マナーの真贋

権俵権助(ごんだわら ごんすけ)

マナーの真贋

 うららかな春の朝。憧れていた制服に身を包み、一人の少女が緊張気味に校門をくぐった。


 その時。


「あなた、少しいいかしら?」


 呼び止めたのは、腰まである長い髪が美しい女生徒。胸につけたバッジの色から、一学年先輩だと分かった。先輩は少女の胸に手を伸ばした。


「ほら、タイがでしてよ」


 そう言うと、胸に付けたネクタイを緩ませて中途半端な角度に曲げた。


「これでいいわ。あなたはまだ半人前なのだから、着こなしだけ一人前にするのは分不相応。ネクタイを曲げずに身に着けるのはマナー違反にあたりますのよ」


「あ、ありがとうございます! 知らずに恥をかくところでした……」


「そう。それはよかったわ。……ついでに教えてあげるとね、目上の者に対するお礼は『アザシター』よ」


「アッ、アザシター!」


「ふふっ、あなたも今日から淑女になるのよ」


 そう言って、先輩は美しい足取りで校舎へと消えた。


※ ※ ※


 えっ? このバッジの中に生徒の行動や言動を監視する機械が入っているという噂は本当か、だって? ハハハ、そんなはずないだろう。嘘だと思うなら試しに分解してみるといい。何も入っていないから。……ただし補足すると、三十年前までそれは真実だったよ。


 事の発端は一人の生徒の訴えだった。その年の成績を決定付ける大事なテストで、彼は名前を書き忘れて最低評価をつけられた。けれど、その回答は満点だったんだ。そこで彼は訴えた。一年間ずっと頑張ってきたのに、たった一度のテストでそれらが帳消しになるのはおかしいと。その評価方法が通るのならば、毎日学校へ来る意味が無いではないか、とね。


 その主張は、主に現役の生徒たちに後押しされて大きな社会問題として取り上げられた。その結果、胸に付ける校章バッジの中に生徒の素行を監視する機械を仕込むことになった。たとえば、先生とすれ違った時に「おはようございます」と挨拶ができているかどうか。たとえば、授業中居眠りをしていないかどうか。音声や心拍数など、バッジから様々な情報を集めて総合的に成績を決める。こうしてテスト対策や一夜漬けの上手い生徒だけが認められる時代は終わり、常日頃から品行方正に過ごしている者が評価される時代がやってきたんだよ。


 しかしだ。本当に機械が人間の素行の良し悪しなんて曖昧なものを正しく判断できると思うかね?


 ある時、生徒の一人が発見したんだ。ただの「おはようございます」より「おはようございます、○○先生」の方がより高い評価を得られるということをね。


 これが意味するところは、つまり「バッジは攻略できる」ということだ。


 それからほどなくして、ネット上に攻略サイトが立ち上がった。口にすれば評価の上がる単語から、評価を下げずに暴言を吐く方法まで、全国の生徒たちから集まったビッグデータは、バッジをたちまち丸裸にした。


 中にはそれを悪用する生徒もいてね。たとえば髪型は黒髪やストレートが推奨されているが、地毛が茶髪や赤毛に近かったり、天然パーマの子もいるから、バッジはそこまで厳しくはチェックできない。そのことが利用されて、茶と赤のメッシュでドレッドヘアーにする「優等生ファッション」が流行ってしまったこともあったし、良い言葉として設定されている「ありがとうございます」も、吃音の生徒に配慮して認識範囲が広めにとられていることが知れると、どこまで改変が許されるかに挑戦する遊びが流行ってしまって、「アリアリマスマス」から始まり、最終的にはみんなフザけて「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」でお礼を言うようになってしまった。


 もちろん、バッジの開発側も問題点が発覚する度にアップデートを繰り返していったが、校則や常識、マナーなんてものは日々更新されてゆくものだ。中には生徒が正しい場合もあったし、過去に設定した評価基準がいつの間にか古びてしまっていたこともあった。そうやっていたちごっこを続けるうちに、生徒もバッジも、そもそも「正しい行い・言動」というものが何なのかが分からなくなってきた。


 だいたいだよ。「イエス」「ノー」のジェスチャーですら、国によって首を縦に振ったり横に振ったりとバラバラだし、子供の頭を撫でることが愛情表現になることもあれば、所変われば失礼な行為になったりもする。さらに言えば、そんなものは原始時代には無かった常識・マナーであり、人間が後から考えだしたものだ。それらは一体、誰のために、何のために行われているのか。それを紐解かない限り、本当に正しい評価など望むべくもない。


 そこで、ひとまずバッジを廃止して、本当に必要なマナーとは何なのかを時代を遡って調べることにしたんだ。様々な国の文献や記録を辿り、現代の基準に照らし合わせて、妥当と思われるマナーだけを残すようにした。そしたら、出るわ出るわ、いらないマナーの数々が。由来もはっきりしなければ、誰も何も得をしない謎のマナーが、ただ長らく存在したという理由だけでたくさん生き残っていたんだよ。


 そして、多くの無駄なマナー・常識を淘汰し、「人間として最も品行方正な行動」の最適解を見つけ、新たな校則としたのが我が母校というわけだ。な、校則にしてしまえば、もうバッジになんて頼らなくてもいいだろう? どうだ、勉強になったかな、後輩クン? おいおい、お礼は「ありがとう」じゃなくって「アザシター」だろ。

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マナーの真贋 権俵権助(ごんだわら ごんすけ) @GONDAWARA

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