第二章 人違い勇者と従者編

第34話 ギルド職員の憂鬱

「あん? 休暇申請だと?」


「あっはい、すいません」


 五十連勤中の俺は、ギルド支部長が留守の支部長室で、勇気を出して上司に休暇を申請することにした。


 流石に体が持たないと思ったのだ。最近寝不足で書類上のミスも多発していて、上司に怒られる機会も増えてしまった。


「すいませんってなあ。自分で謝るくらいなんだから、休暇なんか申請することが悪いことだとお前だってわかっているんだろう? なら最初からこんなもの出してくんじゃねえよ」


 そう言い、上司は躊躇なく俺が出した申請書をびりびりと破いた。


「そんなぁ……明日は日曜じゃないですか」


 浪人しているから暇は持て余していた。何かバイトでも始めようと思ったのが間違いだったのだ。気付いたらただのフリーターになっていた。


 ブラックギルドにこき使われるだけの未来の無いただのフリーター。バイトを申し込んだ二年前の自分を可能なら殴ってしまいたい。


「なあ日向 真ひなたまこと。ゆとりきったお前に社会の理屈を教えてやる。一週間ってのはなあ、月月火水木金金の七日間なんだよ! そして明日から月曜日がおはようございますだ。わかったならさぼってないで黙って自分の仕事をやれ! ぶちのめすぞオラァ!」


「ひっ! すいませんでしたああ!」


 逃げるように支部長室を飛び出した俺は、半泣きになりながら自分の机まで駆け足で戻った。




 なんて理不尽な上司だ。息を荒げながら自分の机についた俺は、沸き起こる苛立ちを抑えきることができない。


「ふざけんなよハゲ上司! いつか絶対ぶち殺す!」


 俺は行き場のない苛立ちを怒鳴りつけながら自分の机を蹴る。


 俺が机を蹴った衝撃で机の上に置いてあったボールペンが隣の席の職員の女性に当たってしまった。


「ちょっと……痛いんですけど」


「あっすいません」


 俺は素早く落ちたボールペンを拾い、散らばった書類を片付ける。


 隣の女性は加藤優里奈かとうゆりな。茶髪を後ろで一つにまとめている物静かでクールな女性。俺とは同い年だが、挨拶を交わす程度の仲だ。


 物に当たるのは良くないよな。人に当たらないだけましなのだろうが、自分に余裕のない証拠だ。


 自業自得なんだ。最後まで意見を通すことができない。上司に威圧されただけですぐに引いてしまう自分が悪い。休みを取ることすらまともにできないのだ。仕事を辞めたいだなんて言い出すのは一生無理かもしれない。


 思えば自分の今までの人生は不真面目な生き方だった。なんとなく長いものに巻かれながら常に中の下くらいのレールを歩いていた気がする。そんな自分が招いた今だ。


「上司は特に禿げてはいないのでは?」


 加藤さんがボソっと俺にぎりぎり聞こえる程度の声でつぶやいた。


 え? 今のは俺に言ったのか? 確かに上司は禿げてはいないが。


「世間全体でみる上司ってのはだいたい禿げてるイメージあるから、あいつもハゲでいいかと思った」


「とんでもない偏見ですね。あと、あまり大声を出すと本人に聞こえてしまいますよ。それに他の人にも迷惑です」


 加藤さんは俺のとった行動に対して冷静に指摘してくる。普段彼女が話しかけてくることがない為に、俺は少し動揺してしまう。


 周りの職員も手を止めてこっちの様子を気にしていた。彼女の冷静さに俺自身の熱も冷め冷静になることができた。


 他の職員にも迷惑をかけて申し訳ない。


「日向さんが頑張っていることはみんな知っていますから」


「あっ、その、ありがとうございます」


 加藤さんのさりげない一言に涙が出そうになるのを堪えながら書類の整理に励むことにした。


 優しい言葉をかけてもらえたのは久しぶりな気がする。


 家族は俺のことを見捨てた。剣聖を次々に生み出してきた名家だったが、才能のない落ちこぼれの俺は結局勘当されてしまう。


 昔は良かった。家族も優しくて期待もされていた。


 本当に理不尽な世の中だ。


『日向さん担当の方が受付でお待ちしております』


 放送が入り来客を告げる。いったい誰だよ。お客さんとの約束はしていなかったのだが。


 せっかく今日は事務仕事だけだと思っていたのに、仕事を増やさないでもらいたい。


 受付にはフードを深くかぶった人物が立っていた。怪しすぎる。俺を指名してくる奴ってこんなのばっかなんだよな。間違いなく面倒事を持ってくる。


「指名してきたということは以前にも俺が担当しているはずですよね。どちらさまで…………なんだお前か」


 フードをかぶった人物は初見だと思ったが、隣にいた奴が顔見知りだった。


 面倒事を持ってくる筆頭の集団OTAK。この支部のギルドに最も利益を出している集団だ。彼らは素顔を決してさらさない。ギルドでも正体を知っているのは担当である俺だけだ。


 そのメンバーの一人である夢川清人が、俺に微笑みかける。


「ご無沙汰ですね日向さん。調子はどうですか?」


「この前ジェースリーの依頼で会ったばかりだろうが。調子は最悪だ。そろそろ仕事辞めるわ」


「それ二年くらいずっと言ってるよね。それに日向さん有能だから、辞められたらギルドも困っちゃうでしょ。今日は夢川清人で来ているので、会うのは久しぶりですよ」


 珍しいな。こいつはOTAkとしての仕事でなく、夢川清人個人での仕事を求めに来たのか。確かにいつものようにセンスの悪い変装姿ではなく、身に着けているのはただの学生服だ。だとすると、隣のフードもOTAKとは無関係の人間と考えるのが妥当だろう。


「エーテル、君にも紹介しておくよ。日向さんは、偽造した身分証でも気にせずにギルド登録をしてくれるとっても悪い人。実際組織運営に絶対にいてはいけないタイプの人だよ」


「なるほど。それはとっても良い人ですね」


 やかましいわ。お前らの存在はギルドにとって利益が大き過ぎる。俺の評価の為にも、書類で弾くのはもったいないだけだ。


 人格的にもこいつらを信用しているというのが前提なのだが。


 こいつらのような偽造した身分の人間を受け入れているとバレたら、間違いなく俺はこの世界から追われる身になってしまう。それで仕事を辞められるというのなら、それも悪くないのかもしれない。


「で、どんな依頼を探しているんだ? ギルド登録はやっておくが、声からしてそいつは女だな。お前の親戚扱いにでもしておけばいいか」


「話が早くて助かるよ。今日は手っ取り早く大金が稼げる依頼を探しているのだけど、何かない?」


「そんな都合のいい仕事なんて簡単に見つかるかよ。あればみんなやってる」


 そう言いつつも俺は受付横のコンピュータのファイルを開き、手っ取り早く大金が稼げる依頼を検索する。


 依頼の一覧を眺めていると、ジェースリーを経由して未知の変異を起こした妖魔の討伐依頼があった。この依頼を受けて、出発してから帰還したものが未だにいないマジでやばいものであるが、これを紹介してしまっていいか迷う。確かに大金は稼げるのだが。


 最近ジェースリーからの依頼も増えた。人手不足の問題があるらしい。


「なんか見つけた? 見せて見せて!」


 夢川清人は待ちきれないとばかりに身を乗り出してコンピュータを覗いてきた。


「おお! すごい大金! これでいいよ。この依頼受けさせてください! 妖魔一体倒すだけだなんておいしすぎる依頼だ」


「この依頼は実態が掴めてなくて危険なんだけどなあ。まあ、お前なら大丈夫か」


 本来ただの学生にこのレベルの依頼を渡すことは許されていないのだが、OTAKのメンバーなら話は別だ。彼らは一度も依頼を失敗したことがない。それがどんなに難易度の高い依頼でもだ。


 絶対的な信頼があるからこそ任せられる。


 俺は依頼の詳細を自分で確認しながら、彼らに説明する。どうやら、この依頼は案内でギルド職員が同行しなければならないらしい。


 はあ……今日は残業になりそうだな。

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