く細い尻尾の毛が逆立つ。あたしは思わず悲鳴を上げた。

「はは、面白いなあ。これ」といってあたしの尻尾を触っていじわるする。ユニルフのいじめっ子め。あたしは心がこれで容易に締めつけられてしまう。身体じゅうがきゅんきゅんしてユニルフのことが好きだと言っている。ユニルフはしばらくあたしの尻尾をもてあそんでから、あたしの顔をじっと見ていた。彼の息が顔にかかるくらいの至近距離で、彼はあたしを見ている。あたしの黒い尖った耳が彼の息に触れられかすかに揺れた。「ふむ。ちょうど近くを通ったから、あなたが頑張って仕事をしているのかなって思いましてね、ただ見に来ただけですよ? じゃあ、ぼくはこれで」と言って笑って立ち上がった。

「え?」ユニルフの手から離された尻尾がぴっとまっすぐに立つ。あたしはいまキスされるのかと思っていたのに!!

 ユニルフはあたしを置いてさっさといなくなった。なにがしたいのだ、あいつは?

(もうすこし喋ってから行けばいいのに。あの馬鹿)

 あたしは涙ぐみそうになりながら、あの男の背中が見えなくなるまで見送った。身体を起こして、地面から立ち上がり、服についた砂や泥を叩いて落とす。あの男に触られたあたしの黒い尻尾がとても喜んでいるのがわかる。彼の握ったところが他のところよりも熱い。なぜか嬉しい。あたしは尻尾だけじゃなくて他のところも優しく優しく触られたいのに。さみしいよう、ユニルフ。あたしはユニルフの笑った顔が好きだ。

(もうちょっと頑張ってみよう)

 あたしはいつの間にか自然に笑っていて、やる気を出して終了時間までバイトの仕事をした。本業をしていないときは、時間があればバイトをしている。なぜなら本業は仕事の内容も収入も働いている時間も不安定だから。本業はときどき報酬をもらえないことすらある。依頼人があたしに払う前に失業したり、行方不明になったり、死んだりするから。そういう危険性のある依頼人から仕事を引き受けるから、そんなことになるのだろうが、あたしはいちいち選んで吟味して選別して断るほど余裕がない。一度本当に依頼人に記憶喪失になられたときはどう請求すればいいのかわからなくて困った。あたしの一旦引き受けたら潜伏先の調査や効率的に潰すための作戦を練る時間などの一つ一つの仕事の期間が長いし、それらの関係で使った諸経費はある程度は自分でどうにかしなければならないし、その間は他の仕事をしようと思っても制約が多くなる。かつかつ赤字にならずに済んでいるのが現状。おまけに人も死ぬ。だから怨まれることも多い。まったく、ひどい仕事だ。

あたしの本来の仕事は、殺人代行業。すべての仕事のなかでも嫌われ、疎まれている仲間に入る。刑務所では囚人から嫌な犯罪者だなと言われる類のなかにはいるし、金は奪っても殺しまではしないで自分の手は汚さずお奇麗なままで少ない労力で大金を稼げる類の詐欺師などの知的でスタイリッシュな犯罪者のほうが、賞賛を得られるし、みんなが選びたがる。殺人代行業は、最後の最後に追い詰められてもまだ選びたくないとだれもが思う仕事だ。人の命を奪う酷い仕事だから、誇れないし、疲れるどころか下手したら自分が死ぬし、ぜんぜん儲からないし、人を殺してお金をもらうろくでもない人間のする仕事だから。尊厳なんかあったもんじゃない。血だらけで道を歩くあたしが殺人代行業者だとわかればすぐに通行人たちはそろって、あぁ血のにおいがする化け物が通る、不吉だ、眼があったら殺されるぞ、と鼻をつまんで眼を逸らすだろう。近所の人にあたしが殺人代行業者だと知られれば、なにも人殺しをしてまでお金を稼がなくってもいいのにね、と陰口を叩かれるだろう。よっぽど困窮しているのね、まあ嫌らしいわあ、人間として恥ずかしくないのかしら、というように。自分たちよりも劣っていると感じている人間に対して、人間はどこまでも冷酷になれるし、どこまでも攻撃したがり、むしろ攻撃してもいいとすら思いこんでいる。

あたしがこの仕事をしていることを知ると、下品な部類の人間たちは露骨に嫌な汚いものを見たかのような顔をする。人の心の機微に機敏に反応するように自己に訓練を課してきた人間でも、心にこみ上げてくる感情は上手に押し戻し、なんでもない風に聞いている様子をとり繕うけれど、よく見ると眼には愉悦に似た優越感の色が滲み出ているものだ。そういう人たちの顔を何度も見ているうちに、あたしは人の顔をまともに見るのがだんだん嫌になってきた。

殺人代行業の歴史は長くて、古代都市タビロソの奴隷がはじまりであるといわれている。退屈な市民と刺激の欲しい帝王のための暇つぶしのために、奴隷に訓練を受けさせ、つくられたのが観客席つきの闘技場と、戦闘奴隷たちだった。荒野で捕らえた猛獣と稚拙な武器を持った戦闘奴隷のどちらかが死ぬまで戦わせたり、戦闘奴隷同士で殺し合いをさせたりして、市民や帝王は食事をしながらや、訪問客を招いて賭けをしながら一緒に観賞した。肉を食われ、牙で切り裂かれ、噛み殺され、叫ぶ奴隷や、剣の切っ先が相手の片腕を貫いて血飛沫が上がる光景を、人は喜んで興奮しながら見ていたのだ。安全な観客席で、野次を飛ばしたり、安い酒で酔っ払いながら、娯楽という自分の楽しみのために、人の生き死にの場所を繰り返し要求していたのだ。奴隷が反乱を起こして制度が廃止され古代都市は滅んだけれども、人はあの娯楽を忘れられない。記憶を次の子孫に残しながら、暴力や、私刑や、拷問や、公開処刑や、決闘や、闇討ちや、暗殺や、謀反や、革命や、戦争をしてきた。それは人が死ぬことを喜んで人を殺してきた血なまぐさい歴史を証明する。あいつが気に入らない、金をやるからあいつが死ぬところがみたい、おれの代わりにあいつを殺してくれ、といって、現代の特殊な市民は、容易にあたしに人を殺させる。金を払えば、人間以下の殺人代行業者が尻尾を振って人を殺しにいくのだとばかりに。

古のあの野蛮な文化の時代と違って、楽しみのために殺人代行を頼む依頼人は少ないのだが、自分の欲求や願いを果たすため、という見方では同じだ。いつだって人は人が死ぬことを楽しみ、嫌いな邪魔な人間を自分の代わりに殺してほしいと望む心を持っているものだ。本能、なのかも知れない。殺人代行業は、そんな人間の隠れた本能があるために生まれた職業なのだ。人は自分のなかにそんな醜い自己の本能があることを恥ずかしがって隠して認めたがらないくせに、その本能の渇望する欲望を充たす仕事をする人間のことを思い切り馬鹿にしてなんて汚いんだろうと言って見下す。見下すほうは自分が高い位置に立てていい気分かもしれないが、見下されるほうは、低い位置に貶められることに対して絶対にいい気分になどなれないというのに。人の気持ちを考える、という行為は、〈ゲヘナ〉の住人たちの思考回路には組みこまれていない行為だ。

酒場の6つ左隣の方から女の叫び声が聞こえた。女が刺されでもしたんだろう。よくあることだ。4日前も近所で殺人事件が起こった。だれかが女を撲殺したのだ。あたしは別に怖くもなんともない。警察は別に殺人犯を探そうとはしない。この街の警察はいわゆる《正義》のためには動かない。ここの警察は金のために動く。だからたとえば人が刺されたと通報を受けたら、その処理をどこかに任せるだけの事務的な仕事をするくらいで、犯人を探すといって遺族からお金を絞れるだけ絞って強請りとり、適当な人間を犯人にでっちあげて罪を被せて処刑するか、犯人がたまたま見つかってそいつがお金を警察に渡せば、警察は金額次第で罰を与えたり与えなかったりする。警察も、自分の金を増やすことにしか興味がない組織であり、実体は犯罪者とほとんどなにも変わらない。あたしが見た警察官は金のかかった制服を気どって着て、だれからどれだけの金を奪えるかを考えながら、恐喝をする前の人間のように笑いながら肩を揺らして人にすり寄って行く男だった。この街の住民は、自分のためにしか動かないものばかりだ。犯人がわからなかったら、どうせ〈ランタン男〉がやったんだろう、と言っておけば済むことになる。だれかがわからないから、〈ランタン男〉のせいにしておくのだった。〈ゲヘナ〉では、わからない悪いことは、すべて〈ランタン男〉のせいにして、事実は闇に葬り去られる。

陽が昇って、朝が終わり昼に近くなったとき、だんだん客がすくなってきて、まわりのバーやクラブも閉店準備をしはじめた。〈リヴァイアサン〉の営業時間は短かい。みんな、家に帰って夜まで眠るのだ。あたしが働き終えて帰るころになって、裏口から店のなかに入ろうとしたとき、店のまわりで客引きをしていた娼婦たちの数人かが、あたしの顔を見ながらなにかを言いたげに、くすくす笑っていた。あたしが畏れていたことが起こったんだ。やっぱりみんなあれを見ていて知っていたのに、今の今まで黙っていたんだ。あたしは顔を赤くした。あの失敗を笑われてしまったのだ。あたしはすぐに下を向いて早足で店のなかに入った。裏口のドアを閉めてから、あたしは耳を両手でふさぎたくなった。あたしの閉めたドアの向こう側から、女の笑い声がどっと聞こえた。もうこれ以上傷つく言葉を聞きたくない。

 バーのなかには、客はもうだれもいなくなっていて、がらんとした店内を、空中に突然現れているモップだけが動いて床の嘔吐物を掃除しているところだった。

「今度から残飯が出たら、捨てる前にあなたに一言声をかけてあげようか?」

「そんなもの、あたし絶対いらない」馬鹿幽霊男。さっさと成仏しろ。

 幽霊マスターは「はい。これ今日の分」といって、あたしにバイト代を支払った。あたしは今日もしっかり働いた。あたしが店の正面の出入り口から出て行くと、背後から乾いた笑い声が聞こえた。「また明日、いつもの時間に来るようにね。遅刻したら減給だよ」



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