第2話 その名は怪盗フェネックー1

 屋敷内、屋敷外とその周辺の警備は万全のはずだ。子犬一匹進入することは叶わない。


 今朝このばかデカい屋敷の持ち主、鳳凰院家の頭首のもとに一通の手紙が送られてきた。


 手紙の内容は、『今日の午後七時に“女神の涙”を拝借します』というものだった。


 そして裏面には“怪盗フェネックより”とご丁寧に名前まで書かれている。


 その手紙を見た鳳凰院家の頭首は慌てて正義の組織、“ジェースリー”に女神の涙を守るように依頼してきた。


 ジェースリーは人々の安全に関することなら何でもやる。依頼されれば、ボディガードや警備員にもなる組織だ。


 そしてこの依頼を請け負ったジェースリーからわざわざ俺がこのばかデカい屋敷まで派遣されてきたのだが。


 正直言って、これ……イタズラだろ。誰だよ怪盗フエネックって、どう考えても中学生のイタズラじゃねえか!


 こんなことのために世界的大組織ジェースリーを動かしてんじゃねえ! お金持ちだからって調子に乗るな!


 などとこの地域一帯を守る部隊の副隊長程度の俺が言える訳もなく、おとなしく部隊を配置する。


 女神の涙とやらは、俺の前方五メートルくらいの場所にケースの中に納まっている。


 俺もここからは一歩も前に出る事はできない。肉眼では見ることができないのだが、この部屋にはレーザーが幾重にもある。


 もしそのレーザーに触れてしまえば次の瞬間には体が蜂の巣になっているのだ。科学技術の発達したこのご時世に大掛かりな窃盗なんてできるはずもなく、考える奴もいないと思っていた。


 まあ、どうせただのイタズラなんだろうが。この場に集まった五十人の隊員にもなんだか申し訳ない。


「大騒ぎしてしまって申し訳ないですね。山中副隊長」


「いえ、これが仕事ですから」


 隊員と連絡を取り合っている俺に鳳凰院家の頭首が頭を下げてきた。大げさだとは自覚してたのか。


 会う前に持ってた印象とは違い、腰が低く礼儀正しい人物だった。


「予告された物がただの高価なだけの物だったなら、私だけでどうにかしたのですが……」


 鳳凰院は苦虫を噛んだような顔をしている。


「女神の涙とは何か特別な意味のある物なのですか?」


「現代においてほとんどの人間が崇拝する神……アイリル様が残した七つの遺産の一つだといわれている代物です。詳しいことは話せませんが、絶対に誰にも奪われるわけにはいかないのです」


 なるほど。それならば、ここまで厳重に警備を張る理由にも頷ける。アイリル様は最初に誕生した始まりの超能力者。今では神格視されているほどの偉業を成し遂げた人物だ。偉業というのは、全ての人間にAPと呼ばれる能力を使うためのエネルギーを与えたこと。


 女神の涙の価値を知って俺は少しだけ緊張した。


 そろそろ予告された時間になる頃だろうか。左腕の最近買い換えたばかりの安っぽい腕時計を確認すると、秒針が真上を差したところだった。


「キュワァァァァ!」


 七時になったと同時に奇妙な音が屋敷の外から響いてきた。後に不気味な静けさが残る。


「いっ今の音は?」


「わ、わからねえよ」


 俺の近くにいる隊員達が慌て始める。下っ端とはいえ、ジェースリーの人間がこの程度のことでびびってんじゃねえよ。情けない。ここの警備が終わったらさらなる指導が必要だ。


「静かにしろ。ただの動物の鳴き声だろ」


 俺は隊員を黙らせ警戒を強くする。その時、静寂に包まれていた屋敷に警報が鳴り響いた。


「どうした! 何が起こった!」


 慌てて俺は状況の把握に努める。


「副隊長! 東門、西門、南門が! 北門以外の全ての門から何者かが侵入したようです。待機している部隊を送りますか?」


「門に配置した部隊は何をしているんだ! すぐに連絡を取ってカメラで確認しろ!」



 何が起こってる? 馬鹿な……本気で女神の涙を盗みにきたというのか? 三方向からの警報が鳴ったということは相手は組織的に動いているのだろうか。


「あっあの! 大丈夫ですよね、副隊長?」


 きょろきょろしながら鳳凰院が心配そうに聞いてきた。急な出来事に不安になるのもわからなくはない。


「大丈夫ですよ。万が一に全部隊が突破されたとしても、ここのセキュリティーの前では女神の涙に手が届くことはないのですから」


 そう言うも、俺の頬には冷たい汗が伝っていた。


「東門、西門、南門に連絡を取りましたが、警報がなっただけで侵入者らしき存在はいないとのことです! それと三つの門全てのカメラにノイズが走り、確認できません!」


「迅速に原因を突き止めろ。北門はどうなっている?」


 俺も自らモニターの元へ行き状況を確認する。俺がモニターに目を向けると同時に北門の警報が鳴る。


 そして黒い影が北門を守っていた部隊の人間の脇を疾風のごとく駆けていった。くそっ、三つの門は囮か!


「最低限の人数を残して全部隊北へ向かえ!」


 これで挟み撃ちにすればすぐに捕らえられるだろう。まったく手の込んだことしやがって。たった一人で何ができるというのだか、こんなバカなことをした奴の顔を一目見ておきたい。


「五十人もの部隊じゃ賊も何もできませんね」


「相手が能力者って可能性もありますが、こちらの部隊にも能力者はいますのでね。必ず捕まえて見せますよ」


 賊が捕まるのは時間の問題だろう。気を抜いてはいけないが。


「北門以外の門に残ってる部隊にも警戒は緩めるなと言っておけ」


 もしかしたら仲間がまだいる可能性もある。警戒はしておいても損はないだろう。


「それが、南門の隊員と連絡がとることができないのですが……」


 南門で何かあったのか? 多くの部隊を北に送る判断をしたのは早過ぎたかもしれない。もっと残すべきだったか。


「副隊長ー!」


 息切れした一人の隊員が走って俺の元までくる。長身で細身の男だった。帽子を深くかぶっているため目元までは見えない。走ってくる中で帽子の位置がずれてしまったのだろう。


「ぜぇ……はぁ……ごほっ、私は南門を守っていた者ですが、南門から賊の集団が現れました! 部隊を……早く!」


 くそっ、北門が本当の囮だったのか! まんまと騙されてしまった。


「北門へ向かった部隊の半分を南へ向かわせろ! すぐに……っ!」



 俺が指示を出していると屋敷中のライトの光が消え、真っ暗で何も見えなくなる。これも賊の仕業か!


「大丈夫ですよ。すぐに非常時用の電気でライトは点きます」


 傍にいた鳳凰院が俺に小声で知らせてくれ、言葉通りにすぐにライトが点き屋敷中が明るくなる。周りの隊員もパニックにならずにすんだ。


 ん? さっきまで目の前にいた南門の隊員がいない。どこに行ったんだ?


「あっあなたは何をしているんですか!」


 俺が隊員を探していると、鳳凰院の叫ぶような声が聞こえてくる。驚いて振り返り、鳳凰院の視線を追うとそこには南門の隊員がいた。


 ワイヤーらしきもので宙吊りになりケースから女神の涙らしき宝石を取り出している南門の隊員がいた。


 一瞬何が起きたのかわからなかった。俺の周りにいる隊員も口をぽかんとしている。


「あれ? しまったな。まさかこんなにも早くライトが復活するとは思わなかったよ」


 そう言い、南門の隊員はワイヤーを外し、ケースの上に片足で立ち、片足だけの跳躍で五メートルはあるレーザーの届かない場所に着地した。人間のもつ素の身体能力ではできない芸当だった。

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