第31話 ふらりふらり次へー1

 放課後、誰もいない教室の誰かの席で、ボーっとしながらただ時間が過ぎるのを待っていた。正晴との約束までの時間つぶし。


 半分開いた窓からの生暖かい風が夏を実感させる。暑いのは嫌いじゃない。


 来週から夏休みが始まる。今年はフェンと旅行にでも行こうか。


 最近は明るい時間が長くなってきた。それでも夜は当然のように訪れる。後数十分もしないうちに日が完全に沈んでしまう頃だろう。


 今日は濃い一日だった。 


 あの後、柚美ちゃんたちに試合でのことを問いただされるのが面倒だったので、素早く僕は教室に戻った。


 結局模擬戦闘大会は夏休み後に延期になってしまったが、中止にならなくてクラスの生徒達も安心していた。訓練する期間が増えたのは生徒にとってはいいことなのかもしれない。


 上村先生から聞いた魔女とアイリルの話はとても興味深かった。


 僕とは関係ない場所で僕とは関係ないことをやっている僕とは関係ない人達だと思っていたけど、間接的にだが既に僕は一人の魔女の目的の片棒を担いでしまっている。


 輪廻の魔女だと名乗るエーテルにも色々聞いてみないとな。


「誰?」


 教室のドアがゆっくりスライドする音とともに聞き慣れた声がかけられる。響きやすいはずの廊下を歩く音が聞こえなかった。忍び足で教室まで来たのだろうか。


「放課後……それも誰もいないはずの時間にこっそり教室に入ってくるなんて……なんだ、ただの怪しい人か」


「誰が怪しい人よ。清人にだけは言われたくないわね」


 僕の軽口には弱々しい笑みで返す。僕にだけはって、そんなに僕は怪しい雰囲気を出しているのかよ。ドアの前には、元気がなく疲れ切った顔をした静香がいた。


 やっぱり何かあったんだろうな。流石に彼女の最近の様子はおかしい。


 この一週間は模擬戦闘大会の準備などで忙しくて、彼女の様子の変化に気付いたのは身近にいた人くらいだろう。


「どうしてこんな時間に学校にいるのよ。誰もいないと思って来たのに」


「どうも! 教室警備員の夢川清人です」


「そういうの……今はいいから」


 感情なく返される。これはただ事じゃないようだね。笑ったり怒ったり感情豊かな彼女はいない。


「……静香はすぐわかったんだね、僕のこと」


「なんのこと?」


「眼鏡はずしたんだよ」


 静香がダサいだとか似合わないだとか言うから仕方なく外したやったのだ。


「それくらいで、友達の顔がわからなくなる訳ないじゃない」


 彼女はただの女神でした。いや、これは普通のことではないだろうか。あの二人の方がおかしいのではないだろうか。


「やっぱり、そっちの方がいいわね。意外にかっこいいじゃない」


「え? あ、ありがとう」


 なんだか照れる。


 うん? もしかして僕は今、誉められたのか? 思い返してみると僕は褒められた経験があまりない。そうか、つまり誉められて伸びるタイプの僕の成長はここから始まるというのか。

 

 恐ろしい。


 静香は僕が座っている隣の席に座り、机に顔を伏せる。


「そこ、僕の席なんだけど、自分の席に座れば?」


「奇遇ね、あなたが座っているその席、実は私の席なのよ。あなたこそ自分の席に座ったら?」


「静香が僕の席に座るから、仕方なく僕はこっちの席に座っているのだけどね」


「時系列が歪曲されているのは気のせいかしら」


 何も考えずに空いている席に座ったのだが、僕が座っていたのは静香の席だったらしい。まあ確かに、最初から自分の席についてろよって話だ。


「……冗談はこれくらいにして、何かあった?」


「…………」


 彼女は何も答えてくれない。


「こんな時間に教室まで何しに来たの?」


「……別に、忘れ物を取りに来ただけよ」


「その忘れ物とは実は僕のことでした」


「…………馬鹿なの?」


 自分から冗談は終わりにしようと言ったのに、ついついふざけてしまった。静香とのまともな会話が久しぶりだったせいかテンションが上がってしまったようだ。


 友達が少ないと、調子に乗る場面を間違えてひどい目に遭う。圧倒的に場数が少なすぎるのだ。


 本題については何を言っても静香からは何も話してくれなさそうだな。こっちで勝手に調べてみるしかないか。


「助けて……清人」


「え?」


 今、助けてと言った? 僕は静香の方を向くも、静香は机に顔を伏せたままだった。


「独り言よ。気にしないで……間違えて口に出しちゃっただけ」


 間違えて口に出してしまった……それは、心の中ではそうしてほしいと思ってるってことじゃないのか? 彼女が弱音を吐くところなんて初めて見る。


「私はね……自分のためにいろんな人を傷つけて、のうのうと生きているのよ。やめたくてもやめることは許されなくて、もうどんなにがんばっても本当に守りたかったものすら守れなくなっちゃった」


 顔は伏せたままだが、静香の体は小さく震えていた。


「最初からどうにもならないってわかってたのに……もうどうしたらいいのかわからない……本当に私って最低だ。最低な人間が一人消えるだけ、それだけなのに、何も行動できない」


「静香、それじゃ僕は何もわからないよ。ちゃんと話して、何があったのか、どうしてほしいのか」


 ゆっくり話を聞く時間ならいくらでもある。正晴との約束はあるが、彼だって今の静香を放ってはおかないはずだ。


「どうしようもないのよ。それに、あなたにどうこうできる問題じゃない」


「じゃあどうしてそんなに辛そうに中途半端に語るんだ。そんな態度を見せられたら心配するに決まってるだろ」


「だから、間違えちゃっただけなのよ……誰にも何も言うつもりはなかった。なのに清人がここにいて、何故か安心しちゃって、気づいたら言わなくていいことを勝手に口に出しちゃって…………ごめんなさい」


 謝る必要なんてどこにもない。僕に何ができるだろうか。情報が何もない状態で彼女に何を言えばいいのだろうか。


 根本的な問題の解決は後にして、今しなければいけないことは。


「静香は本当に自分のことを、自分の為だけに人を傷つけられるような最低な人間だと思ってるの?」


「……だって、そうしてきたから」


「だけど、僕はちゃんと知ってるよ……君が本当に優しいやつだってこと。そんな君だから、僕は助けてやれる。助けようと思える」


 静香は机から顔を上げ、信じられないものを見る目で僕を見てくる。その目は少し充血していて、頬には小さな雫が流れ落ちていた。


「でっでも、私には助けてもらう資格なんてなくて……」


「僕だけじゃない。正晴だってそうだ。君の周りにいる人たちならみんな助けてくれるはずだって」


 静香はそれ以上言葉を返すことなく、しばらくの間後ろを向いて肩を震わせていた。今の段階で僕ができることは優しい言葉をかけてあげることくらいだ。


 しばらくすると、彼女は乱れていた呼吸を整え僕をまっすぐ見る。


「私より弱いくせにかっこつけちゃって……馬鹿みたい。でも、少しだけ気が楽になった。もう大丈夫だから。励ましてくれてありがとうね」


 静香は教室に残ってる自分の所有物を全て鞄につめはじめた。それは、もうここに戻ってこないということにほかならない。


「清人……あなたとする馬鹿みたいにくだらない会話は、実は私にとってとても幸せな時間だったのよ」


 教室を出ていく間際、静香は目を細めて優しく微笑みながらそう言った。この瞬間だけは僕の良く知っている静香だった。


 さて、どうするか。

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