第37話 初めての異世界ー1

「クワアア」


 フェンの鳴き声で目が覚めた。


 僕の目が覚めたことに気付くと、フェンは頬を甘噛みしてくる。


 ぼやけていた頭がだんだん冴えてくる。確かギルドの依頼を受けていて、聖剣の放つ幾何学模様にのまれそうな日向さんを助けようとしたんだ。あの後、何が起きたのかは疑問だがどうやら気を失っていたらしい。


 こんな場所で気を失ってしまうだなんてありえない。妖魔に襲われていたらただじゃすまないのだから。危機回避能力をもっと身に着けるべきだな。


 周囲を見上げると石でできた広い空間。古代の神殿という表現がピッタリくる。はあ? なんだここ。僕らがさっきまでいたのは田舎の村だったはずだ。


「ところでフェン、君にはお留守番を任せていたはずだけど?」


「フンッ」


 フェンは鼻を鳴らして顔を背ける。僕に似てとっても素直なペットだ。


 まあいいか。それよりも今の状況を確認しなければならない。僕の周囲には日向さんとエーテルも横たわっていた。規則的な呼吸音からただ眠っているだけだと判断できる。


 二人の様子を確認していると僕の体をよじ登って肩にフェンが乗って来た。重たいよフェン。体を左右に振るが降りてくれる気配はない。もういいや、放っておこう。


 日向さんの手元から離れた位置に聖剣は転がっていた。試しに触れてみるが、強烈な激痛が全身に走り、すぐに手を引いた。やはり僕では触れることができないみたいだ。


 各地に伝わる聖剣の逸話はいくつか聞いたことがある。ほとんどが選ばれし勇者の力が必要になった世界へ飛ばされてしまうといったものだ。


 つまり僕は、何故か聖剣に選ばれてしまった日向さんに巻き込まれたモブその一というわけか。この世界も不運だな。世界を救ってくれるはずだった本物の勇者を置いてきてしまった。


 日向さんが勇者でないのは僕がよく知っている。戦闘が得意なタイプの人種でもない。もちろん僕もエーテルも勇者などではない。


 ただのフリーターと学生と居候が勇者の助けを必要としている異世界に召喚されてしまったのだ。何と戦っているか知らないが、この世界の終焉を見届けることになりそうだ。


 神殿の奥から足音を立てて人が近づいてくる。不安げな表情をした少女が僕たちの前で立ち止まる。歳は十歳から十二歳くらいだろう。悪意のようなものは一切感じないから警戒は最低限でよさそうだ。


 少女が近づいてきたことによってエーテルと日向さんも目を覚ました。


 僕らの様子を数秒窺っていた少女は突然跪く。


「異界の勇者様とその従者様にお願いがございます。どうか王国を取り戻すため私に力を貸してください」


 やっぱりこうなったか。さて、どうしたものか。僕達が勇者でないところから説明するのがいいだろうか。


「べぇ……っべぇよ。やっべぇー」


 日向さんがガタガタ震えながら片手で頭を抱え一人ごちる。


 日向さんはとても頭の回転が速く知識も豊富な人だ。だからギルドでもかなり重宝されている。この状況から今自分が立たされている立ち位置がわかったのだろう。


「どうしてくれんだ清人。お前のせいで厄介なことに巻き込まれたじゃねえか」


 見苦しいよ日向さん。厄介なことに巻き込まれたのはこちらの方だからね。依頼を受けるところまでさかのぼれば、僕の責任もわずかにあるかもしれないけどさ。


「どうしよう……私の力が及ばない世界に来てしまいました。非常にまずい。これでは……を……守れない……一刻も……く」


 珍しくエーテルが動揺している。泣きそうな表情になりながら声も震わせていた。そのせいで何を言っているのかよく聞き取れない。


「エーテル? 大丈夫か?」


 僕が声をかけると、ビクリと体を震わせて僕を真っすぐ見つめてくる。数秒見つめ合う形になりどうしようか迷っていると、彼女は僕の肩に乗っているフェンに気づき、落ち着いた表情を取り戻した。


「自分で主の元へ来たのですか……相変わらず忠義深い子ですね。あなたがいれば安心です。任せましたよ」


 エーテルはフェンに向かって優しく語りかける。忠義深いもなにも、こいつは僕のお願いも聞かずに勝手についてきただけだ。それとフェンは頭のいい狐だけど、人間の言語を理解するレベルではないからな。


「あっあの! 聞いていますか? 私はリーム王国の王女リリィと申します。どうか私に力を……」


「すまないが、王女さん。俺らは勇者じゃないんだ。間違って召喚してしまったみたいだが、俺らを帰して次を呼びだしてほしい」


 日向さんは冷静に王女に対して返答した。その手があったか、何故気付かなかったのだろうか。勇者を召喚しようとしたのが少女ならば、僕たちを返すこともできるだろう。


「嘘……そんな……私はなんてことを。次の扉を開くことができるのは三十日後。そんなに待っていたら全て終わってしまいます」


 王女は膝を落とし項垂れると、放心状態になってしまった。


 彼女の焦燥感から猶予もないような危機的状況だということは見て分かった。最後の望みをかけて召喚した勇者がその辺の一般人でしたと言われたら絶望の底に突き落とされるだろう。


 不可抗力だったのだけど、今までの人生で感じたことのない規模の罪悪感が僕を襲う。


「綺麗に夏休みの予定が埋まりましたね。リア充じゃないですか。よかったですね」


「うるさい」


 夏休みを失った絶望感は大きい。エーテルのようなただの居候と違って、学生の僕にとって長期休暇は何物にもかえがたいものなのだから。


「まいったなあ。三十日も仕事休んだらクビになっちまう。本当にまいったわ。帰れないんじゃどうしようもないからな」


 日向さんはなんだか嬉しそうだ。異世界に拘束されることと仕事に行かなくていいことを天秤にかけて、異世界に拘束されることが彼にとっては幸せなことだと判断したようだ。


 なんだかんだ言っても僕らは皆図太い神経の持ち主だ。環境に適応して満喫していこうとするだけの余裕があった。


「リリィ王女、僕らは全く戦えないという訳じゃありません。微力ですが力をお貸ししますよ」


「そうですか……ありがとうございます」


 リリィ王女は弱々しく笑い返す。一般人だと自己紹介したばかりだから期待などできないよな。実力以上に期待されても困るのは僕らだから丁度いい。


 まずはリリィ王女からこの世界の事情を聴きだすことにした。


 この世界には昔から人間を食料にする種族が存在する。この世界の人間はそれを鬼と呼ぶ。僕の世界でいうところの妖魔みたいなものだろう。


 大昔、鬼達を束ねる鬼王と呼ばれる化け物が大暴れした時代があった。人間の住む国の九割が支配され、絶望の淵に立たされながらもかろうじて生き延びた人々の中に、強い魔力を持つ七人の巫女がいた。


 七人の巫女は、異世界から強大な力をもった戦士を呼び寄せる勇者召喚の秘術を開発し、七人の勇者の力をもって鬼王の討伐に成功する。全ての鬼を討伐することはできなかったが、鬼から人間の国を取り戻して平和な世界が戻って来た。


 七人の巫女はそれぞれの国を復興させ、王族として世界を見守ることになる。


 だが、それで安心することはできなかった。その後、数十年に一度鬼王と呼べるレベルの鬼が定期的に降臨するようになった。その度に七人の巫女の血を継ぐものは秘術を使い異界から七人の勇者を召喚し、鬼王を退けてきた。


 今まではそれで鬼の恐怖に対応できていたのだが、今回は異変が起きたという。今までに数十年に一度の頻度で現れていた鬼王が同時に六体出現したのだ。そしてその六大鬼王と自称する六体の鬼を使役する鬼神が現れた。


 七人の巫女の血を引く王女たちはすぐに異世界から七人の勇者を召喚したが、鬼王を遥かに凌駕する鬼神を相手に、一人を残して全滅してしまった。


 なんとか逃げ延びた一人の勇者の提案により、王女たちは再び勇者召喚を行い再戦することを決意する。


 一人でも多くの勇者を召喚するために、王女たちは散り散りに隠れる。リリィ王女もその一人で、次に異世界の扉が開かれるのをずっと待っていたそうだ。


 そして最後の希望を託して召喚されたのが僕らだというから災難だったわけだ。


 僕ら生きて帰れる気がしないんですけど。鬼神とかいう化け物と戦わないといけないの?

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