第30話 一人の生徒の実力ー5

 保健室を出て、僕は俯きがちにトボトボと廊下を歩いていた。


『失敗しないためには、守れるものを選ぶのよ』


 去り際の上村先生の言葉が頭によぎる。僕には関係ないことだ。何を選べと言うんだ。


 苛々する……中途半端だ。中途半端なことばかり言う。師匠も上村先生も部長だって、僕にとって肝心な何かをほのめかすくせに……大事なことは何も話してくれない。


 いつもそうだ。僕を除け者にして僕の話をする。


 いつのことだったか、師匠は言った。常に奪う側の人間になれと。


“お前は弱いくせに大切にしているものが多いな。俺は良く知っている。お前みたいなやつは結局何も守れないと”


 自分の弟子に向かってずいぶんと希望の無いことを言う人だ。


“お前がうるさく言ってる怪盗だったか? いいじゃないか、守れないのであれば奪われなければいい。だからお前は常に奪う側の人間になれ”


 思い出した。多感な時期の少年に言うには非道徳的すぎると思うが。


 落ち着いて考えてみたら……なんだかんだ言っても結局ここに落ち着いていたのかもしれない。エーテルと出会わなくても僕は怪盗をやっていたのだろう。


 僕がただの怪盗オタクで、毎度のように怪盗に対する憧れを語り続けても、怪盗になりたいと口に出していても、師匠は否定することは一度もなかったな。


 僕は何よりも師匠に憧れていた。何が起こっても絶対にどうにかしてしまう強さに。僕はいつも期待に応えようとしていたんだ。その師匠が認めてくれていたものにならない理由が僕にはなかった。


 アイリルだか魔女だか知らないけど、僕にとってそんなことはどうだっていいものだ。どんな世界だって僕は怪盗として自由に生きるだけなんだから。


 余計なことは考えるのをやめよう。僕は怪盗としての生き方だけを考えていればいいんだ。僕は既に選んでいる。決めている……常に奪う側の人間になることを。


 エーテルがその舞台を用意してくれると言うのなら、僕は彼女にもっと尽くしてあげてもいいのかもしれない


 よし、すっきりした。ここにきて初めて自分の立ち位置を自覚できた気がする。


 ん? ふと床に転がる何かに躓きそうになった。拾い上げてみると誰かの財布のようだ。中を確認してみると正晴の生徒手帳が入っていた。


 さっき保健室から帰るときにでも落としてしまったのか。丁度いい、後で届けてあげよう。


 廊下の奥から知ってる声が近づいてきた。声の正体は柚美ちゃんと時音先輩だった。きっと僕を探しに来たのだろう。試合の後に僕は何も言わずにすぐに保健室に向かってしまったから。


 僕は二人に向かって手をふり、僕の存在を認識させる。


 だが、二人は僕を一瞥すると、何事もなかったかのように僕の横を素通りしていく。


 ……。


「無視とか、酷すぎだろ」


「……? どちらさまですか?」


 柚美ちゃんは冷たい表情で僕を見る。なるほど……僕と戦争がしたいと。


 柚美ちゃんもこの短期間で演技力をあげたじゃないか。まるで僕を本当の不審者を見るような冷たい目で見下す。


 僕の方が背が高いけど。


 再び柚美ちゃんと争うのは気が進まないな、また噛まれても嫌だし。ここは時音先輩に助けを求めるか。彼女も無駄な争いは避けたいはずだ。


 僕は時音先輩に助けを求める為に、視線を柚美ちゃんからうつすが、まさかの時音先輩も知らない人を見る目で僕を見ていた。


 マジか……グルなの? 柚美ちゃんも学習しているようだ。いつまでも僕に言い負かされたりはしないというのか。


 時音先輩も僕に対して腹を立てているのだろうか。確かに腕の痛みを理由に試合サボろうとしたけどさ、ちゃんと戦ったじゃんか。


「ごめんなさい」


 僕が素直に謝っても二人の態度は変わらない。これはたいそう怒っていますね。


「うわぁ、この人突然謝ってきたんですけど、危ない人ですよきっと。逃げましょうよ」


「柚美ちゃんの知り合いじゃないのかい? だとしたら確かに怖いね。行こう」


 二人は速足で立ち去ろうとした。


 そして僕は戦うことを決意した。


「え? 危ない人ってのは誰のこと言ってるの?」


 僕は二人のあとを追い、顔を近づけて二人に並列して歩く。しつこく付きまとうことにした。


「あなた以外誰がいるんですか、てかついてこないでください」


「ええ!? それってつまり誰のこと言ってるの? え? うええ?」


「こいつやばいです!」


 柚美ちゃんはスピードを上げ、軽く小走りになりながら僕から距離をとろうとする。


「こらぁぁああ! 廊下走るな! お前らスピード違反だぞこらあああ!」


 僕は前にいる柚美ちゃん達に怒鳴りつけながら全力疾走で追いかける。何やってるんだろ僕は。


「ひゃぁ!?」


 二人は小さく悲鳴を上げ、顔を強張らせて僕に捕まらんとダッシュで逃げる。


 うん、なんか楽しくなってきた。


 二人は一番最初に目についた教室の中に逃げ込んでいく。後に続いて僕もその教室にかけ込むが、そこは保健室だった為に再び戻ってくる形になった。


「二人ともどうしたの? そんなに慌てて、あと清人君も……忘れ物?」


 今さら思ったが、上村先生ってとっても良い声をしている。聞いてて心地がいい。保険の先生らしく優しさがにじみ出ている。


「とんでもない不審者が追いかけて来るんですよ!」


「お騒がせしてすみません。少しだけここで匿ってもらえないで……て、清人君?」


 バッと、二人は一斉に振り向き、僕を見て目を丸くする。


 ……え、何? 本当に僕がわからなかったの? それはそれでひどいな。眼鏡からコンタクトレンズに変えたくらいで不審者扱いかよ。


 絶望した。僕は人間と言う生き物に絶望した。この世界には信じられるものなんてないんだと思い知らされた。ショックでもう夜しか眠れない。




 再び保健室を出て今度は三人で並んで歩く。横を歩く二人から視線がちらちらと向けられ気まずい。


「私ずっと触れないようにしてたんですけど、どうして先輩は眼鏡なんかつけていたんですかね?」


「それは、目が悪いからだろう」


 柚美ちゃんの疑問に時音先輩は当たり前の返答をする。


 気味の悪いオッドアイを隠す為の物だから本当はそれほど目が悪いわけではない。


「や、えと……そうなんですけど、そう言うことじゃなくて」


「柚美ちゃんが言いたいことはわかる。正直私も、清人君がここまで……いや、なんでもない」


 なんだよ。言いたいことがあるならはっきり言ってほしい。


「眼鏡を使ってギャップをつけてまで自分の容姿を自慢したかったんですね? 先輩のくせに生意気です」


 この後輩はどうしてここまで僕につっかかってくるのだろう。苛めすぎたのだろうか。そんなはずはないな、僕は誰にでも優しい紳士なのだから。


 むしろ可愛がってあげてるほうだ。


「いきなりなんだよ。どう見ても生意気なのは君だろ。それともあれか? あまりにも僕の容姿が君好みでびびっているのかい? そりゃそうだろう。なんたって今の僕は、クラスの友達十人とすれ違ったら十人が、あっ清人君だって思う顔だからね」


「だろうね」


 時音先輩は冷静だなあ。柚美ちゃんも見習ってほしいものだ。


「本当に二人は仲がいいね。羨ましいものだよ」


「仲良くなんてないです!」


 柚美ちゃんは大声をあげて全力で否定する。


 あれ? 仲良くなかったの? 友達がいなさすぎてまた僕は恥ずかしい勘違いをしていたかもしれない。悲しいことに僕は一人だけ、後輩と仲良くなっていたと思っていたのだ。


 危ない危ない、指摘されて恥ずかしい思いをする前に自分で気づけて良かった。

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