19
荻窪署に会議室がいくつあるのかは知らないが、俺が最初に通された部屋に、俺とシオンは招き入れられた。室内には長机がホワイトボードに向かって並べられている。陽夏と会うときには見沼が相席するらしい。
「加賀美刑事は?」
「いま、垣内星那の所にいます」
「電話も今日ですか?」
「他に時間が取れないのです。それと、矢岸さん。取り急ぎお知らせしますが、垣内邸母屋裏口から小屋までの垣内優太郎の足跡は、偽装されたものであるとの報告が科捜研から来ました」
「偽装?」
「体重の乗せ方が、不審なんだそうです。それとは別に、どうやら星那の靴も使われたらしい」
「そうか……」
見沼は俺の呟きを聞き届けてから、部屋を出て行った。
シオンは壁際の椅子に座って、足を組んでいた。俺もシオンの隣に腰掛ける。
「矢岸さん、これは大変なことですよ。一気に解決まで持っていけるかも知れない」
「事件を解決するのと、陽夏が幸せになるのは、どちらが大切なんだろうな」
「また感慨に耽ってるんですか」
「陽夏と話したんだ。人を信じる前に、そいつを見極めろ、って」
「中学生には難しいでしょうね」
「しかし、陽夏や、あのアパートの住人のようになることもある。詐欺師は悪人の顔をしていない」
「それはそうです」
シオンには、俺の持っている情報は全て渡してある。俺も、シオンから多くの情報を貰っていた。
そろそろ、終わりにした方が良いのかも知れない。
終わらせられるのだろうか。
扉の開く音がした。
「矢岸さん」
陽夏が会議室に入ってくる。その体は、一層小さくなったように見えた。
陽夏は黒いプリントTシャツを着て、深緑のスカートを穿いていた。そう言えば、私服姿は初めて見た。
「元気か」
「うん。大丈夫」
陽夏は俺の隣の席に座った。シオンの反対側だ。陽夏に続いて部屋に入った見沼は、出入り口の近くに立っている。陽夏は俺に視線を向けずに、会話を切り出す。
「それで、何の用?」
「ただ話をしに来ただけかも知れない」
「矢岸さんのことだから、何か重要な話でしょ?」
「鋭いな。言ってしまえば、事件を発見する前日の話だ」
それを聞かれると分かっていたのか、陽夏は俺の言葉に何の反応も見せなかった。俺はテーブルの上で手を組む。
「事件発見の前日、垣内邸の方へ向かう陽夏の姿が防犯カメラに映っている」
「そっか」
陽夏は何かを見極めるように、真正面を見つめている。その先には、何も書かれていないホワイトボードしかない。俺は陽夏の横顔を見ながら、話を続ける。
「なぁ、垣内星那と組んでいたのか? 俺と一緒に垣内邸に行くことは、死体を発見する計画の一部だったんじゃないか?」
陽夏は口角を下げて、僅かに視線を下げる。
「君は、どこまで知っていたんだ? 垣内優太郎が死んでいることも、知っていたのか?」
「それは、知らなかった。知らなかったよ。ただあの日、星那の家に入るように言われてただけ」
「他の人間と一緒に、か。それで、探偵の真似事をしているという俺のことを思い出した」
陽夏は俯いて、腿の上で両手を握りしめる。俺は尚も横顔を見ながら、陽夏の言葉を待った。
「私、本当に何も知らなくて……」
陽夏の震え始めた肩に、俺はそっと手を置いた。視線を陽夏の横顔から外し、何と言って良いか考えようとした。しかし、不意に聞こえた電話の着信音によって、その思考は遮られる。辺りを見回すと、見沼が携帯を取り出していた。
「ええ、はい、分かりました。……矢岸さん、加賀美刑事です」
「いまですか?」
「いましか無いらしい。言っておきますが、これは部外秘ですので」
見沼はこちらへ歩いて来て、俺に携帯を手渡した。俺は頷いて、それに耳を当てる。
「代わりました。矢岸です」
「加賀美です。出来るだけ短くお願いします」
「分かっています」
俺は加賀美にそう言ったが、加賀美の声は聞こえてこない。
「もしもし」
代わりに聞こえてきたのは、か弱さを感じさせる、少女の声だった。
「矢岸という者だが、垣内星那さん?」
俺がそう言うと、隣の陽夏が僅かに体を跳ねさせた。
「そうですけど、どちらさまですか?」
「滝陽夏君の知り合いだよ」
「そうですか……」
「君に聞きたいことがある。良いかな」
「どうぞ」
「ではまず、計画についてだ。あの事件は、計画されていた。そうだね?」
星那から反応は無い。
「その計画とは、君と君の父親が、あの死体を笹崎信彦であると誤誘導させようとしたことだ。そして、死体と小屋に監禁されている君達を、五月十四日、俺に発見させた」
「お父さんは……」
「うん?」
「お父さんは、信彦叔父さんに殺されたんです」
「そうか」
「それで、十四日になったら、陽夏が殺されたお父さんを見つけるって」
「君、自分の言っていることが分かっているのか?」
「分かっています」
「しかし、このままだと、君の友達は窮地に立たされる。それで良いのか」
息を飲むような音が電話口から聞こえる。
「星那君な、君、陽夏をどうしたいんだ。陽夏にどうなって欲しい?」
「陽夏は、私の友達です。唯一、私を心配して、家まで来てくれた」
星那の声が、僅かに震え始める。しかし俺は、言葉を止めることは出来ない。
「陽夏を巻き込んだのは、君だ」
「陽夏を……」
「うん」
「陽夏を守って下さい」
「それが君の意思か」
「お願いします」
「それで良いんだな?」
俺はそう訊ねたが、その問いが答えられることはなかった。電話が切られたのだ。
「切られました」
俺は見沼を見てそう言った。
「誰か病室に来たんでしょうな。それで、何か聞けましたか」
「まぁ、星那の決意というか」
「私には、何の話か分かりませんでしたが」
俺は見沼に携帯を返し、シオンの方を見る。
「聞こえていたか」
「全部丸聞こえです。矢岸さん、決着を付けますか?」
「そうだな……」
俺はまだ迷っていたが、どうやらこの辺りが潮時らしい。俺は手の平をチノパンに擦りつけて、汗を拭った。見沼は腕時計を見て、俺に視線を投げる。
「そろそろお時間です」
陽夏は俯いたまま立ち上がった。俺はその顔を見上げる。
「なぁ、陽夏よ。星那は、陽夏を守ってくれと言ったよ。だから、俺はそうしようと思う」
「うん」
「今度また会おうな」
「うん……」
陽夏はの目から、一滴の涙が零れた。それはそのままテーブルの上に落ちて弾ける。俺は着ていたジャケットからハンカチを取り出して、それを陽夏に手渡した。
「ありがと」
「うん。それは、今度会ったときに返してくれ」
「じゃあ、またね」
陽夏は最後に潤んだ目で俺を見て、部屋を出て行った。見沼は陽夏の後を追う。
会議室の中には、俺とシオンの二人になった。
シオンはシャツの胸ポケットから煙草の箱を取り出して、それを空いている手の指先で叩き始める。
「矢岸さん。俺は、もう聞くことは無いようです」
シオンの手の中のネイティブアメリカンは、嫌な顔一つしない。
「俺も無いと思う。……決着、か」
「本当に、陽夏ちゃんを守れるんですか?」
「少しはな。それより、話したいことがある」
「矢岸さんの考えてることは、分かっていると思います。俺と矢岸さんと言えば、ツーカーの仲ですからね」
「そうだったっけ」
「見沼刑事と、後は誰か必要ですか?」
俺は黙って首を横に振り、瞼を閉じて足と腕を組んだ。
そろそろ、事件は解決させた方が良いのだろう。
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