第5話 依頼主は魔女-1

 だるい……疲労で体がとても重い。


 初めて怪盗としての依頼をこなした僕はふらふらとおぼつかない足取りで帰路についていた。辺りも暗く人通りの少ない道を歩いていると、涼しい風が僕の頬をなでる。


 疲れたな。


 だけど、心はとても満たされている。達成感や満足感で僕の胸はいっぱいだった。興奮が今でも収まらない。十五年来続けてきた謎の修行の成果を形にすることができたのだ。


 一瞬でも僕は小さい頃に憧れた怪盗という絶対的な存在になれたのだろうか。


 今回僕がギルドから届いた依頼は、この国有数の財閥である鳳凰院家から女神の涙という秘宝を拝借してこいというものだった。屋敷内とその周辺の細かい地図に、ジェースリーという正義の組織の警備員の配置や人数の情報が全て送られてきた。


 実際とても正確なもので、いったいどこでそれらの情報を手に入れたのか不思議である。勝手に予告状が送られていて、怪盗フェネックという名前まで勝手につけられていたのはやり過ぎだと思うが。


ちょうどよかったから、名前はそのまま使わせてもらうことにしたけどさ。


 依頼主についての情報はなく、依頼の品は後で取りに行くとだけ書かれていた。その時に報酬を渡すとも。


 依頼主は何故僕にこの依頼を送ったのだろうか。ギルド上のデータでは、僕が怪盗ごっこの為に謎の修行を続けているだなんて情報はあるわけないのに。それに、ギルドには一応登録だけはしていたけど、一度も依頼を受けたことがなく更新すら一度もしてないはずだった。


 自分自身やけくそで受けた依頼であって、本当に完遂できるとは思わなかったな。停電させたはずの電気が一瞬で復活したときは正直かなり焦った。まだまだ僕には経験値が足りないな。初めての実践だったから仕方ないことではあるのだけど。同じ失敗は繰り返さないようにしよう。


 ……どうしよう、普通に犯罪者です。


 歩きながらぼんやりと目を正面に向けていると。うつ伏せに地面に横たわる何かを見つける。


 心配よりも先にゾッとするような恐怖感が僕を襲った。良く見てみれば女性の様だが、こんな時間に人通りの少ないこの路地で横たわっているなんて普通ではない。


 もしかしたらとっさの発作的な何かで気を失ってしまった危険な状態の人という可能性もあるけど、基本的に臆病な僕は道の端の方を歩き、そっちの方を見ないように通り過ぎることにした。


「ちょっと待ってくださいよ」


 突然声をかけられて反射的に体がビクッと震える。横たわっていたものは僕の足を掴み、歩くのを妨げようとした。


「えっ? 何? 怖い怖い……怖いんですけど」


「立ち止まるそぶりも見せずにそのまま引きずってでも立ち去ろうとしてるあなたの方が怖いです。って、痛い! 止まってってば! 擦り傷できちゃうじゃないですか!」


 手を離してくれる気配がないので仕方なく僕は歩みを止める。


「まさかジェースリーの追っ手か? それならば容赦なく逃げさせてもらう」


「違いますって。私はあなたのクライアントですよ。わかりますか? 依頼者ですよ」


 依頼者と名乗った怪しい人物は僕が動かないのを確認してから、服についた埃を払いながら立ち上がった。そして僕のことを値踏みするかのようにジーっと見つめてくる。


 最初に目に付くのは変わった衣服だった。赤と黒の二色だけで染められた体全部を覆うコートみたいなもので、少なくとも日本では見かけないものだ。一部のコスプレ趣味の人を除けば。


 身長は女性の平均より少し高いくらいだろうか、肩にかかるくらいの銀色の髪に赤く光る眼。APが特殊な作用を起こして髪の色が変わってしまうことは良くあることだが、それでも銀色の髪はめずらしい。寝起きのような気の抜けた表情をしているが、顔立ちはとても整っていて、妖精かと思ってしまうような幻想的な少女だった。


「先に女神の涙を渡してくれませんか? それは、とても大切なものなのです」


 この少女が本当に依頼主なのかどうか疑う気には不思議とならなかった。たぶんそうなんだろうなって、本能的に理解させられる感覚の世界がここにはあった。僕は特にためらいもせず女神の涙を懐から取り出し、少女の手に渡してあげる。


 少女はそれを大事そうに両手で包み込むと


「それでは」


 僕に背を向けて立ち去ろうとする。


「ちょっと待て」


「なっなんですか?」


 少女は怪しいものを見るかのような目で僕を一瞥した。


「なんですかじゃないから。お礼くらい言えよ。割と命がけの依頼だったからね? 報酬ももらってないしさ」


「え? ああ、どうもです」


 再び少女は僕に背を向け立ち去ろうとする。


「いやいやいや、どうもですじゃないから。その軽い感じのお礼の言葉については目を瞑ったとしても、報酬はまだ受け取ってないからね。報酬を渡してくれなきゃ女神の涙は渡せないよ。僕が体を張って持ってきたものなのだから、まだそれは僕のものだ」


「嫌だ! 依頼したのは私なのですからこれは私のものなんです! 四捨五入したらあなたが盗ってきたと言う主張は切り捨てられるので、これは百パーセント私だけのものですね」


「何言ってるの?」


 どんな理屈だよ。僕の理解力がないだけなのか? 彼女が何を言っているのかさっぱりわからない。こんなにも高難易度の会話をしたのは初めてだ。


「報酬報酬って物乞いですか。そもそも最初から報酬なんてものは、ありーまーせん!」


 よし、いいだろう。その喧嘩買いました。僕は両手で彼女の両頬を摘み、上下左右に激しく引っ張りまわす。


「ちょっ痛っ……痛いってば! いや嘘ですからね! 冗談だから離してくださいってば! 痛い痛い! はなっ離せよおおおおー!」


 涙声で必死に抵抗してくるので、しょうがないから手を離してあげた。彼女はぜぇ……はぁ……と荒げた呼吸を整えながら頬を押さえ、上目遣いに僕を睨む。


「まったく……頬が伸びてこの私の美貌が崩れたらどうするんですか」


 自分で何言ってるんだかと言ってやりたかったが、確かに否定できないくらいには綺麗な顔立ちをしているので、僕は呆れた顔を向けるだけにすませた。


 彼女は何か文句でもあるかと言いたげにさらに強く僕を睨む。僕も迎え撃つように見つめ返すと、ため息をついて先に目をそらした。


 そして、覚悟を決めたように彼女は一歩僕の前へ出て、再び値踏みするような目を僕に向けた。


「そういえば、自己紹介もまだでしたね。私の名はエーテルといいます。“輪廻の魔女”としてあなたに女神の涙の窃盗を依頼したものです」


 彼女は魔女だと名のった。

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